ドシュトフロムンド戦記~少年と精霊と大地の果て 作:nocomimi
平原の上を覆った黒雲からの雨がようやく弱まってきた。
フロウが洞窟の入り口から顔を出すと、渓谷を満たした水の流れは落ち着いてきている。だが水位はそれほど減っていない。
目を上げると、狩人と木こりがこちらに向かって走ってくる。二人は橋を渡り切るとフロウたちのいる場所に転がり込んだ。
「全くツイてねぇぜ。洞窟で木こりと雨宿りとはよ。おまけにモルドガットの幼生がうじゃうじゃいやがったぜ」
リゴールがうんざりした口調で漏らした。だがフロウは自分が想像した通りの展開だったので思わず笑ってしまった。
「なんだよフロウ。お前何をニヤニヤしてんだ?」
狩人が咎めたが、フロウは平然と答えた。
「やっぱりギルモおじさんとリゴールさんは仲良くなったんですね。僕の思った通りでした」
「ふざけんな。誰がこんな奴と」
「ワシもまっぴらごめんだっぺ」
リゴールとギルモは口々に言う。だがフロウはもうその言葉を信用しなかった。
少年は確認を求めようとしてアルギレウスの顔を見上げた。だが剣士は真剣な面持ちで渓谷を見つめ、やがて呟いた。
「リゴール....やはり君の作戦を採用しよう。渓谷がこの状態では要害としての利点は半減だ」
「だろ。だから教科書通りの戦い方はダメなんだって」
リゴールが言う。だがフロウは声を上げた。
「で...でもこんなに水があれば鬼たちはなかなか渡れないんじゃないですか?」
「ッたく...お前は戦さのことを分かってねぇなあフロウ」
狩人が首を振った。
「いいか、戦さってのは何でもアリだ。俺がもしその『終焉』とかいう奴なら、まず鬼を千匹ほど谷間に放り込む。そいつらが良い具合に溺れ死んだところで、その死体の上を攻撃隊に渡らせる。橋さえ落とせば敵を防げるなんていう皮算用は通用しねえさ」
「なッ.......」
それを聞いたフロウは絶句した。
味方の死体を足場にして渡ってくる──そんな発想は今まで頭の片隅にさえ存在しなかった。
「そんな……」
だがリゴールは矢筒を背負い直しながら淡々と続けた。
「戦さってのは勝つために何を捨てるかの勝負だからな。覚えとけ」
その時、洞窟の奥からドヤドヤと足音が聞こえてきた。目をやると、亜人達がこちらに歩いてくる。
「よお!リゴールも来てたのか!」
先頭にいたモグマ族のテツオが声をかけてきた。
「よおテツオ、ポーカーの貸しはこないだので帳消しだが、花札の貸しはまだ残ってるからな。てめえが戦死する前に払ってくれるんだろうな?」
狩人がそう言って若者の肩を小突いた。
「...え...縁起でもねえこと言うんじゃねぇよ...俺っち気が弱いんだからよぉ...」
テツオはそう呟くと俯いた。その背後から、モグマ族だけでなく、キュイ族や機械亜人も詰めかけてくる。さらにその後ろからはゴロン族もやってきていた。洞窟内が手狭になった一同は、渓谷を渡る橋の手前にある踊り場に移動した。
「まずゴロン族としての結論を伝えよう」
ダルボスが野太い声で切り出した。
「我らは一族として貴殿の戦いに加勢することはできない。それが長老たちの総意だ。気の毒だがアルギレウスどの、貴殿は人間として人間の蒔いた種を刈り取っているに過ぎぬ。だがこのダルボス個人としては.......」
ゴロン族長はそこで声を落とした。
「吾輩個人としては、貴殿の勇気に感服している。従って吾輩は義勇兵として参加する。吾輩ひとりは...な」
それを聞いて、モグマ族、キュイ族、さらに機械亜人たちの間からも歓声が聞こえてきた。だがアルギレウスは慎重に答えた。
「かたじけない。だが....その前に伝えねばならない。鉄砲水によって渓谷が水で満たされてしまった。この水が退く前に敵が進軍を始めたら、戦いはより過酷なものになる。それをご承知の上であれば歓迎しよう」
だがダルボスは腕を組んで聞き入ったまま何も言わない。フロウの心にほんの僅かながら希望が湧いてきた。アルギレウスは亜人達から完全に見捨てられているわけではないのだ。
