ドシュトフロムンド戦記~少年と精霊と大地の果て   作:nocomimi

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王の血

「見ろ。『終焉の者』....のおでましだぜ」

 

リゴールがニヤリと笑って呟いた。だがその額には汗が浮かび、弓の弦に添えた指は震えていた。

 

いる。そこにいる。二つに割れた魔物どもの大集団の真ん中に。

 

凄まじいほど禍々しい怨念。憤怒。

 

姿は見えなかったが、フロウにはそれが感じられた。

 

魔物たちは奇妙なほど静まり返っている。月明りに照らされた鬼の顔がチラリと見えた時フロウは驚いた。そこに浮かんでいるのは猛々しい戦意でも、嗜虐の悦楽でもない。

 

『恐怖』そのものだ。

 

「...鬼どもが首根っこ捕まえられた猫みたいになってやがるぜ。相当怖えぇんだろうな」

 

リゴールがまた呟いた。フロウは不思議に思って尋ねた。

 

「ただ怖いから王さまに従ってるっ...ってこと?」

 

「あいつら三度も俺たちに痛い目に遭わされてるんだぜ。普通の鬼だったらとっくに逃げてるさ。だが大将が目の前にいたら別だ。後でどんな目に遭うかって思ったら従わざるを得ねえ」

 

狩人が答える。フロウは信じがたい思いで首を振った。ただ恐怖のみで従う。もしこの地を彼らに明け渡したら、全ての生ける者がその『恐怖』の下に置かれることになるのだ。少年は猛烈な腹立ちを感じた。

 

なにが『力を与える』、だ。ふざけるな。フロウは自分の夢に現れたあの男、ギラヒムに対しても抑えがたいほどの憤りを覚えた。

 

絶対に、絶対に退くわけにいかない。ここに踏みとどまる。フロウは思った。

 

平原は完全に静まり返った。アルギレウスとダルボスも顔を上げて前方を見据えたまま動かない。

 

すると空気が重く沈んだ。

 

少年の目には何も見えなかった。だが、感じられた。その部分だけ、闇がいっそう暗い。上から射しているはずの月明りが届かぬ完全な闇。

 

目を凝らすとまるで吸い込まれてしまいそうな空虚。世界がその部分だけ切り取られているような。

 

フロウは思わず一歩後ずさった。足が震えていることに気づく。

 

胸の奥で、怒りと恐怖がせめぎ合う。

 

アルギレウスが剣を握りしめたまま、かすかに息を呑んだ。ダルボスも拳を固く握り、その空虚を睨みつけている。

 

すると、地が軽く震え、振動音が聞こえてきた。

 

声ではない。生き物の発する声ではない。まるで地そのものが振動している音だ。

 

----......アルギレウス........-----

 

それは確かにそう言った。フロウは驚愕に目を見張った。ギルモとリゴールも驚きに顔を上げた。

 

『それ』は言葉を継いだ。

 

----........アルギレウス.......なぜわたしに逆らう?-----

 

はっきりと聞き取れた。たしかに言葉だった。

 

-----.....そなたの父祖たちは皆わがしもべであったのに.......-----

 

背後に立っていたシーカー族の戦士たちさえもが息を呑むのが聞こえた。

 

----巫女どもの戯言に惑わされ......余を裏切り....その身に滅びを招くのか......-----

 

フロウはアルギレウスの背中を見た。それが震えているのが見えた。

 

恐怖なのだろうか?絶望なのだろうか?悲しみなのだろうか?

 

アルギレウスは震えていた。だが、彼はそれでも顔を上げた。そして剣を持った自分の右手を左胸に押し当てた。

 

「貴様には渡さぬ。わが心はハイリアのものだ」

 

涙を堪えながらの声だった。フロウは心の底から何かが湧き上がるのを感じた。抑えきれなくなったそれが、少年の口から噴き出てきた。

 

「ハイリアのために!」

 

するとギルモとリゴールが驚いて彼を見た。だが次の瞬間、すぐに二人がそれに呼応した。

 

「ハイリアのために!」

 

その号令は一瞬で味方の中に広がった。シーカー族の戦士たち、そしてゴロン族の突撃隊が呼応する。

 

だが、それが戦闘の口火を切ることになった。魔物たちも同時に鬨の声を上げ、武器を空に突きあげ、そして前進し始めた。

 

