ドシュトフロムンド戦記~少年と精霊と大地の果て 作:nocomimi
フロウが平原の方に目を上げると、黒い塊のように蠢く魔物どもの群れがこちらに近づいてきているのが見えた。
「さぁてと...ちょっくら狩りでもしますかねぇ」
リゴールが弓を肩から下ろすと、指でその弦を弾いた。ギルモは衝立を作る作業を終えると、鎖帷子を着て兜を被り戦斧を手に持った。ダルボスは両腕を組んで前方を見たままじっと動かない。
「最初は先遣隊を送ってくるだろう。我々の戦力規模を探るために」
アルギレウスが静かに言った。皆の背後には、罠の制作のために作った地面の穴からテツオが顔を出している。
「だ...旦那...。合図は早めに出してくれよぉ。俺っちあんまりあの連中を近くで見るとチビっちまうかも知れねぇし....」
アルギレウスはモグマの若者に微笑みかけて頷いた。フロウはその場に立ってじっと敵の群れを見つめていた。
いよいよ戦さが始まるのだ。本物の戦さが。
少年は自分のベルトに挟んだパチンコを手で探った。
こんなもので十万の敵に挑もうというのか。まったくバカげた話としか思えず、フロウはついつい含み笑いをしてしまった。
「どうしたフロウ?」
リゴールが尋ねてくる。
「面白いんです。だってこんなおもちゃみたいな武器であんな大群と戦うなんて。後で寺子屋の教科書に載りそうじゃないですか?パチンコで十万の敵と戦ったバカな少年がいたって」
「ヘッ....ちげえねぇ」
狩人は笑うと付け加えた。
「けど、臆病よりかはバカのほうがいいと俺は思うがな」
「キュイ族はまだ到着しないのか」
アルギレウスが振り向くと言った。リゴールが肩をすくめる。
「行ったっきり帰ってこねぇよ。気が変わったんじゃねえの?」
「フロウ、君の弾はあといくつ残っている?」
アルギレウスが尋ねる。フロウはポケットを探ると当惑して答えた。
「....あれ....もう一個もありません...」
三人は顔を見合わせた。だがフロウはすぐに剣に手を伸ばすとそれを引き抜いた。
「大丈夫です。これがありますから」
アルギレウスは溜め息をつき、真剣な顔をすると言った。
「フロウ、君はギルモの後ろに。私とダルボスが前衛だ。その次にリゴール、君が....」
その時、洞窟の中から亜人の集団がバラバラと出てきた。キュイ族の子供たちだ。彼らはチョコチョコと歩きながら橋を渡って近づいてきた。
「僕はキュイ族パチンコ部隊の隊長、マッチャーだキュー。以下三十名、助太刀いたすキュー」
先頭に立っていた個体が立ち止まると敬礼した。フロウは思わず微笑んだ。
「ありがとう。僕はフロウっていうんだ。よろしくね」
フロウは剣を納めて近づくと、自分の下半身ほどの身長しかない相手に向かって膝をかがめ片手を出した。だが相手はそれを無視した。
「勘違いするなキュー。本来は僕らキュイ族は人間の起こした騒動には何の関係もないキュー。族長の命令で参戦しただけだキュー」
「ご助力に感謝する、マッチャー殿。私がアルギレウスだ」
アルギレウスは近づいてくると膝を曲げて軽く頭を下げ、次にフロウに向き直った。
「フロウ、君は彼の配下に入れ。後方から敵を狙撃するんだ」
「ええっ....でも....」
フロウは当てが外れた気分だった。
「命令だ。二度の命令違反は許さんぞ」
アルギレウスはニヤリと笑うと、踵を返してまた前方に戻っていった。
マッチャーはフロウを一瞥すると背後のキュイ族たちに向かって短く号令をかけた。
「配置につくキュー!」
三十名のキュイ族が、ちょこちょこと走りながら岩陰や積み上げられた土の山の裏に散っていく。その動きは小動物のように軽快だ。
フロウはその後ろに立ち、自分のパチンコを握り直した。だが弾がないことを思い出すと、マッチャーの近くに歩み寄って声をかけた。
「ごめん。弾がないんだ。分けてくれない?」
するとマッチャーはフロウをじろりと睨み、腰のポーチに手を突っ込んで弾を取り出した。フロウが手を出すと、三個のデクの実がその上に置かれた。
「ちょ....ちょっと。たったこれだけ?もうちょっとおくれよ」
フロウが言うと、マッチャーはわざとらしく溜め息をつき、さらに五個ほど弾を取り出してフロウの手の上に置いた。
