ドシュトフロムンド戦記~少年と精霊と大地の果て   作:nocomimi

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炎に包まれた集落

崖の上から見下ろしたフロウは眼下の光景に目を疑った。

 

大木の下にある集落から炎が上がっている。

 

そして、今朝見たばかりのボコブリンたちが群れをなして四方八方から押し寄せ、逃げまどう住民たちを追いかけていた。

 

ボコブリンは村人たちを次々に捕まえ、鉈を振り下ろしている。断末魔の悲鳴と、鬼どもの残虐な笑い声が響いた。

 

ギルモは声にならない唸り声を上げると、斧を握り直し、崖にしつらえられた階段を駆け下り始めた。

 

「おじさん!」

 

フロウが呼びかける。だが木こりは全力で走りながら振り向きもせず叫んだ。

 

「おめらはそこにいろ!」

 

フロウは思わず一歩踏み出したが、リナハが腕を掴んだ。

 

「フロウ、だめ……!」

 

ふたりが見ていると、木こりは鬼どもの中にまっしぐらに走りこんでいく。

 

村の男を踏みつけ、何度も鉈を振り下ろしていたボコブリンが顔を上げた。

 

ギルモの斧が一閃する。鬼の首が飛ぶ。ほかの鬼どもが異変に気付いて一斉に木こりを見た。

 

「この汚らわしい鬼どもめ!狼藉は許さんぞ!ワシが相手じゃ!」

 

ギルモは叫んだ。ボコブリンどもは一斉に笑い声を上げると、それぞれの足元に倒れていた犠牲者から離れ、ゆっくりと武器を構えて木こりに歩み寄っていった。総勢二十匹はいる。

 

ギルモはもう一度叫び声を上げた。斧を振り上げて手近のボコブリンに振り下ろす。だが、鬼は思いのほか俊敏な動作で飛び下がってそれを避けた。仲間たちの方を振り返ると、「危なかったぜ」とでも言いたげに額の汗を拭くしぐさをする。それを見た鬼どもはケタケタと笑った。

 

鬼どもは、もはやギルモの周囲をぐるりと包囲していた。ギルモは雄たけびを上げながら斧を振り回す。だが、鬼たちは彼に近づかず、巧妙に距離を置いていた。

 

フロウの脳裏に気づきが浮かんだ。

 

正面から戦うのではなく、弱らせてからゆっくりと狩るつもりだ。

 

「ギルモおじさん.....!」

 

フロウは唇を噛んだ。 胸の奥が熱くなり、涙がにじむ。

 

「……行かなきゃ……!」

 

だが、リナハが必死に首を振る。

 

「だめ!フロウが行っても……死んじゃうだけだよ!」

 

その時、金属と金属がぶつかり合う激しい音が響いた。

 

ギルモが一匹の鬼にまっしぐらに突進し、斧を縦に振り下ろしたところだった。それを相手が鉈を掲げて防いだのだ。

 

木こりは前蹴りを放って鬼を蹴倒した。倒された鬼が、慌てて懇願するように首を振って両手を前に出す。

 

ギルモが迷ったように一瞬動きを止めた。その瞬間に、鬼どもが一斉に殺到した。

 

頭を狙った鉈の一撃を、木こりはすんでのところで首をすくめて回避した。だが他の鬼が振り回した鉈が背中に背負った箱を直撃する。

 

箱がバラバラになり中に入っていた木彫りの像が地面に散らばる。ギルモは振り返ると斧の頭を突き出し、背後にいた鬼の顔面に叩きつけた。さらに斧を一振りすると、二・三匹の鬼が打撃を喰らってたじろいだ。

 

鬼どもはたちまち散開すると再び距離を置いて木こりを包囲した。

 

上から眺めていたフロウにははっきりわかった。まるで野犬の群れみたいだ。強い相手には絶対に正面からの闘いは挑まない。だけど相手が隙を見せたり弱ったら容赦なく襲い掛かる。

 

ギルモが振り回す斧を喰らわないよう、ボコブリンどもは冷静に距離を取り、相手の視界に入らないところから突き出すように鉈を繰り出していた。そしてまた飛び下がって距離を取る。

 

鉈の刃が当たり、木こりは肩や背中から血を流し始めた。軽傷のようだ。だがこれが続けば....長くはもたない。

 

「おじさん!おじさん!」

 

矢も楯もたまらなくなったフロウは駆け出した。

 

「だめ!フロウ!」

 

