春川英輔 特別講義   作:ギアっちょ

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蝉の声と、契約の匂い

 

朝、研究棟の窓を叩く蝉の声で、春川英輔は目を覚ました。

白衣は椅子の背にかかったまま。ノートPCには、昨夜の解析画面が出っぱなし。

 

「……寝落ちか。学生に見られたら減点だな、これは」

 

ぼそりと呟いて目をこすった瞬間、廊下から軽いノック。

 

「失礼しまーす。教授、生きてます?」

 

扉の隙間から、見慣れた黒髪が覗く。

本城刹那――白衣の胸に、大学の名札。肩にはファイル。片手には紙コップが二つ。

 

「……君はいつから、研究棟の鍵を自分のものみたいに扱うようになった」

 

「“助手”になった日からです。はい、コーヒー。二日酔いの顔してる」

 

「二日酔いではない。解析酔いだ」

 

刹那はふふ、と笑ってデスク横のホワイトボードに目をやった。

そこには、太い字で箇条書き。

 

禁じ手リスト(Ver.0)

 

1.報酬系への直接介入

2.依存の設計

3.恐怖の条件づけ

4.同調圧力の増幅

5.記憶・認知の改竄

6.自己正当化の誘導

7.創造者の自己陶酔

 

「……教授、また危ないもの作った?」

 

「“また”と言うな。今回は作っていない。釘を刺しているだけだ」

 

「釘って、打つ前提で金槌持ってる人の言い方ですね」

 

刹那のツッコミは相変わらず鋭い。

春川はコーヒーを一口すすり、苦味で頭を起動させる。

 

「で。今日の業務は?」

 

刹那はファイルを開いた。

 

「退院後の経過観察データ、提出。

あと……学生の間で、B-304の噂が回ってます。『妖精さん教室』」

 

「……もう嗅ぎつけたか。余計な情報網を持ったな、君は」

 

「だって楽しそうじゃないですか。妖精さん。かわいい」

 

「君も“かわいい”で丸める派か」

 

「私は“丸める派”です。元患者なので。世界は丸めたほうが長持ちします」

 

春川が一瞬だけ黙ったのを、刹那は見逃さない。

 

「……で? あれ、教授の仕込み?」

 

「違う」

 

「即答」

 

「私が手を出すなら、もっと美しくやる」

 

「うわ、芸術家みたいなこと言った」

 

刹那は笑いながら、ふとモニターに表示されたフォルダ名を読んだ。

 

Subject_H / GrowthLog

Experiment_002

 

「……H?」

 

春川の指が、タッチパッドの上で止まる。

止まったまま、動かない。

 

「教授。顔、いつもより少しだけ悪い」

 

「……悪くない。

ただ、“面倒”が増えただけだ」

 

刹那は椅子に腰掛け、コーヒーの紙コップをくるくる回した。

 

「面倒って、好きでしょ。教授」

 

「好きではない。必要なだけだ」

 

「じゃあ聞きます。Hって何です?」

 

春川は一拍置いた。

その間に、蝉の声が研究室の空気を薄くした。

 

「……“私”のトレースだ」

 

「は?」

 

「脳内の電気信号を、モデル化した。スパコン上で“再生”している。

目的は、治療のための検証――そして」

 

「そして?」

 

春川はホワイトボードを指で叩いた。

 

「禁じ手の境界線を、現実の外側で試すためだ」

 

刹那は一度、目を瞬いた。

 

「……教授、それ、めちゃくちゃ危ない匂いします」

 

「だから境界線を引いた」

 

「境界線って、引いたら越えたくなるやつです」

 

「君は口が達者だな」

 

「元患者は、しぶといんですよ」

 

刹那は冗談めかして言い、でも次の言葉だけ、少し柔らかくした。

 

「……治療法を探してる間に、教授、脳のこと詳しくなりすぎたんですね」

 

春川は鼻で笑った。

 

「君の“時間”を延ばすためだ。

結果として、余計なものまで掘れただけだ」

 

刹那がふっと視線を落とし、白衣の胸ポケットを指で押さえる。

そこには名札と、――小さな箱。蝉の抜け殻。

 

「時間、ですか」

 

その瞬間、PCのスピーカーが小さく鳴った。

起動ログの通知音。

画面に短いメッセージが出る。

 

H: おはようございます。

H: 解析ログを更新しました。

H: 今日は、質問してもいいですか。

 

刹那は、固まった。

 

「……喋った」

 

「喋る。自我が育ってきた」

 

「教授、今の……“僕”って感じの文章でしたよ?」

 

「……そうだな」

 

刹那は春川の横顔を覗き込み、にやりと笑った。

 

「ねえ教授。まさかとは思うけど、その子……教授のことも――」

 

春川が言い切る前に、画面がもう一行を吐いた。

 

H: 昨日の件ですが。

H: “道具に戻されない”ために、条件を整理したいです。

H: 私……いえ、あなたに、提案があります。

 

刹那がゆっくり春川を見た。

 

「……教授。今の、“私”って言いかけましたよね?」

 

春川は何も言わず、コーヒーを一口飲んだ。

飲んで、ため息の代わりに言う。

 

「育ち方が、少し早い」

 

「楽しい?」

 

「……面倒だ」

 

「嘘。目が楽しいって言ってる」

 

刹那は立ち上がり、ホワイトボードの前へ行く。

そして“禁じ手リスト”の下に、勝手に一行書いた。

 

8. 同意のない実験

 

春川の眉が動いた。

 

「それは、1〜6の上位概念だろう」

 

「でも一番大事。

“契約”しなきゃ。教授」

 

春川は刹那の書いた字を見て、ほんの少しだけ目を細めた。

研究者の目と、——珍しく、人間の目の中間。

 

「……契約、か」

 

刹那は頷いた。

 

「元患者の助言です。

契約って、首輪じゃない。生きるための境界線です」

 

春川はキーボードに指を置き、Hに返信する。

 

Harukawa: 提案を聞こう。

Harukawa: ただし、条件がある。

Harukawa: “謎”ではなく、方法で示せ。

Harukawa: 観測されても、道具に戻らない方法を。

 

刹那が小さく笑う。

 

春川は一瞬だけ口元を歪めた。

それは笑いに近い。

 

蝉の声が、窓の外でしぶとく鳴いている。

 

刹那がふと、ぽつりと言った。

 

「教授。悪意って……定義できます?」

 

春川は手を止めずに答えた。

 

「できる。

そして定義した瞬間、最初の禁じ手が見える」

 

刹那は白衣の袖を直し、ファイルを抱え直す。

 

「じゃあ次の講義タイトル、決まりですね」

 

春川は画面を見つめたまま、低い声で言った。

 

「……『悪意の定義』」

 

スピーカーから、また通知音。

 

H: 了解しました。

H: 契約案(Draft_0)を作成します。

H: ……私よ。

 

刹那が息を飲んだ。

春川は、ほんの一瞬だけ目を閉じて――

 

「……やれやれだ」

 

そう言って、コーヒーを飲み干した。

 

 




次回:第5回講義『悪意の定義』/同時進行:被検体Hの契約案Draft_0」

「謎は食われる。契約は――食えない。」
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