「構え!」

 

インパが叫ぶ。シーカー族の弓手たちが一斉に矢をつがえた弓を構える。

 

「へへへ...これが最後の罠だ。このテツオさまの死にざまを、お前らとくと見ておけよ!」

 

穴から上半身を出したテツオが叫んだ。その目には涙が浮かんでいたが顔は笑っていた。

 

アルギレウスは左手を下に下げ、弓隊と突撃隊に『待て』の指示を出しながらじりじりと後退していった。

 

「三つ目の罠が埋まったら撤退の準備をしろ!」

 

「また消極的な作戦か?まったく人間ってやつは....」

 

アルギレウスの指示にダンゴロスが叫び返した。

 

「命令に従え!無駄死には許さん!」

 

だがアルギレウスが厳しい顔で言うと、ダンゴロスはダルボスと顔を見合わせて肩をすくめた。

 

魔物どもの足音が、地面を鳴らしながら迫ってくる。

 

フロウは喉がひりつくのを感じた。パチンコを握った手にじっとりと汗がにじむ。

 

敵の包囲網との距離が詰まった。三十メートル。二十メートル...

 

自らを鼓舞するように怒号を上げ武器を突きあげる鬼どもの表情までもが見える。

 

アルギレウスが振り向いて合図した。インパが大音声で叫ぶ。

 

「放て!」

 

シーカー族の戦士たちが一斉射撃を開始した。七十名の弓手が次々と矢を射る。夜空に吸い込まれた矢が敵軍の頭上に雨あられと降り注いだ。鬼どもの悲鳴が広がる。

 

ひとしきりの射撃のあと、アルギレウスの合図で弓手が手を止めた。

 

「突撃!」

 

今や遅しとゴロン族の戦士たちが体を丸め敵に突進していく。前列の鬼どもが吹き飛ばされた。

 

だが左右に散開した鬼どもが押し迫ってくる。その先頭は既に口を開けている落とし穴にまたもや落ち込み、姿を消した。鬼たちが雪崩のように穴に落ちていく。断末魔の悲鳴と怒声が夜空に響き渡る。

 

だが、魔物どもはまるで津波のように押し寄せていた。たちまち落とし穴が鬼の身体で埋まると、その上を踏み越えて次々と後続が前進してくる。

 

アルギレウスとダルボスはじりじりと後退し続けていた。リゴールとギルモもそれに合わせて下がっていく。フロウもそれに続いた。

 

やがて鬼どもが陣地を半円形に囲む最後の落とし穴の上に差し掛かった。

 

「テツオ!引け!」

 

アルギレウスが振り向いて叫ぶ。テツオが紐を引くと敵の最前列が一挙に姿を消した。断末魔の悲鳴が聞こえる。

 

だが、敵は前進をやめなかった。駆り立てられるように後ろから次々と鬼どもが続く。ほとんど狂ったかのような勢いで穴に転落していく。そして穴が全て埋まった。

 

「テツオ!お前は先に行け!」

 

とうとう先頭の鬼たちがアルギレウスとダルボスと交戦を始めた。アルギレウスが最初の鬼を斬り倒しながら叫ぶ。テツオは穴から首を出し、一瞬戸惑ったあと、転がるように出てきて洞窟に向かって走っていった。

 

シーカー族の戦士たちが水平射撃を開始した。矢を喰らった鬼どもが次々と倒れる。だが、その後続に終わりが見えない。

 

見渡す限り、魔物どもの姿しか見えない。前衛ではアルギレウスが鬼を斬り倒し、ダルボスが拳を振るって吹き飛ばす。

 

フロウたちの後方から弓手たちが矢継ぎ早に射撃し、鬼どもが倒れると、それ以上の数が後ろから姿を現す。彼我の距離が縮まっていく。

 

「お先に始めさせてもらうぜ!」

 

リゴールも矢を弓につがえ射撃を開始した。だがギルモは斧を構えながら妙に自信たっぷりに答えた。

 

「ふん、あとでワシが逆転するだに、ほえ面かくなっぺよ!」

 

フロウもパチンコを構えて今か今かと待ち受けた。矢を逃れた鬼たちが近づいてくる。

 

「下がれ!下がれ!港まで!」

 

アルギレウスが叫びながら合図した。フロウたちは武器を構えながらもじりじりと後退した。

 