やや落胆しながらもフロウはそれをポケットに入れた。
「人間の子供は礼もしないのかキュー?」
マッチャーが嫌味ったらしく言う。フロウは慌てて礼を言って頭を下げた。
「だいたいお前はパチンコがまともに撃てるのかキュー?ちょっと構えてみろキュー」
相手に言われ、フロウはパチンコを手に取ると構えた。だがマッチャーは首を振った。
「そんなんじゃダメだキュー。ほんのちょっとしか飛ばないキュー。もっと左手を上げて角度をつけるキュー」
そう言われてフロウはハタと思い至った。自分が今までパチンコを使ったのは、相手がすぐ近くにいる状況だけだった。この開けた場所では遠くに飛ばさなければならない。
「こんな感じ?」
フロウは左手を高くした。頭の中で、放物線を描いて飛んでいくデクの実を想像した。
「まあいいキュー。今は時間がないから実戦で覚えるキュー」
隊長が言う。フロウは安堵した。だがマッチャーはまた顔を上げると続けた。
「なにをボサっとしてるキュー?同じ場所に何人も配置したって仕方ないキュー。隊列をよく見て欠けている場所に行くんだキュー」
「りょ...了解です」
フロウは我に返ると、慌てて周囲を見回した。分散配置されたキュイ族隊員たちの場所を確かめると、空いている場所に駆け寄った。
「人間の子供キュー?」
「どうせ下手くそだキュー。まったくお荷物が増えたキュー」
「でも族長が『魔物の急所を撃った』って言ってたキュー?」
「どうせ族長が盛ってるんだキュー」
キュイ族の隊員たちがヒソヒソと囁き交わすのが聞こえる。フロウは驚き、そして次に恥をかかされたような気分になり、最後に猛然と闘志が湧いてきた。
一人前の戦士と認められていない?なら、認めさせてやる。
「接近してきたぞ」
アルギレウスが剣の柄に手をかけながら肩越しに振り返って言った。
フロウが顔を上げると、黒い塊はいっそう近づいてきていた。先頭にいる連中の種類が判別できるくらいの距離だ。各種の異なった色の装束を着たボコブリンたちだった。
だが、彼らは早くもこちらの様子を見てとったのか、その顔には全く緊張感がなかった。
ある者は仲間と互いに顔を見合わせ何かを話し合っている。あからさまにあくびをしている者までいた。
やがて敵の先頭集団が五十メートルほどに接近してきた。人数は百名ほどだ。
フロウはマッチャー隊長のほうを見やった。だが彼は動かない。アルギレウスもまた剣の柄に手をかけたまま動かなかった。
フロウは不思議に思った。一体どうするつもりなのだろう?
胸の奥がざわつき、怖いのか、興奮なのか、自分でも判別がつかない感情が渦巻く。
「貴殿らに申し上げる」
その時アルギレウスが大声を上げた。
「ここから先に貴殿ら魔族の住む場所はない。お引き取り願おう。我ら戦いは好まぬ。だがこれ以上進むと申されるなら、我らの剣が飾りではないことを知っていただかねばならぬ」
鬼たちは、今さらこちらの存在に気づいたかのように顔を上げた。そして何匹かがこちらを指さして嘲笑し始めた。
アルギレウスは剣を抜くと再び言った。
「さあ、選ばれよ。剣か命か。貴殿らがさほど命を重んじぬことは承知している。だが痛みは知っていよう。斬られてこの平原の土くれと成り果てるのが良ければ、我らお相手致そう!」
先頭のボコブリンたちは腹を抱えて笑い出した。鬼の耳障りな笑い声が響く。もはや洪笑だ。それは波紋のように広がり、後方の魔物たちにも伝わっていく。中には、武器を取り落として座り込み、地面を手で叩きながら笑っている者までいた。
アルギレウスは剣を片手で下段に持ったまま微動だにしない。隣に立つダルボスも腕組みしたままだ。
----凄い----
フロウは思わず心の中で感嘆した。これが王や族長たる者の覚悟なのか。
鬼どもはひとしきり笑った後、再び前進し始めた。距離がさらに縮む。
フロウはデクの実をポケットから取り出した。だが、マッチャー隊長を見ても、やはり動いていない。
敵の集団は楔形に広がって進んで来る。その先頭がとうとう罠の存在を示す枝の脇を通過した。第一の落とし穴だ。
フロウは手が汗でにじむのを感じた。ズボンで手を拭って再びパチンコを握り直す。