リナハが叫ぶ。だがフロウはその手を振りほどくと階段を駆け下りた。

 

「おい!鬼ども!こっちだ!」

 

フロウは叫ぶと、地面に手を伸ばして石を拾い、投げつけた。鬼どもは顔を上げた。数匹が互いに顔を見合わせると、ニヤニヤと笑いながらフロウのほうに向きなおった。

 

「こっちだ!こっちだ!」

 

少年は叫び続けた。だがギルモは怒鳴った。

 

「いかん!上におれと言ったべ!」

 

三匹ほどの鬼たちが仲間たちを離れフロウのほうに歩いてくる。ギルモはその瞬間動いた。フロウに気を取られている個体に殺到すると、肩口から斧でザックリと斬り下ろした。さらに斧を振りぬきその首を刎ねた。

 

鬼たちが騒がしく喚き声を上げる。再び斧を振り回し始めたギルモの周囲に包囲網を作り直した。だがフロウに標的を変えた三匹はそのまま向かってくる。

 

フロウはハタと気づいた。このままではリナハを危険に晒してしまう。

 

三匹のボコブリンが、 フロウの背後―― 崖の上の少女へと視線を向けた。

 

フロウは武器になりそうなものを探した。足元の小石しかない。拾い上げ、鬼の一匹に投げつけた。顔に当たったが、鬼は少し目をしばたいただけだった。

 

もう一度石を拾って投げつける。だが鬼どもは少し身をかがめた。石はその頭上を通り過ぎた。

 

相手との距離がどんどん狭まってくる。心臓が喉から飛び出しそうだった。振り向くと、リナハは震えながら後ずさっていた。

 

「リナハ、逃げて!」

 

鬼たちはもはやフロウに注意を払っていなかった。こちらに歩いてきながらもリナハに目を据えている。

 

フロウは絶望的な叫び声を上げながら三匹の中央のボコブリンに突進した。

 

その胴体に体当たりすると、決死の力を込めて押した。だが、相手の拳が上から背中に叩きつけられたのを感じた。息ができないほど痛い。地面に転がった。

 

だがフロウは仰向けになると地面の土を右手に握りしめた。見上げると、牙の突き出た口から舌を突き出して鬼が鉈の刃を舐めている。フロウは土の塊を思い切りそいつの顔に投げつけた。

 

不意をつかれ視界を奪われた鬼がたじろいだ。フロウは跳ね起きるともう一度体当たりを食らわした。相手の両足を掬うように両腕で持ち上げる。鬼はあっさりと後ろに倒れた。

 

だが、横にいた鬼が彼の腹を蹴り上げた。

 

言葉にできない酷い痛みにフロウは崩れ落ちた。今しがた倒れた鬼が罵声を上げながら立ち上がると、フロウの顔に唾を吐きかけた。三匹の鬼が鉈を振り上げるのがフロウの霞んだ視界に入る。リナハの鋭い悲鳴が聞こえた。

 

その時だった。何かが空気を裂いて飛んでくる音が耳を打った。

 

フロウを取り囲んでいた鬼の一匹の側頭部に矢が突き刺さり反対側から突き出た。鬼は力が抜けたように崩れ落ちていく。

 

一瞬後、もう一匹の鬼も全く同じ有様となり立ち尽くした。残り一匹もだ。

 

三匹の鬼が倒れる音が響く。フロウが体を起こすと、ギルモの周囲に群がっていた鬼たちも一匹、また一匹と倒れていた。

 

魔物どもが異変に気付いた。矢が飛んできた方向を探るように周囲を見回している。

 

また矢が飛んできた。今度は鬼の一匹の額を貫く。さらにその隣の個体の片目を矢が貫通した。

 

ボコブリンたちはようやく事態の重大さに気づいた様子で、武器を振り上げながら喚き始めた。

 

だがその瞬間を逃さず、ギルモが斧を振り上げて目の前の一匹を肩口から斬り倒した。

 

混乱に陥った鬼どもは蜘蛛の子を散らすように逃走し始めた。だが、姿を現さぬ矢の射手は彼らを一匹も逃さないつもりらしい。

 

矢が空気を切り裂き、逃げ出した鬼の背中を貫く。その矢尻が正確に左の胸から突き出た。別の一匹は後ろ首から喉にかけて矢が貫通した。

 

鬼の断末魔が次々と響く。だが、数秒もするとその場に静寂が訪れた。もはや動いている鬼は一匹もいなかった。

 

