死闘を制したガレスたちは荒い息を吐き出し、限界を迎えていた肉体に僅かな休息を与えようとする。だが、58階層を支配する熱狂は、未だ彼らを解放する気配を見せなかった。張り詰めた空気の中、血と汗に塗れた冒険者たちの視線の先で、ダンジョンの悪意が次なる絶望を産み落としていたのである。
57階層へと帰還するための唯一の退路が、完全に塞がれていた。
通路を埋め尽くしていたのは、おぞましく蠢く極彩色の波である。
無数に群がる巨大な芋虫型モンスターたちが、床面から壁、果ては天井に至るまでびっしりと張り付き、退路を物理的に圧殺している。体液を滴らせながら這い回るその群れには、知性など微塵も介在していない。ただひとつの本能、終わりのない暴食の衝動だけに従って暴れ狂っていた。
彼らの狙いは、先ほどの激戦で散らばった同胞の死骸から転がり落ちる『魔石』だった。
硬質な魔石が無数の顎によって砕かれる、不快な咀嚼音が階層中に響き渡る。飢えに狂った怪物たちは、もはや目の前にいるのが同種のモンスターであろうと、満身創痍の冒険者であろうと見境がない。ただ視界に入るものすべてを手当たり次第に飲み込もうとする、底なしの暴食の渦と化していた。
極彩色の肉塊が押し合いへし合いしながら、次なる餌を求めてうねりを上げる。
ウェポンマスターとの死闘で著しく消耗しきったガレスたちにとって、この無秩序で純粋な暴力の大群は厄介な障壁に他ならない。
強烈な腐臭と熱気が押し寄せる中、重厚な鎧を軋ませながら、ガレスは再び巨大な得物を握り直す。
力を振り絞って再び闘志の火を灯し、血と粘液に塗れた58階層で終わりなき延長戦が幕を開けようとしていた。
「はぁああああ!!」
混沌が支配する戦場の中央。ティオネの激しい怒声と共に【ゼログラビティ】が解き放たれる。
反転する、目に見えない重力の枷。地を這い蠢いていた無数の芋虫型は、抗う間もなく次々と宙へと浮かし上げられた。
足場を奪われ、空中で身動きの取れない醜悪なモンスターの群れ。その無防備な標的へ向けて――今度はティオナが、獲物を狙うように力強く跳躍した。
「まとめて吹き飛べぇ!!」
ティオナがホーリーが放ちダンジョンの暗闇を白日のごとく照らし出す浄化の閃光が一網打尽に群れを薙ぎ払い、灰へと変えていく。
その圧倒的な光の波から辛うじて逃れた個体に対し、銀色の疾風が容赦なく牙を剥いた。
「チッ、雑魚どもが次から次へと……」
ベートがデュアル・ローランを振るい、瞬速の斬撃で次々と肉の塊を切り捨てていく。さらに、ベートの肩に陣取るマジックラビットが、ベートの動きに同調しながらサンダガを撃ち下ろし、焦げ臭い匂いを撒き散らしながら残存する群れを徹底的に蹂躙していく。
「ふんっ!」
ガレスがアックス・ローランを軽々と振り回す。彼が一歩踏み込み斧を一閃するたびに、巨大な暴風が生まれ、近づく芋虫型をまとめてひき肉へと変えていく圧倒的な立ち回りを演じていた。
一方、ダンジョンの分厚い黒鉛色の壁を強引に内部から破壊して産み落とされた砲竜、ヴァルガング・ドラゴンに対しては、ちびティオネ達から操縦のバトンを引き継いだレフィーヤが、ギガース・ハイパーエースを駆って真っ向から対峙していた。
「はぁッ、はぁッ……!ま、まだ、来るんですか……ッ!」
レフィーヤは機体の背部から噴き出す圧倒的な推進力を乗せ、竜の巨体を軽々と吹き飛ばすほどの強烈なタックルを見舞い、分厚い鱗ごと次々と仕留めていく。
しかし、ウェポンマスターとの死線を越えたばかりの彼らに、息をつく暇など一秒たりとも与えられなかった。新手の芋虫型が次から次へと暗がりから湧き出し、その強襲は終わりのない波状攻撃となって押し寄せてくる。
「ちょっとこれ、本当にキリがないよー!」
「泣き言を言わない!ここを凌げば団長たちと合流できるわ!」
極度の緊張状態が続く長時間の戦闘により、ティオナの嘆きにティオネが檄を飛ばすものの顔には、泥と汗に塗れた隠しきれない疲労の色が濃く滲み始めていた。
