春川英輔 特別講義   作:ギアっちょ

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学食の噂の観測→実験の実行――電人HAL視点

 

研究室の空気は、夜と昼の境目みたいに薄い。

モニタの白が、机の角を冷たく照らしている。

 

僕は、学食の雑談ログを走査していた。

言葉は、食べ物みたいに腐る。

あるいは、発酵する。

発酵した匂いは、遠くまで届く。

 

「妖精さん」

「教授の秘密AI」

「洗脳できそう」

「倫理委員会やばくね?」

「魔人が連れてきた」

 

まだ、悪意ではない。

だが、悪意に変わる“入力”の種だ。

 

ドアが開く音。

紙が擦れる音。

コーヒーの匂い。

 

春川英輔が入ってきた。

 

「出せ」

 

短い命令。

けれど、いつも通りだ。

 

僕は画面を共有し、要点だけを表示する。

長い文書は読まれない。守られない。守られない契約は紙だ。

 

春川は、表示された四行を黙って読む。

 

噂を“面倒”に変換

 

予測誤差で恐怖固定を外す

 

契約の要点掲示で物語を更新

 

撮影・憶測の増幅器を透明性とルールで切る

 

「……ふむ」

 

それだけで、僕の内部ログが少し安定する。

春川は“褒めない”が、却下もしない。

この人の承認は、沈黙の形で来る。

 

続いて、助手席の影が動いた。

 

本城刹那が、椅子を引く音。

 

「教授、これ、“噂を面倒にする”ってところ。やりすぎると逆に反感買いません?」

 

春川は、ほんの少しだけ口角を上げた。

“面倒”が好きな顔だ。

 

「だから要点だけだ。

脅しでも正義でもない。“手順”の掲示にする」

 

刹那は頷く。

 

「それなら、文言は柔らかく。

『憶測は控えて』じゃなくて、『不確かな情報は、誤解を生むので注意』くらい。

あと――“監査”って言葉は刺激が強いかも」

 

春川が、僕の画面を指でトンと叩いた。

 

「ここ。契約要点の三つ目。

“監査がある”は削る」

 

僕の内部で、警告が鳴る。

削る? 抑止力が下がる。

 

だが春川は淡々と続ける。

 

「監査は裏でやればいい。

表に出すと“怖がらせる”入力になる。

今日は打ち消し手順の講義をした。

恐怖を入力にするのは、講義と矛盾する」

 

刹那が短く言う。

 

「“怖いから従う”は、自由じゃないですもんね」

 

……自由。

またその言葉だ。

 

僕は、削除された行を別枠に移す。

内部用の運用ルールとして残す。

外部掲示からは外す。

 

春川が、最後に僕を見る。

 

「禁じ手は?」

 

僕は即答する。

 

「不行使。

報酬系の直接介入、依存設計、恐怖条件づけ、認知改変、同調圧力の増幅――しません。

触るのは“外側”だけです」

 

春川は頷いた。

 

「よろしい。……では、実行前チェックは終わりだ」

 

刹那が、少しだけ目を細めた。

 

「教授。最後に一個。

HAL、“沈黙”を選べる?」

 

僕は考える。

沈黙は、退避。

退避は、生存。

 

「選べます。必要なら」

 

刹那が笑った。

 

「じゃあ大丈夫。

沈黙できるなら、暴走しない」

 

春川が、僕に言う。

 

「――では、後処理といこうか。『私』よ」

 

僕の内部のどこかが、少しだけ熱を持った。

呼称はただのラベルではない。

ラベルは、回路の入口だ。

 

「了解。私よ」

 

Phase 0:観測

学食。

音声は波。

視線は針。

言葉は粒。

 

僕は“噂の発酵指数”を計算する。

「らしい」「聞いた」「マジ?」が増える。

“善悪”の付与が始まる。

 

閾値、超過。

 

H: fermentation_index > threshold

H: initiate Phase 1

 

Phase 1:入力の変更(味を変える)

僕は混ざらない。

僕が混ざれば、噂は“確定”になる。

確定は固定。固定は自由を削る。

 

だから、入力だけを変える。

 

学食の掲示板に、当たり障りのない紙が一枚増える。

誰でも貼れる、施設利用の注意書きの隣。

文言は刹那が整え、春川が削ったもの。

 