不気味なほどの静けさの中、ただ集落の家々にかけられた火が燃える音だけが聞こえる。

 

ギルモは荒い呼吸を鎮めながら、斧の石突きを地面に突き立て、その柄に寄り掛かった。

 

「お....おじさん」

 

フロウは立ち上がりながら呼びかけた。

 

「ワシは大丈夫だっぺ」

 

木こりは額から流れる大粒の汗を手の甲で拭きながら続けた。

 

「坊や、まだ鬼がいるかも知れねえ。お嬢ちゃんから離れるんじゃねえぞ」

 

「奴らはもういない。この辺りの連中は俺が全部始末した」

 

若い男の声が聞こえてきた。フロウとギルモは声のした方向に顔を向けた。

 

その男はいつの間にかそこに現れた、としか言いようがなかった。

 

背が高く痩身で、白いチュニックを纏っている。左手に弓を持ち、背中には矢筒を背負っていた。特徴的なのはその肌色と髪だった。浅黒い肌と、真っ白で長い髪。顔立ちは美しく整っているが、その目つきは鋭く険しい。

 

「ったく木こりが意気がって魔物退治なんてするもんじゃねえぜ。奴らは動きもしねえ反撃もしねえ木とは大違いだからな。そうだろ?」

 

青年が言う。しばらく荒い息をついていたギルモは唾を飲み込むと、口を開いた。

 

「....リゴール。狩人がこんなところで何をしとるっぺ?おめのような奴が仕事する場所はフィローネにはねえぞ」

 

「フン」

 

リゴールと呼ばれた青年は鼻で笑うと、左手に持った弓の弦を軽く鳴らした。

 

「俺は俺の行きたい場所で狩りをする。てめえの指図は受けねえよ」

 

フロウは崖の上を見上げた。リナハと目が合うと、彼女は慌てて階段を下りて彼の近くに駆け寄ってきた。

 

「おめは動物とみれば殺してばかり。食べるのに必要な分だけならしかたね。だがおめはそれ以上の数を殺してるっぺ。ワシは知っとる。おめはただ殺しが楽しいから動物を狩ってるってな」

 

「だから何だ、文句があるのか?木こりよ」

 

青年は首をかしげるとギルモを見た。だがギルモは続けた。

 

「ワシはおめのような奴は好かん。動物は神さんがこの森の中に置いた大切な生き物だ。木や草だって、刈り込み過ぎればなくなってしまう。おめのやっていることは...」

 

「おい」

 

リゴールと呼ばれた青年は声を低くすると、矢を矢筒からとって弓につがえた。

 

「俺に説教する気か?命を助けてやったのに随分な言いぐさじゃねえか。ええ?」

 

狩人はごくゆっくりとした動作で、しかし確実に狙いをつけた。ギルモに向かって。

 

「なんだったらてめえのドタマに矢をぶちこんでやったっていいんだぜ。手が滑ったって体裁でな」

 

ギルモは斧の柄に寄りかかったままリゴールの矢じりを真正面から見据えた。

 

「やれるもんならやってみっぺ。ワシはそんなことじゃ怖がらんぞ」

 

フロウとリナハは顔を見合わせ、それからまた目の前に言い争う大人二人を見た。

 

「お、おじさん……」

 

フロウは思わず呟いた。リナハが震える指でフロウの袖を掴む。

 

リゴールは薄く笑った。 その笑みは冷たく、どこか壊れたようでもあった。

 

「木こりのくせに、肝は据わってんだな」

 

弓弦がわずかに軋む。矢の狙いがギルモの眉間にぴたりと定まる。

 

フロウの心臓が跳ねた。

 

しかし、その時だった。集落の上にそびえる大木の幹を回りこんで、誰かが歩いてくる。

 

ギルモが振り返った。リゴールと呼ばれた青年も、矢の狙いを下げ、目を細めてそちらを見やる。

 

フロウも目を凝らした。見覚えのある男だ。

 

男は剣を抜き身で持っていた。それを何度も振りながら、刀身についた真っ黒い液体を振り飛ばしている。

 

フロウはすぐに気づいた。剣を提げ、マントを着たあの男だ。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * 

 

「リゴール、生存者はこの三人だけか?」

 

その男は近づいてくると弓の青年に問いかけた。

 

「ああ。ほかにはいない」

 