「や...やっぱまずいことになりそうだって思ったんだよ。あの雨が降り始めてからよぉ......長老は『手伝ってやれ』って言ってたけど...俺っちは正直....」
だが怯えた声を出してテツオが周囲の面々を見回した。
「ビビっちまってるんだよ。俺ら、別に剣とか武器を扱えるわけじゃねえからさ、穴掘ってるうちに奴らに見つかったら打つ手なしだろ?」
それを聞いて他の者たちも意気を落とした。テツオは申し訳なさそうに言った。
「笑いたけりゃぁ笑ってくれ。俺っち...正直言えば鬼と戦ったことすら今まで一度もねえんだよぉ」
「もちろん君らを前線に置き去りにはしない。作業中は近くにいて警護するつもりだ」
アルギレウスが言った。
「ほんとっすか旦那?」
「ああ。約束する」
「そ...そいつは有りがてえ。だ...だけど戦争はいつまで続くんで?それもわかんねぇんでしょう?」
テツオは食い下がる。アルギレウスは素直に認めた。
「ああ。見通しはついていない。場合によっては年単位になるかも知れん」
それを聞いたテツオはがっくりとうなだれた。
「やっぱそうだろ?俺っち...実は火吹き山にコレがいてよぉ...」
そう言うとモグマの若者は小指を立てた。
「ラネールで良い移住先が見つかったら迎えに行こうと思ってたんだよなぁ。だけどこんなとこにいたらいつまでたっても将来の絵ってもんが描けねえからよぉ......」
その時、キュイ族が何体か洞窟から走り出てきて、その後ろからひときわ大きな個体が大儀そうに姿を現した。
「族長さま、早くキュー。こっちだキュー」
「まったく大騒ぎしおって....魔物が湧いて出たというのはここか?」
フロウは思い出した。会議で発言していたキュイ族の長だ。
「族長どの。ご足労かたじけない」
アルギレウスは迎えると頭を下げ、平原を指し示すと続けた。
「あれを。鬼どもが集結しています。我々は対策を話し合っているところです」
「ふうむ....儂は特に興味はないんじゃがのぉ......。まあ擬態してやり過ごすだけじゃて」
キュイ族長は他人事のようにそう呟きながら腰のあたりを掻いた。
「興味ないって....あんたらそんな気楽なことでいいのかよぉ?鬼どもが押し寄せてくるんだぜ?」
テツオは言った。だがキュイ族長は取り合わなかった。
「儂らにとっては鬼も人間もさほど変わらんからの。強いて言うなら、人間は言葉が通じるというだけじゃ。どちらも木を斬り倒し森を切り開くというのは同じじゃからな。その...アルギレウスとやら。お主は奴らと戦うつもりなのかのぉ?」
「さよう。今現在、兵員は四名に過ぎませんが...」
アルギレウスが答えた。四名と聞いてフロウは一瞬安堵した。自分を勘定に入れてくれている。だが、もう一度指折り数えてみて、フロウは気づいた。ダルボスが入るなら、自分抜きで四人だ。アルギレウスはやはり自分を外すつもりだ。
「ま...儂らはいずれフィローネに帰ろうと思うとる。モグマ族長から腰痛に効く薬も教わったしのぉ。奴らもフィローネまでは追ってこれんだろう」
キュイ族長はまた腰を掻きながら踵を返した。テツオは肩をすくめるとアルギレウスに言った。
「あの...旦那...悪ぃが今回の話はナシにしておくんなせぇ.....。俺っちも仲間たちも見ての通り、穴掘りは専門だがそりゃあくまでお宝さがしのためだし、戦争なんてとてもとても....」
「あの...アルギレウスさん。聞きたいんですけど、四人って誰ですか?」
その時フロウは胸のモヤモヤに耐え切れず口を開いた。
「誰...だと?」
アルギレウスは気づいてフロウを見ると答えた。
「私と、リゴール、ギルモ...そしてダルボス族長だ」
「どうして..........どうして僕が入っていないんですか?」
フロウは思い切って口にした。さっきからずっとずっとため込んできた言葉だ。
「どうして...だと?」
アルギレウスは戸惑って少年の顔を見つめた。
「理由は決まっている。君は子供だ。戦場に立つべきではない」
「だけど...だけど今までずっと一緒に冒険してきたじゃないですか。最初のほうこそ僕は役立たずのお荷物だったけど、火吹き山の神殿では爆弾をあの岩の化け物に食わせたし、練石場の大サソリの目玉にパチンコを当てて麻痺させましたよね?」