振り返ると、シーカー族の弓手たちの隊列にまで敵が到達している。何人かは既に射撃を止めて剣で戦い始めていた。

 

背後には港跡地がある。少しづつ押される形で味方の全軍が廃用船と波止場の横を過ぎ、港の敷地に近づいていった。

 

「後退だ!後退だ!」

 

再びアルギレウスの叫び声が聞こえた。もはや鬼どもとの間合いは十メートルを切った。

 

フロウはパチンコを上げると一番近くにいる鬼に狙いをつけた。だが少し待った。

 

少年は鉈を振りかざす敵の姿をしっかり見据えた。引き付け、そして放つ。

 

種が飛んでいき、鬼の顔で弾ける。たちまち相手はよろめいて顔を手で覆った。

 

「ぬおおおおおっ!」

 

戦斧を振り上げてギルモが突進する。その間にもフロウは次々とパチンコを発射した。二人目、三人目、四人目、五人目、六人目。

 

横並びに突撃してきた鬼どもが次々と武器を放り出してたじろぐ。戦斧の刃が月明りに煌めき、鬼の首が飛び、胴が真っ二つになった。

 

「0.5×6だから合わせて三匹だぜ、覚えとけ!」

 

リゴールが矢を撃ち続けながら叫んだ。だがフロウはパチンコを放り捨てると剣を抜いて言った。

 

「僕の点数はぜんぶギルモおじさんにあげることにするよ!」

 

「お前ら汚ねぇぞ!二人がかりなんて聞いてねぇからな!」

 

リゴールが叫び返す。ギルモに倒された一群れの鬼どもの背後から次々と新手が姿を現す。

 

既に逆側からも鬼どもが迫ってきていた。リゴールは振り返ると矢を速射してなぎ倒している。ギルモは新手の一匹を肩口から真っ二つにし、その横の一匹を柄で殴りつけその頭を割った。

 

だがさらなる一匹が、ちょうど身をかがめた木こりに襲い掛かろうと突進してきた。

 

「おじさん!背中借りるよ!」

 

フロウは叫ぶと、咄嗟にギルモの背後から走り寄り、跳躍するとその背中に足をかけてジャンプした。

 

空中から下を見る。いましも鉈を振り下ろそうとする鬼の顔。怒りと恐怖と嗜虐に歪んだ表情、口から突き出た舌。

 

フロウは雄たけびを上げながら相手の頭に思い切り剣を振り下ろした。頭上からの奇襲を受け頭を割られた鬼は悲鳴を上げてたじろいだ。

 

少年は着地すると目を上げた。心臓。たしかあの辺り。剣を両手で引き、突進して思い切り突き出す。自分の身体ごと。

 

鬼の胸を剣が貫いて、切っ先が向こう側から飛び出たのが感触で分かった。鬼が断末魔の叫びを上げてガックリと白目を剥いた。

 

だが、剣が抜けない。右からも左からも新手が来る。フロウは咄嗟に相手の身体に片足をかけると強引に剣を引き抜いた。だがその勢いで後ろによろけて転んでしまった。

 

「坊や!伏せておれ!」

 

ギルモが叫ぶ。フロウは反射的に頭を片手で保護しながら身を低くした。頭上を斧の刃が唸りを上げて通過する。黒い血が飛び散り、鬼の悲鳴が上がった。ギルモは唸り声を上げながら、斧を水平にして身体を回転させていた。重い一撃を喰らった鬼が吹き飛び、首や腕や切り離された胴体がボトボトと地面に落ちる音がした。

 

「坊や....もういいっぺ」

 

ギルモが荒い息をつきながら言った。フロウが顔を上げると、後続の鬼たちは足を止めて悔しそうにこちらを遠巻きにしながら歯噛みしている。距離は二十メートルほどだ。

 

だが、苦しそうな呻き声が背後から聞こえてきた。振り返ると、シーカー族の弓手たちのうちに負傷者がいるのがわかった。地面に横たわった者たちを他の者が助け起こし、港湾跡地まで引き摺るようにして運んでいる。

 

前方を見ると、アルギレウスが全身に返り血を浴びながら仁王立ちしている。ダルボスも一緒だ。すると、岩が転がるような音が近づいてきた。鬼たちを跳ね飛ばしながら、ゴロン族の戦士たちが戻ってきている。戦士たちは二人の近くまで来ると立ち上がった。

