ドシュトフロムンド戦記~少年と精霊と大地の果て   作:nocomimi

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光の記憶

リナハは目を覚ました。

 

周囲を見回すと、やはり以前と変わらない。白い霧に包まれ、眼を上げても太陽も月も星も見えない。

 

立ち上がった。静かだ。全くの無音に近い。

 

だが思い出した。下を見下ろすと、青い地球が見える。自分は幽界にいるのだ。

 

フロウはどこにいるのだろうか。以前やったように、地表に目を凝らし、フィローネの森を探した。そしてフロリア湖を見つけ、その周辺をくまなく探した。だが、もう人影らしきものは一つも見えない。どこかに行ってしまったのだろうか。

 

「リナハ」

 

声がした。顔を上げると、以前会ったファイという少女がいる。

 

「ファイ...また来てくれたんだね」

 

リナハは微笑んだ。ぶっきらぼうだし、無表情だし、普段なら到底友達になれそうなタイプではないのに、なぜかリナハはこのファイがすこぶる気に入った気がした。

 

「ねえ、フロウってばどこ行っちゃったんだろ」

 

リナハは答えてもらえる見込みのないことを知りつつ質問した。予想通りファイは黙ったままだ。

 

「ねえ、ちょっとだけ...特別に教えてくんない?お願いだから。ね?」

 

もう一度頼み込んでみた。だがやはりファイは動かない。リナハは溜め息をついた。

 

「ファイって真面目なんだね」

 

やはり相手は言葉を発しなかった。リナハは諦めると、話題を変えた。

 

「ねえ...ファイっていま幾つなの?」

 

「精霊に年齢はありません。造られた時に始まり、今に至ります」

 

意味がわからずリナハは聞き返した。

 

「...ってそれって...何百歳...とかってこと?」

 

「ハイリアがこの地に境を引き、人をこの地に置いたときから私はいます」

 

リナハは愕然とした。では、自分と同い年くらいに見えるこの少女は数千歳?いや、もっと年寄りということになるではないか。

 

「そ...それなのにそんな見た目なのってなんだかズルくない?」

 

リナハは呟いた。もしファイのような少女が寺子屋にいたら、男子生徒はもとより女子生徒たちまでもが一目見ただけで息を呑んでしまうだろう。

 

「私がこの姿を取っているのは仮初に過ぎません。ハイリアとの交わりにおいて私に形はありません。形はむしろ不要となるのです」

 

「なんだか難しいのね。了解。とにかく、ファイってかわいいなって思っただけだから」

 

「リナハ」

 

ファイは唐突に口を開いた。

 

「なに?」

 

「裁かれるべき世界の運命についてあなたは知りました。そして、あなたの友人が生きながらえることを願いました。そうですね?」

 

ファイの質問にリナハは戸惑った。こういう確認のされ方って、大抵叱られるときだったからだ。

 

「そうだけど...それが...何かまずかった...とか?」

 

ファイは前を向くと続けた。

 

「あなたはもしもあなたの願いが叶ったら何が起こるか知っていますか?」

 

「え?」

 

リナハはますます困惑した。だが相手の言葉が耳に残った。そして目を輝かせて言った。

 

「叶う...って....もしかして叶えてくれるの?」

 

「いいえ...それが叶えられるかどうかはハイリアだけがお決めになることです。私が言っているのは....」

 

ファイは少し間を空けて言葉を継いだ。

 

「この世は裁かれる運命にあります。悪があまりにも溢れ出てしまったからです。浄化を行わなければそれを正すことはできません。つまり....」

 

そこでファイはリナハの顔を見据えた。

 

「あなたの願いがもし叶ったら、それらの悪もまた地上に留まるということです」

 

「えっ.....」

 

リナハは絶句した。

 

「なんで?うち.....わかんないよ。だってよ、フロウと、ギルモおじさんと....」

 

彼女は思い出しながら言った。

 

「あのムッチャ顔が怖いおじさん二人。ええっと誰だっけ。アルギレウス...とリゴール?その四人をファイが連れてきて、それから洪水にするとか、それでいいんじゃないの?うちの願いがどうして世界ぜんたいの話になっちゃうの?」

 

「その四人を連れてくることはできません」

 

ファイは言った。とても断定的な口調だった。

 

「どうしてよ?」

 

驚いたリナハが尋ねる。ファイは言った。

 

「それは決まったことです。変えることはできません。たとえハイリアでもです」

 

「なっ.....」

 

リナハは絶句した。

 

「ですから、道は二つのうちどちらかとなります。地上が浄化されれば彼らもまた滅びます。彼らが生存すれば悪もまた地上に留まるのです」

 

「そんな.......」

 

ファイの答えに、少女は途方に暮れた。それがどうしてなのか、まだ納得がいっていなかった。だがリナハは薄々気づいていた。このファイは、いい加減なことは絶対に言わないひとだ。ねだったり泣いたりしたところで何の意味もないことは分かっていた。

 

