ドシュトフロムンド戦記~少年と精霊と大地の果て   作:nocomimi

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第五章: 地の果てでの戦い
決裂


「トライフォースは‥‥我々には与えられない」

 

女神フロルの紋章を刻んだ台座の前に膝を突いて座っていたアルギレウスは、消え入るような声で言った。その唇は震えている。

 

「どういうことだ、アルギレウス?」

 

リゴールが尋ねる。アルギレウスは俯いた。

 

「我々には‥‥その資格がないのだ」

 

それきり彼は黙り込んだ。何が起こったのかわからず、リゴールとギルモとフロウはただ立ち尽くしてアルギレウスの背中を見つめるしかなかった。

 

ようようの時間が経ってからアルギレウスは床に刻まれた古代文字を指さした。

 

「トライフォースは....」

 

そこまで言ってからアルギレウスはまた黙り込んだ。言葉が途中で断ち切られたかのような黙り方だった。

 

「その古代文字を解読できたんだな」

 

リゴールが言った。

 

「教えてくれ。なんて書いてある?」

 

それを聞いたアルギレウスが顔を上げないままかすれた声で呟いた。

 

「選ばれし....者が....聖なる炎で...鍛えし.....女神の剣を...携え...来りて...この台座に...突き立てし...とき....」

 

そこまで唱えてからアルギレウスは唾を飲みこみ、そして続けた。

 

「サイレン...の...領域...に(いざな)われ....女神の...授けし力.....を....得たり」

 

「聖なる炎で鍛えた剣...そいつが鍵なんだな?」

 

リゴールが言う。だがアルギレウスは弱々しくかぶりを振った。そして古代文字の文字列の端を指さした。

 

「心得よ....その力は....女神が...定めし...時と...方法....以外...に使う...べからず」

 

アルギレウスが言った。他の三人は顔を見合わせ、狩人が最初に口を開いた。

 

「よくわからねぇが.....トライフォースを手に入れるのに必要な資格があるってえのと...それを使うこと自体が女神さんの指示どおりでないといけないって話みてえだな」

 

「なぜだ....なぜだ!」

 

アルギレウスが跪いたまま言った。

 

「なぜだ?....トライフォースを使うべきときがあるとしたら....それが今この時でないならば、いったいいつだと言うのだ!」

 

それを見ていたリゴールが口を閉ざした。アルギレウスは台座を手で叩きながら叫んだ。

 

「なぜだ?なぜなんだ!なぜ?.....なぜ今ではないのだ!....なぜ.....」

 

フロウはアルギレウスの背中に手を置いたが、かける言葉が見つからない。剣士の背中は激しく震えていた。

 

「....なぜだ...なぜだ....なぜだ......」

 

アルギレウスは顔を上げた。その横顔は苦悶と懊悩に歪んでいた。彼は荒い息をつくとまた呟いた。

 

「.....ハイリアは...我らを見捨てられたのだ」

 

「旦那...そんなことを言わないでくだせえ。神さんは人間とは違うっぺ、そんな薄情なもんでは....」

 

ギルモが遠慮がちに言った。だがアルギレウスは遮ると叫んだ。

 

「きっとそうに違いない!我らは見捨てられたのだ!」

 

叫び声が岩壁に反射し洞窟の中に響く。三人はただ息を潜めるように黙り込んでアルギレウスを見つめた。

 

「....アルギレウス、気持ちはわからんこともねぇが...ここでいつまでも時間を潰してるわけにはいかねえぜ」

 

しばらくの後リゴールが口を開いた。

 

「もうじき夜が明ける。そうすれば街の中を見つからずに移動するのが難しくなる。食料もねえし、俺らはともかくフロウはどっかで休まねえともたねえしな.....」

 

アルギレウスは動かない。だがリゴールが近づいてきてその肩に手を置いた。

 

「俺らはまだ死んだわけじゃねえ。生きて戦っている限りチャンスはきっと巡ってくるさ。何よりこんなことでへこたれるなんて一番あんたの性分に反してるだろ。違うか?」

 

それを聞いたアルギレウスは数瞬のあと頷いた。ゆっくりと立ち上がると、彼は三人の顔を見回して言った。

 