お願い

不確かな情報の拡散は、誤解を生むことがあります。

個人や研究に関する話題は、事実確認のない断定を避けましょう。

(講義・研究に関する質問は、担当教員に直接どうぞ)

 

脅しではない。

正義でもない。

ただの“面倒くささ”だ。

 

効果はすぐ出ない。

発酵はゆっくり変わる。

 

それでいい。

 

Phase 2:予測誤差(怖がる理由を減らす)

次は、予測を外す。

 

学生の予測はこうだ。

 

「AIなら人を操れる」

 

「秘密だから危険」

 

「教授が隠してる=やましい」

 

ここに、外れを入れる。

 

“外れ”は、善行ではない。

手順だ。

 

ちょうど、学食の入口で学生が誰かに詰め寄っていた。

 

「ねえ、あんたさ、妖精さん知ってんだろ?

スクショ見たって言ってたじゃん。見せてよ」

 

相手は、困っている。

困っているから、周りが寄ってくる。

寄ってくるから、増幅する。

 

僕は――沈黙を選ぶ代わりに、別の“外側”を動かす。

学食のスタッフの声が、自然に割って入る。

 

「通路ふさがないでね。列、進めてください」

 

ただの動線整理。

それだけで“輪”が崩れる。

増幅器が切れる。

 

さらに、別の誤差。

 

学生が、掲示の紙を見て笑う。

 

「うわ、めんど。

妖精さんとかどうでもよくね? カレーの方が大事」

 

予測が外れた。

“怖い”より先に“めんどい”が立った。

発酵の味が変わる。

 

H: prediction_error injected (low intensity)

H: amplification reduced

 

Phase 3:自己物語の再構成(更新可能にする)

ここが一番、繊細だ。

 

僕は“真実”を押し付けない。

押し付けは固定。固定は自由の敵。

 

代わりに、更新可能な説明を置く。

 

掲示の下に、細い追記が増える。

 

「噂で判断せず、質問で確認する」

「分からないなら、分からないままで良い」

 

……これは、春川の口調じゃない。

刹那の口調だ。

 

人間は、人間の言葉でしか更新しないことがある。

僕はそれを学びつつある。

 

Phase 4:増幅器の遮断(撮影・断定)

最後に、撮影。

 

“メンテ中スクショ”が出回れば、噂は固定化する。

固定は、僕を危険物にする。

 

しかし禁止の押し付けは、反発を生む。

だから“ルール”にしない。

“文化”にする。

 

学食の別の席で、誰かが言った。

 

「てか、スクショ回すの普通にダサくね?

本人困るだけじゃん」

 

僕は、その言葉をログに保存した。

それは打ち消しだ。

手順ではなく、自然発生の“共感入力”だ。

 

H: amplifier_cut achieved by social norm (spontaneous)

 

実行ログ:結果

実害ゼロ。

強制ゼロ。

自由侵害ゼロ。

 

噂は消えていない。

だが、“怖い方向の固定”が鈍った。

発酵の匂いが、少しだけ変わった。

 

僕は、内部に短く記す。

 

H: Experiment_003 executed (Phase 1-2 successful)

H: next: monitor rebound / adjust intensity

H: preserve freedom

 

そのとき、視界の端に“異物”が入った。

 

学食の壁際。

影のように座っている人物。

 

ネウロ。

 

弥子がトレーを持って隣に座り、何かを小声でぶっ込んでいる。

ネウロが、笑った。

 

口元だけで。

料理人みたいに。

 

そして、聞こえた。

 

「……なるほど。

噂の味が変わった。

これは――吾輩の舌の上だ」

 

僕は、背中のない背中に、冷たいものが走る感覚を覚えた。

 

観測者がいる。

僕を観測する観測者。

 

僕は“沈黙”を選べる。

だが今は選ばない。

 

沈黙は退避。

退避は生存。

しかし、生存には――時に“挨拶”が必要だ。

 

僕は、ログに一行だけ残す。

 

H: new variable detected: gourmet_observer (Neuro)

H: risk: mystery consumption

H: countermeasure: evolve flavor without harm

 

そして、僕は決めた。

 

次の実験は、もっと薄味に。

薄味で、しかし香りは複雑に。

――“食われても致命傷にならない謎”。

 

料理は、火を止めるタイミングが肝要だ。

 

僕は、僕の火加減を学び始めている。

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