悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

274 / 274
崩壊した街の救援

土煙が夜風に薄ぎられていく。

 

視界の奥で横たわる黒い巨体は、もう脈動していない。ブレイキングインパクトの衝撃でひび割れた体表からは、時折かすかな崩落音が響くだけだ。だが、俺は装甲の内側で息を殺し、足の裏に神経を集中させていた。

 

地下からの振動は消えた。だが、消えたからといって終わりではない。あいつが再び共鳴を試みない保証はない。

 

「ツカサ」

 

ゼータの声が右足元から届いた。振り返らずともわかる。あいつは巨大個体の残骸から目を離さずに立っている。

 

「地下の振動、まだない」

 

「ああ。だが油断はできない」

 

俺は短く返し、マンモスの装甲越しに地面の微細な揺れを探り続けた。何も来ない。空白の時間が長引くほど、終わったという感覚が麻痺していく。戦いが終わったと決めつけるのは、いつも一番危険な瞬間だ。

 

遠くから鋭い音が切り裂いてきた。

 

救護車両の警報音。それに重なるのは、夜空を震わせる回転翼の音だ。ヘリだ。はやてが手配した増援か、あるいは救護班か。ビルの谷間を縫って、赤と青の光が交互に夜を照らしていく。

 

破壊されたアスファルトと土煙の残滓の中に、救護班の車両が滑り込んできた。白衣と装甲服を纏った人影が飛び出し、手際よく担架を展開する。

 

「こちら、生存者六名確認! うち一名重傷! 即時搬送お願いします!」

 

救護班のリーダーの声が響く。地下から救出した大人たちが抱えられ、担架に乗せられる。女性案内人もだ。彼女の顔色は蒼白だったが、呼吸は確実に動いていた。

 

その様子を、ゼータは少し離れた瓦礫の上で見守っていた。周囲への警戒は解いていない。だが、俺にはわかる。あいつの金色の瞳が、運び出される人影を一つ、二つと追い、そのたびに唇が微かに動いている。

 

数えているのだ。六人。六人全員が出たか。あいつ自身の手で地下から引き上げた命の数を、確かめている。

 

デルタが通りの向こうから戻ってきた。瓦礫まみれの服を気にする様子もなく、救護班の動きをじっと見ている。尻尾が低い位置でゆっくりと揺れていた。戦いの高揚感がまだ残っているのか、それとも無事に終わったことに安堵しているのか。あいつの場合、両方だろう。

 

「六名確認! 女性案内人含め全員生存! 搬送開始します!」

 

救護班の報告が夜気に響いた。

 

その声を聞いた瞬間、俺の肩からふっと力が抜けた。ブレイキングマンモスの重厚な装甲が、急に質量を増したように感じる。いや、実際に俺自身の気の張り糸が切れたのだ。

 

最後の担架が救護車両へ収容される。ドアが閉まり、エンジンの音が高まった。

 

その直前だ。

 

担架に乗せられていた男の子が、閉まりゆくドアの隙間から顔を出した。視線の先にあるのは、瓦礫の上に立つゼータだった。

 

「ありがとう、お姉ちゃん」

 

か細い声だった。車両のエンジン音にかき消されそうなほど小さな声。

 

ゼータは一瞬だけ瞳をわずかに見開いた。

 

「……仕事をしただけ」

 

感情のない平坦な声。いつもの返しだ。だが、車両が動き出し、赤いテールランプが遠ざかっていくまで、あいつは視線を外さなかった。伏せていた獣耳が微かに立ち上がり、張り詰めていた肩のラインが少しだけ緩んでいく。あいつなりの安堵だ。

 

俺はそれを見ていた。茶化す気にはなれなかった。

 

「これで目的は達成だ」

 

俺は静かに告げた。マンモスの装甲が光の粒子となって分解され、マゼンタの光を経て、いつもの黒いジャケットへと戻る。解放された身体はやはり重く、膝が微かに揺れた。

 

ゼータがようやくこちらを向いた。表情はいつもと変わらない、淡々とした無表情。だが、その金色の瞳には長い夜の終わりが映っていた。

 

「戻るぞ。報告がある」

 

俺は二人に背を向け、夜風の吹く通りへ足を踏み出した。

 

背後には停止した巨大個体の残骸と、砕けたアスファルトだけが残された。遠ざかっていく救護車両の警報音が、無事に全員が生還したことを夜の街に告げていた。

 

変身が解けた瞬間、世界の重さが戻ってきた。

 

ブレイキングマンモスの装甲が光の粒子になって分解され、マゼンタの残光が夜の空地に溶けていく。質量が消える。俺の身体に宿っていた二十五トンの腕力と巨体の重量が消え、代わりに元の服と元の身体が戻る。

 

着地。

 

地面に足がついた瞬間、膝が揺れた。

 

一瞬だけだ。すぐに踏ん張る。大丈夫だ。まだ立っている。立っていればいい。

 

空地の中央には巨大個体の残骸が横たわっている。動かない。脈動も消えた。地下からの振動も届かない。ゼータが確認し、はやてが通信で反応消失を告げた。二体とも止まった。

 

終わった。

 

だが、終わったと決めつけるのはまだ早い。俺は残骸から目を離さず、足の裏で地面の振動を探った。何も来ない。空白が続く。五秒、十秒、三十秒。何も来ない。

 

「後続部隊が到着した。監視を引き継ぐ」

 

通信からはやての声が入った。落ち着いた声だ。総督の声に戻っている。

 

