ドシュトフロムンド戦記~少年と精霊と大地の果て   作:nocomimi

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大石窟へ

「リナハ!リナハ!リナハ!」

 

フロウは声の限りに叫んだ。だが、少女の姿は水面に沈んだきり浮かんでこない。

 

「持ち上げるぞ!私につかまれ!」

 

フロウの帯をつかんでいたアルギレウスが叫ぶ。剣士は呻き声を上げながら渾身の力で少年を崖の縁まで持ち上げた。

 

崖の上では既に戦闘が終わっていた。数匹の鬼どもが頭を割られ、あるいは急所を矢で射抜かれて倒れている。ギルモは黒い血の滴る斧を放り出すと、フロウに駆け寄ってきた。だがリナハの姿が見えないことに気づくと呆然と目を見開いて立ち止まった。

 

「アルギレウスさん....早く助けに行かなきゃ!」

 

フロウは我に返ると立ち上がり、崖の縁に戻って下を覗き込んだ。数十メートル下に見える水面を見やると、だが足がふらつく。

 

「よせ!」

 

アルギレウスは荒々しくフロウの肩をつかむと引き戻した。

 

「でも、今だったらまだ!」

 

フロウはアルギレウスの手を振りほどこうとした。焦りでカアッと頭が熱くなる。心臓が早鐘を打った。

 

「だめだ。それは不可能だ」

 

剣士の手はがっちりとフロウの腕をつかんで離さない。ギルモは沈痛な表情で顔を伏せていた。対照的にリゴールは心底うんざりした顔をしながら首を振ると、鬼どもの死骸から矢を回収し始めた。

 

「どうして?...今だったら...飛び込んで助ければ....」

 

フロウは大人たちの顔を見回した。だがアルギレウスは少年を座らせると、肩に手を置いてその顔を見つめた。

 

「いいか、よく聞くんだ」

 

アルギレウスは話し始めた。

 

「この湖はパラゲ族の縄張りだ。地上人が彼らの聖所を侵した場合、捕らわれの身となるのだ」

 

「そんな...」

 

フロウは目を見開いた。

 

「じゃあ、どうにかしてその人たちに話して解放してもらえるようにできないんですか?」

 

アルギレウスは首を振った。

 

「『人』ではない。彼らは亜人であり、彼らを統べる唯一の者は水龍フロルだ」

 

少年はいま聞いたことを頭で理解し消化しようと試みた。そしてかすかに残った希望にしがみつきながらこう言った。

 

「で...でも...捕らわれの身ってことは死んではいないんですね?生きてるってことでしょ?」

 

「正確には仮死状態にされる」

 

アルギレウスが言う。

 

「か...仮死状態?」

 

意味が分からずフロウはオウム返しした。

 

「ああ。すべての活動を止めた肉体は水の中で保存される。が、魂は幽界に迷い出てしまうんだ」

 

「で..でも死んでなかったら...も...もとに戻す方法はあるんでしょ?」

 

フロウは縋りつくように剣士の顔を見上げた。

 

アルギレウスは黙って目を伏せていた。遠くから滝の音が響いてくる。

 

だが、剣士はやがて口を開いた。

 

「あるにはある...だが...」

 

「おいアルギレウス、こんなガキにそんなことできるわけねえだろ」

 

矢を回収し終わったリゴールが横から口を挟んだ。だがアルギレウスがリゴールの顔を一瞥すると、狩人は途端に黙り込んだ。

 

「あるにはある。それは...」

 

「教えてください!教えてください!」

 

フロウが叫ぶ。剣士は溜め息をつくと言った。

 

「まず光り輝く女神の剣を手にし、封印の扉を開く。そして水龍の鱗を身につけ水路を進んで水龍フロルの住処に行く。最後に、水龍に捧げものをしてなだめるんだ」

 

剣士は言い終わると黙り込んだ。リゴールは溜め息をついて肩をすくめる。ギルモは口を閉ざしたままじっと目の前の地面を見つめている。

 

フロウは今聞いたことを心の中で反芻した。聞いたこともない道具や宝物を手に入れ、どんな勇者もやってのけたことのない冒険を完遂しなければ、リナハを助けることはできないのか。

 

少年は震えた。寒かったからではなく、自分が森の中でリナハに出会ったときに感じた形容のしがたいあの感情の正体がようやくわかったからだ。

 

守りたかったんだ。

 

