春川教授の講義が終わった瞬間、あたしは思った。
(……むずかしい!!)
いや、分かるとこもある。
たぶん。
「人間は、足りないとこを勝手に埋める」
とか。
「それっぽいと、そうだと思っちゃう」
とか。
うん。
そのへんは分かる。
でも、途中からもう頭が、
(予測? 誤差? 特徴量? ドーパミン? うわー!!)
ってなって、
それでも必死にノート取ってたら、
お腹がぐうって鳴った。
(……お腹すいた!!)
結局、最後に残った感想はそれだった。
そんなあたしを、隣でネウロが見てる。
うん、分かってる。
あんたは「それが普通」みたいな顔をしてる。
「行くぞ。学食だ」
「やった!!」
あたしは弾むように立ち上がった。
学食までの道すがら、あたしは思い出していた。
第四回講義の最後のほう。
教授は、ホワイトボードに大きく書いた。
「理解 = 自己防衛のための物語」
そして、ちょっと怖い顔で言った。
「諸君。
君たちは“理解した”と思った瞬間に、最も鈍くなる」
……うん。
(それ、分かる気がする)
だって、あたしだってそうだ。
たとえば、犯人が分かった気がすると、
その人が怪しく見えちゃう。
そうじゃないかもしれないのに。
でも――
「でもさ、ネウロ」
「何だ」
「理解しないと、怖いもんね」
ネウロは「ふん」と鼻を鳴らした。
「怖いから理解する。理解した気になる。
そして、その理解を守るために嘘も飲み込む。
人間は面白い生き物だな」
「……え、今のあたし、ちょっと良いこと言った?」
「吾輩が言った」
「ひどい!!」
でも、笑った。
なんか、ちょっと悔しいけど。
学食の入口が見えてきたあたりで、
あたしはふと思い出した。
「そういえばさ、妖精さん教室」
「B-304のことか」
「うん! あれ、最近どうなってんのかな」
ネウロは、さらっと言った。
「まだ噂になっている。
人間どもは、相変わらず“かわいい”とか言っている」
「かわいいんだよ!」
「そうだな。
“かわいい”という言葉で、
異常を正常に変換できるのが人間の強さだ」
「え、なにその言い方。褒めてる?」
「褒めてはいない」
「ひどい!!」
あたしはぷんすかしながらも、
ちょっとだけ納得した。
妖精さんって言われると、
怖くない。
むしろ、嬉しい。
でも、教授の講義を思い出す。
(欠けを埋めて、安心する……だっけ)
あれも、そういうことなのかもしれない。
席を確保して、あたしはトレイを持って戻ってきた。
唐揚げ。
カレー。
プリン。
“いつもの”だ。
ネウロのほうは――よく分かんない。
見た目は普通の定食っぽいのに、
なんか、あいつが食べると全部「餌」みたいに見える。
「いただきます!」
ひと口、唐揚げ。
幸せ。
(うわ、やっぱりおいしい……)
その瞬間、講義の内容がふっと軽くなる。
難しい話を聞いたあとにごはんがうまい。
人間としてのバランスが取れてる気がする。
「なぁ、ヤコ。」
ネウロが唐突に言った。
「さっきの講義、最後の例。
“同じ現象に二つの説明を用意する”というやつだが」
「あー、あれね。
清掃員さんの気まぐれ説と、システムの穴説」
「そうだ」
ネウロは、箸を置かずに続けた。
「人間どもは、前者を選びやすい。
安心するからな」
「うん、分かる。
妖精さんって言うと怖くないし」
「だが、吾輩は後者の匂いのほうが好きだ」
あたしはプリンをスプーンですくいながら、
ちょっとだけ顔をしかめた。
「えー……やだなぁ。
せっかく平和な話なのに」
「平和だからこそ、味が分かるのだ」
「意味分かんない!」
でも、なんか嫌じゃない。
ネウロが“好き”って言うと、
不思議と「まあいいか」ってなるのが悔しい。
あたしがカレーを食べている間、
ネウロは何度か、ぼんやりと遠くを見ていた。
たぶん、学食の向こうの――
人の流れとか、騒がしさとか、
そういうのを見ているふりをして。
でも、あいつの目はたぶん別のものを見てる。
(まただ。
あの“舌の上”の顔)
妖精さん教室のときもそうだった。
まるで、目に見えない何かの味を確かめてるみたいな。
「ねえネウロ」
「何だ」
「妖精さん教室のやつ、
また見に行くの?」
「そのうち、な」
ネウロは笑った。
ほんの少しだけ。
でも、それが一番こわい笑い方。
「“育つ”のを待っている」
「……育つ?」
「謎の匂いだ、ヤコ」
ぞくっとした。
……でも。
唐揚げをひと口食べたら、
そのぞくっとがちょっとだけ薄まった。
(むずかしいけど、お腹すいた)
(お腹すいたけど、ちょっとだけ分かりたい)
そんな気持ちが、
あたしの中で混ざっていく。
ネウロは、何も言わずに食べ続けている。
たぶん――
あいつはもう、気づいてる。
この大学のどこかで、“誰か”が
新しい味の料理を仕込み始めたことに。
そして、その料理が完成する日を、
心底楽しみにしてることに。
プリンを食べ終わって、あたしは言った。
「次の講義も、行く」
「好きにしろ」
「むずかしいけど、行く」
「ほう」
「だって、終わったあとごはんが美味しいから!」
「……実に人間らしい理由だ」
ネウロは、口の端だけで笑った。
その笑いの意味を、
あたしはまだ知らない。
今はただ、
お腹が満たされて、少しだけ元気になった。
だからそれで、今日は十分だ。