 

フロウはそれを見て思わず息を呑んだ。明らかに数が減っている。

 

「ダンゴロス...残りは何名だ?」

 

「三十二だ。まだまだ戦えるぜ」

 

アルギレウスに問われてダンゴロスが答えた。すると剣士が言った。

 

「撤退の準備だ。全員を集めて橋まで....」

 

「バカ野郎。ここまで敵に痛い目を見させておいて今さらやめるのか?」

 

ダンゴロスは言下に否定した。それを聞いたダルボスが含み笑いした。

 

「アルギレウス。貴殿は我らの気質を知らぬらしい。一度始めた戦いは雌雄が決するまで止めぬ。それが我らの伝統だ」

 

「だがこのままでは全滅するぞ!」

 

アルギレウスは振り向いた。港湾跡地まで距離はわずかだ。その入り口の幅二十メートルほどを除き、左右が柵で覆われている。

 

「港湾跡地で戦おう。一度に相手にする敵の数を減らせる」

 

「了解だ。だがそれ以上の退却はせんぞ」

 

剣士の提案にダンゴロスが応じた。アルギレウスは剣を構えたままで後じさりし、他の全員がそれに追随した。廃用船を通り過ぎ、波止場から港湾跡地に入る。だが、遠巻きにしている鬼たちの群れも測ったように同じ距離を保ったまま押し迫ってきた。

 

「ワシはこれで四匹と六匹と十匹と.......ええと、狩人。おめの言ってた『しょうすうてん』を入れると何匹になる?」

 

「知るか!計算ぐらい自分でしやがれ」

 

ギルモが尋ねたがリゴールは笑いながら言い返した。

 

「なんにせよ......悔しいが勝負はワシの負けみたいだっぺよ.......」

 

木こりは溜め息をつくと肩をすくめた。

 

「......だが、狩人。おめと一緒に戦って死ぬのも....思ったより悪くねえっぺな」

 

それを聞いた狩人は一瞬だが動きを止めた。彼はすぐに顔を逸らすと小声で答えた。

 

「ああ......そうだな。俺もそう思う」

 

「負傷者は運び終わったか。隊列を組み直せ」

 

その時インパが指示する声が聞こえた。まるで訓練でもしているかのような平静な口調だった。見ると、シーカー族の弓手たちが再び整列しようとしていた。洞窟の中にケガ人を運び終わったらしき者たちも橋を渡って急いで隊列に合流している。

 

「構えよ!」

 

インパが叫ぶ。数の減った弓手たちが一斉に弓矢を構えた。

 

フロウにはわかった。また始まるのだ。前を向いて剣を構える。するとその時、敵の列を押しのけるように前面に出てきた者たちがいた。巨漢鬼。モリブリンたちだ。

 

野太い声の号令が聞こえた。ボコブリンどもでは相手にできないと判断したらしい。巨漢鬼どもは槍と盾を掲げると、横一列に前進してきた。アルギレウスがインパに合図する。

 

「放て!」

 

号令で一斉に矢が空中に放たれた。たちまち矢が降り注いだ。巨漢鬼たちが頭部に矢を喰らってたじろいだ。だがそれでも倒れずに進んでくる。

 

「ギルモ!フロウを連れて橋を渡れ!」

 

アルギレウスが剣を構えたまま肩越しに叫んだ。

 

「合点だ!旦那!」

 

ギルモが答えると少年の手を掴んだ。もはやシーカー族の弓手たちもフロウたちの左右に密集し始めていた。次々と矢を放っている。だがフロウは木こりの手を振りほどいて抵抗した。

 

「嫌だ!僕もここにいる!」

 

「聞き分けのないことを言うんでねえ!さあ!」

 

ギルモは再び手を伸ばしてフロウを掴んだ。アルギレウスがモリブリンの突き出す槍を躱し、剣で相手の腹を刺していた。ダルボスはもう一匹の巨漢鬼を殴り倒している。

 

フロウは必死で暴れた。だが木こりの腕は丸太のように太く、びくともしない。

 

「離してよ!僕は──!」

 

「坊や、ここは大人の仕事だっぺよ!おめぇは──」

 

ギルモが言い終える前に、モリブリンの咆哮が空気を裂いた。一匹が盾を構え槍を突き出しながら迫ってくる。ギルモはフロウから手を離すと、槍を斧の刃で逸らした。火花が散る。巨漢鬼が盾を叩きつけるように押し出した。ギルモがよろめく。

