ドシュトフロムンド戦記~少年と精霊と大地の果て   作:nocomimi

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降り来たる者

戦場の上空に、突然眩い光が現れた。

 

一瞬目が見えなくなるほどの眩い光。

 

夜明けの空が一挙に白い色に染められた。

 

その場にいた全員が息を呑み、動くのをやめた。

 

リゴールさえもが、走るのをやめて茫然と光を見上げている。

 

天蓋そのものが裂けたかのように白光が降り注ぐ。

 

影という影が消え、港湾跡地のすべてが白く塗りつぶされた。

 

強烈な、しかし形のないその光が、戦場のただ中に静かに降りてこようとしていた。

 

フロウは思わず両手を顔の前に上げて庇った。あまりにも強い光。

 

ギルモも斧を下ろし、片手を目の前に上げながら茫然と立ち尽くしている。

 

その光は、触れるだけで皮膚を切られそうな強さだったが、それでいてフロウはなぜか暖かさを感じた。

 

目が慣れると、フロウには見えた。そこには大きな光と小さな光があった。

 

その二つの光が平原と港湾跡地の間に降り立ってくる。

 

周囲を囲うように群がっていた鬼たちが、恐れおののいたように退いていく。

 

フロウがさらに目を凝らすと、小さな光の中に人のようなシルエットがあった。

 

小柄で華奢な体格の少女。短い髪。

 

少年は気づいた。ファイだ。

 

だが、大きな光は強すぎてその中にいる者の姿がなかなか判別できない。

 

しかしその大きな光の中にいた何者かが、右手を伸ばした。それと同時にファイの姿がいつの間にか消えた。

 

大きな光の中の何者かの右手には剣が握られている。まるでファイが剣に姿を変えたかのようにフロウには見えた。

 

その瞬間、『終焉の者』が吠えた。

 

凄まじい轟音。地の振動。まるで地の下に横たわる巨獣が猛り狂っているかのような音だ。

 

『終焉の者』が片手に握った大剣を振り上げ、そしてその大きな光の中にいる者を指し示すように振り下ろした。

 

言葉は分からなかったがフロウには理解できた。

 

討ち取れ。その合図だ。

 

『終焉の者』の号令によって弾かれたように、周囲の無数の鬼たちが顔を上げる。

 

だが、鬼たちの表情は恐怖に引き攣っていた。ただ『終焉の者』による恐怖だけではない。目の前の大きな光の中にいる何者かへの尋常ならぬ恐れを示している。

 

だが、一匹、また一匹と武器を振り上げ、鬨の声を上げ始めた。

 

やがて鬼どもの絶叫は全集団に伝染した。数万にも及ぶ大集団が一斉に喚き声を上げ、そして前進し始めた。

 

フロウは思わず周囲を見回した。

 

アルギレウスはゴロン族の戦士たちとともに地面に倒れ、リゴールとギルモは茫然と立ち尽くしている。

 

振り向くと、シーカー族の戦士たちはもはや両手で数えられるほどしか残っていない。

 

だがフロウがもう一度前を向くと、大きな光の中にいる何者かが右手に持った剣を天に向けて高く掲げたのが見えた。

 

その途端、天から強い一筋の光が降りてきた。

 

その一筋の光は、大きな光の中にいる者の剣の先端に当たった。剣は、その光を吸収したかのように輝き始めた。

 

鬼の軍勢が迫ってくる。数えきれないほどの数が、前方からも右からも左からも。

 

すると、大きな光の中にいる何者は剣を横に払った。

 

剣から光が発散された。フロウは衝撃波を感じたような気がして、思わず両手で自分を防御した。草原の草が激しく揺れ、砂塵が舞い上がる。

 

人間の耳では聞き取ることのできない周波数の衝撃音が平原に轟き渡った。それは反響し、空に吸収されながらもしばらくの間鳴り響いていた。

 

数秒ののち、フロウは両手を下げて顔を上げた。そして目にした光景に驚愕した。

 

鬼どもの大群が一面に横たわっている。見渡す限り、倒れた鬼どもの身体が転がっているのだ。

 

ボコブリンどもも、巨漢のモリブリンどもも、立っている者は一匹もいなかった。ただひとりを除いては。

 

