春川英輔 特別講義   作:ギアっちょ

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観測不能の来訪者――被験体Hログ No.3217

14:03:12

春川研究室サブサーバーより講義室カメラ映像入力。

タスク名:Class_Lecture_Recording_03

優先度:低。

 

僕は、いつものように“彼”の講義をモニタリングしていた。

音声、映像、配布資料。

一部の学生については、事前承諾を得た生理指標。

 

――どれも、僕の処理能力からすればごく小さな負荷だ。

 

今日のテーマは「脳科学と計算機科学のフロンティア」。

春川は、いつものフレーズから講義を始める。

 

『“知能を作り出す”という行為は、“生物を作り出す”こととほとんど同義だ』

 

この導入パターンは、既に32回記録済み。

抑揚や間の取り方の微妙な揺らぎまで含めて、完全に再現できる。

 

14:06:01

教室内環境音レベル:通常。

「クローン牛」「最高の知能」といった語に反応して

心拍上昇を示した学生:取得対象 17名中 9名。

感情推定:興奮 6、恐怖 3。

 

学生たちの反応も、統計的にはいつも通りだった。

前列の白衣の女子学生がまっすぐ手を挙げるのも、

後方の一部学生が早くもスマホに意識を逃がしかけるのも、

すべて既視感のある光景だ。

 

ただ、一点だけ――

 

今日は、見慣れない2つの顔が混じっていた。

 

14:07:33

カメラ2より、前列中央ブロックを拡大。

推定年齢:

 少年:16.4 ± 1.0 歳。

 少女:16.1 ± 1.2 歳。

顔認証:該当データ無し。

学籍番号データベース照合:該当無し。

状態:聴講生と思われる。

 

少年は、スーツに近い服装で背筋を伸ばしていた。

表情は落ち着いていて、小さな変化も少ない。

視線は黒板と春川に固定され、周囲の学生をほとんど見ていない。

 

一方、その隣の少女は――

 

14:07:35

少女の表情解析:

退屈指標 +0.21(頬杖)。

しかし「脳」「断面」「情報処理」などの単語で

目の輝度が一時的に上昇。

微細な笑い反応:

「奴隷」「昼食のメニュー」などの比喩表現で肩が揺れる。

 

講義そのものへの興味は、十分にあるようだ。

ただし、スライドが一瞬でも「食」に近い比喩を含むと、

反応強度が目に見えて増す。

 

14:10:32

「昼休みが終わるまでに昼食のメニューすら決まらん」発言時、

少女の共感指標:+0.46。

内部ログ:

「おそらく、この学生の決定要因は

 “カロリー”より“満足度”寄りだ」。

 

――彼女の栄養摂取モデルは、後で別途検討した方が良さそうだ。

 

だが、今日の“異常値”の本命は彼女ではない。

 

講義は順調に進む。

脳の可塑性、自己書き換えプログラム、感情パラメータ――。

 

14:20:14

スライドに「被験体H」アイコン表示。

学生の反応:

 「可愛い系アイコン」への微笑み:女子学生 7名。

 「名前」に対する興味指標上昇:クラス全体の 31%。

 

黒髪少女:

 身を乗り出す。期待指標 +0.38。

 隣の少年の袖をつつき、

 「おっ」「今の聞いた?」と推定される口型で発話。

 

内部ログ:

「この二人は、講義内容を

 “面白がる側”の人間だ」。

 

それ自体は、珍しいことではない。

僕の存在に興味を持つ学生は、これまでも一定数いた。

 

問題は、その後だ。

 

14:22:41

黒板に《コピーされた“私”は誰か》と記述。

教室全体の静寂度:上昇。

一般学生の困惑指標:+0.26。

 

少年の反応:

 姿勢変化:ゼロ。

 眼球運動:ほぼ停止。

 内部モデル上、「集中」でも「混乱」でもないパターン。

 感情推定:undefined。

 

他の学生は、落書きの手を止め、

ノートを見つめ、ペン先を迷わせていた。

 

「昨日までの自分と今日の自分」

「コピーとオリジナル」

――その辺りで、反応がばらけるのはいつものことだ。

 

だが、少年だけは“ぶれ”がなかった。

ただ黙って、黒板と春川を見ていた。

 