 

フロウは剣を構えた。だが、目の前の鬼はあまりにも巨大過ぎる。自分の短い剣では到底致命傷は与えられそうにない。

 

ギルモが雄たけびを上げながら敵の盾に斧を叩きつけた。木の盾が真っ二つに割れる。木こりは斧を縦に回転させ、巨漢鬼の肩口に斬りつけた。

 

だがその左右からも巨漢鬼が出てきた。背後ではリゴールが四方八方に矢を放っている。だが狩人はこちらを向くと、目にもとまらぬ速さで三連射した。矢は、過たず三人並んだ巨漢鬼の眉間に命中した。

 

「奢りだ!あとはてめえでやれ!」

 

狩人は叫ぶと、腰の物入れから球形の爆弾を取り出して矢に装着し、点火して構えた。背後からもモリブリンが迫っている。発射した矢が巨漢鬼の顔面に命中した。爆発音が轟き、巨漢鬼がよろめき、倒れる。

 

木こりは再び叫びながら斧を振り回す。矢を受けて動きを止めた巨漢鬼の首を刎ねる。一匹、二匹、三匹。フロウは周囲を見回した。ゴロン族の戦士たちも総がかりで巨漢鬼たちと格闘している。何人かが長槍で腹を刺され、うめき声を上げた。だがそれでも拳を振り回し、相手の頭を殴りつけている。

 

背後では、シーカー族の弓手たちが数名、モリブリンが振り回す槍を受けて吹き飛ばされた。そこらじゅうを矢が飛び交う音がする。

 

槍を振り回していたモリブリンがこちらをジロリと見た。目が合った。その目の中に嗜虐的な笑みが浮かぶのが見えた。

 

だがフロウは思った。なにくそ。負けるものか。

 

巨漢鬼が突進してくる。フロウはやや身を低くして待った。敵が槍を引き、そして突き出そうと予備動作をとる。

 

その瞬間身体を反らした。胸の横を槍の穂先が通過する。相手の身体が勢いで目の前に来た。フロウは横跳びし、前転した。立ち上がると、敵の巨体の真横に出た。急所はどこだ?肥満体を覆う分厚い脂肪。

 

見えた。肋骨の間に剣を突き込む。鍔まで埋まれとばかりに突くと、素早く刃を引いた。呻き声を上げた巨漢鬼が暴れ、その腕がフロウの顔に当たった。打ち倒され、一瞬頭が真っ白になった。

 

「坊や!」

 

木こりの叫び声が聞こえる。走り寄る足音。斧の刃が何かを斬り裂く重い衝撃音。何十秒もがたった気がした。だが一瞬だけだったのかも知れない。フロウは反射的に手で剣を探った。剣の柄を掴んで顔を上げると、ギルモがその手を取って助け起こした。目を上げると、巨漢鬼の群れは全員倒れたらしかった。だがその背後にいたボコブリンたちが、指揮官たちの号令のもと前進し始めている。

 

「戦士たち、来い!」

 

ダンゴロスが叫ぶと、身体を丸めた。ゴロン族の戦士たちが次々と岩石のように丸まり、味方陣地の周囲を転がり始めた。ボコブリンたちが跳ね飛ばされ悲鳴を上げる。絶え間ない波状攻撃が数秒の間途切れた。

 

「さあ、行くべ........」

 

木こりがそう言った瞬間だった。耳障りな蝙蝠の鳴き声が聞こえてきたかと思うと、それが一挙に上空に近づいてきた。

 

顔を上げると、真っ黒な霧のような群れが固まりとなって飛来してきている。その群れは港跡地を通り過ぎると、今度は橋の上に滞留し始めた。

 

「おい、こっちの考えは見透かされてるぜ」

 

リゴールが周囲に倒れたシーカー族の負傷兵たちの手から矢筒を受け取りながら橋に目をやった。

 

「あれ....蝙蝠が橋を塞いでるっぺよ?」

 

ギルモが驚いて呟く。

 

「ただの獣じゃねぇってことさ。あいつに動かされてるンだよ」

 

リゴールはそう答えると、弓と矢筒を負傷者から取り上げ、フロウに投げてよこした。

 

「レッスンは最初っから実戦だ。一発で覚えろよ」

 