その中でも、『終焉の者』だけは立っていた。

 

倒れた鬼どもは微動だにしない。完全に絶命してるようだった。

 

だが、『終焉の者』はゆっくりと身構え、剣を持ち上げた。

 

それと同時に、フロウの目にやっと大きな光の中にいる者の姿が見えてきた。

 

ゆったりとした服を着た女性だ。その背中からは鳥のような大きな翼が生えている。顔は見えなかった。

 

これが........ハイリアなのか。

 

フロウは目を見開いた。

 

畏れと、懐かしさとが込み上げてくる。

 

だが少年はすぐに目を上げた。

 

地響きが迫ってくる。見ると、『終焉の者』が剣を掲げながらこちらに突進してくるところだった。

 

恐怖で喉が縮む。フロウは思わず後じさりした。

 

『終焉の者』は、想像していたよりはるかに巨大だった。もはや剣士や戦士といったものではない。巨獣が迫ってくるような感覚。

 

だが、ハイリアは剣を下段に構え、左手を軽く横に伸ばした。

 

それを見たフロウにははっきりと分かった。

 

私が戦う。あなたはそこにいなさい。

 

そのメッセージが少年にはわかった。

 

そしてハイリアは背中の翼を広げ、羽ばたいた。身体を前傾させ、迫りくる敵との距離を一気に詰める。

 

数瞬遅れて突風が吹き、フロウは思わずよろめいた。周囲の草が吹き荒らされ、倒れた。

 

辛うじて目を開け前を見る。

 

『終焉の者』の巨体がハイリアに殺到し、剣を振り上げたのが見えた。

 

その咆哮が耳ではなく骨に響く。

 

『終焉の者』が人間の身長を越える巨大な剣を振り下ろした。

 

火花が飛び散る。ハイリアが自らの剣でそれを逸らしたのだ。

 

だが、後ろから見ていたフロウには、両者の著しい体格差が目についた。まるでヒグマと小鹿だ。

 

『終焉の者』が剣を横に払った。

 

だが、ハイリアは宙を舞った。斬撃を躱すと、相手の肩口に斬りつけた。

 

たちまち、黒鉄の肌に刀傷が走り、黒い血が飛び散った。

 

それでも、手痛い一撃をものともせず、『終焉の者』が剣を斬り上げた。

 

しかし、ハイリアはまるで蝶のように動いた。空中で一回転し、相手の剣の軌道を回避すると、ふわりと舞い上がって降り立った。いつの間にか、『終焉の者』の胸に真一文字の斬り傷ができている。深い。

 

怒りの唸りを上げた『終焉の者』がまた斬りかかる。ハイリアは相手の剣に自分の剣を添えてその軌道を逸らした。目にもとまらぬ速さで返されるカウンター。再び『終焉の者』の黒鉄の肌に傷が走る。今度は脇腹だった。

 

凄い。フロウは目を見張った。

 

『終焉の者』の憤怒の力に満ちた攻撃を一切寄せ付けない。全てを難なく躱し、切り返す。

 

勝つ。きっとハイリアが勝つ。フロウは確信した。

 

だがその瞬間だった。

 

『終焉の者』は剣を振り上げ、続けざまに斬りかかった。

 

ハイリアはそれを自らの剣で逸らした。一度目。袈裟斬り。二度目。突き。三度目。縦斬り。四度目、横斬り。

 

ハイリアは全てを逸らしたかに見えた。だがその直後、『終焉の者』は左拳を固め突き出した。まるで巨岩のような拳だ。ハイリアは咄嗟に剣を立ててそれを受けた。衝撃でたちまち吹き飛ばされる。

 

フロウは息を呑んだ。振り向いて、吹き飛ばされたハイリアのほうに目をやった。

 

だが、ハイリアは数十メートル後退した後、何事もなかったかのようにフワリと着地した。剣を下段に構え、真っすぐに敵を見据えている。

 

少年にはその顔が初めて見えた。光に包まれてハッキリとは見えなかったが、美しいと同時に、厳しく、慈愛と覚悟とに満ちている顔だった。

 