なのに、守れなかった。フロウの口から嗚咽が漏れ出てきた。この感情に気づいたときにはもうリナハはいなくなっていたのだ。

 

少年は大きな声を上げて泣き叫んだ。アルギレウスは黙って目の前に座っている。リゴールはあからさまに舌打ちし、顔を逸らした。ギルモはフロウに歩み寄るとその肩を抱いた。

 

ギルモの腕の中で、フロウはしばらく声を上げて泣き続けた。喉が痛くなるほど叫んでも、胸の奥の苦しさは少しも薄れなかった。滝の音が、遠くで絶え間なく響いている。

 

「坊や、希望を捨てるでねえ。生きてればいつかきっと機会が巡ってくる。おめは勇気ある子だから。のう?」

 

ギルモは低い声で囁くようにフロウに言った。フロウは泣きながら聞いていた。そしてそれを聞いているうち、少年は次第に泣き止んでいった。

 

「おい、アルギレウス。早く行こうぜ」

 

いらだった様子でリゴールが声を上げた。アルギレウスは頷くと立ち上がった。

 

「気の毒だ。だが...君たちだけでも移住先を探して生き残れ」

 

「アルギレウスさん」

 

フロウはしゃくり上げながらも涙を拭いて立ち上がった。涙に濡れて腫れた目だったが、少年から真っすぐに見つめられた剣士は思わず足を止めた。

 

「アルギレウスさん、水龍をなだめるための捧げ物って、何が必要なんですか」

 

それを聞いたアルギレウスは少し考えてから首を振った。

 

「わからん。およそ精霊や神といったものは、人の理で計れるようなものではないからな」

 

「ワシは聞いたことがあります.....女神さんや精霊は人の心を見られると....。心の正しい人の捧げものを顧みられると....」

 

ギルモが遠慮がちに言う。アルギレウスは応じた。

 

「動物、地の産物、葡萄酒、油、ときとして金、銀、細工物....。古来、人は神殿で捧げものをしてきた。だがそれが神から受け入れられてきたかどうかは正直な話私には確信が持てない」

 

そこまで言ってからアルギレウスは遠い方角を見やった。

 

「もし受け入れられていたならば、今の状況は存在していないはずだからな」

 

「僕、探しに行きます」

 

フロウはもう一度目を拭うと言った。もう涙はすっかり止まっていた。

 

「僕、水龍のための捧げものを探します」

 

「ったくガキが何を言い出すかと思えば」

 

リゴールが苦笑した。そしてその後やや真顔になって続けた。

 

「おい、お前わかってんのか?人類の文明が崩壊するかも知れねえって瀬戸際なんだぞ?」

 

狩人は東の方角を指さした。

 

「あの集落だけじゃねえ。鬼の大発生は至る所で起きている。剣術も何も知らねえお前がいま生きてるだけでも奇跡なんだぜ。わからんのか?宝探しやってる場合じゃねえんだ。そんなことはモグマ族にでもやらせとけや」

 

しばらく沈黙が続いた。だがその後、ギルモが口を開いた。

 

「坊や。ワシは手伝う。ワシはあの子を責任持って家まで送ると約束したっぺ」

 

「おじさん...」

 

フロウの目に初めて明るい光が浮かんできた。

 

「やれやれ。物好きは物好き同士でよろしくやるってか」

 

リゴールは首を振るとアルギレウスに声をかけた。

 

「行こうぜ。こいつらにかかずりあってると日が暮れちまう」

 

「待て」

 

アルギレウスは両腕を組んで、片手を顎に当てて考えていたが、やがて言った。

 

「ギルモ、私たちの調査を手伝え。そうすれば私たちも君らを手伝う」

 

ギルモとフロウは驚いて剣士の顔を見た。だがリゴールが口を開いた。

 

「おいおいおいおいおいおい。何考えてるんだアルギレウス。いくらお前さんの頼みでもなあ.....」

 

だが剣士は手を上げた。すると狩人は口を閉じた。

 

「大石窟の調査は面倒なものになる可能性がある。戦力は一人でも多い方がいい」

 

それを聞いたリゴールは不満げに言った。

 

「だがこのガキは....」

 

「彼が本当にあの少女を救い出したいなら危険は承知のはずだ。できる限りのことはするが最終的には自分の身は自分で守ってもらう。いいな、フロウ?」

 

「え....は.....はい」

 

話が意外な方向に流れていっているのに気づいたフロウは目をぱちくりさせながら答えた。

 