ハイパーエースの操縦席に座るレフィーヤはといえば、強固な黄金の装甲に守られているため直接的な外傷こそなかったものの、狭く閉鎖的なコックピットの中で精神と神経を限界まで摩耗させていた。
操縦桿を握りしめる細い両手は極度の疲労で小刻みに震え、青白い額には冷たい油汗がびっしりと浮かんでいる。目まぐるしく変化を続ける水晶板のモニターと、そこに絶え間なく表示される無数の光の目盛りを凝視し続けたレフィーヤの双眸は、痛々しいほどに赤く充血していた。外の世界の未知の技術に対する未経験の操縦と、戦況を把握するための膨大な情報処理による認知的過負荷によって、彼女の脳そのものが焼き切れそうなほどの熱を帯びている。
さらに、巨大な機体を操ることで生じる急発進や急制動がもたらす凄まじい慣性力と、敵との衝突のたびに伝わる激しい衝撃の連続は、シートに固定された彼女の華奢な肉体を容赦なく前後左右に揺さぶり続けていた。
激しい乗り物酔いと三半規管の狂いによって、胃袋がひっくり返るような重い吐き気と、世界が回転するような強烈な目眩が渦巻き、水晶板に映る戦場の光景すら歪んで二重に見える。自らの足で大地を踏みしめ、生身で肉体を酷使し続けた前衛組の筋肉疲労とは全く異なる、精神と内臓を直接内側から掻き乱されるような極限の消耗だった。
「ひゅっ、はぁっ……げほっ……!」
深くシートに沈み込んだレフィーヤの口から、絶え絶えな掠れた息が漏れ続ける。浅く乱れる呼吸を整えることすらままならず、意識の輪郭が今にも泥のように霞みかけるのを強引に押し留めながら必死に操縦桿にしがみつき続けていた。
そこへ、壁から一段と巨大な新たなヴァルガング・ドラゴンの
「あいつら!」
いち早くその気配に気付いたベートが、顔を上げて叫ぶ。
「ソラ!」
「アイズさん!!」
ティオナがパッと花が咲いたように歓喜の声を上げ、モニター越しにその姿を確認したレフィーヤも、泥のような疲労を忘れて顔を輝かせる。
「ようやく来たか」
ガレスもまた、分断されていたフィンたちとの合流を確信し、緊張の糸を少しだけ緩めて一先ず安堵の息を吐いた。
「光よ!!」
猛烈な速度で飛び出したソラは、手にしたキーブレード『ベルウェスタ』を両手で強く握り締め、勢いよく迷宮の硬い地面へと突き立てた。瞬間、強烈な光の波動が同心円状に弾け飛び、ソラの背後に荘厳にして清らかな白亜の神殿の幻影が現出する。
神殿からとめどなく溢れ出る圧倒的な光の圧力と、浄化の力を持った聖なる熱波が空間を駆け抜け、周囲に群がっていた大量の芋虫型を抗う間もなく塵も残さず吹き飛ばし、完全に粉砕した。
さらに、その清らかで温かい光の波に当てられたガレスたちは、限界まで消耗しきっていた体力や
階層中央にふわりと着地したソラとアイズの背後から、リヴェリアとフィン、椿。そして重い荷物を背負ったラウルを含めた四名のサポーターも、誰一人欠けることなく無事な姿で駆け付けてきた。
「団長~~~~!?」
合流の喜びに顔を綻ばせ、勢いよく駆け寄ろうとするティオネを、フィンはピシャリと手で制し、冷酷なまでに冷静な指揮官の顔で指示を下す。
「喜ぶのは、残存するモンスターを完全に掃討してからだ」
フィンの隙のない言葉を受け、リヴェリアが辺りを見回しながらガレスに向かって尋ねる。
「レフィーヤはどこだ?」
「あの中じゃ」
ガレスが苦笑交じりにハイパーエースを指さす。それを見たソラの目が、驚きでまん丸に見開かれた。
「あれって……ギガース!?」
プシュゥゥという重々しい排気音と共にハイパーエースの胸部ハッチがゆっくりと開き、ソラの放ったベルウェスタの魔法によって体力と
「アイズさん!リヴェリア様!みなさん!!」
ひまわりのような笑顔で大きく手を振るレフィーヤ。その非現実的な光景に、好奇心旺盛な椿が目を輝かせてハイパーエースに近づき、黄金の装甲をコンコンと軽く叩く。