その刹那、『終焉の者』が吠えた。これまで以上に恐ろしい吠え声だ。今度は、彼の口から発せられていることが明らかに分かった。雷のように耳を聾する咆哮が平原に轟く。

 

彼はいつの間にか、剣を地面に突き立て、両腕を地面についてうずくまっていた。みるみるうちにその身体が変形していくのが見えた。

 

黒鉄の肌に分厚い鱗が生じている。黒鉄の皮膚が裂け鱗が飛び出すごとに、金属が軋むような音がする。

 

鱗の先端はまるで剣のように尖っていた。両手両足の指先からは鋭い爪が突き出し、背中からは羽が生えてきている。身体そのものも巨大化していた。

 

手足が伸び、胴体が膨らむ。『終焉の者』の身体が完全に変わり果てたとき、その大きさは倍以上に膨れ上がっていた。

 

顔はもはや人間のものではない。目は小さく縮み、巨大な口にはズラリと牙が並ぶ。貪食と攻撃性を具現化したかのような顔だ。

 

--------余こそ....高きところに座すべき者........------------

 

牙だらけの口から発せられた声。それは、空気を震わせるだけではなかった。大地が低く唸り、空がわずかに揺れる。

 

その時、別の声が聞こえてきた。

 

--------ギランストロフィリス.......与えられた場所を厭うなら...わたしはあなたをあなたのいるべきところに連れ戻します...------------

 

フロウにはわかった。今喋ったのはハイリアだ。

 

だがそう思った瞬間、凄まじい怒りの咆哮が襲ってきた。音の洪水のようだった。

 

見ると、『終焉の者』が背中の羽を羽ばたかせながら空中を突進してくる。

 

ハイリアは飛び立つと高く舞い上がった。

 

『終焉の者』はそれを追って高度を上げた。その巨大な胴体、黒光りする鱗が近くを通り過ぎ、フロウは思わず後ろに倒れた。横を見ると、ギルモも腰を抜かしたように座り込んでいる。フロウは這って木こりに近寄るとその手を握った。

 

頭上を見上げると、飛び立ったハイリアを捕らえようと、『終焉の者』が大きく口を開けている。

 

次の瞬間、その口から赤紫色の炎のようなものが放たれた。

 

ハイリアは素早く軌道を変えた。その脇を赤紫の炎が通り過ぎる。ハイリアは滑空しながら向きを変え、敵の巨体に突進すると斬りつけた。『終焉の者』の鱗とハイリアの剣が火花を散らした。

 

『終焉の者』が爪を剥き出しにした手を振りかざす。だがハイリアは蝶のように身を躱して爪の一撃を避けるとさらに高度を上げた。

 

『終焉の者』が追撃しようと続いた。だがその途端、ハイリアは急激に角度を変え、獲物を狙う隼のように急降下した。剣の一撃が、『終焉の者』の羽を切り裂く。

 

切り裂かれた羽から、黒い血が霧のように散った。巨体を支える揚力を削られた『終焉の者』が空中でよろめいた。

 

その瞬間、港湾跡地の後方にある渓谷にかかった橋の上にとどまっていた蝙蝠の群れが一斉に飛び立った。

 

黒い塊のようになった蝙蝠たちは、真っすぐに空中のハイリアのところに向かっていく。

 

蝙蝠の群れに包まれ、ハイリアの強い光が陰った。小さな獣たちの耳障りな喚き声が響く。

 

だが数瞬後、蝙蝠の塊りを切り裂くように放射状に光が発せられた。

 

悲鳴とともに、力を失った蝙蝠たちがバラバラと墜ちていく。しかし、胸騒ぎに囚われたフロウはさらに上の空を見上げた。

 

『終焉の者』が降りてきている。

 

鱗だらけの巨体がくねり、ハイリアの真上に来ると、巨大な尻尾を振り上げた。

 

鞭のような尾が、蝙蝠の群れごと、その中にいたハイリアを襲った。

 

尾に打ち据えられたハイリアは弾丸のように叩き落され、平原に激突した。地響きがした。土煙が爆ぜ、乾いた大地が大きく抉れた。

 

衝撃で草原が波打ち、フロウは思わず地面に手をついた。

 

砂塵が風に流されていく。その向こうに、白い影が横たわっていた。

 