「旦那、坊やはワシが守るだに、心配はいらねえです」

 

ギルモが答える。だがアルギレウスは腰のベルトについた短剣を鞘ごと外すと、フロウに渡した。

 

「いいか、初心者でも一番有効なのは突きだ。胴の真ん中をためらわず突け」

 

剣士の言葉に少年は答えに窮した。短剣を受け取るとそれはズッシリと重い。

 

「ったく...木こりと一緒ってだけでも虫唾が走るのに、ガキのお守りもだと?」

 

リゴールは小さな声で吐き捨てるように言った。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * *

 

一行は土手を下って元の路地に戻り、西を目指した。日は既に暮れ始めている。

 

途中にあった集落は、やはり襲撃を受けていた。放火された家々はあらかた燃え尽き、多くは梁と柱だけになっている。だが、村人たちの死体は見当たらない。

 

「さっきの連中の仕業だ」

 

リゴールが言った。

 

「俺の言ったとおりだったな。村ごと無くなってましたって話だ。あの娘もそれを見ずに済んだのは幸運だったかも知れんぜ」

 

「だが死体がない。妙だ」

 

アルギレウスが呟いた。リゴールが小屋の一つに歩み寄り、開いた戸口から覗き込んだ。

 

「見ろ、家畜が殺されてる」

 

一行は狩人の後ろから小屋の中を見た。牛や山羊が殺され、血が飛び散っている。

 

「人間は逃げおおせたか」

 

「だがどこへ?」

 

アルギレウスが言うとリゴールが尋ねた。

 

「わからん。だが...」

 

アルギレウスはフロウに向きなおった。

 

「フロウ、君の家は天望の神殿の近くだと言ったな。集落はどれくらいの規模だ?」

 

「規模?ええっと...」

 

フロウは指折り数えた。

 

「ここら辺で一番大きいから、たぶん二千人くらいは....」

 

「大都会じゃねえか。じゃあ鬼も来なさそうだな。今のところは、だが」

 

リゴールが言った。アルギレウスは独り言のように呟いた。

 

「もしかするとそこに逃げ込んだ可能性もある」

 

「やれやれ可哀そうだな。一時の気休めだとも知らずに」

 

リゴールの言葉にフロウは戸惑った。ギルモも困惑して狩人を見る。だが彼らが何かを言う前にアルギレウスは口を開いた。

 

「フロウ、大石窟の調査が終わったら君の村落に行こう。確かめたいこともあるし、君も家族に別れを告げたいだろう」

 

「わ...わかりました」

 

フロウが答えるとアルギレウスは小屋から出て道を進み始めた。リゴール、ギルモそしてフロウが後ろから従う。

 

やがて一行は開けた場所に出た。

 

周囲を崖に囲まれた窪地だ。右手には清浄な泉が見える。さらにその泉を横切るように石造りの歩道が伸びており、その突き当りには岩壁を彫った形で、何かの施設の入り口が造られている。豪奢なファサードが岩壁に彫り込まれたようにしつらえられていた。

 

だが、日没が近いせいで今いる窪地に射す光は少ない。それゆえ人気のない巨大施設の入り口はむしろ魔窟を思わせる不気味さを漂わせていた。

 

「着いたぞ」

 

アルギレウスは足を止めた。リゴールは矢筒を肩から下ろし、弓を地面に置いて伸びをした。

 

「休憩だ休憩だ。おいガキ、薪を集めてきてくれ」

 

「ワシが行くっぺ」

 

ギルモが斧を置きながら言った。だがフロウは応じた。

 

「僕、やりますよ」

 

足元の砂利が小さく音を立てる。泉の水面は夕暮れの光をわずかに反射し、その揺らぎが崖の壁に淡い光の模様を描いていた。

 

アルギレウスは岩壁に刻まれたファサードを眺めて言った。

 

「……この造り。やはり王朝中期のものだな」

 

「おい、ガキ、それから木こり。自分の食糧はあるのか?」

 

地面に座ったリゴールがやおら声を上げた。

 

「....な...ないです」

 

フロウが薪を拾う手を休めて言うと狩人は大げさに舌打ちした。

 

「これだよ。自分の面倒くらい自分で見ろってんだ」

 

「ちょっと探してくるです」

 

ギルモが言うとフロウも顔を上げた。

 

「僕も行きます。だってそれくらいしかできないし」

 

