世界が君を忘れても [旧題:完成する君と未完成な僕]   作:ねじぇまる

8 / 8
第8話 とまこまいの星が生まれる日

――Trainer: Minato

 

攻略ノートを開く。

何度も開いたページ。角が折れ、手汗で少しふやけている。

 

『かしわ記念 ── GI初勝利』

 

五文字。それだけだ。

どう勝つか、誰に勝つか、展開はどうなるか——何も書いていない。ただ「GI初勝利」という結果だけが、そっけなく記されている。

 

俺はそのページを指でなぞった。

 

(ここだ。ここが、彼女の人生が変わるレースだ)

 

かしわ記念。船橋競馬場。ダートのGI。

芝のクラシックに比べれば世間の注目度は一段落ちる。だがGIはGIだ。勝てば、タルマエは「GIウマ娘」になる。ダートの歴史に名前が刻まれる。

 

そして、出走メンバーの中に——エスポワールシチーの名前がある。

第7話で影として予告された、ダートの実力者。複数のGIタイトルを持つシニア級の強豪。

 

ノートには「GI初勝利」と書いてある。つまり、タルマエはエスポワールシチーに勝つ。

だが、どうやって勝つのか。それは、俺にはわからない。

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

レース2週間前。

寮のカフェテリアで、タルマエが頭を抱えていた。

 

「うーーーん……」

 

「どうした?」

 

「ウマッターのフォロワーが、伸びないんです……」

 

攻略ノートではなく、スマホの画面を覗き込む。

タルマエのウマッターアカウント。フォロワー数は——まあ、ダートのクラシック級としては多い方だろうが、芝のスター級に比べると桁が違う。

 

「とまこまい通信をウマッターにも載せてるんですけど、反応がいまいちで。チラシの内容をそのまま載せてるだけだからかなぁ……」

 

「紙のチラシとウマッターは、届く相手が違うからな。同じ内容じゃ刺さらないだろう」

 

「でも、ウマッターに何を書いたらいいのか……」

 

と、その時。

 

「あ♪ 困ってるなら、カレンに聞いてくれていいよ?」

 

明るい声が割り込んできた。

振り返ると、ふわふわしたツインテールのウマ娘が、笑顔でこちらを覗き込んでいた。

 

カレンチャン。

芝のスプリンターだが、SNSのフォロワー数はトレセン学園でもトップクラス。「カワイイ」を武器にファンの心を掴む達人。ダートではなく芝のウマ娘だが、路線に関係なくファンサービスの技術は本物だ。

 

「カ、カレンチャンさん!?」

 

「ちゃん付けのさん付けはさすがにくどくない? カレンでいいよ♪」

 

「か、カレンさん……!」

 

カレンはタルマエの隣に座り、スマホの画面を覗き込んだ。

 

「うーんとね、タルマエちゃんの投稿って、情報は多いんだけど……ちょっと一方通行かな」

 

「一方通行……?」

 

「うん。『苫小牧はこんなところです!』って教えてくれるのはいいんだけど、読んでる人が『自分も行ってみたい!』って思う仕掛けが足りないの。情報じゃなくて、体験を届けないと♪」

 

「体験……」

 

「たとえば、苫小牧のラーメン屋さんを食べ歩いて、ランキングを作るとか! タルマエちゃんが実際に食べて、感想を書いて、写真を撮って。読者はタルマエちゃんの目を通して苫小牧を体験するの」

 

タルマエの目がキラリと光った。

 

「食レポ……! 苫小牧ラーメン店人気ランキング!」

 

「そうそう♪ タルマエちゃんのキャラなら、正直な感想がかえって信頼感になるよ。カワイイだけじゃなくて、共感で繋がるファンが増えるの」

 

「なるほど……! 共感!」

 

タルマエがメモ帳を取り出し、猛烈にメモを取り始めた。

カレンは満足そうに微笑んでいる。

 

「あと、もう一つ。ファンの気持ちになってみて。タルマエちゃんのファンは、タルマエちゃんの何が好きなんだと思う?」

 

「私の……何が好き?」

 

「レースの強さ? 苫小牧の知識? それも大事だけど、たぶん一番は——タルマエちゃんが苫小牧を好きでいること、そのものだと思うな♪」

 

タルマエの手が止まった。

しばらく黙って、それからゆっくりと頷いた。

 

「……苫小牧が好き、ということ自体が、ファンの人に届いている……」

 

「うん。だから、無理に面白いことを言おうとしなくていいの。タルマエちゃんが本当に好きなものを、本当に好きな顔で語ればいい。カワイイは、本気から生まれるんだから♪」

 

カレンはそう言って、ウインクした。

 

俺はその光景を少し離れた席で見ていた。

カレンの言葉は的確だ。タルマエに足りなかったのは、「自分の好き」をそのまま届ける勇気だった。チラシの体裁に拘りすぎて、彼女自身の熱量がフィルターされていた。

 

(……ノートには、こういうことは書いてないんだよな)

 