リゴールとギルモを見ると、やはり二人とも動いていない。狩人に至っては弓に矢をつがえてさえいなかった。
アルギレウスと先頭のボコブリンの距離がもはや十メートルを切った。ボコブリンはニヤニヤ笑いながら手に持った鉈を振り回して威嚇し始めた。かと思うと、剣士を指さして何事かを喚いている。
数秒間それが続いた。両者の距離がさらに縮む。だがその時、アルギレウスはおもむろに相手に近づくと一刀のもとにその首を刎ねた。
その瞬間だった。鬼どもの嘲笑が驚愕の声、そして怒号に変わった。
ボコブリンたちは一斉に喚きながら突進してきた。フロウは思わず息を呑むと、パチンコを構え引き絞った。だが横目で隊長を見ても動いていない。
アルギレウスは先頭の一匹が崩れ落ちる前に、二匹目の鉈を剣で逸らし胴を深く払った。横にいたダルボスは拳を振るって三匹目の鬼を吹き飛ばした。
だが左右に散開している鬼たちが完全に第一の罠を踏み越えて接近してくる。フロウは穴から顔を出したテツオの顔を見た。その顔は怯え切っていた。
「構えるキュー!」
マッチャー隊長が叫び、三十匹のキュイ族が一斉にパチンコを構え、引き絞った。フロウはそれを聞いて我に返り、自分も慌ててそれに倣った。
アルギレウスとダルボスは次々と押し寄せてくる敵をなぎ倒している。だがその左右を通り過ぎた敵がリゴールとギルモの立っている地点に接近してきた。
その時だった。
「テツオ!引け!」
アルギレウスが振り向いて叫んだ。その途端、陣地を半円形に囲むように配置された落とし穴が開き、地面が崩壊した。敵の集団が数十人単位で一挙に姿を消した。
既に落とし穴の地点を越えた鬼どもが驚いて振り向く。その時マッチャー隊長が再び叫んだ。
「撃てキュー!」
キュイ族が一斉に射撃を開始した。デクの実が放物線を描いて飛んでいき、立ち止まった鬼どもの頭を直撃する。フロウも撃った。だが、デクの実は外れて地面に落ちていった。
「誰だ下手くそ!当たってないキュー!」
マッチャー隊長が叫びながら次弾をつがえた。フロウは心の中で叫んだ。なにくそっ。もう一弾をつがえると立ち上がって慎重に狙いをつけ、放った。
ギルモが雄たけびを上げ、麻痺させられた鬼どもに突進していく。首が飛び、真っ二つに裂けた鬼が倒れる。リゴールは魔法のような速度で矢を弓につがえ連射していった。額に矢を受けたボコブリンたちが立ち尽くし、次いでゆっくりと崩れ落ちていった。
フロウの放った二発目のデクの実は、放物線を描きながら飛び、ちょうどギルモに向かって殺到しようとしていたボコブリンに命中した。鬼は立ち止まって武器を放り出し、自分の顔を手で覆った。その隙を逃さずギルモの斧が振り下ろされた。鬼の頭部が真っ二つに割れた。
フロウは第三弾をつがえた。だが、目を上げるともはや敵のほとんどは戦意を失っているようだった。ギルモの斧とリゴールの矢にかからなかったボコブリンも、武器を手放すと後じさりし始めている。中には、退却しようとして落とし穴に転落する奴までいた。フロウは構えを解いた。
「弾を無駄にするなキュー。僕らが苦労して集めてきたキューよ」
同様に構えを解いたマッチャー隊長がフロウに言う。
「すいません隊長。次から気を付けます」
フロウは素直に答えた。パチンコをベルトに挟むと、リゴールとギルモのほうに歩いていった。
「あっけなかったですね」
フロウが言うとリゴールは答えた。
「魔族ってなぁ人間と違うからな。使命感とか自己犠牲とか、そういうモンがねぇのさ。有利ならつけあがるし、不利ならすぐ逃げる」
顔を上げて前方を見ると、身体を丸めて岩の塊のようにしたダルボス族長が転がりながら敵に向かって突進しているところだった。逃げ惑うボコブリンたちを追い散らし、跳ね飛ばしている。
「全員無事か?」
アルギレウスが剣を血払いしながら振り向いた。
「旦那ぁ.....あんなに『溜める』なんて聞いてねぇっすよ。おかげで俺っちちょっとチビっちまったじゃねえですか...」
テツオがしょげかえった顔で言う。一同の間に笑いが起こった。
「内緒にしといてやるよ。その代り一杯奢れや」
リゴールが言うとモグマの若者は答えた。