「済まなかった。まだ我々は生きている。諦めずに戦おう」

 

「アルギレウスさん、僕も一緒に戦います」

 

フロウは剣士の顔を見上げて言った。するとその表情に僅かに微笑みが戻った。

 

「ありがとう、フロウ」

 

アルギレウスは言うと顔を上げた。剣士は大きく息をつくと続けた。

 

「まずは王都から脱出しよう」

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

螺旋塔から外に出ると既に夜が明けかかっていた。

 

一行は森を横切り、昨夜休憩に使った野外礼拝所の跡地を突っ切った。

 

だが、そこから通りに入ろうとしたとき、アルギレウスは手を上げて警告し、皆を伏せさせた。

 

通りにはちらほらと人通りがある。荷車を引く農夫たちや工場に出勤する職人たちだ。四人は背の高い草の後ろに隠れてじっと息を殺した。

 

人通りが途絶えた瞬間を狙って、アルギレウスとリゴールが用心深く左右を見ながら通りを渡る。次いでギルモが急いで通りを横切った。

 

だがフロウが立ち上がろうとした瞬間、向こうから馬の蹄鉄が地面を打つ音が聞こえた。フロウはすぐに後じさりして叢の中に伏せた。

 

草の間から目を上げて観察していると、馬に乗った警備兵の小隊が近づいてくるのが見えた。皆、誰かを探すように周囲を見回している。フロウは地面に顔をつけるようにして姿勢を低くした。呼吸さえも抑え、ひたすら見つからないことを念じた。

 

ほんの数十秒だったが、フロウには長い時間に感じられた。馬の足音が遠ざかると、フロウはもう一度通りの様子を確認し、そこを横切った。

 

三人の仲間たちは通りの向こう側にあった納屋の影に隠れていた。

 

「俺たち人気者だな。探し回ってるじゃねえか」

 

リゴールが呟く。アルギレウスは言った。

 

「また地下に潜ろう。地上では目立ち過ぎる」

 

四人は鼠さながらの低い姿勢をとり、納屋と民家の間を小走りで移動した。昨夜出てきた地下道に通ずる建物を見つけると、アルギレウスが慎重にその中に入り、ほかの三人を招き入れた。そして内部の扉を開けて地下道を降りていった。

 

アルギレウスが蝋燭をつける。ぼんやりとした灯りに地下道が照らされる。フロウは寝不足と疲労でふらつき始めた。ついていくのがやっとだ。

 

「ここで休もう」

 

アルギレウスは地下道が四つ角になっている場所で休憩を告げた。

 

「地下道に警備兵が突入してきたらどうする?それでもあんたの方針は『殺すな』か?」

 

リゴールが尋ねた。アルギレウスはしばらく考えていたが、やがて答えた。

 

「ああ。それは変えられない。私は人間を傷つけるつもりはない」

 

「それもいつまで続くンだかな....。まあいい。あんたが大将だ」

 

リゴールがごろりと横になり自分の両腕を枕にした。フロウはもう起きていられなかった。ひどい空腹が襲う。だが疲労感のほうが勝って、少年は眠りの中に落ちていった。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

ふと目が覚めて周囲を見回すと、眠る前と同じ地下道の壁に蝋燭の灯りがぼんやりと反射している。

 

「目覚めたか」

 

アルギレウスが言う。リゴールの姿は見えない。ギルモも気づいてフロウを見た。

 

「坊や、大丈夫だっぺ?」

 

「うん。お腹は空いてるけど...」

 

そう言いかけて、フロウは思い至った。昨日から何も食べていないのは仲間たちも同じなのだ。

 

「無理もねえっぺ。坊やはまだ育ち盛りだっぺのお」

 

ギルモが気の毒そうに言う。そこにリゴールが戻ってきた。

 

「地下道に踏み込まれた形跡はまだねえ。もしそうなったら音が聞こえるはずだからな」

 

「そうか....助かる。並外れた聴力も君の特技だったな」

 

「ま、どうってことねえさ。俺だって捕まるのは嫌だしな」

 

アルギレウスと言葉を交わすとリゴールがフロウに言った。

 

「さ、行くぜ。もうちっと冒険してから本格的な休憩だ」

 

フロウは微笑むと立ち上がって身支度した。眠気はもうない。だが時間の感覚がおかしくなっている。今はいったい何時なのだろう?