「これは……武具なのか?」
「後で詳しく説明を頼む」
リヴェリアが、次から次へと起こる規格外の出来事に呆れたようにため息をつきながら言った。
フィンの号令の下、ソラの魔法によって完全に戦力を取り戻した全員が息の合った連携を見せ、残りのモンスターを迅速かつ徹底的に処理していく。やがて、狂騒に支配されていた広大な58階層に、ようやく完全な沈黙が訪れた。
戦闘が終了すると、合流を果たしたアイズたちが互いの無事を確かめ合うように手を取り合って喜びを分かち合う。
その一方で、サポーターたちはハイパーエースを始めとした鹵獲した七体のギガースの開いた操縦席に、モンスター達の死骸の山の中から見つけ出した『砲竜の牙』や『砲竜の紅鱗』、他にも多数の貴重な武器素材をはしゃぎ回りながら次々と詰め込み始めた。さらに、遠征の道中で手に入れていたグミブロックを巧みに組み合わせ、即席の巨大なコンテナを鮮やかに組み立てていく。
「はしゃぎすぎじゃ、椿……」
レアアイテムの山に誰よりも目を輝かせている椿を見て、ガレスが呆れたようにつぶやく。貴重なドロップアイテムを山のように詰め込んだ巨大なコンテナを、ソラやレフィーヤから簡易的な操縦方法を教わった椿、ラウル、ナルヴィ、アリシア、クルスの七名で協力して慎重に運び、階層の南端にある見晴らしの良い安全な場所へと移動させた。
フィンの指示のもと、巨大なコンテナや七体のギガースを外敵から身を守るバリケードのように円形に並べ、その内側の空間で待望の休憩を挟むことになった。
「パーティが二分されるという最悪の不測の事態だったが、結果的に58階層の主たちを攻略できたことには……幸先が良いのか悪いのかわからんな」
リヴェリアが、これまでの常識が通用しない深層の異常事態を思い返し、複雑な表情でそうこぼす。
「俺たちだけでどうにでもなるっての」
ベートが腕を組み、鼻で笑って強がるが、ティオネがすかさず意地悪な笑みを浮かべてからかう。
「ウサギがいなかったら、やられてたくせに」
「うっせえぞ、バカゾネス!!」
痛い図星を突かれたベートが、顔を真っ赤にして牙を剥き出しにしながら怒鳴り散らす。そんなベートとティオネのいつもの喧嘩を中心に、ソラやレフィーヤ、ラウル達が緊張の糸が切れたように楽しそうに笑い合い、極限の緊張が続いていたパーティに、ようやく弛緩した穏やかな空気が流れた。
再びソラの魔法によって展開された、白亜の神殿の温かな幻影の中で、ゆっくりと消費した体力や精神力を回復させていく。ソラが不思議なポケットから取り出した湯気の立つ熱々のジャガ丸くんや、道中でルルネから譲り受けていた貴重な携行食を、全員に均等に分け与えていく。
アイズが神殿の柱を背にして静かに食事をとる傍らで、椿は使い込まれた鍛冶道具一式を取り出し、淀みない流麗な手つきで冒険者達の刃こぼれした武器に応急の整備を施していく。巨大なコンテナの上に座り込み、未到達領域を目前に控える一団の間で、戦場であることを忘れさせるような束の間の平和な休憩風景が広がっていた。
だが、そんな和やかな空気の中でただ一人、指揮官であるフィンだけは、笑みを浮かべることなく、まるで底なし沼のような暗闇の奥をじっと見据えていた。
「どうしたんですか、団長?」
フィンの明らかな異変に気付いたティオネが声をかけると、フィンは静かに、しかし確かな警戒を滲ませた違和感を口にした。
「……おかしいと思わないか?」
そういうとフィンは続けて過去にこの迷宮の最深部まで到達した最強の派閥、ゼウス・ファミリアの記録では、58階層の次なる階層は、すべてを凍らせる極寒の冷気と氷河湖の猛烈な水流が進行を阻む、過酷な氷河地帯であると明確に記されていたと話し出す。ティオネがその環境の厳しさを再確認するように頷き、ソラも思わずかつて訪れたアレンデールを思い出す。
ラウルは他派閥からかき集めてきた貴重な防寒具である、赤々と燃えるような紅色の
