雪だ。
鎮守府近場の店へ買い出しに来た、その帰りだった。
まだ師走に入ったばかりなのに、しんしんと降り続いている。
夕方なのにも関わらず、天候のせいか辺りはもう暗い。
ここ、大湊は本州最北端に位置する鎮守府である。
店員のおばちゃんから、青森の冬は長いよ、と聞いた。
呉ではほとんど降ることはなかったから、幻想的な景色に少し気分が高揚する。
景色に見とれていると、隣を歩く時雨が傘を差した。
黒い髪と雪とのコントラストが上品な浮世絵のようで、いつもより更に優美に見えた。
* * *
第6話 大湊の雪の中で。
「提督、入りなよ。」
時雨は自分の傘を少し掲げた。
「僕は、いいよ。時雨が濡れるだろう。」
「艦娘は寒さにも強いんだよ?」
「それでも、だよ。海軍男子たるもの、これくらいの雪、なんてことないさ。」
「結局人間なんて、ひ弱なのにね。」
少しすねた様子で、時雨はまた歩き出した。
「とはいえ、車を出すべきだった。」
白い息を吐きながら、僕は言った。
「東北を舐めすぎだよ、提督。これでも、雪が降ったから今日はあったかいんだよ?」
「そう、なのか。見た目は寒そうだけど……。」
僕は呉育ちであり、北国の感覚はわからなかった。
「晴れの日の方が寒いのさ。放射冷却、っていうんだって。」
「へえ……。時雨、物知りだね。」
そういうと、彼女は少し胸を張っていた。
……しばらく二人無言になって、歩き続ける。
「ねえ提督。ボク、不知火に聞いたんだ。」
唐突に時雨がつぶやく。
「キス、どうだったの、って。」
その話か。……どうしても、後ろめたい気持ちになる。
いや、悪いことはしていないのだけど。
艦娘の間では、その話で持ち切りのようだ。
僕は加賀にそそのかされ、大井、明石、加賀、不知火、とキスをしている。
……して、しまった。
その”行為”をすると、艦娘として抱える悩みや不安が和らぎ、コンディションがよくなるようなのだ。
少し状況に流された部分はあったが、今では少しでも戦力をアップするため、艦娘からの要請があれば拒まないことにしている。
だが、若い女の子に手あたり次第、といったダメ提督、といった印象が拭えない。
実際龍田あたりはそう思っているだろう。
いつかあの薙刀で一刀両断されないか、不安な毎日を送っていた。
「不知火は、よくわかりません、って言ってた。」
「でも、心に出来た氷が解けるんです、って。」
「あの子、強いと思った。自分の弱さを表に出せるんだもん。」
横を歩く時雨の表情は、暗くてよく見えない。
ただ、その声音は悲しげだった。
「時雨、言えてないことがあるのかい。」
「……。」
「……あるかも。」
「みんなだから、言えてないこと。」
「聞くよ。君の提督だから。」
「……。」
「…………二人が轟沈した時。」
時雨は重い口を開いた。
「陽炎と、吹雪だね。」
時雨はこくりとうなずく。
「悲しくなかったんだ、ボク。」
「周りの駆逐艦たちは大泣きしているのに。」
「なんだか……。」
「なんだかうらやましくなっちゃって……。」
「うらやましい?」
艦娘にも、希死念慮があるのだろうか。
「いろんな悩みも、苦しさかも、寂しさからも、」
「それから解放されて、二人がうらやましいって。」
「そう思っちゃった。」
「……うん。」
戦場にいるからこその苦悩。
僕はつくづく、彼女たちのことがわかっていない。
「君たちは命懸けで戦っているのだもんね。」
「この現実から抜け出したい、そう思っても無理はないんじゃないか。」
僕は薄っぺらい言葉を並べた。
「嘘だ。」
「嘘じゃない。」
「深海棲艦と対峙して、苦しくないの?」
「もし僕が時雨だったら、怖くて、震えて、前を向けないと思う。」
「だから、提督だからと言って、そんな君を責める気にはなれない。」
「海軍は、こんな小さな君の肩に、すべてを託しているのだから。」
僕はそう言って、時雨を抱きしめた。
彼女が差していた傘が地面に落ちる。
いつの間にか、雪が積もっていた。
「……ボク、みんなに嫉妬、してた。」
「……提督と距離をとって、関わらないようにしてた。」
「でも、ほんとは、みんな提督に優しくしてもらって、ずるいって思ってた。」
「提督に優しくしてもらう資格なんてないって。」
「そう思ってたのに……。」
「今日、大井さんが、提督と買い物お願いしますって、頼んできたんだ。」
「あの人が気を使ってくれたんだと思う。」
「提督、こんなに……。暖かい……。」
「海底の冷たさしか、僕、知らなかった……。」
「海はここより、寒かった……、寂しかった……。」
「もう、戻りたくない……!」
時雨からも僕を抱きしめる。
もはや、しがみつくといってもよかった。
「時雨、君はもっと素直になってもいいんじゃないか。」
そういいながら、頭を撫でた。
「す、なお……。」
「で、でもみんなにきらわれたら、どうしようって……。」
「大丈夫。」
「龍田が言ってたよね、ここの絆は強いって。」
「……うん。」
そういうと時雨が離れ、深呼吸をした。
「だから、ボクも、提督と……。」
すこしもじもじしながら言う。
「僕でよければ、喜んで。」
「ん……。」
彼女の唇は冷えていた。
「ああ……。」
温めなければ、という衝動に駆られる。
「みんな、こういう、気持ちだったんだ……。」
満たされた表情の時雨を、僕は初めて見たのだった。
「本で読んだのより、温かいや……。」
僕たちは、頭に雪が降り積もるまで、しばらくそうしていた。
* * *
執務室に戻ると、大井と不知火がいた。
「提督、買い物お疲れさまでした。」
不知火が感情が籠らない声で言う。
大井に頼まれていた食材を彼女に渡す。
「雪で濡れていますね。タオル、お持ちします。」
「ごめん、気が利くね。」
不知火はそれが当たり前、というかのように立っている。
「時雨、私たちは気にしませんよ。」
大井は言った。
「え!」
艦娘たちの勘は鋭い。
二人は時雨を、どこか優しい目で見ていた。
「あなたも提督に甘えてください。」
「感情表現が苦手なのですから。」
不知火が、彼女らしからぬことを言う。
「う、うう……。ボク、恥ずかしいよ……。」
仲間に合わせる顔がないらしい。
「あとは、鈴谷さん、龍田さん、五月雨、朝潮、そして霞ですね。」
「次はどなたにしますか。」
不知火は、まるで射撃目標を決めるかのように言った。
「そんな、相手が望まないとだめだよ。」
いつも通り苦笑しながら答える。
「提督、何をおっしゃいますか。戦いには強引さも重要です。」
「不知火、君、加賀さんに似てきていないか?」
普段の慇懃な姿のギャップで、笑えてくる。
こういう鎮守府の雰囲気も、悪くないな。
「提督、下手はしないでくださいね。今のところ、うまくやっているみたいですが。」
大井がジト目でこちらを見る。
「もし失敗したら、龍田さんにちょん切ってもらいますから。」
「ええ!?何を!?」
大井が急に物騒なことを言い出す。
「あはは。その時は、ボクが提督を守らないとね。」
時雨はそう言って、僕にしなだれかかった。
大湊の雪は、夜更けまでしんしんと降り続いた。
第6話 大湊の雪の中で。 了