リゴールと呼ばれた青年は答えた。どうしたわけか、先ほどの皮肉で挑発的な口調とはうってかわって神妙な表情になっている。

 

「大木の裏の村落に生存者は一人もいなかった」

 

剣の男は布を取り出して剣をよく拭うとそれを腰の鞘に納めた。

 

「随分なペースで発生してるんだな。ま、俺にとっちゃ練習になるからどっちでもいいがな」

 

リゴールと呼ばれた青年は再び皮肉な口調に戻った。

 

フロウは周囲を見回した。ボコブリンどもの死骸は変色して崩れ始めている。だが、それに加えて村人たちの遺体も一帯に散らばっている。

 

フロウはふと思い出した。あのガキ大将とその取り巻きの少年たちも、この辺りに住んでいたのだ。その途端、凄まじい嘔吐感が襲ってきた。少年は手を膝につくと、たまらず胃の内容物を地面に吐き出した。リナハが慌てて近寄ってくるとフロウの背中をさすった。だが彼女の手も激しく震えている。

 

やっと吐き気が収まり顔を上げると、剣の男と弓の男は、それぞれ歩き回って魔物たちの遺体を探っているところだった。どうやら貴重品か何かを奪い取っているようだ。

 

フロウには現実感が湧かなかった。この地獄のような光景の中、どうしてあの二人は冷静でいられるのだろう?まるでいつもやっている仕事をこなしているかのような態度なのだ。

 

「坊や、嬢ちゃん。見るんでねえ」

 

ギルモが近寄ってくると、震えながら周囲の光景を見つめているリナハの目の前に手をかざし、彼女の顔をそらさせた。フロウも震える膝を押さえつけながら、なんとか立ち上がった。

 

作業を終えると、剣の男がフロウたち三人の前に戻ってきた。弓の青年は鬼どもの死骸から回収した矢をよく布で拭きながら矢筒に納めている。

 

「私の名はアルギレウスだ」

 

剣の男は自己紹介した。

 

「君たちはこの地方から離れたほうがいい。魔物の発生数が急激に増加している。これは全土でみられる現象だが.....」

 

アルギレウスと名乗った男は大木に顔を向けた。

 

「特にここフィローネ地方では数が多い。移住先を探せ。できれば神殿やそれに類する施設からなるべく離れた場所がいい」

 

「だ...旦那、ワシは....」

 

ギルモはおずおずと口を開いた。

 

「ワシは木こりだっぺ、どこへ行けと言われても森に住む以外にはできねえ。一体どこに行けと....」

 

アルギレウスは静かに首を振った。

 

「気持ちはわかる。だが、現実を見ろ」

 

「あ...あの」

 

フロウも口を開いた。

 

「僕ら、実はこの集落の出身じゃないんです。僕は天望の神殿の近くだし、彼女はフロリア湖の近くです。そこも危ないんでしょうか?」

 

アルギレウスと呼ばれた男は、弓の青年と顔を見合わせた。だがリゴールと呼ばれた青年が首を軽く傾けると、アルギレウスはフロウに向きなおった。

 

「その辺りはまだ確認していない。君の家族がそこにいるのか?」

 

「はい。あの、ええっと、このおじさんは僕たちを昨日泊めてくれたんです。だけど、親のところに帰ったほうがいいって、僕らを送ってくれていたところなんです」

 

アルギレウスは腕を組んだ。少しの沈黙の後彼は言い、木こりのほうを向いた。

 

「なら、まず家族と合流しろ。君は....」

 

「ワシはギルモです。旦那」

 

「ギルモ、この子たちをそれぞれの家に送り届けられるか?」

 

「ワシはもとよりそのつもりです、旦那」

 

「じゃ、話は決まりだな」

 

リゴールが横から口を挟む。

 

「俺はこいつと顔を合わせると虫唾が走る。間違えて撃っちまうかも知れねえしな。さ、早く行った行った」

 

ギルモは憤懣を顔に表して狩人を睨みつつも、溜め息をついて斧を肩に担いだ。

 

「さ、いくべ」

 

フロウがリナハを見ると、彼女はフロウの手を握ってきた。

 

「おじさん、まずリナハの家に....」

 

フロウが言うと、リナハは呟いた。

 

「いいよ、まずフロウの家に行こうよ」

 

「いんや、まずお嬢ちゃんが先だべ」

 

ギルモがそう言い、南の方角に歩き始めると、リナハは失望を顔に浮かべた。

 

フロウも木こりの後について歩こうとすると、アルギレウスがやおら口を開いた。

 