『終焉の者』は、ゆっくりと翼を広げながら降下してきた。

 

その巨体が落とす影が、平原を覆い尽くす。

 

激突でできたクレーターの中心で、ハイリアが立ち上がった。

 

だがその翼は片方が曲がり、服は土にまみれていた。

 

『終焉の者』が大きく口を開けた。ハイリアはその瞬間再び飛び立った。しかしその飛び方は弱々しかった。

 

巨大な口を開き、『終焉の者』が赤紫色の炎を吐き出した。フロウは思わず息を呑んだ。ギルモは声にならない叫び声を上げた。その炎にハイリアが飲み込まれてしまったかのように見えたからだ。

 

だが、『終焉の者』の巨体が頭上を通り過ぎたときもう一度目を上げると、フロウには見えた。

 

ハイリアは『終焉の者』の巨大な顎の下にいた。片手で、『終焉の者』の牙を掴んでいる。

 

ハイリアが敵の喉元に剣を突き立てた。剣先が鋼鉄のような鱗を貫いた。ハイリアが剣を引き抜くとたちまち黒い血が流れ出てきた。

 

怒りの声を上げた『終焉の者』が首を左右に振って暴れる。ハイリアは手を離すと空中で身体を一回転させながらさらに斬りつけた。『終焉の者』の首元に深い傷ができ、血が滝のように噴出した。

 

ハイリアはそのまま高度を上げ、敵の頭上に降り立った。二度の深手が響いたのか、『終焉の者』の動きが鈍った。ハイリアはその頭頂部に仁王立ちになり、剣を両手で逆手持ちし大きく振りかぶった。

 

そして振り下ろした。

 

ズシッ...と音がした。

 

剣が『終焉の者』の頭部に突き刺さる。怪物が苦痛に震え、その口から叫びが漏れた。

 

だがハイリアは手を緩めなかった。

 

再び剣を大きく振りかぶり、『終焉の者』の頭に突き刺した。

 

凄まじい声が響く。悲鳴。憤怒と呪詛に満ちた、地の揺れのような声だ。

 

ハイリアはみたび剣を振りかぶった。今度は最初の二度より大きい。『終焉の者』の飛び方はもはや傷ついた蛾のように頼りないものになっていた。

 

ハイリアは剣を振り下ろし、深く深く突き立てた。鍔まで埋まれとばかりに。

 

その瞬間、闇が爆発するように空中に広がった。そして次に、それを追い払うように光と衝撃波がフロウたちに浴びせられた。

 

草原に暴風が吹き荒れ、引き抜かれた草と土埃が宙を舞う。

 

思わず顔を伏せていたフロウが目を上げたときには、『終焉の者』は墜落寸前だった。その飛び方は惰性に過ぎないと少年にははっきりわかった。

 

牙だらけの口から唸りが漏れている。眠りにつこうとしている者のような、気だるげな唸りが。それが平原を揺らし、遠くの空に吸い込まれていった。

 

次の瞬間、『終焉の者』の巨体が地面にぶち当たり、地響きがした。土砂が抉られ舞い上がる。もはや力の抜けたその身体は、十メートルほど地面を滑り、そして止まった。

 

巨獣の身体の上にいたハイリアから発する光が少しづつ小さくなっていく。それまでかき消されていた夜明けの光が再び空を染め始めた。

 

戦いの終わりを告げるかのように、風が草原を吹き抜けた。空の雲の間を縫って光線が射し込んでくる。

 

全ては終わったのだ。

 

* * * * * * * * * 

 

フロウはしばし呆然としていた。立っている魔物はただの一匹も周囲にいない。負傷したゴロンたちの苦し気な呻き声が響く。

 

背後を見ると、生き残ったシーカー族の若者たちが互いに傷を手当てしていた。

 

フロウはリゴールとアルギレウスの姿を探した。二人は少し離れた草原にいた。狩人は倒れている剣士の近くに跪き、自分のチュニックを脱いで短剣で細かく引き裂き包帯を作っていた。

 

そして彼はアルギレウスをそっと抱き起すと、その鎧を脱がせ、布切れを上半身に巻き付けていった。フロウとギルモは急いで近くに駆け寄った。

 