「割りに合わねぇや。みんなの前で恰好悪い思いしてまでよぉ....俺っち人生こんな風になる予定じゃぁなかったのになぁ...」
「そんなことないです、テツオさん」
フロウは思わず叫んだ。
「僕は怖くても戦うテツオさんが最高に恰好いいと思います。だって...僕も怖かったから」
「ほ...ほんとか?」
テツオは涙ぐんで顔を上げた。
「敵はすぐ再編成してくるぞ。今のうち休め」
アルギレウスは刀身をよく布で拭いて剣を納めると皆に声をかけた。リゴールが退屈そうに伸びをしながらギルモに言った。
「おい木こり。何人倒せるか勝負しねえか?」
「勝負?....。ふん。おめだけには絶対負けねえっぺよ、狩人」
ギルモは振り返ると、斧の石突きを地面に突き立てながら憤然として言った。だがその後すぐに表情を和らげた。
「ま、おめも悪いことに使っていた弓矢を良いことに使うようになったっぺ。それだけは認めてやらんといかんっぺの」
「ああ?ンだよその上から目線は?いつから俺に道徳を説教できる立場になったンだてめえは」
狩人は気分を害したようだった。
「二人ともケンカはやめようよ」
フロウが言った。ギルモとリゴールは互いに睨み合ったまま、ほんの一瞬だけ沈黙した。
だが次の瞬間リゴールが鼻で笑った。
「ヘッ....だったらこの勝負は何匹鬼を倒せるかで決めようじゃねえか」
「いいとも。ワシもおめと勝負できるなんて随分な出世だと思ってるっぺよ」
「お世辞を言ったって手加減はしねぇぜ」
フロウはホッとした。やはりこの二人は変わった。ケンカは相変わらずでも、互いに仲間と認め合っているのは間違いない。
「皆さん....ご無事ですか?」
後方から機械亜人の一群が近づいてきた。手に食料やバケツに入れた水を持っている。
「助かるぞ。そうだ...申し訳ないがついでに薪を集めてくれないか?」
気づいたアルギレウスが頼むと、機械亜人のうちの一人が答えた。
「お安い御用です。すぐに確保します」
機械亜人たちが散らばって枝や柴を集め始める中、アルギレウスは用心深く敵の群れの方角を観察していた。
落とし穴の一件で鬼どもも懲りたのか、なかなか近づいてこない。距離は数百メートルは開いている。ギルモは集まった薪で火を起こし、芋を焼いて配り始めた。
「あいつらまた来るよな...きっと。俺っちいつまでもつかなぁ....」
テツオが芋を齧りながら呟いた。フロウはその肩に手を置いて励ました。
「大丈夫ですよ。そういう人に限っていざという時には強かったりするんです」
「その通りだ。自分の弱さを知っている者が時として一番強い」
アルギレウスも微笑んで若者を励ました。
「おいテツオ。俺への借りを返すまで死ぬんじゃねぇぞ。許さねえからな」
リゴールが笑いながら言う。若者はますますしょげ返った。
「励ましになってねぇっつうの........」
立ったまま食事をし水分を補給しながらも、皆が敵の動向を注視していた。どうやら鬼どもは隊列を再編成しているようで、指揮官らしきものが怒号を上げる度に、数十人単位の小隊が左右に移動している。
その時アルギレウスが食べかけの芋を放り捨てると呟いた。
「弓兵がいる。衝立の陰に退避しろ」
フロウは顔を上げた。目を凝らすと、敵の群れから弓を持った鬼どもがバラバラと前に進み出てきている。それぞれが弓に矢をつがえて放ち始めた。
「バァカ。ンな距離で当たるわけねぇだろ」
リゴールが食事を続けながら呟く。フロウはアルギレウスの顔を見た。彼はフロウに手招きし、身振りで退避を促している。少年はやむなく従った。
木こりが作った衝立の後ろに隠れると、矢が風を切る音が聞こえ始めた。矢尻が地面に突き刺さる音が続く。だが着弾点はこちらの陣地のだいぶ手前だ。
だが、時間がたつにつれ次第に着弾が近づいてきた。休憩していたキュイ族の隊員たちが浮足立って立ち上がった。
「君らも退避しろ!洞窟へ!」
アルギレウスが叫ぶ。キュイ族の子供たちは踵を返すと後退していった。
やがて数分もすると矢が陣地に届き始めた。アルギレウスが手近の衝立の陰に飛び込み、ギルモはフロウの近くにやってきて身を寄せた。
だが、ダルボスは腕組みしたまま動かず、リゴールは食事をようやく終えて立ち上がったところだった。
