ドシュトフロムンド戦記~少年と精霊と大地の果て   作:nocomimi

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見守りし者の決断

---リナハ...私はいます----

 

光の中心から響くその声を聞いた瞬間、リナハの眼から涙が迸り出るように溢れた。

 

あの時。祖母に手を引かれて行った野原で小さな祭壇を作った夕方。

 

祖母の教える祈りの言葉を拙い口調で唱えたあの日。その時に見た小さな、朧げな光。

 

初めて...ではない。二度目。

 

でもあの時はよくわからなかった。

 

しかし、今ははっきりと分かった。強烈に。

 

---うちは.....あのひとの前に、いまいるんだ---

 

あまりにも強い光に圧倒されたリナハは思わず膝をつきそうになった。

 

強烈なほど眩しい。なのに熱くもなく、目に痛くもない。だが、彼女は思った。

 

この光の中、まっすぐ立ってはいられない。

 

リナハはとうとう跪いた。だがそれでも、言葉が漏れ出てきた。

 

「お願い....ハイリア。助けてあげて.....フロウのことを」

 

目からは涙がとめどなく流れてくる。なぜかは分からなかった。祖母との愛おしい思い出と光の記憶、今見上げている強烈な光への恐れ、そしてフロウへの想いがすべてごっちゃになってしまっているのだ。

 

「お願い...お願い。フロウを....」

 

リナハは呻くように言い続けた。そして咽び泣いた。

 

どれくらい時間がたっただろうか。ようやく涙が収まってリナハは顔を上げた。

 

そして、二人の誰かが会話していることに気づいた。

 

「ハイリア....あなたは地上に降りるおつもりですね」

 

リナハは気づいた。これはファイの声だ。もう何度も会話したから聞き覚えがあった。

 

「あなたは既に、空の水の源を差し止めておいでです。これは.....あなたが裁きとは別の道をとるおつもりであるということに私には思えます」

 

その後しばらく沈黙が続いた。

 

だが唐突に声が聞こえた。ファイとは別の声だ。

 

「あなたの言うとおりです」

 

女性だろうか?だがそれはあまりにも深く、強く、それでいて慈しみと威厳に満ちていた。

 

「ハイリア....それには危険が伴います。水により全てを浄めるのでなければ...悪は地上に残るでしょう。それだけではありません」

 

今度はファイの声。それがこう続いた。

 

「地上に降りて形をとるということは....傷と痛みを受ける可能性を伴います。ハイリア....これまで形をとって現れたことのないあなたご自身をしてそう決断せしめるものは...」

 

「『誓い』です」

 

女性の声が答えた。

 

「私自身の『誓い』は掟であり、守られねばなりません。それはいかなる犠牲をも払うに値します」

 

また沈黙が続いた。そしてファイの声が聞こえた。

 

「.....そうですか」

 

そのファイの一言に、リナハは理由もなく胸が騒いだ。まるで、俯いて溜め息をついているような、そんな声に聞こえたからだ。あの、無表情でぶっきらぼうなファイが。

 

光の中心からまた声が聞こえた。静かだが揺るぎない声だった。

 

「私は地上へ降ります。もうすぐ彼の封印が解けるでしょう。誓いを守るならば、私は私自身の手で対処しなければなりません」

 

「あなたご自身の手で.....戦われますか?」

 

ファイが尋ねる。リナハはそれを聞いてますます胸が騒いだ。戦う?誰が誰と?

 

「はい。私の手で」

 

また声が聞こえた。今度は、少しの沈黙のあとファイの声が響いた。

 

「このファイもご一緒に参ります、ハイリア」

 

リナハは涙のすっかり乾いた目を上げ、前を見た。いったい何の話をしているのだろう?