 

四人は沈黙したまま地下道を進んだ。アルギレウスは進むべき方向に心づもりがあるのか、迷わず歩を進めていた。

 

やがて二時間ほども歩くと、アルギレウスは手を上げて足を止めた。

 

「上は中心市街だ」

 

「....っておいおい。わざわざ人通りの多い場所に出てどうすんだ?」

 

リゴールが眉を上げて尋ねた。

 

「普段ならな。だが今なら人通りはない。この時間帯なら」

 

アルギレウスが言う。フロウは不思議に思い、ギルモと顔を見合わせた。木こりも怪訝な顔をしている。

 

アルギレウスは天井の穴から伸びている梯子に手足をかけると登り始めた。リゴールとギルモが続く。フロウも後を追った。

 

地上の光が近づいてきた。それと同時に音が聞こえてくる。騒がしい音だ。

 

なんだろう?フロウは最初わからなかった。おびただしい数の動物の群れが一斉に鳴いているような音だ。

 

アルギレウスは排水溝の金網を下から取り除けると地上に出ていった。他の三人も続く。

 

フロウは地上に出てみて驚いた。空には一面に蝙蝠の群れが飛び回っている。夕暮れの太陽の光が暗くなるほどの数で、まるで黒い雲のようだ。

 

そして蝙蝠の鳴き声が町に響き渡り、耳を聾するほどだった。

 

「今なら住民は誰も外に出ていない。おそらくは警備兵たちもだ」

 

アルギレウスは言うと、どこかに向かって歩き始めた。

 

「おい、だが一体なにをしようってんだ?」

 

リゴールが尋ねたが剣士は答えない。三人が後ろからついていくと、剣士はやがて通りの一角にあった商店の前で足を止めた。

 

フロウは不思議に思って剣士の背後に立ち止まった。するとアルギレウスはおもむろに剣を抜き、その柄で商店のドアのガラスを叩き壊した。そして手を差し入れてドアノブを回すと扉を開けて中に入った。

 

「ギルモ、来い。リゴールとフロウは見張りだ」

 

アルギレウスが言う。だが木こりは目を丸くして口を開けた。

 

「何をしている。急げ」

 

剣士に促され木こりはようやくのことで口を開いた。

 

「で...でも...旦那....これは....」

 

「今はこうするしかない。ぐずぐずするな」

 

アルギレウスは強引にギルモを引っ張り込んだ。フロウも驚きのあまり、ただただ破られた扉のガラスを見つめるしかなかった。驚いていないのはリゴールだけだった。狩人は用心深い視線で通りの左右を警戒しながら、街路樹の下に落ちた枝を集めていた。

 

やがて数分すると、ギルモが袋一杯に物を詰め込んで出て来た。だがその表情はしょげ返っていた。アルギレウスも同じように物を抱えて出てくると、顎をしゃくって合図した。

 

「急げ。地下に戻るぞ」

 

蝙蝠の群れは示威飛行を終えたのか、北西の方角に戻り始めている。四人は先ほど出てきた排水溝に駆け寄ると、素早く中に滑り込んだ。

 

地下道に降りると、四人はアルギレウスの先導でまた歩き始めた。

 

「こんなことをしたら....いつか女神さんのバチが当たるっぺ....」

 

ギルモが涙声で呟くのが聞こえた。だがリゴールは平然とした顔をして歩き続けている。フロウは先頭を歩くアルギレウスの様子が気になった。だがマントに包まれた背中しか見えない。

 

小一時間ほども歩くと、一行は地下の調整池のような場所に出た。池を囲む通路の一角に四人が陣取ると、リゴールがそこで焚火を起こした。

 

ギルモが袋から食料を取り出す。だが木こりは自分は手をつけなかった。アルギレウスとリゴールが自分の分を取り、フロウに一人分を差し出した。

 

「食べろ。君はまだ子供だ。食べないと衰弱してしまう」

 

だがフロウもまたギルモと同じ気持ちだった。盗んだ食料など食べられるわけがない。だが、その意思とは無関係に、腹が鳴る。

 