フロウは食い下がった。
「確かにそれはそうだ。だがそれとこれとは別だ。ダンジョンと戦場を一緒にしてはならない。危険度はケタ違いだ。どこから敵がやってくるか分からないんだぞ」
アルギレウスは説き聞かせた。だがフロウは言い張った。
「危険度なんて、結局後ろにいたって変わらないじゃないですか。だってどれだけ逃げたってあの数が押し寄せてくるんなら逃げる意味はないって、アルギレウスさん自身が言ったじゃないですか?」
「それはそうだが、だからと言ってそれは子供を参戦させる正当な理由にはならない」
アルギレウスは首を振る。
「フロウ。わかってくれ。私は君を戦場で死なせるわけにはいかない。君にはあの少女を救い出すという務めがあるはずだ。それを忘れないでくれ」
「わかってます。だけど僕の中ではもうそのことと、アルギレウスさんたち三人と一緒に戦うこととを別にはできません。最初は何もできなかった僕が、いまリナハを救うことができるかも知れないと思い始めたのはみんなと冒険してきたお陰なんですから。今この時だけ都合よく危険から逃げてみんなから離れたら、僕は強くなれずに弱くなってしまうと思います」
「聞き分けのないことを言うんじゃない」
アルギレウスはフロウの肩に手を置くと顔を覗き込んできた。
「私は君の参加を認めることはできない。どんなに君が望んでも。それが大人の務めだからだ」
「認めるってなんですか?どうして都合よく認めたり認めなかったりできるんですか?」
フロウはとうとう泣き始めた。その言葉が嗚咽で震えた。
「そんなのズルいです。僕は....僕はずっと仲間だと思ってたのに」
「どうして...だと?それは私が指揮官であり、王だからだ」
アルギレウスは戸惑いながらもそう答えた。
「それが私の務めであり、責任だ。この戦いについては私が最終責任を取る。そのうえで言っているんだ。わかってくれ」
「わかりません...そんなややこしい理屈...僕には」
「たとえわからなくてもだ。従ってくれ。これは命令だ」
フロウは涙声で抗弁し、アルギレウスは溜め息をつきながら言った。
「命令....」
「そうだ。済まない」
フロウは相手の顔を見上げると、息を大きく吸った。そして言った。
「命令...ですか?そんなもの、僕にとってはクソ喰らえです」
それを聞いた一同は驚きに少年を見やり、その場の空気が凍りついた。
「そんなの勝手過ぎます。僕は仲間と認めてもらえたと思ったとき、とても嬉しかったです。それなのに、今どうして僕が後ろで待ってなきゃいけないんですか?どうしてアルギレウスさんが戦うところを見ることもできないで、後で『死んだ』っていう知らせだけを受け取らなきゃいけないんですか?僕はそんなの絶対に嫌です」
フロウは目から涙を流したまま剣士の顔を見据えた。もはや絶対に退かないと覚悟を決めていた。
「僕も戦います。例え王様の命令に逆らってでも。もし命令違反だから打ち首だっていうんなら今すぐこの場でそうしてください。僕は構いません」
アルギレウスは驚愕のあまり、瞬きすら忘れてフロウの顔を見つめていた。ギルモも目を丸くしてフロウを見ている。その背後にいたリゴールは、だが、なぜか嬉しそうな顔をしていた。
「僕は構いません。僕は自分に誓ったんです。この三人を僕も絶対に見捨てないって。それが果たせないなら、僕はこの身がどうなったっていいです」
暫くの間誰も口を開かなかった。だが、ダルボスが唇を僅かに曲げると呟いた。
「十三歳の人間の子どもが...戦うというのか」
族長は腕組みを解くと、傍らにいたゴロン族の若者に命じた。
「伝令を出して一族の男たちに言え。これは一族の公式決定でも命令でもない。だが、『勇気』の何たるかを人間の子どもがその身で示したのに、我らゴロン族が黙していていいのか、それだけを伝えろ。それで集まってくる者たちだけを集めろ」
「はっ...!」
数人のゴロンの男たちが身体を丸めると、転がりながら洞窟の中に入っていった。
「おい、童や...お主『パチンコで撃った』と申したのう?」