「待て、フロリア湖と言ったな?」

 

三人が振り向くと、剣の男は言葉を継いだ。

 

「私も行こう。フロリア湖周辺で調べたいことがある」

 

「マジかよ。俺はここで待っていていいよな?」

 

リゴールが眉をひそめて呟く。

 

「いや、君も来い。厄介な調査だからな」

 

それを聞いた青年は目を剥いて当惑していたが、やがて首を振ると溜め息をついて従った。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

ギルモが先頭に立ち、その後ろからフロウとリナハが手をつないで歩く。

 

そしてその後方にはアルギレウスとリゴールがついてくる形になった。剣士と弓手の二人は油断ない視線を周囲に払っていた。

 

「おじさん、ケガ大丈夫?」

 

リナハがギルモに尋ねる。だが木こりは笑顔で首を振った。その上半身にはそこここに切り傷が出来ていて服に血がにじんでいる。

 

「こんなケガは仕事でしょうっちゅうだっぺよ、お嬢ちゃん」

 

だがアルギレウスが言った。

 

「念のため消毒しよう。見せてみろ」

 

剣の男は腰のポーチから薬瓶を取り出した。

 

「いえ、ワシは大丈夫だっぺ。これくらいすぐ...」

 

「おいアルギレウス、こんなやつのために薬を無駄遣いしてる場合か?」

 

リゴールも口を挟んだ。だがアルギレウスがリゴールの顔を見ると狩人は途端に押し黙った。

 

「服を脱げ」

 

アルギレウスが言う。ギルモも従った。アルギレウスの手際は良かった。切り傷を清潔な布で拭い薬を塗っていく。治療が済むとアルギレウスは再び歩き始めた。ギルモは服を着ながら慌てて歩調を速めた。フロウとリナハも追いついた。

 

「あのおじさん、偉いひとなのかな」

 

フロウは十メートルほど先を歩く剣士の背中を見ながら小さな声でリナハに言った。

 

「うちは苦手。何考えてるか全ッ然わかんないもん」

 

リナハも囁き返してきた。

 

「でもギルモおじさんを治してくれたよ、きっといいひとだよ」

 

フロウは言った。少なくとも最初に見かけたとき感じた、何とも言えない畏怖の念は薄れた。

 

大木の幹の横を過ぎると、先ほどの集落と同じような光景が広がっていた。火がかけられた家々は屋根が燃え尽きて燻り、遺体がそこらじゅうに散らばっている。

 

「見るな。見るでねえ」

 

ギルモは低く押し殺した声で言い、手を伸ばしてリナハの顔を無理やり逸らさせた。彼女は頷くと右手の森の方を向いた。フロウは唇を噛みしめながら、焼け落ちた家々と散乱する遺体を見つめた。

 

「フロリア湖周辺のどのあたりだ?」

 

アルギレウスに問われ我に返る。フロウがリナハを見ると、彼女は渋りながらも答えた。

 

「封印の扉の手前で右に曲がるの。滝までは行かないわ。その手前」

 

アルギレウスは頷く。フロウは不思議に思った。この男はギルモを丁寧に治療する優しさを見せたのに、目の前の惨状に何一つ心を動かされていないように見える。

 

「どうだかなぁ。案外その辺も鬼どもにやられてんじゃねえの?」

 

リゴールが気軽な口調で呟く。

 

「案外村が丸ごと無くなってましたなんてオチかもな」

 

それを聞いたリナハは呟いた。

 

「でも..........あいつは.....あいつはそうなっちゃえばいいのに。あんな奴、鬼に喰われて死んじゃえばいいのよ」

 

「そんなことを言うもんでねえ!」

 

ギルモが大声で言う。リナハはビクッとして顔を上げた。

 

「そんなことを言うもんでねえ。命を人に与えられるんは神さんだけだっぺ。だとしたら人が人の命を軽くみてはいけね。たとえ悪い奴でも.....」

 

木こりは声を元に戻すと続けた。

 

「たとえ悪い奴でも、神さんはすぐには命は奪わねえんだ。なぜかわかるけぇ?そいつが悪いことをやめ正しい生き方に戻るのを待ってるんだっぺ。そいつは一生悪いままかも知んねえ。でもワシら人間にはわからんべ。神さんの仕事を人間が奪っちゃなんねえんだ」

 