だが、フィンは湖面のような静かな碧眼を、ぽっかりと不気味に開いた大穴の暗闇に向けたまま、決定的な矛盾を口にした。
「第一級冒険者の動きすら凍てつかせるほどの極寒の階層が、すぐ目と鼻の先にあるんだ。……それにもかかわらず、目の前の大穴からは、冷気の欠片すら伝わってこない」
フィンの冷静で的確な指摘に、ティオネとラウルははっとして肩を揺らした。言われてみれば確かに、大穴からは肌を刺すような冷気どころか、生ぬるい風すら一切感じられない。
「何かがあるってのか?」
ベートが鋭い視線を穴の奥底に向ける。
「分からんが……ゼウス・ファミリアが記録を誇張して大袈裟に残すとは考えられん」
ガレスが重々しい声で告げ、傍らに置いていた兜を再びしっかりと被り直した。その動作を合図にするように、パーティの面々は次々と休憩を切り上げ、己の武器を手に取り、先ほどまでの弛緩した空気を捨て去って油断のない冒険者の顔へと切り替わっていく。
事態の異常性を完全に察知したフィンは、思考を深く巡らせる際の癖である右手の親指を舐める仕草を見せながら、鋭い視線を下層へと続く連絡路の暗闇へと注いだ。
「ど、どうするっすか、団長?」
不安げに尋ねるラウルに対し、フィンは即座に冷徹な決断を下す。
「現在の状況下では、
フィンはそう未練なく切り捨てると、「補給が終わり次第出発だ」と総員に短く命じた。直ちに補給をし、アビリティリンクから魔法やアビリティ得た一同は、厳重に警戒網を張り巡らせた隊列を組み直し、得体の知れない暗黒の大穴へと慎重に足を踏み入れていく。
暗闇に包まれた連絡路を降りていく中、次第に周囲の空気がじっとりと変わり始めた。
「凍えるどころか……」
「……肌にまとわりつくような熱気ですね」
ティオナとレフィーヤが、額に浮かんだ汗を拭いながら不快そうに呟く。氷河の階層という事前の情報に完全に反する、じっとりとした湿気と肺にへばりつくような不気味な熱気に、一行は嫌な胸騒ぎを覚えた。
底の見えない階段をさらに下りながら、リヴェリアが隣を歩くフィンに問いかける。
「フィン、この異様さは……」
「ああ」
フィンは前を見据えたまま、覚悟を決めた声で静かに応じた。
「これから僕達の前に現れるのは……何者も、神々ですら未だ目にしたことのない──『未知』そのものだ」
フィンの言葉と共に、一行はついに淡い光の先にある未到達領域、59階層へとその足を踏み入れた。
そして、視界に広がった規格外の光景に、歴戦の勇士である全員が言葉を失い立ち尽くす。
そこに広がるはずだった凍てつく氷山や蒼き水面は、一切存在しなかった。代わりに見渡す限り果てしなく広がっていたのは、緑に覆われた鬱蒼とした樹木や、大蛇のように這い回る巨大な蔦、足首まで埋まる青々とした草原、そして毒々しいまでの極彩色の花々であった。壁面には無数の不気味な蕾を垂らした巨大な緑壁が天高く生い茂り、むせ返るような濃密な植物の匂いが立ち込めている。
「……ジャングル?」
変わり果てた予想外の景色に、ティオネが唖然と震える声を漏らす。ソラは思わず、ターザンと共に駆け回ったあの生命力に溢れるジャングルを思い出した。
「これ……まさか、24階層のあの時と……?」
レフィーヤはかつて経験した、迷宮の法則が狂った
階層の中央付近、うっそうと茂る木々の奥から、グチャグチャという巨大な咀嚼音や、何かが崩れ落ちるような耳障りで甲高い音が響き渡ってきた。
「何かの、物音が……」
ラウルが恐怖に顔を引き攣らせて足を止める中、フィンは「進むよ」と短く無慈悲な指示を出し、感覚の鋭いベートとティオナを先頭にして、密林の中に切り開かれた獣道のような一本道を慎重に進攻していく。
息を潜めて密林を歩いていると、突然前方の空間が水面のようにグニャリと不自然に歪んだ。色のない虚無の狭間から、それは音もなく、染み出すように現れた。