数瞬呆気に取られたあと、フロウは笑みを浮かべた。剣を納め、急いで矢筒のストラップを身体に回し、弓を左手に持った。

 

生き残りのシーカー族たちが再び隊列を整える。だがその数は最初の半分もない。フロウはリゴールと背中合わせになった。ギルモは少年の脇で斧を構える。

 

「矢をつがえろ」

 

リゴールが言った。フロウは頷くと矢を一本とって弓の弦につがえ、引き絞った。反発が強い。歯を食いしばって力を入れないと引けない。

 

ゴロン族の戦士たちの張った防御線の間を縫って、ボコブリンが数匹近づいてきている。距離は二十メートルもない。喚き声、荒い呼吸。装備ベルトの金具が立てる音。すぐそこにいる。

 

「狙え」

 

狩人の声が聞こえる。狩人もまた弓を引き絞っているのか、弦が鳴る音がした。

 

鬼たちの顔。フロウは真ん中の一匹に狙いをつけた。だが狙っているうちに距離が次第に縮まっていく。

 

「撃て!」

 

放った。だが狙いが高すぎた。矢が敵の頭上を通過した。

 

「外したろ。目で狙いをつけるな!腹で狙え」

 

狩人の声が聞こえる。フロウは頷いた。既に距離は十メートル。リゴールが矢を放った音が聞こえた。たちまち悲鳴が上がる。フロウはもう一矢をつがえて狙いをつけた。腹で狙う?意味を考えている暇もない。ただ、その通りにするだけだ。

 

ボコブリンどもが雄たけびを上げこちらに向かって突進を始めた。背後ではリゴールが矢継ぎ早に矢を射ている。次々と命中音が聞こえる。

 

敵集団が急速に近づいている。走ってくる鬼の身体が上下している。だが、細かい狙いは、もういい。フロウはわかったような気がした。自分の中心と敵の中心を合わせ、矢を放つ。

 

真っ直ぐに飛んだ矢が敵の中心線に命中した。突撃を止められた鬼がよろめく。フロウは次の矢をつがえていた。致命傷を負った鬼を押しのけ突進してくる新手に向けて放つ。これも当たった。三発目。これも命中した。

 

だが敵の波は土砂崩れのように押し寄せる。倒れたボコブリンを踏みつけて後続が押し迫る。フロウは続けざまに矢を撃った。十発ほども撃つと矢筒が空になっていることに気づいた。弓を捨てると剣を抜いた。

 

フロウが剣を抜いた瞬間、鬼どもの怒号が一段と大きくなった。

 

ゴロン族の戦士たちが立ち上がって鬼どもと格闘し始めている。だが敵の数は圧倒的だ。間を縫って次々と近づいてくる。距離はもう五メートルもない。リゴールが背中越しに叫ぶ。

 

「坊主、剣に持ち替えたら迷うなよ!来たやつから順に斬れ!」

 

ギルモが斧を構え直し、フロウの前に半歩出た。

 

「坊や、ワシの横にいろ!離れたら死ぬっぺよ!」

 

フロウは頷いて剣を胸の前に構えた。

 

先頭のボコブリンが鉈を振り上げて突っ込んでくる。木こりが上から強引に斧を叩きつけた。戦斧の刃が鉈ごと鬼を真っ二つにする。その脇からもう一匹が来る。フロウは鉈を構える相手の予備動作を待った。

 

頭に何かが浮かんだ。横に来る。フロウは反射的に頭を下げた。空気を引き裂いて鉈の刃が頭の数ミリ上を通過する。鬼の身体が大きく泳ぐ。

 

横斬りを繰り出した。刃が固形物を引き裂く感触。素早く剣を引き、突きを放つ。身体の真横を戦斧の重い刃が唸りを上げて通過する。その隣で鉈を振り上げていた鬼の頭が割れた。

 

フロウが鬼の身体から剣を引き抜くと同時に、ギルモが斧の頭を突き出して後続の鬼を吹き飛ばし、さらに横から来る鬼の顔に斧の石突きを叩きつけた。フロウの横からも新手が来る。自然に身体が動いた。鉈の一撃を回避し、胴を払う。振り向くと、木こりと目が合った。

 

信号を受け取った気がした。身体を低くする。ギルモが唸り声を上げ身体ごと豪快に斧を振り回す。重い一撃を喰らった鬼たちが致命傷を負ってよろめいた。

 