攻略ノートには「GI初勝利」と書いてある。だがカレンとの出会いも、食レポ連載の企画も、何も書いていない。

彼女のロコドル活動がどう発展していくか。それだけは、ノートの外側で起きている。

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

レース1週間前。夜。

栗東寮の部屋で、タルマエが勝負服の手入れをしていた。

 

ブラシで丁寧に埃を払い、ボタンの緩みがないか確認し、裾のラインを指でなぞる。

その背中を、ベッドの上で本を読んでいたヴィルシーナが静かに見ていた。

 

「……タルマエさん」

 

「はい?」

 

「緊張してる?」

 

タルマエの手が一瞬止まった。

それから、小さく笑った。

 

「してます。すごく」

 

「そう」

 

ヴィルシーナは本を閉じ、ベッドの縁に腰掛けた。

 

「……でも、不思議なんです。怖いけど、逃げたくはないんです。前のダートダービーの時は、逃げたくて仕方なかった。でも今は……」

 

タルマエは勝負服を胸に抱きしめた。

 

「苫小牧のみんなが見守ってくれてるから。お父さんとお母さんも。漁港のおっちゃんたちも。それに、リッキーさん、アキュートさん、トレーナーさん。みんなが応援してくれてるって思うと——怖くても、前に進める」

 

ヴィルシーナはしばらく黙っていた。

それから、ほんの僅かに——口元を緩めた。

 

「……タルマエさんは、強くなりましたね」

 

「え?」

 

「入学した頃は、帽子の角度ばかり気にしていたのに」

 

「い、今も気にしてますけど!」

 

「ふふ……。知ってるわ」

 

ヴィルシーナは窓際に移動し、カーテンの隙間から夜空を見上げた。

 

「勝ってきなさい。……ルームメイトとして、応援しています」

 

その言葉は短くて、素っ気なくて。

でもヴィルシーナさんなりの、精一杯の応援だと、タルマエにはわかっていた。

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

――Trainer: Minato

 

かしわ記念当日。船橋競馬場。

 

地方競馬場の空気は、中央とは違う。

規模は小さいが、その分ファンとの距離が近い。スタンドから聞こえる声援が、直接肌に触れるような感覚。

ダートのGIとしてはかしわ記念は伝統のある一戦で、地元のファンを中心に熱気は十分だ。

 

パドックでタルマエの姿を確認する。

帽子は外し、勝負服のウエストを最終調整している。表情は引き締まっているが、崩れてはいない。JCダートの時と同じ——いや、あの時より一段、目が座っている。

 

出走会見を終えたタルマエが、柵越しに声をかけてきた。

 

「トレーナーさん」

 

「ん?」

 

「今日は、誰かのためとか、苫小牧のためとか——それも全部含めてですけど」

 

彼女は一呼吸置いて、言った。

 

「勝ちたいです。私が。私のために」

 

「……ああ」

 

初めてだ。

彼女が「私のために勝ちたい」と言ったのは。

いつも「苫小牧のため」「ファンのため」「トレーナーさんのため」だった彼女が、初めて自分自身の欲として「勝利」を口にした。

 

俺はポケットの中で攻略ノートを握りしめた。

 

(頼むぞ、ノート。今回も——当たってくれ)

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

ゲートが開く。

 

先行したのはエスポワールシチーだった。

スタートからグングンと前に出ていく。その走りには、ダートの先行者としての矜持と火力が詰まっている。

 

タルマエは3番手。

エスポワールの背中を睨みながら、じっと脚を溜めている。

JCダートではシニア級の壁に阻まれた。だが今回は違う。佐賀、名古屋、阪神と3連勝して培った自信が、彼女の走りを安定させている。

 

第三コーナー。第四コーナー。

じわじわと差が縮まっていく。

 

最終直線。

 

タルマエが仕掛けた。

漁師の脚が唸りを上げる。地面を掻く。泥を蹴る。一完歩ごとに、エスポワールシチーの背中が近づいてくる。

 

エスポワールは振り返らない。

歯を食いしばって、前を向いたまま、最後の力を振り絞っている。

——だがその背中が、わずかに揺れた。

 

タルマエが並ぶ。

半馬身。鼻差。

 

ゴール。

 

場内が一瞬、静まった。

それから、爆発するような歓声が船橋競馬場を揺らした。

 

「ゴール! 先頭はホッコータルマエ! かしわ記念を制したのは、クラシック級のホッコータルマエ! GI初制覇です!!」

 

俺はスタンドの隅で、拳を握りしめていた。

声が出ない。ただ、攻略ノートのページが頭の中で開いて、そこに書かれた五文字が白く焼き付いている。

 

『GI初勝利』

 

当たった。

今回も、当たった。

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

ウイニングライブ。

 

GI級ライブのセンターに、ホッコータルマエが立っている。

初めてのGIセンター。スポットライトが真上から降り注ぎ、彼女の勝負服のピンクが眩しく輝いている。

 