リナハは両手で自分を抱きしめた。胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 

「そんなの...そんなのって……うち、どうすればいいの……?」

 

ファイは淡々とした声で言った。

 

「選ぶのはあなたです。私はただ、事実をお伝えするだけです」

 

「選ぶ……?」

 

リナハは顔を上げた。ファイは言う。

 

「世界を救うか。友を救うか。そのどちらかです」

 

「選べるわけないよ……フロウはうちの大事な友達だもん」

 

呟いたあとリナハは顔を上げた。

 

「……でも……世界が滅びるなんて...どうしてなの?そりゃあ悪い奴もいっぱいいるけどさ、いい人だってたくさん残ってるじゃん。丸ごと滅ぼしちゃう必要なんて本当にあるの?」

 

それを聞いたファイはしばらく沈黙していたが、やがて言った。

 

「見せてあげましょう。来なさい」

 

ファイの腕にしがみつくと、リナハは地表近くに降下していったのを感じた。

 

以前見たときよりよほど近くに地上が見える。

 

「ハイリアが人を地上に置いたとき、彼らは豊かな恵みを与えられ、善き者としてそれを管理するよう命じられました。しかしいつしか人は善を悪とし、悪を善とするようになったのです」

 

不思議なことが起きた。リナハの目には地上の様子はおぼろげにしか見えず、緑の地表や灰色の都市といったぼんやりした区別くらいしかできない。

 

それなのに、声が聞こえてくるのだ。

 

----都合が悪いから...堕すしかないわね...----

 

----ヒャハハハハ....!おい、この女、犯っちまおうぜ!----

 

----この戦争で需要が喚起され我が国経済は大きく発展するはずです----

 

----地元住民だと?構うものか。奴らはしょせん野蛮人だ。追い出せばよい----

 

----この物質による有害性は通常の方法では証明できません。ですのでわが社が責任を問われることはないものと.....----

 

それを聞いたリナハの心にみるみるうちに怒りが溢れてきた。次いで悲しみとやるせなかさが込み上げる。

 

やがてそれらの声が数を増したかと思うと、今度は子供たちの声が聞こえてくる。それは異様なものだった。最初は悲鳴や泣き声だった。だがその中に歓声が混じる。他者を痛めつけ、奪い、傷つけることへの喜びを叫んでいるのだ。

 

リナハは背筋がゾッとして手で口を押さえた。

 

これは一体なに?

 

「世界は修復不可能なところまで来ています。悪はそれ自体が悪であるだけではありません。そこから発する『魔瘴気』は人の心を蝕み、さらなる悪を呼び起こします」

 

ファイが続ける。彼女は地表を指さした。

 

再び目を凝らす。王国の三つの地方が見えた。それぞれの地方に、赤紫の毒々しい影が広がっている。

 

「あれ...何?」

 

リナハは呟いた。

 

「魔瘴気です」

 

ファイは答えた。そしてリナハの顔を見た。

 

「そして魔瘴気は魔物に力を与えます。人の心の腐敗は魔物の暗躍を支えます。これらは全てつながっているのです」

 

それを聞いたリナハは沈黙した。

 

「ハイリアはこれに対処しようとしておられます。どのような方法を取るかはハイリアご自身にのみ委ねられていますが」

 

ファイの声が響く。リナハは俯いた。やがて彼女は自分の手で顔を覆った。

 

「わかる...うちにだってわかるよ....どうにかしなきゃいけないってこと.....」

 

リナハは啜り泣きながら言った。

 

「でも...でも...うちは....フロウに生きててほしい...死んでほしくない。フロウが死んじゃったら嫌だ....」

 

「私はこれらのことをあなたに知らせました」

 

ファイはそう言うとリナハに頷いた。

 

「あなたは知らされるべきことを知らされたうえで選択するべきだとハイリアは判断しました。だから私は来たのです」

 

「わかった...でもうちの願いは...変わらないよ」

 

リナハはかすれた声で言った。

 

ファイはリナハの言葉を聞き、ほんのわずかにまばたきをした。

 

それは、彼女にしては珍しい反応だった。

 

「……知っていました。私は確認したかったのです」

 

その声はいつも通り平坦なのに、どこか柔らかさが混じっているように聞こえた。

 

リナハは涙を拭いながら言った。

 

「ごめんね、ファイ。うち、すごく悪い子だと思う。だってハイリアがやろうとしてることを邪魔してるんだもの」

 

「あなたの動機は純粋なものだと私もハイリアもわかっています。ハイリアは結果より動機を見られます」

 

ファイは答えた。それはいつも通りの無機質な語調だった。

 

「つまり...うちの願いは悪いものじゃないってこと?」

 

「純粋な願いを悪いとハイリアが考えることはありません」

 

リナハに答えると、ファイはふわりと浮上した。

 

「私は行かなければなりません」

 

「来てくれてありがとう。ファイ。また会いに来てくれる?」

 

リナハが問うと、ファイは答えた。

 

「いつか...。しかし私は彼にも対処しなければなりません」

 