 

「悪の気が地に満ちた瞬間......彼の封印が解けます。そのとき、私は地上に降りるでしょう。ファイ、あなたとともに.....」

 

「ファイはあなたの行かれるところどこにでも従ってまいります。たとえどれほど激しい戦いになろうとも。それが私の造られた理由です」

 

ふたりの会話を聞いていたリナハは気づいた。そういえばファイは、何か恐ろしい化け物がもうじき復活するようなことを言ってたっけ。

 

そして、今までにもこれからもないような危機が起こり、フロウはそれに立ち向かわなければならないということも。リナハは顔を上げた。

 

「ねえ、ハイリア...もしかして...フロウもその場にいるの?その戦いに.....」

 

リナハの問いは光の中に吸い込まれた。しばらく答えはなかった。

 

「フロウ....死んじゃわないか心配だよ....だって...」

 

待っていても答えはない。リナハの胸に急速に諦念が湧いてきた。それとともに涙も。リナハはすすり泣いた。

 

「だってまだ十三歳なのに...。戦わなきゃならないなんて......ひどいよ....こんなの...ひどすぎるよ......」

 

「私は既に心を決めています」

 

すると唐突にまた女性の声が聞こえた。リナハは直感的にわかった。

 

---きっと...うちに...うちに話しかけてるんだ---

 

「ハイリア...?決めたって...何を....?」

 

リナハは顔を上げて問いかけた。

 

「教えて、ハイリア!何を決めたの?フロウはどうなるの?」

 

すると今度はファイの声が聞こえた。

 

「それを今明かすことはできません。時が来れば全ては明らかになります。リナハ....あなたの心をハイリアは既にご存じです」

 

すると、リナハの脳裏に以前ファイが語った言葉が思い出された。

 

---信頼しなさい---

 

リナハは懸念と不安と疑念に胸を引き裂かれそうになりながらも口をつぐんだ。

 

「あなたの祈りは既に...ハイリアの耳に届いています」

 

ファイが再び言った。その語調はまるで幼な子に優しく言い聞かせる母親のそれだった。

 

今日のファイはいつもより感情が豊かだ。どうしちゃったんだろう...ファイったら。

 

そう思った瞬間、リナハの心の中の不安が急速に溶け流れていくような気がした。

 

ファイが話しかけてくる声が聞こえる。それがまるで子守歌のように耳に心地よい。

 

リナハは微笑んだ。そして頷くと、片手で涙を拭いた。そして横たわって目を閉じた。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

リナハは目を覚ました。

 

顔を上げると、以前にいた白い平原だ。眼下には地球が見える。

 

身体を起して周囲を見回したが、あの眩しい光も、ファイの姿も見えない。

 

胸の中にまた不安感が湧き起こってきた。眠る前に感じていた平安な気持ちはどこにいってしまったのだろうか。

 

リナハは地球を見下ろした。目を凝らし王国の地形を探した。そしてあてもなく目を走らせた。フロウはどこにいるのだろう。

 

フィローネ、オルディン、そしてラネール。それぞれの地方を眺めると、赤紫色の毒々しい霧のようなものが全体に広がっている。

 

「フロウ、あんな中で頑張ってるんだ....」

 

リナハは呟いた。

 

ふとラネール地方を眺めると、その北の端にひときわ毒々しい霧が滞留している場所があった。

 

ほとんど霧が赤黒く見えるほどだ。まるで、毒の発生源のようにそこに濃度が集中している。

 

さらに目を凝らすと、何かが見えてしまったような気がしてリナハは背筋に寒気がした。

 

その見た目は、ただの霧だ。

 

だがその中に、とてつもなく邪悪な『目』があって、それがこちらを睨み据えているような気がした。

 

彼我の距離はとてつもないほど広いから、向こうにこちらが見えるはずはない。だがそれでもリナハは覚えず震えてしまい、自分で自分の肩を抱きしめた。

 

---あれが....フロウの戦う相手なのだろうか---

 

リナハは圧倒的な恐怖を感じた。

 

だが同時に、何か使命感のようなものが急に彼女の胸を突き動かし始めた。

 

もしフロウがあいつと戦うんだったら、うちが逃げてちゃだめだ。

 

リナハはしばらくためらったあと、精神を集中してそいつを見つめた。

 

やはり、邪悪な『目』のようなものが見える。そしてその周囲にゆらめく炎のようなものも。

 