『UNLIMITED BEAT』のイントロが会場を揺らす。

タルマエが踊り出した。振り付けは完璧とは言い難い。ステップが少しもたつく。腕の角度が甘い。

だが、表情だけは——誰にも負けていなかった。

泥臭いレースを走り切った直後とは思えないほどの、全力の笑顔。

 

曲が終わり、拍手が波のように広がる。

息を切らしたタルマエの手に、マイクが渡された。

 

MCの時間。

通常なら、関係者への感謝やファンへのお礼を手短に述べて終わる。

だがタルマエは、一拍の間を置いてから、客席を真っ直ぐに見据えた。そして、深く息を吸い込んだ。

 

「——とまこまい観光大使、ホッコータルマエだべ!」

 

歓声。笑い声。拍手。

レパードSの時の困惑混じりのざわめきとは違う。今度は——温かい。

 

「今日はGI、勝てました! でも、この勝利は私一人の力じゃありません。トレーナーさん、寮のみんな、リッキーさん、アキュートさん——そして、苫小牧のみなさんのおかげです!」

 

彼女の声が、船橋競馬場に響いている。

 

「苫小牧に来たら、ホッキ貝食べてくださいね! マルトマ食堂のホッキカレーは並ぶ価値あります! それから工場夜景も——」

 

話し始めたら止まらない。

ロコドルモードのスイッチが入った彼女は、もう誰にも止められない。

制限時間が来てマイクを回収されるまで、彼女は一心不乱に苫小牧をPRし続けた。

 

スタッフが苦笑している。客席からスマホで撮影している人がいる。

「またあの子だ」「面白いなぁ」——その声に、もう嘲笑の色はなかった。

 

俺はスタンドの隅で、それを見ていた。

 

涙を堪えている。

なんで泣きそうなのか、自分でもわからない。彼女が勝ったから? GIウマ娘になったから? それもある。だが、それだけじゃない。

 

彼女が、輝いている。

あの暗いドームの空席の中で「ごめんなさい」と震えていた世界線は——もう、ここにはない。

俺がやったことは、ノートの答えを読み上げただけだ。だが彼女は、その答えの上に、自分の力で、自分の人生を積み上げた。

 

これが正史だ。

これが、ホッコータルマエの物語だ。

 

俺はもう一度涙を拭おうとした時——隣で、声がした。

「すみません、そこの隣、空いてますか?」

男が一人、俺の隣に座っている観客に向かって、俺の席を指差していた。

 

「あの——座ってます」

 

俺が声を上げると、男はようやくこちらを見た。

 

「あ……すみません。気づかなくて」

 

男はおかしいな、と戸惑ったように頭を掻きながら去っていった。

 

また、だ。

レパードSの時と同じ。目の前に座っている人間が「いない」と認識される。

あの時は一度きりだから「気のせいだ」で流せた。だが二度目となると——偶然という言葉が、急に薄っぺらくなる。

 

俺は椅子の肘掛けを握った。

ステージの上で、タルマエがまだ苫小牧をPRしている。

その声が、さっきまでより遠く聞こえる。

 

 

▪ ▪ ▪

 

 

ライブ後。

 

関係者通路を歩いていると、警備員に止められた。

 

「失礼します。IDを見せていただけますか」

 

「はい」

 

首から下げたトレーナーパスを見せる。

警備員はパスをじっと見た。

それから俺の顔を見て、もう一度パスを見て——妙に長い間があった。

 

「……ホッコータルマエさんの、トレーナーの方……ですよね?」

 

確認というより、自分に言い聞かせるような口調だった。

普通のIDチェックなら数秒で終わる。なのに、この警備員はパスと俺の顔を三度見比べた。

まるで、目の前の情報と、認識が噛み合っていないかのように。

 

「……はい。そうです」

 

「失礼しました。どうぞ」

 

通してもらえた。

だが、あの妙な間は何だったのか。

パスは本物だ。写真も名前も載っている。なのに、それを持っている人間を認識するのに、あれほど時間がかかるものだろうか。

 

俺は足を速めた。

ダウンジャケットのポケットの中で攻略ノートを握りしめる。

 

(気のせいだ。……たぶん)

 

その四文字が、回を追うごとに重くなっていく。

 

通路の先で、タルマエの声が聞こえた。

 

「トレーナーさーん! 勝ちましたよ! GI、勝ちました!」

 

彼女は満面の笑顔で走ってきた。

汗と砂にまみれた勝負服。目には涙の跡。それでも、今まで見た中で一番輝いている顔。

 

「……ああ。おめでとう」

 

「えへへ……苫小牧の名前、ちゃんと言えました。マルトマ食堂のことも、工場夜景のことも。全部!」

 

「聞こえてた。……全部、聞こえてたよ」

 

彼女は嬉しそうに笑った。

俺の顔を真っ直ぐに見て、迷いなく。

 

彼女だけは、俺を見ている。

彼女の目には、俺がちゃんと映っている。

 

今は——まだ。

 

――[System]: GI victory #1 registered. Historical alignment: 97%. Initiating Trainer data compression...

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。