「旦那....こんなことをしてしまったらワシらはきっと....」

 

「今は選択の余地がない。特にフロウを飢えさせるわけにはいかん。命に関わるぞ」

 

木こりがまた呟くのをアルギレウスが遮った。フロウはそれでも食料に手を触れられない。リゴールはパンの包みを破るとムシャムシャ食べ始めている。

 

「フロウ、食べるんだ。今は迷っているときではない」

 

アルギレウスがフロウの手を掴んでパンを握らせた。少年もまた空腹に耐えられなくなってきた。

 

フロウはそれを手に握ると食べ始めた。だが目からは涙がこぼれ落ちてきた。喉を嗚咽が駆け上がってきて、うまく呑みこめない。だが身体はひどく栄養を欲していた。フロウは結局出された分を全て食べた。だが胸の中は砂を食べたかのように虚しい感触で満たされていた。

 

結局ギルモは一番最後に食べた。その速度は普段からは考えられないほど遅々たるものだったが。

 

四人が食事を終えると、焚火のぱちぱちという音だけが広い調整池に反響した。

 

誰も口を開かなかった。パンの匂いがまだ漂っている。だが空気は重く、冷たかった。

 

フロウは膝を抱えて座り、食べ終えた手をぎゅっと握りしめた。

 

ギルモは兜を胸に抱えたまま俯いている。

 

やがてフロウは尿意を感じて立ち上がった。一時的にでもこの場から離れたいから有難い。

 

「ちょ...ちょっとトイレに行ってきます」

 

フロウがおずおずと言うと、リゴールが答えた。

 

「トイレなんてねえぞフロウ。そこらでしろ」

 

「分かってます。でもちょっと見られるのは....」

 

少年はそう言うと、暗い地下道を進み光が届かない場所まで行った。そこで用を足すと、フロウは溜め息をついて踵を返した。

 

だがそこに立っていた人影を見てフロウは叫びそうになった。だがよく見るとアルギレウスだ。

 

「あ....アルギレウスさんでしたか。びっくりしたぁ」

 

フロウは笑ってごまかした。だが剣士はやおら歩み寄ってくるとフロウの腕を掴んだ。

 

「フロウ、聞いてくれ」

 

フロウは驚いて固まってしまった。どう考えても様子がおかしい。だが剣士はフロウの耳に口を寄せると囁いた。

 

「もしリゴールにおかしな点があったら知らせて欲しい」

 

耳を疑ったフロウは聞き返した。

 

「え....?」

 

「どんな些細な事でもいい。変わった点があったら私に教えてくれ」

 

暗がりの中アルギレウスの表情は見えなかった。フロウは意味が分からず口を開けていたが、やがて辛うじて呟いた。

 

「で...でも仲間じゃないですか!疑うんですか?」

 

「分かっている。だが万一の可能性だ」

 

アルギレウスは答えると、今度は自分が暗がりの中に入っていった。フロウは胸に手を当てた。胸騒ぎが激しく耐えられないほどだ。そして首を振った。

 

この旅の仲間は、絶対的な信頼で結ばれていると思っていた。特にアルギレウスとリゴールはそうだ。まるで兄弟のように互いを信じあっているように見えた。

 

それなのに。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * *

 

「皆聞いてくれ。オルディン地方の火吹き山の奥に、『炎の聖所』と呼ばれる神殿があるらしい。大地の神殿のさらに上のほうだ」

 

皆が一息つくと、アルギレウスは説明し始めた。だがフロウはアルギレウスの顔を見上げて気づいた。

 

顔が変わっている。頬がこけ、眼が据わり気味だ。今までよりいっそう思い詰めたような表情で、それなのに声は冷静だった。

 

「火山活動による高温地帯を抜ける必要があり到達困難な場所だが、そこは『聖なる炎』が守られている場所だと聞いたことがある。そこでだ」

 

アルギレウスは皆の顔を見回した。

 

「女神の剣を鍛える炎がそれだとしたら、我々にもまだチャンスはある。あとはその女神の剣を見つけ出すことが.......」

 

だがその説明の途中で、焚火に放り込む柴を一本づつ折りながらリゴールが口を開いた。

 