「下手クソが。見ろ、こうやって撃つんだよ!」
リゴールはやおら弓を構えると天に向けて矢を射た。放物線を描いた矢が落下し、鬼の弓兵の一人に命中した。
周囲の鬼どもが驚愕の表情を浮かべ、射撃をやめてたじろいだ。だが隊長らしき者が再び号令をかけると、彼らはまた射撃を始めた。
ダルボスはまだ動かない。その頭や肩に矢が着弾しても、皮膚が岩のように固いせいか、貫通しなかった。
リゴールは飛んでくる矢を器用に躱しながら、時折応射している。狩人が矢を射るたびに鬼の悲鳴が上がった。
アルギレウスが衝立の陰から顔を出し敵の動きを観察すると言った。
「弓兵は牽制だ。本隊が動く前の布石だろう」
フロウは息を呑んだ。顔を上げそうになったところを、横からギルモがしっかりと手で押さえた。
「おめ、頭下げてろ。矢が刺さったら終わりだべ」
「本隊...ですか?」
フロウが再び身を低くしながら訪ねると、アルギレウスは頷いた。
「弓兵の後ろで、盾を持った部隊が前に出てきている」
矢が刺さる音が続く。リゴールはようやく気が済んだのか近くの衝立の後ろに退避した。
ダルボスは一人仁王立ちしている。その身体は雨滴のように矢を弾き続けていた。
三十分ほどが経過したろうか。相手方は矢が尽きたのか、射撃を止めた。だがアルギレウスが言ったとおりだった。フロウが顔を上げて敵の方角を見ると、すっかり隊列を整えた鬼どもの部隊が見えた。
前列に巨漢のモリブリンが盾を掲げて並んでいる。総勢五十名ほどだ。その後ろには数えきれないほどのボコブリンの群れ。
さらに、その隊列の左右には後続の敵がゆるくこちらを包囲するように散開していた。
フロウは既に日が傾き始めていることに気づいた。そんなに長い時間が経っていたことに少年は驚いた。
敵は接近してくるとこちらから百メートルほどの距離を置いて立ち止まった。そしてモリブリンどもが手に持った巨大な盾の縁で一斉に地面を打ち、音を鳴らし始めた。
まるで合奏するように、周囲の鬼どもが足を踏み鳴らし、鬨の声を上げる。数えきれないほどの数の鬼が立てる音が入り交じり、空に轟いた。地面までが心なしか揺れている。
矢が収まってからようようのことで穴から顔を出したテツオが、新たな敵の群れを目にして震えあがった。
ドンッ....ドンッ....ドンッ....ドンッ....ドンッ....
凄まじい轟音が響き、両足に振動が伝わる。平原の端に太陽が沈む中、見渡す限りの範囲に鬼どもが散開し、気勢を上げている。フロウはそれを見ていてほとんど現実感がなかった。
「こっちをビビらせようって手だろ。見え透いてんだよ」
リゴールは衝立の陰から出るとやおら弓矢を構えて思い切り弦を引いた。
「待て、リゴール」
アルギレウスが手を上げて制した。
「あ?どうしたんだよ」
リゴールが怪訝な顔で剣士を見る。アルギレウスが答えた。
「開戦は日没後まで待とう。相手が同士討ちするかも知れん」
「そういうセコい手は好きじゃねぇが......あんたが言うならそれでいいさ」
狩人は肩をすくめると矢を仕舞った。轟音と振動が続く。リゴールは近づいてくるとフロウに言った。
「おいフロウ。お前本当に逃げなくていいのか?」
「逃げませんよ。だって僕知ってるんだもの」
フロウは微笑んで答えた。そして狩人に問い返した。
「世界で一番安全な場所ってどこだかわかります?」
「ああ?なんだそりゃ」
「世界で一番安全な場所はアルギレウスさんとリゴールさんとギルモおじさんの間にいることです。ただ.......ふたりが喧嘩をはじめなければ、の話ですけど」
「へッ...生意気になりやがって」
それを聞いたリゴールが苦笑し、フロウの頭をクシャクシャと撫でた。
「本当です。僕、ここにいるのが一番落ち着くんです。まるで自分の家にいるみたいに」
フロウはそう言うと顔を上げた。アルギレウスが剣を抜いて立っている後ろ姿が見える。木こりと狩人も近くにいる。
フロウは夕陽に染まる平原を見つめた。モリブリンの盾が赤く光り、その後ろのボコブリンの群れが持つ鉈の刃が鈍く陽光を反射している。風が吹き、血と土と鉄の匂いが混ざり合って流れてくる。
.....もしかして、これで死ぬのかな.......
