世界が君を忘れても [旧題:完成する君と未完成な僕]   作:ねじぇまる

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拙作、「アンチ・ヒーロー:カレンモエ」、少し前から執筆再開しております。大幅に書き直しておりますが、よろしければお読みいただければ嬉しいです。


第7話 ロコドル街道

――Heroine: Hokko Tarumae

 

クラシック級。

年が明けて、私のレースは新しいステージに入りました。

 

最初のレースは東海S。中京レース場。

初めての1番人気。

 

パドックに出た瞬間、空気が違うことに気づきました。

今まで私を見ていたのは、ダートの熱心なファンだけでした。でも今日は違う。年末のJCダートで9番人気から3着に飛び込んだニュースが、少しだけ波紋を広げたらしい。スポーツ紙のダート欄に、小さいけれど私の名前が載っていました。

 

「1番人気……」

 

胸が締め付けられます。

今まで追いかける側だったのに、今日は追いかけられる側。周囲の視線が、期待と品定めの両方を含んでいる。

 

結果は、3着。

 

勝てませんでした。

先行集団に取りついたまでは良かったのですが、最終直線で伸びきれなかった。1番人気で3着。掲示板の数字が、重くのしかかります。

 

「……すみません。期待に応えられなくて」

 

レース後、トレーナーさんに頭を下げました。

トレーナーさんはノートをめくりながら、静かに言いました。

 

「想定内だ。ここから巻き返す」

 

その声には、いつもの淡々とした自信がありました。

根拠はわからない。でも、トレーナーさんが「想定内」と言うなら、きっとそうなのだと思います。

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

「次は佐賀記念。佐賀レース場だ」

 

「佐賀……!」

 

地方レース場。

芝のGIが行われる中央の大舞台とは違う、もっと小さくて、土の匂いがする場所。

 

佐賀レース場に着いた時、まず驚いたのはその素朴さでした。

スタンドは古くて、観客席の椅子は色褪せていて、ターフビジョンもこぢんまりとしている。中央の阪神や東京を見慣れた目には、正直、地味に映ります。

 

でも——なんだか、落ち着く。

 

「……苫小牧に、似ています」

 

思わず呟いていました。

華やかではないけれど、ここにはここの空気がある。地元に根を張った人たちが、自分たちのレース場を大事にしている。その温度感が、苫小牧のロコドル活動で感じるものと同じだったのです。

 

「トレーナーさん。チラシ、配っていいですか?」

 

「……レース前に?」

 

「はい! せっかく地方に来たんですから。苫小牧のことを知ってもらうチャンスです」

 

トレーナーさんは一瞬、何か言いたそうな顔をしました。

でも結局、小さくため息をついて「時間管理だけはしろよ」と言ってくれました。

 

佐賀レース場のスタンドで、私はとまこまい通信Vol.6を配りました。

Vol.6の特集は「苫小牧ホッキ貝食べ歩きマップ」。リッキーさんに「ピンクは人気運アップの色☆」と教えてもらって、表紙をホッキ貝のピンクで統一した自信作です。

 

「お姉さん、なにこれ?」

「苫小牧の観光ガイドです! ホッキ貝が日本一美味しいまちなんですよ!」

「へぇ、苫小牧ねぇ……あんた、今日走る子?」

「はい! とまこまい観光大使、ホッコータルマエです!」

「はは、変わった子だねぇ。じゃあ応援するよ」

 

たった一人。でも、一人のファンが増えた。

それだけで、チラシを刷った甲斐がある。

 

佐賀記念。結果——1着。

 

小さなレース場のウイニングライブで、私はセンターに立ちました。

持ち歌はまだない。汎用曲の振り付けに合わせて踊りながら、MCの時間が来た瞬間——

 

「とまこまい観光大使、ホッコータルマエだべ! 佐賀のみなさん、苫小牧にも遊びに来てください!」

 

客席がざわめく。笑い声が混じる。「なんだあの子」「面白いね」。

チラシを受け取ってくれたおじさんが、手を振ってくれていました。

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

名古屋大賞典。名古屋レース場。

ここも地方レース場です。佐賀より少し大きいけれど、中央に比べれば素朴な空気は変わりません。

 

名古屋に着いてすぐ、私はまたチラシを配り始めました。

今回はトレーナーさんも手伝ってくれました。と言っても、荷物持ちですけど。

 

「トレーナーさん、ここの手羽先、おいしいですね」

 

「……俺は苫小牧の宣伝に来たんだか、名古屋めしを食べに来たんだかわからなくなってきた」

 

「両方です! 各地のおいしいものを知ることも、ロコドルの勉強ですから!」

 

移動の電車の中で、私はメモ帳を広げてキャッチフレーズを練っていました。

 

「苫小牧の海からこんにちは! ホッコーホキホキホッキガイ☆ ……なんか爪痕残せそうじゃないですか?」

 

「……語呂は……まあ……悪くない、かな……」

 

トレーナーさんは窓の外を見ながら苦笑しています。

こういう微妙な反応の時は、だいたい「もっと練れ」という意味です。

 

「じゃあ、北の港から飛んできた、紙の翼の渡り鳥♪ 苫小牧ロコドル、ホッコータルマエ! ……こっちの方がいいですか?」

 

「そっちの方が品がある」

 

「品! 品ですか。ロコドルに品は必要でしょうか」

 