「なあ、アルギレウス」

 

「何だ?」

 

「.....世界を救えるなんて、あんた本気で思ってるのか?」

 

「どういう意味だ?」

 

「そのままの意味さ。俺には見えねえ。こんなことをやったところで世界を救えるとは到底思えねぇ。だから聞いただけさ」

 

アルギレウスは目を上げた。その目は怒りでも驚きでもなくただ深い疲労の色を宿していた。

 

「……リゴール。君は……何が言いたい?」

 

リゴールは柴を折る手を止めず、淡々と続けた。

 

「言ったろ、俺には見えねえって話だ」

 

ぱき、と乾いた音が響く。

 

「聖なる炎だの、女神の剣だの……そんなもん探してどうなる?俺たちが世界を救う?」

 

ギルモが顔を上げ、フロウは息を呑んだ。

 

「あれだ、こいつは木こりの受け売りだが.....」

 

リゴールは片手に枝を持ったまま続けた。

 

「もし腐ってるのが人間の心だとしたら、トライフォースなんて代物を手に入れたところで結果は同じなんじゃねえのか?俺たちが救世主ぶったところでよ」

 

「...........なら、君の動機は何だ?なぜ危険を冒す?」

 

アルギレウスは少しの沈黙の後問い返した。

 

「俺はただ楽しく狩りをしてえだけさ」

 

リゴールは柴を折って火に放り込むと天井を見上げた。

 

「思い出すとあんたとは長い付き合いだよな。若い頃は殴り合いの喧嘩もした。同じ女を追いかけたこともあったっけな......」

 

狩人は淡々と言った。

 

「俺が戦うのは、あんたへの恩義が半々さ。助けられた恩があるからな。だが正直‥」

 

リゴールの横顔を見つめていたフロウは、その表情がいつになく悲しげなことに気づいた。

 

「今のあんたを見てると、なにか苦しくなっちまう。なんでそんなに背負っちまうのかってな。特に、トライフォースのことを言い出してからはすっかり思い詰めた顔になっちまってよ」

 

「トライフォースを求めるのがなぜ間違っている?それこそが解決の鍵だというのに?」

 

「いいか、アルギレウス。落ち着いて考えろ」

 

リゴールがゆっくりと単語ごとに言い聞かせるように言った。

 

「俺たちは『選ばれて』ないんだぜ?あんたも含めてな。だとしたらこれ以上トライフォースを探すことに何の意味がある?」

 

「『選ばれて』いないと決まったわけではない」

 

アルギレウスが答えた。だが狩人は手を上げると、重ねて言った。

 

「いや、『選ばれて』ないさ。選ぶヤツの気持ちになって考えろ。選ぶつもりならまず声をかけるだろ。あんたは候補だってな。だがあの『精霊』とか言うヤツも、最初からあんたに世界を救わせるつもりなんかなかった。だろ?」

 

リゴールは淡々と、しかしハッキリと続けた。

 

「あんたがこの世界に残ったのはあんたの意思だ。だとしたらその時点で上にいる誰かさんに選ばれた訳じゃねえってのは明白だ。上にいるそのハイリアとかいう神さんは最初あんたなしでカタをつけようとしていたんだからな。違うか?」

 

リゴールが話し終わると、沈黙が続いた。水路を水が流れる静かな音が聞こえる。

 

「リゴール、なぜ私の意気を挫こうとする?」

 

少し黙ったあとアルギレウスは尋ねた。

 

「別に挫いちゃいねえだろ。ただ思い詰めるなって言ってんだよ」

 

それを聞いたアルギレウスは当惑したように宙を見つめていた。リゴールが続ける。

 

「あんたは昔っからそうだった。女に恋をしても遊びで付き合うってことができねぇ。王子なんて身分に生まれたばっかりに縛りだらけの人生だろ?そのうえに自分で自分を縛っちまってる。それを見ているとよ....」

 

「私は自分の運命から逃げない。王家の責任を果たす。それは誰にも止めさせない」

 

「わかった...わかったよ」

 

リゴールはアルギレウスの真剣さに気圧されたように両手を上げた。

 