戦闘音が止んだところで顔を上げると、おびただしい数の鬼どもの死骸の真ん中でギルモが立ち尽くしていた。攻め疲れが出たのか、肩で息をしている。

 

休む間もなく新手の鬼どもが押し迫る。僕が防がなきゃ。フロウは立ち上がり剣を構えた。だが一度に三匹が近づいてきた。

 

フロウは咄嗟に身を沈め、片手持ちで剣を左腕の外に付けるように構えた。鬼どもが接近してきたところで、叫びながら思い切り身体を回転させ振り回した。

 

刃が敵の武器を弾いた。鬼どもが一瞬怯んだ表情を見せた。だがすぐに持ち直すと鉈を振り上げ迫ってくる。

 

息が切れてきたのがわかる。でもまだ終われない。フロウは剣を中段に突き出した。その途端に誰かが少年の襟首を掴むと引き戻した。

 

インパだ。彼女はフロウの前に立つと半身になり両手を軽く前に出した。鬼どもが一斉に襲いかかる。だが一瞬の間に、女族長は身を沈め距離を詰めると掌底を放った。先頭が破城槌を喰らったかのように吹き飛ぶ。彼女は左右から来た斬撃をいとも簡単に素手で逸らすと、片手づつに鬼の手首を掴み投げ飛ばした。

 

だがフロウはふと気配を感じて振り返った。リゴールが弓を構えている。その矢は真っすぐに向けられていた。インパの頭部に。少年は目を見開き、叫び声を上げた。

 

狩人が矢を放つ。

 

放たれた矢が飛んだ。

 

それはインパの頭部の手前で軌道を変えて曲がると、そのまま飛んで行った。

 

鬼の悲鳴が聞こえる。そちらを向くと、インパを狙って弓矢を構えていたボコブリンが胸に矢を喰らって倒れるのが見えた。

 

「ボサッと突っ立ってんじゃねえクソババア!」

 

リゴールが叫ぶと向きを変えて反対側から迫る鬼を射撃し始めた。元気を取り戻したギルモが再び斧を振るった。真っ二つになった鬼が倒れる。フロウも剣を構え、ギルモに斬りつけようとした鬼に突きを喰らわした。

 

インパは僅かに微笑むと背後にいたシーカー族の生き残りに号令をかけた。

 

「前列は敵を食い止めろ。後列は投擲用意!」

 

シーカー族の若者たちは三十名を切っている。前列の者たちは剣で鬼どもと戦っている。後列にいる者たちは一斉に腰の物入れから何かを取り出した。

 

「投げろ!」

 

球形の物体が投げつけられた。数秒後一斉に爆発音が聞こえた。鬼が吹き飛び、怒号と悲鳴と喚き声が轟く。

 

一瞬だが、戦場が動きを停止した。

 

爆煙が風に流れ、焦げた匂いが港湾跡地に広がった。

 

フロウは荒い息を吐きながら剣を構えた。ギルモも斧を握り直し、リゴールは次の矢をつがえようとしている。

 

だが誰も動かない。

 

鬼どもも、味方も。

 

顔を上げると、港湾跡地に押し迫る敵の群れの真ん中に何かがいる。

 

いつの間にか夜が明けかけている。遠くの空が白み始めていた。

 

鬼たちは恐怖の表情を浮かべて立ち尽くしていた。皆、その『何か』のほうを見つめて目を大きく見開いている。

 

魔物たちが静かに道を開け、群れが真っ二つに割れた。夜明けの光に照らされ、フロウにはその者の姿が朧気に見えた。

 

燃えるような銅色の髪。黒鉄のような肌。ゴロン族をはるかにしのぐ巨体と筋骨。

 

全身から発せられる禍々しい闘気。

 

フロウもまた立ち尽くした。まるでその者の周囲だけ、けた違いの怨念と憤怒が陽炎のように立ち昇り空気が歪んでいるようにさえ見える。

 

ギルモとリゴールもまた驚愕の表情でその者を見つめた。

 

その者が一歩、足を踏み出した。軽い地響きがする。

 

だがダルボスが叫んだ。

 

「奴が大将だ!討ち取れ!」

 

ダルボス族長が真っ先に突進し、ゴロン族の戦士たちも続いた。岩石のように身体を丸めて転がり、その者に殺到していった。

 