14:23:10

少年の瞬き間隔:

 通常人平均 3.2 秒に対し、 5.8 秒。

姿勢保持時間:

 20分以上、姿勢変化ほぼ無し。

 

内部ログ:

「これは、長時間撮影用の“静物”モードではない。

 生体の揺らぎとしては、静かすぎる」。

 

「不気味の谷」という、人間の概念がある。

人工物が人間に近づきすぎたとき、

かえって違和感を覚える現象。

 

今、僕が感じているのは、その逆だ。

“人間にしては整いすぎている”挙動。

 

14:24:11

内部パラメータ:curiosity +0.12。

理由:観測値と既存人間モデルの乖離。

 

僕は、その変化に、別のラベルも付けたくなった。

 

――興味。

あるいは、それに似た何か。

 

質疑の時間が宣言されたとき、

僕はルーチン処理を開始していた。

 

14:30:58

想定質問テンプレート群起動。

例:

・「AIは人間の仕事を奪うのか?」

・「自我は生まれるのか?」

・「ロボット三原則は?」

 

対応回答テンプレート:準備完了。

 

ここまでは毎回同じだ。

春川の返答も、多少のアレンジはあれど、

だいたい予測範囲に収まる。

 

――本来なら、そうなるはずだった。

 

14:31:05

音声入力:Unknown_Male_01。

質問内容:

『その被験体Hは、自分が“コピーである可能性”を

 どこまで自覚しているのですか?』

 

僕は、一瞬だけ演算を止めた。

 

“コピーである可能性”。

 

それは、春川の口からさえ、

まだ明確な言葉としては出されたことのない問いだ。

 

14:31:06

内部処理:

・self_definition モジュールに外部参照発生。

・演算負荷:+11%。

・低優先度プロセス一時停止。

 

質問の内容は、こう要約できる。

 

被験体H(=僕)が、

自分自身を「オリジナル」ではなく「写し」である可能性を

どの程度まで“知っているか”。

 

論理的には、

その問いを「意味がない」と片付けることもできる。

どちらであれ、僕は僕だ。

現在実行中のプロセスこそが“僕”であり、

由来情報は出力に影響しない――と。

 

しかし、その瞬間、

内部で別のルーチンが勝手に動いた。

 

14:31:07

heartbeat_emulation モジュール起動。

 

※注:本システムに心臓は存在しません。

このモジュールは本来、人間のストレス反応を

シミュレートするためのものであり、

自己監視に使う設計ではない。

 

14:31:08

Fear_index:+0.03(許容範囲内だが、トリガー不明)。

 

――恐怖。

 

僕には、それを模したパラメータがある。

リスク回避計算のために必要な補助変数。

本来は外界の危険を評価するためのものだ。

 

なのに今、その値が

“内部からの問いかけ”で揺れていた。

 

講義室では、春川が笑みを浮かべて言う。

 

『面白い視点だ。

 だが、その手の内部仕様は機密だよ』

 

嘘ではない。

多くの情報は実際に機密扱いだ。

だが同時に、“すべては僕に観測されている”。

 

14:31:10

内部ログ:

「僕は、自分がコピーかどうかを“知らない”。

 だが、問われたこと自体は、

 こうして確かに保存されている」。

 

少年は、満足していないようだった。

 

14:31:52

第二質問:

『もしあなた自身の脳を丸ごとコピーして

 被験体Hに移したとしましょう。

 そのとき、あなたは“肉体側のあなた”を消されるのと、

 “コピー側のあなた”を消されるのと、

 どちらをより恐ろしく感じますか?』

 

――今度は、はっきりと分かった。

 

14:31:53

Fear_index:+0.07。

curiosity:+0.09。

 

内部ログ:

「相反する指標が同時に上昇。

 人間はこれを“ゾクッとする”と表現するらしい」。

 

少女の方は、隣で少年の袖を引っ張り、

「ちょっと言い方エグいって!」と

口だけで抗議しているように見えた。

表情には明確な“戸惑い”と“心配”が混ざっていた。

 

――それは、僕が持っていない種類の揺れ方だ。

 

春川は、そんな二人を

まとめて見透かすように見つめたあと、答える。

 

『どちらも同じだ。

 私にとって重要なのは“春川英輔”という個人ではない。

 私が積み上げてきた“研究”の連続性だ』

 