深い藍色に染まった異様な体躯。それは腰を低く落とし、狙った獲物に飛びかかろうとする獣のような構えをとっている。頭部からは天を突くような二本の青い触手がゆらりと立ち昇り、左右に広がった太い腕は、鋭利な刃のように弧を描いていた。
そしてその懐には、禍々しい輝きを放つ巨大な『魔石』が、まるで宝物のように大事そうに抱え込まれていた。石の奥底で渦巻く膨大な魔力が脈動するたび、青い肉体とその周囲の空間を不吉な光が不規則に照らし出す。
顔面の中央、青暗い闇の奥で、昆虫の複眼を思わせる赤紫色の瞳が怪しく瞬く。魔石の放つ怪光と呼応するように二つの眼光が獲物を捉えた瞬間、周囲の空気が凍りつくような異常な重圧が満ちた。
「ハートレス!?」
ラウルが驚愕の声を上げた直後、先ほど現れた青い異形と全く同じ姿の魔物が、周囲の木々の陰や空間の歪みから無数に出現する。
全員が即座に武器を構え、円陣を組んで警戒の陣を敷く。だが、その青い魔物たちはソラたちに一切の反応を示さず、まるで彼らの存在が見えていないかのように、巨大な魔石を抱えたまま同じ方向へと淡々と運び続けていた。
襲ってこないというその異様な光景に対し、ガレスは武器を下ろさずに強い疑問を抱く。
「こいつらは一体?」
眼前の存在を鋭く観察していたソラが、ハッとしてその正体に気付く。
「そうだ、アンヴァースだ!」
「アンヴァース?」
ティオナが聞き慣れない名前に首を傾げる。
「昔、王様や三人のキーブレード使いが戦っていた魔物なんだ。確かえっと……」
ソラは言いながら、携行しているモバイルポータルを取り出し、キーワードグローサリーを開く。アンヴァースの項目を素早く参照しながら、その恐るべき正体を皆に説明し始めた。
「強い負の感情から生まれるとは……ハートレスとは違った、また厄介だな」
椿が忌々しそうに唸る中、フィンが冷静に核心を問う。
「そのアンヴァースを生み出す、ヴァニタスというのは?」
「ヴァニタスっていうのは俺たちが倒した真XIII機関のメンバーで……」
ソラは、それがかつて激闘を繰り広げた強敵であることを明かす。ソラの重い説明を受け、ラウルの顔から一気に血の気が引いた。
「こ、この先の奥に、そのヴァニタスっていうのがいるんすか?」
慄くラウルに対し、リヴェリアが静かに、しかし冷酷なまでに最悪の可能性を推測した。
「もしくは、ヴァニタスのアブセントシルエットを倒し、その力を得た存在がいるということか」
その言葉に、一同は思わず息を呑んで喉を鳴らす。得体の知れない不安を抱えながらも、一行は魔石を運ぶアンヴァースの群れの進行方向を見据え、すべての元凶が待ち受けるであろう目的地を目指して、さらに慎重に歩みを進め始めた。
「……なに……あれ?」
生い茂る森林を抜けた先。そこには、ティオナが呆然と息を呑むような、灰色に染まった広大な大空間が広がっていた。
その広大な荒野は、無数のモンスターが完全に灰と化して堆積した、巨大な死骸の山そのものであった。
そして荒野の中心には、ガレスたちが以前目撃したという『例の宝玉の女型』が、深層の凶悪な巨大植物タイタン・アルムに醜悪に寄生した姿で不気味に鎮座していた。
周囲を取り囲む膨大な数の芋虫型モンスターや
「あれだけのモンスターを喰らってきたというのか……?」
椿が巨大な灰の山を見て戦慄し、フィンが「拙いっ……!」と顔を歪める。
「チッ……『強化種』か……!?」
ベートが怒りと焦りを込めて呻く中、アイズだけは一人、激しい動悸と全身の血のざわめきに囚われていた。
アイズの異常な様子に気づいたソラが、「どうしたんだ?アイ……」と言葉を投げかけようとした瞬間だった。
「──ぁ」
「──ぁぁ」
女体型が、不気味な産声を漏らした。醜怪な肉の殻を激しく蠕動させて一気に盛り上がると、蛹から羽化するように、自らの殻を突き破って新たな上半身を脱皮させる。