洞窟の中に入りかけていたキュイ族の族長が戻ってきてフロウに尋ねた。
「...は..はい。デクの実で魔物の弱点を撃ったら、麻痺して何秒か動けなくなったんです」
「デクの実のパチンコはもともと儂らキュイ族の武器だったんじゃが....。人間に使いこなす者がおるとは知らんかったわい」
「俺が教えたのさ、じいさんよ」
リゴールが得意げに言った。すると族長は足元にいた若い個体たちに声をかけた。
「ふむ....どうじゃ?パチンコで鬼を撃つくらいのことなら、お前たちにもできるのではないかの?」
すると、若いキュイ族たちは口々に話し合い始めた。
「....で...でも怖いキュー...」
「でも...撃ってからすぐ擬態すればバレなさそうだキュー?」
「パチンコ使い始めたのは人間より僕らのほうが先だキュー、人間の子どもに負けたらなんだか悔しいキュー」
キュイ族の子供たちまでもその気になり始め、その場の雰囲気は一変した。怖気づいていたテツオは、周囲の者たちの勢いに押されて自棄くそな声を出した。
「わ......わかったよ!わかったよ!みんながやるっつうんなら俺っちもやるよ。やりゃあいいんだろ!」
テツオの叫びが洞窟に響いた瞬間、その場の空気が一気に熱を帯びた。亜人達は口々に声を上げ始めた。口にしているのは怯えでも疑念でもない。戦いへの賛同と気勢だ。
そのただなかで、アルギレウスは、まるで胸を撃ち抜かれたように少年を見つめていた。
その瞳には驚きと、痛みと、そして敬意が宿っていた。
「……フロウ……君は……」
だが言葉が続かなかった。しばらくの後、アルギレウスは微笑むと俯いた。
「...これでは王も型無しだな。まさか十三歳の子どもに押し切られるとは....」
「おい、アルギレウス。ボウッとしてねえで指示出せ、指示」
近づいてきた狩人に肩を小突かれたアルギレウスは、我に返ると声を上げた。
「みんな、協力に感謝する。雨が落ち着いたらモグマ族は落とし穴堀りをしてくれ。我々も同行する。キュイ族はデクの実集めを頼む」
その時、食料集めに行っていた機械亜人たちが戻ってきた。彼らは各人にこの地方でとれる果物や芋などを配布した。
アルギレウスたち四人は洞窟の入り口で焚火を熾すと食事を始めた。
「坊や....無茶するっぺなあ」
焼いた芋を齧りながらギルモが心配げな顔でフロウを見た。
「でも坊やの一声で亜人達もやる気が出たみたいだっぺ。これが旦那の言ってた『この組み合わせも神さんの思し召し』ってことかもわからんぺのう」
木こりは自分に言い聞かせるように呟く。するとリゴールがフロウの肩を突いた。
「へへ....おいフロウ。こう言っちゃなんだが、お前が俺の弟なら良かったのにって思うぜ」
「僕もそうだったらいいのにって思います。弓も早く習うわなきゃだし....」
「まあ焦るな。すぐに教えてやる」
「坊や、なんだか狩人に似て来た気がするっぺ」
ギルモはまた呟く。だが狩人は不満を露わにして文句を言った。
「なんだよ、俺に似たら何が悪いってぇんだ?」
「もしリゴールに似たら、賭け事には気を付けるんだ。のめり込んで身を持ち崩すぞ」
アルギレウスが芋を咀嚼しながら横から口を出した。
「....ってまた昔の話かぁ?勘弁してくれよ」
リゴールが顔をしかめたあとおどけた顔で言う。だがアルギレウスに意味ありげな視線を向けられると狩人は溜め息をついて続けた。
「へいへい。借金の肩代わりをしてくださった慈悲深い王子さまには逆らえませんよ」
「アルギレウスさんって、すごく親切なんですね」
フロウは感動して言った。だがリゴールは苦笑しながら首を振った。
「その代り人使いが荒いってわけさ。今までどんだけ働かされたか」
「そう言うな。君は優秀だから、もし私が王座に就いたら右の座に座らせてやる。総理大臣だ」
アルギレウスが真顔で言う。だがリゴールは眉を顰め怪訝な顔をした。
「はあ?なんだそりゃ」
「...冗談だ」
「おい、聞いたか。こいつ冗談言いやがったぜ。この真面目野郎がよぉ」
リゴールが大仰に驚いたふりをする。フロウとギルモは笑った。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