「余計なことだったかもな。だが...ただ俺はあんたにもちょっとした幸せの瞬間を味わう権利があるって思っただけさ。責任やら世界の運命やらそんなことは忘れてよ」

 

狩人は焚火に目を向けると続けた。

 

「....俺は狩りと冒険を楽しんでる。たとえこんな状況でもな。この仲間と一緒にいることもそうだ。あんたはその...『責任』ってやつで頭がいっぱいなんだろうが、俺はあんたにも楽しんでほしいのさ。思い詰めた顔はやめてよ。俺たちは機械亜人じゃあねえんだからよ、四六時中頑張っても仕方ねえだろ?」

 

しばらく誰も喋らなかった。焚火が爆ぜる音だけが響く。ギルモもフロウも口を閉ざしている。フロウは先ほどからの不安が滓のように胸の奥に留まっているのを感じた。確かにアルギレウスは何かが変わってしまった。螺旋塔から出て以来。

 

「リゴール.......考えたくないことだが」

 

アルギレウスはやおら口を開いた。

 

「なんだ?」

 

「君はよもやギラヒムと通じているのではあるまいな?」

 

リゴールが聞き返すとアルギレウスは言った。

 

それを聞いた瞬間、空気が固まった気がした。フロウは耳を疑った。さきほどから胸に溜まっていた不安が一気に込み上げてくる。

 

「....おい....今なんて言った?」

 

リゴールも目を上げ、アルギレウスを見た。

 

「聞こえただろう。君は……ギラヒムと通じているのではないか、と言ったんだ」

 

「いくらなんでも旦那...そんなことあるわけねえっぺ...」

 

ギルモの口から言葉が漏れ出た。

 

だがリゴールは顔に驚愕を浮かべながら反芻するように言った。

 

「俺が....通じてる...あいつと....?」

 

「ああ」

 

アルギレウスは頷いて言った。

 

「君がなぜ私の意志を折ろうとするのか、それ以外には説明がつかない。君は今まで私に対してそんなことを言ったことがない。だがギラヒムと出会ってから.....」

 

「おい、ふざけんな」

 

リゴールは片方の手で床を叩くと言った。そして続けた。

 

「何を言い出すかと思えば訳のわかんねえことぬかしやがって。俺がどんな気持ちでここまで来たか……あんたほんの少しでも考えたことあるか?」

 

今度はアルギレウスが一瞬気圧されたように口をつぐんだが、再び言った。

 

「私はただ、万一の可能性を....」

 

「可能性だと?」

 

リゴールの声が低く震えた。

 

「俺はあんたに命を救われた恩がある。だからついてきた。あんたが世界を救うなんて言い出した時も内心ではこいつバカかと思いながらな。それなのに...」

 

狩人は顔を上げてアルギレウスをねめつけた。だがフロウの目には、その表情は怒りというより失望と悲しみの表情に見えた。

 

「ギラヒムと通じてるだと?この俺が?」

 

「だがそうでないならならなぜ私の....」

 

アルギレウスを途中で遮り、リゴールが立ち上がり首を振って言った。

 

「あんた....おかしいぜ。完全におかしくなっちまってる」

 

「私は正常だ。君が変わったんだ」

 

アルギレウスが言い返す。フロウは思わず立ち上がって言った。

 

「ねえ...二人とも...」

 

「お前は黙ってろ」

 

リゴールがアルギレウスを睨んだまま言った。

 

「あんたは変わっちまった。取り憑かれてやがる。そのトライフォースって奴にな」

 

「違う。私は取り憑かれてなどいない!」

 

アルギレウスが怒鳴った。

 

「いいや。あんたは前はこうじゃなかった。カチコチの真面目野郎ではあっても、仲間を思うこともできたし冗談も言えた」

 

リゴールが相手を見据えた。

 

「アルギレウス...一体何があったってぇんだ?」

 

「私こそ聞きたい。君は私の忠実な....」

 

そこまで言ってからアルギレウスは言葉を切った。

 

「忠実な..何だ?」

 

リゴールが首を傾げて尋ねる。アルギレウスは言い直した。

 

「君は私の志に協力してくれていたはずだ。今になってなぜあんなことを?」

 

「俺が戦っていたのはあんたの『志』のためなんかじゃない。『あんた自身』のためなんだよ。今までそんなことも知らなかったのかよ!」

 