「今止血してやるからな。王都の医者に連れてってやる」

 

狩人は手際よく応急処置をしていった。だがアルギレウスは弱々しく首を振りながらリゴールの手に自分の手を添えた。狩人はそれでも手を休めなかった。

 

「へへへ...ふざけんな。あんたがこんなことで死ぬわけがねえんだ。そうだろ?」

 

リゴールは励ますような笑顔を浮かべながらアルギレウスの顔を覗き込んだ。だがフロウは気づいた。その笑い声はヒステリックな音色だった。パニックを起こしかけている---フロウは思った。

 

「リ...ゴール.....もういい....私は十分だ....」

 

「ふざけんな。弱気になりやがってあんたらしくもねえ」

 

リゴールは何度もアルギレウスの顔を覗き込みながら包帯を締め付ける。

 

「おい、戦さに勝ったんだぜ、俺たちは。怪我を治して、後で一杯やらねえでどうすんだ?」

 

だがアルギレウスは首を横に振り続けた。

 

「わ....私は.....」

 

「死なせねえぞ。絶対に死なせねえ.....死なせるもんかよ」

 

リゴールはうわごとのように呟いた。その呼吸は荒く唇は震えている。

 

その途端アルギレウスが咳き込んだ。口から血が噴き出す。フロウは思わず近寄ってその顔に触れた。

 

「アルギレウスさん!」

 

「フロウ....き....み...は....」

 

アルギレウスは苦し気に細切れに呼吸しながら囁くように言った。

 

「き...きみ...は...勇敢...だ..。..きみ...なら....きっと...あの子...を....」

 

「そ...それは...ぜ...全部アルギレウスさんのおかげなんです!僕はアルギレウスさんを見て...」

 

フロウの目に涙が溢れた。アルギレウスは続けた。

 

「ギルモ....君...の助けが...どれほど...心強かった...か....」

 

「旦那...旦那...ワシは旦那と冒険できて幸せでしたです」

 

ギルモは鼻をすすりながらアルギレウスの手を取った。

 

「ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!」

 

リゴールが大声で叫んでアルギレウスの襟首をつかんだ。

 

「ふざけんな!どうして...どうしてだよ!俺を救ったくせに....俺に同じことをさせねえで自分だけ死ぬなんて...そんなこと許さねえぞ!」

 

「リゴール....な...泣くな....私は....」

 

アルギレウスは片手を上げてリゴールの頬に触れた。

 

「私は...報われ....たの...だか..ら...」

 

「報われただって?ふざけたこと言いやがって...そ..そんなに...」

 

リゴールはアルギレウスの手を握ったまま俯いて嗚咽し始めた。もはやその言葉は言葉になっていなかった。

 

「そ....そんなに...そんなに『責任』ってやつが...大切なのかよ.....馬鹿野郎....馬鹿野郎....」

 

静まり返った平原にリゴールの嗚咽の声が響いた。やがてアルギレウスは微笑むと言った。

 

「さらばだ...わが...同胞....わが...弓手....わが...兄弟」

 

アルギレウスの声はもはや聞き取れないほど小さかった。リゴールはその手を握った。

 

「馬鹿野郎.....かしこまった言い方すんじゃねえよ....俺ら...ずっとダチだったろ....」

 

リゴールもまた微笑んでいた。その頬から大粒の涙が次から次へと流れ、握りしめられたアルギレウスの手の甲に落ちていった。

 

「昔はよくつるんだよな...酒飲んで...下らねえ話してよ....なあ....アルギレウス....」

 

それを聞いていたアルギレウスの表情はゆっくりと生気を失っていき、そしてその両目が閉じられた。

 

リゴールの慟哭、フロウの嗚咽と、ギルモの啜り泣きの声がいつまでも草原に響き続けた。

 

だがその時だった。

 

背後から声が聞こえた。

 

「各々がた.......ハイリアが来られます」

 

振り向くとインパが立っていた。右手を上げ、前方の草原を指し示している。

 

フロウが目を上げると、その通りだった。

 

光は先ほどよりだいぶ弱まっているが、巨獣の身体から降り立ったハイリアがこちらに歩み寄ってきている。

 