やがて雨は上がった。周囲の状況を確認しに行った機械亜人がアルギレウスの前に戻ってきて報告した。
「鉄砲水は収まったようです。順次作業を開始します。ただ....」
機械亜人は続けた。
「渓谷の水位がなかなか退かないのには原因がありました。下流に岩や土砂が集積しているのです。いったい誰がいつの間にあんなことをしたのか...」
久々に寛いだ表情を見せていたアルギレウスの顔がたちまち引き締まった。
「ご苦労だった。洞窟封鎖の準備を引き続き進めてくれ」
リゴールが呟く。
「『終焉』って奴は随分気が利くじゃねぇか。下流を塞いでから雨を降らすなんてよ」
「だが....こっちにも黙ってあいつの言いなりになるような連中はいない。特にこの辺りはな」
アルギレウスは微笑むと三人の顔を見まわした。
「確かにそうだ。自分の王の言うことさえ聞かねえクッソガキもいるからな」
そう言いながらリゴールが嬉しそうにフロウの肩に腕を乗せた。
「よし、モグマと落とし穴を掘りに行こう。敵もそろそろ進軍の準備を始めるはずだ」
アルギレウスが立ち上がると三人も従った。洞窟の中にいたテツオに声を掛けると、彼は数名の仲間を連れて出てきた。
「...へへへ、たったこれっぽっちの人数って思うだろ?だけどなぁ、俺らは長老ご指名のえり抜きのエリート部隊なんだぜ。まあ見てな」
テツオと仲間たちは両手に奇妙な装具を付け始めた。がっちりとした爪が三本ついた手袋のようなものだ。そしてアルギレウスとリゴールが場所を指示すると、モグマたちはあっという間に地面に潜り込んで姿を消した。
モグマ族が地面に吸い込まれるように消えていってしばらくすると、リゴールはやおら地面に伏せて耳を当てた。
「こりゃあ相当な速度だぜ。あっという間に罠ができるぞ」
アルギレウスは平原のほうを見やり、静かに言った。
「敵が動き出す前にこちらの陣地を完成させよう。時間との勝負だ」
フロウも剣士の脇に立って眺めた。黒雲の退いたあとの空にはまばらに霧がかかり、その下の遥か向こうには鬼たちの群れらしき黒い塊がうごめいている。その数は以前より若干増えているように見えた。
すると、洞窟の中から機械亜人たちが紐で縛った杭や板を持って次々と現れた。テツオは穴から顔を出すと叫んだ。
「用意がいいじゃねぇか。丁度穴を掘り終わったところだぜ」
彼は地上に出てくると、機械亜人が置いていった資材を荷解きし始めた。さらに、紐をつなげて長いロープを拵えた。
「これ、何に使うの?」
フロウは手伝いながらも不思議に思って尋ねた。テツオは得意げに答えた。
「へへへ...俺たち穴掘りのプロがどんな落とし穴を掘るのかって思うだろ?穴を板で覆って土をかけた単純な落とし穴じゃねえぞ。紐を引いて手動で落とす方式さ。もともとは隠れ家に敵が侵入したときに遮断する仕組みに使ってたんだがな」
荷解きを済ませると、テツオと仲間たちは資材を持って次々に穴の中に戻っていった。リゴールは時折地面に伏せて耳をつけ、モグマ族の活動の位置を確認しながら、その上に枝を立てて目印にしている。
やがてダルボスが洞窟から出てきてアルギレウスの隣に立った。
「......まさかゴロンである吾輩が人間とともに戦うとはな」
族長が腕を組んで言う。アルギレウスは苦笑しながら答えた。
「族長。意外な組み合わせというものは時として意外な強さを発揮するものだ。この旅で私は自分自身それを見てきた」
「意外な強さ?」
ダルボスが尋ねた。アルギレウスが答える。
「さよう。強い者の強さは別の状況では弱さになり得る。弱く見える者がそれを補う。私がこの仲間と冒険をすることができたのはそれが理由だ」
「ほう....強い者の弱さを補う弱い者の強さ、か」
そう言ったあと、族長は咀嚼するようにしばらく黙っていたが、やがて呟いた。
「あの人間の少年がまさにその証明というわけだな。なるほど、貴殿の言う通りだ」
フロウは二人の会話が自分の話題になっているのに気づいたが、わけもわからずキョトンとしているしかなかった。だがその時、背後から声を掛けてくるものがあり、少年は振り返った。