今度はリゴールが怒鳴った。フロウとギルモはただ目を見開いて狩人の顔を見つめた。

 

「...私自身のため..?」

 

アルギレウスは戸惑った声で言った。リゴールが手を振ると横を向きながら続けた。

 

「ああムカっ腹立つぜ。『志』?んなものにぁ俺はクソほどの値打ちも感じねえ。だがあんたは別だった。俺はあんたのためになら命だって捨てられるって思ってた」

 

「それは違う。私はいち個人ではない。王として国を守る責務がある。全ての戦いはそのためだ。その私の責務を支えてくれているのが君たちじゃあないのか?」

 

アルギレウスの言葉に、リゴールは横を向いて唾を吐いた。

 

「あんた、何もわかっちゃいねえ。根本的に勘違いしてやがる。あんたが言ってるのは主従関係だ。俺が言ってるのは仲間だ。命と背中を預け合う仲間だ」

 

「王は王、民は民だ。どこで何をしようとその関係は変わらん。そして王が責任を取り、民は従う。それが世の理だ」

 

アルギレウスが言った。

 

「リゴール、あまり言いたくないが...君はかつて生ける屍だった。その君を立ち直らせたのは私だ。君は今までよく働いてくれた。もし君が戦いを厭うなら、狩人に戻っても構わない。私の志を支える意志がないなら....」

 

「クビ...ってわけか?」

 

リゴールが呟いた。そして顔を上げて言った。

 

「ハッキリさせとこう。あんたはそうやって命の恩人ヅラするが、俺だって何度も危ないところを助けてやった。そうだろ?それなのに俺はいつまでも使用人扱いか?」

 

狩人は手に持った柴を床に叩きつけると人差し指を突き付けた。言っているうちに怒りが込み上げてきたのか、最後のほうは喚き声になっていた。

 

「ふざけんのもいい加減にしろや、ちやほやされて育った王子様が...ただの人間のくせしやがって自分が世界をひとりで背負ってる気分になりやがって。なにが『責任』だ!思い上がるんじゃねえよ!この世間知らずの箱入り息子が!」

 

「無礼者!」

 

それを聞いたアルギレウスは立ち上がって剣を抜いた。ギルモもフロウもビクっと反応して身体を起こしかけた。

 

アルギレウスの剣はリゴールの喉元に突き付けられている。だが狩人は微動だにせず相手を見据えていた。

 

「やれよ」

 

リゴールは呟いた。アルギレウスは目を見開き、その額には汗が浮かんでいる。

 

「やれよ。やれるもんならな」

 

狩人がもう一度言った。アルギレウスの目の形が、元に戻った。フロウにはそう見えた。だが、そうなるのが遅すぎたのだ。フロウにはそれがはっきり感じられた。

 

リゴールは片手で剣をはねのけ、立ち上がった。

 

「やってらんねえぜ。俺は降りる」

 

狩人は地面に置いた装備を肩に担ぐと地下道の出口に向かって歩き始めた。

 

「リゴールさん!」

 

フロウは思わず叫んで追いかけかけた。だが狩人は振り向かず手を上げた。

 

「あとはてめえらで勝手にしろ。じゃあな」

 

ギルモは驚きに目を見開いて立ち尽くしている。フロウはアルギレウスに駆け寄ると言った。

 

「アルギレウスさん!追いかけなきゃ!」

 

だがアルギレウスは動かなかった。剣を納めるのも忘れ、茫然と壁に背をもたれかけさせて立っていた。

 

焚き火の光でできた剣士の影が揺れる。フロウは狩人が歩き去った方向とアルギレウスの顔とを交互に見比べることしかできなかった。

 

しばらく立ち尽くしていたアルギレウスは、やがてゆっくりと床に座り込んだ。

 

「私は‥‥一体何を‥‥してしまったんだ‥‥?」

 

フロウは喉元まで出かかっていた。だが言えなかった。

 

アルギレウスさんはそんな人じゃない。騙されていたんだ。誰かに、あるいは何かに。

 

だが、狩人が去った地下道の暗がりからは、もはや小さな水音以外何も聞こえてこなかった。

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