ギルモが悲鳴のような声を上げ、慌てて平伏した。フロウもそれに倣った。

 

リゴールさえもが茫然とした表情でアルギレウスの亡骸から離れ、膝をついた。それを見たインパもゆっくりと片膝をついて頭を垂れた。

 

ハイリアは四人の近くに来ると立ち止まった。

 

少年にはその存在感そのものが、恐ろしくまた同時に暖かく感じられた。威厳と慈愛に圧倒されそうになった。

 

「あの者は封じられました。しかし....まだ死んではいません」

 

しばらくの間が経ったあと、声が聞こえた。少年は顔を上げた。そしてハイリアの姿を見て、驚愕のあまり息を呑んだ。

 

ハイリアの姿は、人間の女性の姿によく似ていた。背の高さも飛びぬけているわけではない。だが顔は例えようもなく美しく、しかしその表情には覚悟と痛みが満ちていた。

 

何よりも驚いたのはこれだった。彼女の服はところどころが破れ、泥にまみれていた。そして脇腹には深い傷ができ、そこから赤い血がドクドクと流れ出ていた。

 

「しかし........裁きは猶予されます。人と亜人は長らく共に暮らすでしょう。そして.....」

 

ハイリアは足元に横たわったアルギレウスの亡骸を見やりながら続けた。

 

「私は『巫女』の血筋を残し、いつの日にかその中に宿ります。あの者をもう一度封印するために」

 

フロウはそれを聞いて顔を伏せ、礼をした。アルギレウスの王としての血筋は絶えた。だが、その母親の家系は残るのだ。せめてもの慰めに思えた。

 

「.............少年フロウよ」

 

ハイリアが呼びかけてきたのが聞こえ、フロウは驚いて顔を上げた。ハイリアは剣を納めると、自分の身体から剣の鞘を固定していたベルトを外し、鞘ごとそれをフロウのほうに差し出した。

 

「さあ、この剣をあなたに貸し与えます。あなたの為すべきことを為しなさい」

 

それを聞いたフロウは目を見開いて息を呑んだ。

 

リナハを救うには、光り輝く女神の剣が必要---アルギレウスの言葉が脳裏で蘇った。

 

ハイリアはフロウの旅の目的を知っていたのだ。

 

「あ.......あ.......」

 

驚きに打たれた少年の口から、ほとんど言葉にならない感謝の言葉が漏れ出てきた。

 

「ありがとうございます......!僕は....僕は....」

 

フロウはその剣を手に取った。ズシリと重かったが、意外なことにそれは短かった。アルギレウスから授かった剣と殆ど大きさが変わらない。

 

「僕は........そのために旅をしてきたんです。必ず...必ずあの子を救い出します」

 

「フロウ。覚えておきなさい」

 

するとハイリアが微笑んで言った。

 

「あの子があなたを救ったのです。再び会ったとき、あなたはそれを知るでしょう」

 

驚いたフロウは顔を上げて相手を見上げた。だがハイリアはそのことについてはそれ以上のことは言わなかった。

 

「......あなたはこの旅で勇気を得ました。それはあなたの子孫に引き継がれるでしょう。そしていつしか........私はあなたの胤から『勇者』を起こすでしょう。悪と戦い、それを退けるために」

 

それだけ言うとハイリアは踵を返した。そして、ゆっくりと背中の翼を羽ばたかせ始めた。

 

ハイリアの翼が空気を押し下げ、そよ風が吹いた。戦いの最中に起きていた暴風とは対照的な優しい風で草がなびいた。

 

やがて彼女の身体がふわりと浮かび上がった。

 

曲がった翼は痛々しく、脇腹からはまだ血が流れている。

 

ギルモは震える手で胸に手を当て、祈るように頭を垂れた。リゴールは涙で濡れた顔を上げ、その背中を見つめている。インパは静かに目を閉じ、深く礼をした。

 

ハイリアは空へと昇りながら、最後に一度だけ振り返った。その瞳は、痛みに満ちており、同時に、どこまでも澄んでいた。

 

次の瞬間、ハイリアの身体は光に包まれ、その場から消え去った。

 

その後には静寂と、朝の光が残った。

 

その後も長い間、フロウは顔を上げたまま天を見上げていた。

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