ギルモは岩壁から突き出た木に木の実が豊かに成っているのを見つけた。フロウは木こりの背の上に乗って手を伸ばし、枝をつかむと、木に登って果物をもぎ取った。

 

焚火の周囲に座り込み、一行は粗末な食糧を分け合って食べた。果物を皮ごと齧りながらリゴールが呟く。

 

「あんまり腹の足しになんねえなぁ。数喰えばいいってもんでもねえし」

 

「あの...旦那」

 

ギルモがおずおずと尋ねた。アルギレウスは顔を上げた。

 

「なんだ?」

 

「旦那、あの大石窟は禁じられた場所と聞いたことがありますです。何を調べるんです?」

 

アルギレウスは少し黙っていたがやがて言った。

 

「君の言う通りだ。礼拝所としての大石窟は五十年前に廃止され、かわりに天望の神殿が建てられた。だが.......」

 

剣士は続けた。

 

「大石窟は完全に封鎖されてはいない。放置されているといったほうが正確だ。特段足を踏み入れたからといって罰則はない。法的にはな」

 

フロウとギルモは剣士を見つめて聞いていた。

 

「だが、内部に魔物が潜み訪問する者を呑みこむという噂がこのところ絶えなかった。だからこそ君らの腕が必要だと判断した」

 

「で...中に何があるんだ?って俺なら尋ねるがな」

 

リゴールが面白そうな顔で呟いた。

 

「魔瘴気の発生源だ」

 

アルギレウスは端的に言った。

 

「魔瘴気?」

 

フロウは目を丸くして尋ねた。アルギレウスは焚火の揺らめきを見つめながら、ゆっくりと言葉を選ぶように答えた。

 

「魔物の発生原因。正確には……魔物に力を与えるもの、と言ったほうがいいか」

 

リゴールが果物の芯を放り投げながら補足した。

 

「要するに空気が腐ってるってことだ。鬼どもが増えてるのもこのせいさ」

 

ギルモは眉をひそめた。

 

「だども、魔瘴気なんて見えねえです。どうやってわかるんです?」

 

「ああ、それは人に見えるようなものではない」

 

アルギレウスは認めた。

 

「だが、大石窟については....いや、これ以上は今はやめておこう。この目で確かめねば断言できないからな」

 

「おい、寝る前に見張り番決めるぞ」

 

リゴールがやおら口を開いた。フロウはまたしても目を丸くした。

 

「見張り番?」

 

「当たり前だろ。寝込みを鬼に襲われて全員仲良く死にたいか?」

 

リゴールが小さな手裏剣を取り出し、歯の間に挟まった繊維を取り除きながら言った。

 

「おい、ガキ。それからな、お前の番のときに居眠りしやがったらタダじゃおかねえからな。鼻と耳を削ぎ落してやる」

 

狩人が手裏剣の先を向けながら言うので、フロウは何度も何度も頷いた。

 

結局、アルギレウスが最初、次がリゴール、三番手がギルモ。フロウは最後となった。見張り番以外の者は焚火の周囲でめいめい体を丸めて横になった。

 

たった一日で目まぐるしいほどいろいろなことが起きた。フロウは今日自分がした決心を改めて思い返した。

 

光り輝く剣。水龍の鱗。そして捧げもの。それらを手に入れなければリナハを救うことはできない。

 

何年かかるだろう?一生かかればできるだろうか?そもそも自分になどできるだろうか?

 

だが、もう足を踏み出したのだ。なぜかフロウには迷いはほとんどなかった。進もう。進めるところまで。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

「おい、坊や。坊や」

 

ギルモの声でフロウは目が覚めた。

 

「あれ....今何時?」

 

フロウは目をこすって体を起こした。

 

「もうすぐ夜明けだっぺ。さ、頼んだべよ」

 

ギルモは横になった。フロウは立ち上がると、頭を何度か振って眠気をさまし、アルギレウスから借りた短剣の柄に手をかけて周囲を見回した。

 

どこかで梟の鳴き声がする。泉に流れ込む水のせせらぐ音もだ。蛙の跳ねる水音もした。

 

岩に囲まれた窪地の中から空を見上げる。まだ暗い空には数多の星がまたたいている。

 

ふと思い立ったフロウは短剣を抜いてみた。わずかに反りのついた刀身が鈍く光る。刃は丹念に研がれていてよく切れそうだ。片手で持ってみると想像していたよりずっと重い。

 

地形のせいか風はほとんどなかった。フロウは短剣の柄を持つ利き手に左手を添え、腰のあたりに構えると、思い切り突き出してみた。

 