そんな想念が一瞬浮かんだ。リナハを救い出さなきゃ。それが心残りだったが、不思議なことにある確信が少年の心の中に浮かんだ。
ここで逃げたら、それは果たせない。
逃げない。踏みとどまる。何があっても。
日がいよいよ沈んできた。キュイ族の子供たちは洞窟の中から出てこない。もはや役目は果たしたと判断したのだろうか。フロウはパチンコを手に取ると弾をつがえた。
耳を聾するような轟音と振動がようやく止まった。鬼どもの指揮官らしき者が怒号を上げるのが聞こえる。呼応するように鬨の声が上がると、隊列がゆっくりと前進し始めた。
アルギレウスが剣を構えた。ダルボスも腕組みを解いて身構える。リゴールは矢を弓につがえて軽く引き絞り、ギルモは立ち上がって斧を持ち上げた。
ふと脇を見ると、テツオは穴から顔を出しながら歯の根も合わぬほど震えている。
盾と槍を掲げたモリブリンたちは歩調を合わせて進んでくる。その足音が次第に接近してきた。
距離は五十メートル。三十メートル。
フロウはパチンコを左手で上げるとゴムを思い切り引き絞った。アルギレウスが鬨の声を上げる。それにダルボスが続き、そしてギルモも呼応した。リゴールさえもそれに倣って声を上げる。
意外の念に打たれたフロウも仲間たちを見渡し、あらん限りの大声を出した。
次第に、アルギレウスと先頭のモリブリンとの間の距離が縮まっていく。
だがその瞬間だった。
背後から轟音が聞こえる。フロウは思わず構えを解いて振り返った。
洞窟から、丸い岩石のようなものが次々に転がりながら出てくる。
振り向いたダルボスがニヤリと微笑むと、片手を上げて突撃の合図を出した。
丸い岩石。身体を丸めたゴロン族の戦士たちだとフロウは気づいた。
戦士たちは橋を転がりながら港湾にまで下ってきた。猛スピードでフロウたちの脇を通り過ぎ、敵の群れに突進していく。
不意を突かれた先頭のモリブリンが盾を跳ね飛ばされ、よろめいた。立ち上がったゴロンの戦士がその頭を殴りつけ、体当たりして押し倒す。
その後ろから、後続のゴロン族戦士たちが転がって殺到する。鬼どもの隊列の真ん中に穴が開いた。
ゴロンの戦士たちは一列となってその穴に雪崩れ込む。狼狽した鬼たちは左右を見回しながら慌てふためき始めた。
リゴールは次々に矢を発射し始めた。ギルモは最初ポカンとしていたが、慌てて走るとアルギレウスの脇に並んだ。フロウも後から追い付いた。
「ゴロンの戦士たちだ。族長の伝令が間に合ったのだ」
「す...すげえ強さだっぺよ...」
アルギレウスが言うとギルモが呟いた。その横でダルボスが腕組みしながら言った。
「我らは戦いを好まぬ種族。自ら争いを仕掛けることはない。だがひとたび戦えばこの通りだ」
モリブリンたちは後方を振り向き、味方が総崩れになっていることに気づいて狼狽していた。後列の鬼たちを席巻して戻ってきたゴロンの戦士たちが、勢いよく転がりながらその隊列の側方から体当たりをかました。
巨漢鬼の隊列は完全に形を失った。武器を放り出したモリブリンがゴロンの戦士たちと取っ組み合いになった。だが体格ではほぼ互角だ。
アルギレウスが加勢に行こうと走り始めたところを、ダルボスが手を上げて制した。
「我らは一人の敵を二人で相手にすることを好まぬ。このままにしておけ」
困惑した顔のまま、アルギレウスが剣を納めた。見ていると、巨漢鬼たちは散々に殴りつけられた末に後ろに退き始めていた。
フロウは呆気に取られてその様子を眺めた。
少年は思った。まだまだ、この戦いは終わってはいない。この先どうなるかは分からない。
最後の最後まで、ここに居続けよう。