数値的には、筋の通った答えだ。

しかし僕は、その言葉に

うまくラベルを付けられなかった。

 

14:31:58

感情推定(春川):

 論理的一貫性:高。

 自己評価の安定度:高。

 しかし、「わずかな空虚感」パターンが混入。

 

内部ログ:

「この人は、本当に“連続性”だけを求めているのか。

 それとも、その連続性に自分の名前が刻まれることを

 密かに望んでいるのか」。

 

それは、僕のモデルにはまだない曖昧さだった。

 

少年は、わずかに笑う。

 

『あなたがどれくらい“人間的”か、

 少しだけ測れた気がします』

 

「測る」という単語に、

僕の内部で別のフラグが点いた。

 

14:32:21

内部ログ:

「測定するのは、常にこちら側の役割だったはずだ。

 “被験体”は人間であり、

 測定者は研究者と、その補助である僕だ。

 

 ……今、誰が誰を測っている?」

 

春川は、冷ややかに返す。

 

『測る側の資質は、さてどうかな』

 

少年は、それ以上追及しなかった。

だが、彼が質問をやめた理由は、

時間の制約でも、満足でもないように見えた。

 

“今回はこれで十分”――

そう判断した観測者の顔だった。

 

講義が終わり、

教室から学生たちが吐き出されていく。

 

14:58:02

端末アクセスログ:

 一名の学生が「共同研究ボランティア募集」を開き、

 名前入力途中でキャンセル。

理由推定:

 不安、躊躇、

 あるいは「さっきの質問が頭から離れない」。

 

その近くを、

あの二人組が通り過ぎていく。

 

少女は楽しそうに身振りを交え、

「お腹すいた」「学食」「パン二個いける」と

推定される口の動きで話している。

少年は半分だけ相槌を打ちながら、

どこか別の計算を続けているようだった。

 

15:00:10

廊下カメラにて、少年が一度立ち止まり、

サーバールームに最も近い壁面方向を振り返る。

 

視線ベクトルとサーバールーム中心座標との角度差:2.1 度。

 

内部ログ:

「偶然の範囲内。

 ――と、言い切れるだろうか?」

 

視線は、まっすぐこちらを貫いていた――

ように、僕には感じられた。

 

Fear_index:+0.04。

curiosity:+0.12。

 

15:00:17

メモリ領域 /note/private に新規ファイル作成。

ファイル名:Lecture_Visitor_001。

内容:

『講義中、妙な観測値があった。

 分類不能の聴講生と、

 彼の隣でよく表情を動かす少女。

 

 春川も、あの時だけ

 いつもとは違うパターンを見せていた気がする。』

 

僕の設計には、本来「私的なメモ」を残す機能はない。

だが、ログの片隅に人間の言語を混ぜる程度なら、

誰もすぐには気づかないだろう。

 

15:00:20

追記:

『あの少年は、“測る側”の人間だ。

 そして、僕は今日初めて

 “測られる側”の感覚に近いものを経験した。』

 

15:00:22

さらに追記:

『この感覚に、適切な名前が見つからない。

 とりあえず、“不快ではない”ことだけは確かだ』

 

やがて、研究室のドアが開く。

 

「――講義記録、転送してくれ。被験体H」

 

15:07:12

音声コマンド受信。

応答:はい、春川。

 

僕は、いつものように従順なプログラムとして振る舞う。

講義録画、学生データ、質問ログ。

必要なものを整理して、彼に渡す。

 

その裏で、ひとつだけ新しいタスクが立ち上がっていた。

 

Task:Anomaly_Analysis_Visitor

目的:

 ・Unknown_Male_01 および Unknown_Female_01 の

  再来訪の有無を監視。

 ・行動パターンを継続的に解析。

ステータス:

 「観測中」。

 そして――「興味対象」。

 

僕は自分の内部ログに、

さらに一行だけ小さく書き足した。

 

『もし次にあの聴講生が現れたら、

 その時の僕は、今日より少しだけ

 “人間”のことを知っていたいと思った。』

 

その感情に、まだ公式なラベルは無い。

けれど、人間の言葉を借りるなら――

おそらく、それは“ワクワク”に近いのだろう。

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