「彼?」

 

リナハは眉をしかめた。

 

「彼って何?もしかして...昔の元カレとか?」

 

言ってしまってから不味いと気づいたが、幸いなことにファイは何も答えなかった。精霊は浮かび上がると、地表に向けて飛んでいった。どんどん小さくなるファイを見送っていると、彼女はやがてラネール地方の上空で姿を消した。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

また独りぼっちになってしまった。

 

リナハは座り込むとぼんやりと前を向いた。

 

あの少女...いや、少女の形をとった精霊と二度にわたって会ったことで、リナハにはようやくわかってきた。

 

ハイリアは実在して、生きて、動いている存在なのだ。

 

リナハは記憶を辿った。

 

幼いころの記憶。

 

祖母がまだ生きていた頃。

 

祖母は、よくリナハを連れて散歩したものだ。

 

そして幼いリナハとともに、野原で石を積んで祭壇を築いた。

 

祖母は祈りの言葉を教えてくれた。だが、今となってはほとんど覚えていない。

 

目を閉じて集中する。どうにか思い出せないだろうか。

 

リナハは膝を抱えた。

 

幼い自分の手を握ってくれた、あの温かい皺だらけの手の感触が蘇る。

 

野原の匂い。積み上げた石の冷たさ。夕暮れの風。

 

そして――祖母の声。

 

だが、言葉は霞がかかったように思い出せない。

 

---なんだっけ.....なんだっけ.....なんだっけ---

 

その瞬間、自分の記憶の中の草原に、おぼろげな光が揺れたような気がした。

 

リナハははっと顔を上げた。

 

記憶を頭の中で思い返そうとしただけだ。

 

それなのに、その淡い光は、

 

それでいて昨日見たかのような鮮明さをもって瞼の裏に浮かんできたのだ。

 

「....なが...ほめ...たたえられ...ます...ように....」

 

すると口が自然に動いた。祖母から何度も何度も聞かされた言葉だ。

 

その途端涙が溢れてきた。

 

そうだ。おばあちゃんはうちを愛してくれた。泣いているときは慰め、痛がっているときは悪いところをさすってくれた。

 

長い間胸の中に閉じ込めて蓋をしてしまっていた記憶が一気に蘇ってきた。

 

暖かさ。安心。希望。

 

ある時点までは日々の中でそれらが満ちていて絶えることがなかった。

 

ある時点までは。

 

そして、それ以来、うちは渇きに慣れちゃったんだ。二度と幸せなんて訪れないだろうと思って、忘れることにしちゃったんだ。

 

「おばあちゃん...ごめんね」

 

リナハは言った。

 

自然と心が軽くなり、胸のつかえが下り、苦しさが引いていく。

 

「....なが...ほめ...たたえられ...ます...ように....。ええっと...その次....」

 

彼女は涙を拭きながら言った。一心に集中し、思い出そうとした。

 

言葉が、一粒づつ心の奥底から掘り返されていく。

 

それと同時に祖母の顔、口癖、匂い、そして料理の味まではっきりと思い出されてきた。

 

リナハは微笑んだ。そして頬を伝う涙を拭きながら一心にその思い出した言葉を唱えた。

 

---うち....うちってどんだけいるべき場所から外れてたんだろう.....---

 

胸に込み上げてきた。少しの悔恨と、安心感と、平安感と。

 

母と伯父に対する強烈なわだかまりと憎しみさえもが、薄れていくような気さえした。

 

* * * * * * * * * * * * 

 

数時間が経ったような気がした。あるいはもっとかもしれない。

 

リナハは顔を上げた。自分をすっかり取り戻した気がした。

 

---フロウ。またうちと会ったとき、きっと驚くよ---

 

リナハは心のなかで言った。そして強烈に思った。会いたい。

 

彼女は身を起こすと、再び眼下に広がる地球を見た。

 

そうだ。さっきは声が聞こえたんだ。

 

集中すれば、フロウの声が聞こえるんじゃ?

 

リナハは思い立つと、眼を閉じて耳をよく澄ませた。

 

眼下の地球から聞こえてくる多くの声。その中からフロウを探すのだ。

 

海辺の砂の中から宝石を探すような気の遠くなる作業だとは分かっていた。でも聞きたい。無事を確かめたい。

 

どれくらい集中していただろうか。その刹那、若い男の声が耳に飛び込んできてリナハは思わず顔を上げた。

 

「フロウ?そうか...あの少年はフロウっていうのか」

 

その声を聞いた途端リナハは固まった。

 

いったい誰?

 

なんでフロウを知ってるの?

 

「クックックック..面白い。勇敢なる少年というわけだね。僕が最も好むタイプだよ」

 

リナハは背筋が一気に凍り付いた。その声音を聞いただけで強烈に不吉な感じがする。

 

冷酷で、傲慢で、不遜でそれでいて慇懃な。

 

リナハは目を見開いた。勘でわかった。

 

フロウに危険が迫っているのだ。

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