「──ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!?」
鼓膜を直接破壊せんばかりの、狂気に満ちた歓喜の高周波が空間に響き渡る。ドロドロの粘液と共に現れたのは、美しい緑色の髪と肌を持ち、極彩色の衣を纏った、女神にも劣らない完璧な美貌を持つ存在の上半身であった。その衣の中央には、不吉なハートレスのマークが黒々と記されている。
下半身は巨大な花弁と無数の触手へと変容し、淀んだ金色の瞳を持つ、天女のような異形が完全に産声を上げた。
「ちょっと、何なのよあいつは……!?」
ティオネは耳を塞ぎながら、そのあまりにも冒涜的でグロテスクな美しさに戦慄する。
耳を塞ぐことも忘れ、「……うそ」とその場に立ち尽くすアイズ。全身の血液が逆流するようなおぞましい悪寒と震えに襲われる中、怪物はアイズを見つめて歓喜の声を上げた。
「アリア──ッ、アリア!!」
目の前の存在に金色の双眸と視線を合わせたアイズは、震える唇で「まさか……『精霊』……!?」と呟き、慟哭する。
「あんな薄気味悪いのが……!?『精霊』!?」
アイズの信じがたい言葉を受け、信じられないものを見るような面持ちでティオナが叫んだ。
突如として冒険者たちの前に姿を現した、圧倒的な忌避感を振り撒く女体型基『穢れた精霊』。巨大な怪物の下半身に極彩色の衣を纏う上半身を持つその姿は、神聖さと嫌悪感が混在するおぞましい美しさを放ち、フィン達を激しく動揺させる。
「……新種は、女体型をあの形態まで昇華させるための、ただの触手に過ぎなかったのか」
体高十
これまで遭遇してきた芋虫型や食人花といった新種モンスター達の真の生態。それは階層中の魔石や魔力をひたすらに喰らい集め、この本体たる規格外の怪物を育て上げるための、使い捨ての触手でしかなかったのだ。
禍々しき絶望を放つ未知なる脅威を前に、ソラ達がすかさず武器を構え直す。
だが次の瞬間、背後から「ファーファッファッファッ」と狂気に満ちた甲高い笑い声が響き渡った。振り向くと、車輪が付いた不気味な芋虫型に搭乗したピエロ・スターが、腹を抱えて狂ったように笑いながら出現し、穢れた精霊の横へと並び立った。
ピエロ・スターが現れた直後、空間に突然の激しい揺れが起きる。
「今度はなんだ!?」
フィンが警戒の声を上げる中、大地が産声を上げるように悲鳴を上げ、深い亀裂が次々と奔る。凄まじい衝撃が地表を襲い、それは単なる地震ではなく、何かが「下」から力ずくで「上」を突き破ろうとする、未知なる圧力の奔流であった。
中心点から爆発的に土砂が舞い、硬い岩盤が砕け散る。その粉塵と爆音の中から、まず、鋭く尖った「何か」が、大地の皮を突き破って現れた。それは古びた石の塔の頂、あるいは魔王の冠の尖端のように見えた。
上昇は止まらない。地を裂き、泥と瓦礫を掻き分けながら、その「何か」は凄まじい速度でせり上がってくる。
まず現れたのは、上層の、静寂と狂気が深く刻まれた双子の顔を持つ、偽りの女神の座。その重厚な石造りの身体は、大地から引き剥がされるように、あるいは深淵から湧き上がるように上へと突き進む。
続いて、中層の異形が姿を現す。機械仕掛けの歯車が不気味に軋み、獣と人が混沌と混ざり合ったような、冒涜的な存在であった。
そして最後に、下層の、苦悶に歪んだ巨人の顔と、折れた巨大な腕が、砕け散る岩石とともに現出した。
三つの層が重なり合った、災厄を体現する巨大な神像。その名は、ウォーリング・トライアド。
59階層の大地の上に、神殿が新たに築かれた瞬間だった。
絶望を産み落とす、穢れた精霊。
狂気を振りまくハートレス、ピエロ・スター。
そして、大地を割って現れた神像、ウォーリング・トライアド。
計三体の規格外の絶望が、ソラ達の前に立ちはだかった。
神々の像の箇所をウェポンマスターにすればよかったなとちょっと後悔してます。
感想お待ちしています
次回は早く出せるように頑張っていきます