「フロウさん。私を覚えておいでですか?」
機械亜人だ。だが機械亜人は全て同じ外見なのでフロウは咄嗟に答えられなかった。
「す...すいません。ええっと...どちらさんでしたっけ....」
「私はRS-133208です。以前あなたたちに助けられた者ですよ」
フロウはやっと思い出した。ラネール地方に着いて最初の鬼との戦いでアルギレウスたちが助け出した機械亜人だ。
「あ...どうも」
頭を掻きながら挨拶する少年に対して機械亜人は続けた。
「あなたに差し上げるものがあるのです。お受け取り下さい」
彼は腰の物入れから何かを取り出して差し出した。
「これは純度の高い時空石の原石です。色合いが良くて私のお気に入りだったのですが、あなたにあげます」
彼はそれをフロウの手の上に置いた。フロウはびっくりして相手の目を見つめた。
「実は....王子殿下があなたの冒険の目的について話してくれたのです。愛する人を救いたい、というあなたの願いも。私には妻がいたので、あなたの心情はよくわかります」
「そ...そうなんですか」
フロウは受け取りながらも戸惑って尋ねた。『いた』というのはどういう意味なのか、聞きたいと思ったが躊躇いがあって自分から尋ねることはできなかった。機械亜人は続けた。
「私の妻は機械亜人化の過程で、魂が転写されず消えてしまったのです。事故でしたが、私は今でも思い出します。ともにいた日々を。あなたには、思い出すだけではなく、その人と共に作り上げる日々を積み上げていってほしいです」
フロウは手の上に乗った石を見た。それは青空のように輝き、密かな光を放っている。
「ああ、あと、面白いことをお教えします。採掘から千年が経つと、時空石は奇妙な性質を獲得するのです。衝撃を与えると一時的に周囲の事物の時間が戻るのですよ。ですからあなたの子孫があなたを偲んで会いたいと思ったときにこの石を使うよう伝えられるとよいでしょう」
「ありがとうございます。こんな大事なものを....」
フロウが頭を下げると機会亜人は答えた。
「いいえ。あなたの勇気には感銘を受けました。ご武運を祈っています」
機械亜人が去っていくと、テツオたちが作業を終えたのか穴から次々と這い出てきた。かと思うと、掘り返した土砂とともに丸い石をいくつも穴の周囲に積み上げ始めた。
「うまくしたもんだ。石を集めとけって俺が言っといたのさ」
リゴールがそれを眺めながら言う。フロウは尋ねた。
「でも...何に使うんですか?」
リゴールはニヤリと笑うと首を振った。
「自分で考えな。まあヒントは出してやる。世の中およそ武器にならないものなんてねえのさ」
「あ...そうか。投げて鬼を倒すんですね」
「三十点だ。この状況じゃあただの投石はほぼ使えねえ。だが落とし穴で死に損ねた鬼が這い上がってきたときに投げつければ役に立つ」
二人が話し合っていると、ダルボスとともに前方で敵の様子を眺めていたアルギレウスが戻ってきた。
「敵が進軍を始めたようだ」
アルギレウスの声は静かだった。だがフロウは背中に冷や水を掛けられたような気がした。一挙に自分の顔が引き締まったのが分かった。
ふと脇を見ると、ギルモが余った資材で衝立のようなものを幾つも組み立てていた。リゴールがフロウに言った。
「矢を一斉に射掛けられたときのためさ。さすが職人あがりは役に立つ。こういうときだけはな」
「まったくおめはいつも最後の一言だけ余計だっぺよ」
作業を終えた木こりは両手を打ち合わせて埃を払いながら文句を言う。
「いいか、確認だ。真正面の幅三メートルは安全通路だ。それ以外は半円形に罠が張ってある。港を囲う柵までだ。敵の第一陣が最初の罠を踏み越えたらテツオが紐を引く。罠は全部で三重にしてあるが、第三の罠まで敵が到達したら退却の準備をしてくれ」
アルギレウスが言うと皆が頷いた。
「さ...ちょっくら狩りでもしますかねぇ」
リゴールが矢を肩から下ろすとその弦を指で弾く。
フロウは平原の方に目を上げた。
アルギレウスの言う通りだった。
戻ってきた陽光の中、黒い塊のように蠢く魔物どもの群れは確実にこちらに近づいてきていた。