「……必要だと思うぞ」

 

メモ帳に丸をつけて、「渡り鳥」の方を採用。

こうやって、レースとレースの合間にキャッチフレーズを練り、チラシの次号の構成を考え、各地の特産品をリサーチする。旅するロコドルの日々。

 

名古屋大賞典、1着。

ウイニングライブで、今度は名古屋のファンに向かって苫小牧をPRしました。

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

アンタレスS。阪神レース場。

中央に戻ってきました。地方の転戦から一転、大きなスタンドと大きなターフビジョン。

 

ここでも1番人気。

でも今回は、東海Sの時のような怯えはありませんでした。佐賀と名古屋で2連勝した自信が、足元を固めてくれている。

 

(苫小牧の海風は、もっと冷たい)

 

いつものおまじない。

ゲートが開く。先行集団の3番手。落ち着いて、自分のリズムで走る。

最終直線で仕掛けて、前を捉え——

 

1着。

 

3連勝。

佐賀、名古屋、阪神。地方と中央を跨いで、3連勝。

 

ウイニングライブの後、トレーナーさんが珍しく笑っていました。

 

「3連勝だ。上出来だ」

 

「はい! ……でも、まだ足りないです」

 

「足りない?」

 

「GI、です。重賞は勝てました。でも、ダートのGIはまだ。……芝のGIに比べたら注目度は低いかもしれないけど、GIはGIです。あの舞台に立って、苫小牧の名前を叫びたい」

 

私は真っ直ぐにトレーナーさんの目を見ました。

 

「私、GIに挑みたいです」

 

トレーナーさんは少し黙って、ノートをめくりました。

何かを確認するように、ページを指でなぞる。

 

「……次はかしわ記念だ。船橋レース場。ダートのGI」

 

「かしわ記念……!」

 

「ただし」

 

トレーナーさんの声が、少しだけ低くなりました。

 

「出走メンバーを見ろ」

 

手渡された出走予定リストに、一つの名前がありました。

 

エスポワールシチー。

 

名前は知っています。ダートの最前線を走るシニア級の実力者。複数のGIタイトルを持つ強豪。

 

「……エスポワールシチーさん」

 

「ああ。この壁を越えなきゃ、GIには届かない」

 

トレーナーさんの表情が引き締まっていました。

いつもの淡々とした口調の中に、僅かな緊張が滲んでいる。

 

「……はい。越えます」

 

私はメモ帳を閉じ、帽子の角度を直しました。

赤いラインが左耳のやや上。いつもの位置。

 

ロコドル街道はここまで。

次のステージは、GIの舞台です。

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

――Trainer: Minato

 

アンタレスSの翌日。

俺は次のレースの準備のために、事務手続きで船橋レース場の事務局に連絡を入れた。

 

「かしわ記念の出走登録の件で——」

 

「はい、ホッコータルマエさんのトレーナーの方ですね。お名前を確認させてください」

 

「湊です。湊明良」

 

「……えーと、少々お待ちください」

 

保留音が流れる。

30秒。1分。

 

「お待たせしました。確認が取れました。失礼ですが……以前にも船橋レース場にいらしたことはありますか?」

 

「……ええ。去年のJCダートの下見で一度」

 

「そうでしたか。申し訳ありません、記録が見当たらなかったもので」

 

記録が見当たらない。

去年、確かにこの事務局で手続きをした。名前も書いた。IDも提示した。

 

「……登録お願いします」

 

「はい、承りました。えーと、お名前はミナトアキ……」

 

「明良。アキラです」

 

「アキラさん。失礼しました」

 

電話を切った。

 

(……記録が見当たらない、か)

 

去年の学園の名簿消失。カフェテリアでのコーヒーの注文忘れ。そして今度は、地方レース場の来訪記録が残っていない。

 

偶然。全部偶然だ。

年度が変わって記録が整理されただけ。事務員が忙しくて確認漏れがあっただけ。

 

(……偶然は、何回重なれば偶然でなくなるのだろう)

 

新潟レース場の席の件以来、この問いが頭の中に棲みついている。

だが、考えている暇はない。次のレースはかしわ記念。タルマエにとって初のGI挑戦になる。

攻略ノートのページをめくる。

 

『かしわ記念 ── GI初勝利』

 

……初勝利。

このレースで、タルマエはGIウマ娘になる。

ノートがそう言っている。俺はそれを信じるしかない。

 

俺はノートを閉じ、旅行鞄を開けた。

地方転戦用の荷物を入れ替える。佐賀の泥が靴底にこびりついている。名古屋で買った手羽先の空き袋がポケットから出てきた。

 

ふと、旅先のホテルの予約確認メールが目に入った。

 

『ご予約内容:シングルルーム×1名様』

 

1名。

俺は確かに2名で予約したはずだ。タルマエと俺の分。

 

予約サイトを開き直す。

履歴を確認する。

 

『宿泊者:ホッコータルマエ様 1名』

 

俺の名前がない。

タルマエの分だけが残り、俺の分が消えている。

 

「…………」

 

画面を閉じた。

 

窓の外で、春の風が吹いている。

ダウンジャケットの季節は、もうすぐ終わる。

だが俺は、まだこの防寒着を脱ぐ気にはなれなかった。

 

――[System]: Consecutive victories logged. Historical alignment increasing. Trainer visibility: declining.

 

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