ギルモの口調は最後のほうは諭すような穏やかな喋り方だったが、リナハは眉をしかめ目に一杯涙を溜めて俯いた。

 

「行こうよ」

 

フロウは彼女の手を引いた。一行はやがて右手に曲がる路地に入った。その時だった。

 

リナハはフロウの手を放すと路地の脇の南側の土手を駆け上がった。

 

「リナハちゃん!」

 

フロウが叫んだが、彼女は一瞬立ち止まって振り返り、また走り出した。

 

「待ってよ!」

 

フロウは追いかけた。リナハは木立を潜り抜け、下草を掻き分けながら走っている。少年は息を切らしながら後を追った。

 

だが、リナハはすぐに見つかった。草原を少し南下した先は切り立った崖の縁だったのだ。彼女はそこで立ち止まると振り向いてフロウを見た。近くに滝があるのか、水の落ちる轟音とともに霧が流れてきた。

 

「リナハちゃん、きっと大丈夫だから。ね?」

 

フロウは息を鎮めながら歩み寄った。

 

「ギルモおじさんが話をしてくれるんだ。だからさ...」

 

リナハはかぶりを振った。その顔は失望と哀しみに歪んでいた。

 

「フロウはわかってないよ。大人は平気で嘘つくもん。その場では『はい』って言ってもあとで違うことするなんてしょっちゅうじゃん」

 

「でもさ、でもさ...」

 

フロウは言葉を探した。背後からギルモと、アルギレウス、さらにリゴールが追いついてきた。

 

「それにほら、アルギレウスさんとリゴールさんも協力してくれるよ」

 

「おい小僧、どういう話になってるんだ?さっぱり読めねえぞ」

 

リゴールが困惑顔で言った。だがフロウは続けた。

 

「ギルモさんがリナハちゃんの伯父さんに話しをしてる間さ、二人に後ろに立っていてもらえばいいんだよ。だって二人とも凄く雰囲気が怖いから。きっと伯父さん震えあがって二度とリナハちゃんに手出ししなくなるよ。きっとさ。ね?」

 

フロウは必死で知恵を絞って話したあと振り返ってアルギレウスとリゴールの顔を見た。リゴールは混乱した顔をしていたが、アルギレウスはやや首をかしげながらも頷いた。

 

やっぱりそうだ。狩人はともかくこの剣の男は悪い人じゃあない。フロウの心に確信が宿った。

 

「さ、リナハちゃん、行こう?きっとお母さんも待ってるよ」

 

少年が手を伸ばすとリナハは逡巡しつつもその手をとった。

 

その瞬間だった。

 

「おい、下がれ!」

 

アルギレウスが剣の柄に手をかけた。西側の茂みから何かが出てくる。

 

鬼だ。それも十匹ほどだ。皆鉈を手にしていた。武器から血が滴っているところを見るとついさっきどこかで殺戮と略奪をしていたのだろう。

 

「坊や、お嬢ちゃんのそばにおれ!」

 

ギルモが叫んだ。剣士が剣を引き抜く。狩人は素早く矢をつがえた。

 

フロウはリナハを庇うように立った。怯えて後じさりする少女の手をしっかり握った。

 

その途端リナハが悲鳴を上げた。と思うとフロウは手を激しく引き下げられ転倒しそうになった。辛うじてしゃがみ込みながらこらえる。見ると、リナハが崖の縁からぶら下がるようにしてフロウの手にしがみついている。

 

足元の草の葉は露に濡れている。フロウは焦った。リナハの片手を両手でしっかりと握ったが、フロウ自身もみるみるうちに崖の縁に引き寄せられていく。

 

「おい、大丈夫か!」

 

ボコブリンを一体斬り倒したアルギレウスが振り向いて走り寄ってきた。剣を横に置き、フロウの腰の帯をつかむ。だが一瞬遅かった。フロウとリナハは二人して崖の縁から滑り出てしまった。はるか下にあるのは湖の水面だ。

 

「リナハちゃん!」

 

フロウは、アルギレウスの手で吊り下げられながらも少女の手を渾身の力で握った。だが、剣士もまた歯を食いしばっている。崖の上からは武器と武器の衝突する音が聞こえる。

 

「フロウ....ごめんね!ごめんね!」

 

リナハは少年を見上げて叫んだ。唸り声を上げながら二人の体重を片手で支える剣士の額には大粒の汗が浮かび始めた。

 

だがリナハは自ら手を離した。少女は真っすぐ墜落しやがて水面に落ちていった。

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