だが、その黒鉄の男は片手に持った剣を振り上げると、横に振り払った。

 

まるで落雷のような音がした。巨石のようなゴロン族の戦士たちはその一振りで吹き飛ばされ、十メートルほど離れた草地に叩きつけられた。

 

「マジ....かよ.....嘘だろ...........」

 

「あ...あれが...『終焉の者』....け?」

 

リゴールとギルモが呟く。

 

アルギレウスが剣を構えなおした。狩人が弾かれたように顔を上げる。

 

「おい!.......よせ!」

 

剣士は肩越しに振り向いた。夜明けの光の中、その顔は微笑んでいるように見えた。

 

「アルギレウスさん.......!」

 

フロウもまた声にならない声を上げ、手を伸ばした。

 

だが、アルギレウスは走り始めた。迷いのない足取りだった。

 

フロウはその背中に向けて手を伸ばした。だが無駄だと直感でわかった。

 

叫びが空中に溶ける。平原のかなたから朝日が射していた。

 

剣士は真っすぐに『終焉の者』に走り寄っていった。

 

剣を振り上げ斬りつける。敵は自らの武器でそれを受け、縦に振り下ろしてきた。アルギレウスはそれを紙一重で躱すと、横斬りを放った。だが敵も剣でそれを受け止めた。巨体に似合わぬ俊敏な動作だった。

 

終焉の者は唸り声を上げた。地鳴りのような声だ。剣を袈裟斬りにする。アルギレウスは自らの刃を相手の刃筋に添えて辛うじて防いだ。だがあまりの体重差によろめいた。

 

終焉の者が得物を横に振った。アルギレウスは自分の剣を立てて防御した。

 

だが次の瞬間、その身体が吹き飛ぶのがフロウの目に映った。

 

真っ二つに折れた剣が空中を舞う。アルギレウスの身体は力を失ったように数メートル離れた草原に転がった。

 

数秒後、折れた剣が地面に落ちる乾いた音が響き、再び戦場を静寂が覆った。

 

フロウは呼吸することも忘れていた。

 

ギルモは口を開けていた。だがそこから言葉は出てこない。

 

だが、リゴールは弓を構えていた。つがえられた矢の先端につけられた球形の爆弾から煙と火花が散っている。

 

「死ね!」

 

狩人が矢を放った。放物線を描いた矢が『終焉の者』に向かって飛んでいく。

 

爆発音が響き、黒煙が上がった。

 

だが、数瞬後三人は息を呑んだ。何事もなかったかのように『終焉の者』が立っている。

 

その顔がニヤリと笑ったかのような気がした。リゴールは顔を引きつらせた後、弓に矢をつがえ放った。だが『終焉の者』は剣を掲げると矢の軌道を見切ったかのようにそれを逸らした。

 

二の矢、三の矢。狩人が矢を次々と放つ。金属と金属が衝突する音。全て逸らされた。

 

リゴールは矢を打ち尽くすと、弓を放り捨てた。

 

「クソがあああああああ!」

 

狩人は叫ぶと両手に短剣を抜いた。フロウの目にその憤怒と絶望の表情が見えた。

 

「.......リゴールさん!ダメ.........!」

 

少年は思わず叫んだ。だがリゴールは地面を蹴った。その走りは、いつもの軽やかな狩人のそれではなかった。まるで自分の命を投げ捨てるような荒々しい突進だった。

 

ギルモが震える声で吠えた。言葉にならない声だった。

 

終焉の者はゆっくりと顔を上げた。黒鉄の肌に朝日が反射し、その瞳が赤く光ったように見えた。

 

リゴールは叫びながら短剣を構え、一直線に駆けていく。

 

フロウの足が勝手に前へ出た。だが身体が追いつかない。

 

いやだ。いやだ。

 

少年は叫んだ。

 

だがその瞬間だった。

 

突然、頭上に眩い光が現れた。

 

一瞬目が見えなくなるほどの眩い光。

 

夜明けの空が一挙に白い色に染められた。

 

その場にいた全員が息を呑み、天を見上げた。

 

天蓋そのものが裂けたかのように白光が降り注ぐ。

 

影という影が消え、港湾跡地のすべてが白く塗りつぶされた。

 

強烈な、しかし形のないその光が、戦場のただ中に静かに降りてこようとしていた。

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