そして聞こえてきた。

 

その存在が発する声が。

 

言葉にはなっていない。あるいは言葉なのかも知れないが、リナハには理解できない。

 

底知れないほどの怒り。憤激。怨嗟。

 

それらが形を持たないまま押し寄せてくる。

 

「……っ……!」

 

リナハは思わず耳を塞いだ。だが意味は耳ではなく、脳に、心に、骨の髄に流れ込んでくる。

 

許さぬ。

奪う。

滅ぼす。

 

言葉ではないが、確かにそう言っている。

 

リナハは喘ぎながら後じさりした。膝が震え呼吸が浅くなった。

 

恐ろしい。恐ろしすぎる。

 

だが、リナハは踏みとどまった。

 

負けるもんか。フロウが戦うなら、うちだって。

 

彼女は深く息を吸うと、もう一度その霧の中心を見据えた。

 

すると霧がゆっくりと、まるで呼吸するように脈動した。

 

そして、その目が確かにこちらを向いた。

 

──見返してきた。

 

リナハの背筋に冷たいものが走る。だが視線をそらさなかった。

 

しばらくの間にらみ合いが続いたような気がした。

 

だが、いつしか相手の注意が他に逸れたのがわかった。

 

いま、あいつは別のどこかを見ている。

 

そして、今まで相手から押し寄せてきていた圧倒的な怒りと恨みの感情とは別のものが発せられたのがわかった。

 

その『目』は細められ、わずかに揺れ動いている。

 

まるで含み笑いをしているかのようだ。

 

----...ア...ル...ギ....レウ....ス.....----

 

リナハの耳にそう聞こえてくるものがあった。

 

前よりはハッキリと聞こえる。

 

嘲笑混じりの音節が途切れ途切れに響く。

 

だが意味のある言葉には思えない。何だろう?

 

だがリナハはハッと気づいた。これ、人の名前だ。

 

どこかで聞いたけど、思い出せない。誰だろう?

 

誰かはわからない。でも、きっとあの化け物が付け狙っている誰かの名前なんだろう。

 

リナハは思った。誰だかは知らないけれど、頑張って。負けないで。

 

リナハは心の中で念じた。ハイリア、そのアル..なんとかっていう人を助けてあげて。

 

だがそう念じた次の瞬間、リナハは顔を上げた。

 

あの人だ。あの怖い顔の剣士。

 

確かフロウと木こりのおじさんと一緒にいたはず。あと、ひどく意地悪な狩人も一緒に。

 

そのときリナハの脳裏にはっきり描き出されたものがあった。

 

---きっとあの四人なんだ。

 

そしてリナハは驚きのあまり言葉を失った。

 

---あんな...あんな巨大な化け物にたった四人で立ち向かうつもり?---

 

その考えの途方もなさに撃たれて、しばらくの間リナハは茫然としていた。

 

だが、彼女は我に返ると上を見上げた。

 

あの光もファイの姿も今は見えない。

 

リナハは跪いた。

 

震える手を胸の前で組んだ。膝が白い大地に触れ、冷たさがじんと伝わる。

 

目を閉じるとフロウの顔が浮かんだ。おどおどしていて、それでいて優しくて、魔物に立ち向かうときにはビックリするほど引き締まったあの顔。

 

そして木こりのおじさんの優しい声が聞こえた気がした。あの怖い顔の剣士、アルギレウスのどこか寂しげな横顔も、そして、あの意地悪な狩人の投げやりな声さえも。

 

---ハイリア....あの四人をどうか助けてあげて....----

 

リナハはその後声に出した。

 

「お願い。助けてあげて。たった四人で戦うあの人たちを。きっと苦しい戦いになると思うから」

 

自分の声が白い霧に包まれた平原に消えていったあと、リナハは目を開いた。

 

頭上には太陽も月も星も見えない。

 

だが彼女はもう覚悟を決めていた。

 

眠らないで、ずっとここにいよう。

 

そして地上を見張って、あの四人のために祈り続ける。

 

それが、それが...うちの戦い方なんだ。

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