何度かそれを繰り返したが、動きが正しいのかどうか自分ではわからない。フロウは剣を鞘に納めると溜め息をついた。やはり、こんな大それた冒険は自分にできるわけがない。剣の扱いすらまともにできないのに。

 

胸の奥が重い。眠りにつく前に感じていた心の平安はどこかに消えてしまったようだ。

 

そのとき、背後から低い声がした。

 

「ためらうな」

 

フロウは振り返った。焚火の横でアルギレウスが目を開けている。剣士は横になったまま少年を見ていた。

 

「突きは、迷いがあると通らない。足を踏み出せ。自らの身体の中心を相手に向けろ」

 

フロウはしばし呆然としていたがやがて頷いた。

 

「相手に向き合って前に出ろ。逃げようとするな。刀身いっぱいに貫き通せ」

 

アルギレウスが続ける。フロウはもういちど短剣を抜くと突きの動作をした。それを繰り返しているうちに、空が白み始めてきた。

 

「もういいだろう。少し休め」

 

剣士が言う。少年は短剣を納めた。芝を拾い集めて焚火にくべると座り込んだ。体が暖かい。リゴールとギルモはまだ寝息を立てている。

 

「アルギレウスさんは何歳から修行してるんですか?」

 

フロウは聞いてみた。

 

「私は環境に恵まれていた」

 

アルギレウスはしばらく沈黙したあと答えた。

 

「四歳で木剣を、六歳で真剣を握った。師もいた。剣を修行できる者など世の中多くはない。普通は働かなければならないからな」

 

珍しく剣士は微笑んだ。

 

「君もそうだろう?」

 

「え?」

 

フロウは驚いて相手を見た。アルギレウスは身体を起し焚火を見ながら続けた。

 

「君の手を見ればわかる。労働の跡があるからな」

 

「え..あ...いや....ちょっと家の手伝いしてるくらいですから...」

 

「それも立派な仕事だ。そのような者が王国を支えてきたんだ」

 

剣士は言った。

 

「おい、ゴニョゴニョゴニョゴニョうるせえな....まだ夜明けじゃねえだろ」

 

リゴールが文句を言う。アルギレウスはうっかりしていた、といったおどけた表情をすると、また横になって目を閉じた。

 

だが、一時間もするとすっかり夜が明け、岩壁に囲まれた空は濃い青色に輝き始めた。

 

陽光が崖の上から斜めに差し込み、窪地の岩肌を照らしていた。焚火の残り火はまだかすかに赤く、煙が細い糸のように空へ昇っていく。

 

フロウは立ち上がり、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。夜の湿り気がまだ残っているが、どこか清々しい。

 

ギルモが大きく伸びをしながら起き上がった。アルギレウスとリゴールも起き上がり身支度する。

 

「おはようございます、リゴールさん」

 

フロウは声をかけたが、狩人は軽く頷いただけだった。矢筒を背負い弓を担ぐと、ストラップを締め直している。

 

「子供にあいさつされてるのにそれはねえっぺ」

 

ギルモが斧を担ぎながら言う。だがリゴールは木こりを黙殺した。アルギレウスも身支度を終えると、口を開いた。

 

「これから大石窟を調査する。構内には巨大石像がある。その内部に侵入し構造を調べる。魔物の発生も予想されるから用心してくれ」

 

「なら連中には可哀そうだな。片端から射殺されるわけだからな」

 

リゴールが言う。だがアルギレウスは言葉を継いだ。

 

「ボコブリンだけとは限らん。魔瘴気に関する予測が合っているなら遥かに手ごわい敵がいる可能性もある」

 

「承知しましたです、旦那」

 

ギルモが頷いた。

 

「てめえのドンくさい斧に斬られてくれるような優しい奴だといいんだがな」

 

リゴールが嫌味をいうと歩き始めた。木こりは顔をしかめながらも後に従う。一行は泉の上の歩道を通り、豪華なつくりのファサードの下にある入り口に向かった。

 

フロウは目の前の構造物を見上げた。何重もの屋根が四角い入り口の上に設えられ、歩道の終端から数段の階段を上がると精巧なタイルを貼られた廊下が下に下がる階段につながっている。

 

「行くぞ」

 

アルギレウスは用心深い足取りで先頭に立ち、階段を降り始めた。リゴールとギルモが続く。

 

フロウもまた足を踏み出し、階段を降りて行った。

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