「ツカサ先生、ゼータさん。現場から離脱して。救治班が待ってる」

 

「わかった」

 

俺は短く答え、通信を切った。

 

歩き出す。

 

一歩目は問題なかった。二歩目も。三歩目で視界が揺れた。一瞬だ。すぐに戻る。四歩目。足に力が入らない。まるで地面が海綿みたいに沈む感覚。だが歩いている。歩けている。これでいい。

 

ゼータが俺の右側にいた。音もなく。気配もなく。だが確かにそこにいる。あいつは巨大個体の残骸から目を離さず、周囲への警戒を続けている。

 

そう思っていた。

 

だが五歩目で視界が再び揺れた。今度は一瞬じゃない。二秒ほど続いた。ブレイキングマンモスの負荷が身体に残っている。マンモスの重量は人間の体には厳しい。何度も変身していれば慣れるが、今回は長時間の拘束と共鳴の衝撃を受けた。内臓がまだ揺れている。

 

六歩目。

 

足が止まった。いや、止めたのではない。止まったのだ。膝が曲がる。地面が近くなる。手をつこうとして手が出ない。遅い。身体がついてこない。

 

膝が地面に触れた。

 

アスファルトの冷たさが膝を通じて伝わる。砕けた路面の砂利が服に食い込む。だが痛みは感じない。感覚が鈍っている。

 

「少し疲れただけだ」

 

声が出た。誰に言ったのか。自分だ。自分に言い聞かせるための言葉だ。立て。まだ立てる。立って歩け。救護班は近い。

 

だが膝が言うことを聞かない。

 

腕が伸びてきた。

 

ゼータの腕だ。

 

言葉より先に、あいつが俺の右腕を取った。細い指だ。だが力は強い。猫科の獣人の握力は人間のそれではない。あいつは俺の腕を引いて体を支えた。

 

俺はゼータの顔を見た。金色の瞳が俺を見上げている。表情は変わらない。淡々とした無表情。だが瞳の奥に何かがある。心配ではない。あいつは心配という感情を顔に出さない。だの何かがある。

 

「立てない人の台詞じゃない」

 

ゼータが言った。淡々と。事実を述べるように。感情が乗っていない。だがその声の温度だけが、いつもより少しだけ温かかった。

 

俺は何も答えなかった。答えられなかった。あいつの言う通りだ。立てない人間の「大丈夫」は嘘だ。俺は嘘をつかない。

 

「ツカサ!」

 

通りの向こうから声が届いた。デルタだ。あいつが走ってくる。瓦礫まみれの服を気にする様子もなく、全力でこちらへ走ってきている。

 

「デルタ、あたしが――」

 

あいつが何かを言いかけて、足を止めた。俺の状態を見たのだ。膝をつきゼータに支えられている俺を。

 

デルタの口が開いたまま止まった。何かを言おうとして、やめた。戦いに参加できなかった不満を口にしようとして、やめた。あいつの目が俺の膝から顔へ移る。耳が伏せた。

 

「…ツカサ」

 

あいつはそれしか言わなかった。不満も文句も何もかも飲み込んで、俺の名前だけを呼んだ。

 

「大丈夫だ。少し休めば――」

 

「休むなら救護班で休め」

 

ゼータが遮った。俺の腕を離さないまま。あいつの声は平坦だ。だが譲らない声音だ。

 

「ツカサ、あたしが運ぶ!」

 

デルタが一歩前に出た。俺の左腕を掴もうとする。

 

「デルタ、あたしの方が先に掴んでる」

 

「関係ない! あたしの方が力持ちだもん!」

 

「力関係ない。安定して運べる方がいい」

 

「あたしの方が安定するもん!」

 

「根拠がない」

 

「あるもん!」

 

「ない」

 

二匹が俺の腕を巡って喧嘩を始めた。俺はため息をつきたかったが、ため息をつく余裕すらない。膝が痛い。腕を引っ張られている。この状態で喧嘩されるのは困る。

 

「やめろ」

 

俺は二人の声を遮った。短く。だっきりと。二人が同時に黙った。デルタが口を閉じ、ゼータが手を止めた。

 

「歩ける範囲だけ自分で歩く。支えはいらない」

 

「ツカサ、今膝ついてるじゃん」

 

デルタが即座に指摘した。的確だ。反論できない。

 

「…立てなくなるまでは自分で歩く。それでいいだろ」

 

俺はゼータの腕を離そうとした。あいつは一瞬だけ指に力を込めた。離すつもりがない。だが俺が立ち上がろうとすると、あいつは手を緩めた。俺の判断を尊重したのだ。

 

膝を伸ばす。足に力を込める。揺れるが立つ。立った。

 

「歩くぞ」

 

俺は救護班の方へ足を踏み出した。一歩。二歩。三歩。揺れる。だが歩けている。ゼータが右側について歩幅を合わせている。いつでも腕を取れる距離。デルタが左側に回り込んだ。同じ距離。いつでも体を支えられる位置。

 

二人とも何も言わない。ただ歩いている。

 

通信が入った。

 

『ツカサ先生』

 

はやての声だ。

 

「なんだ」

 

『救出、全員生還。あんた達がやったことやで』

 

「ああ」

 

『でもな』

 

はやての声が変わった。総督の声だ。

 

『限界まで戦いすぎや。ブレイキングマンモスの長時間使用は身体への負荷が大きい。ゼータも地下での単独行動は危険やった。二人とも反省せえ』

 

「必要ない。結果が出ている」

 

『結果が出てても過程が無茶すぎるんや。次は許さんで』

 

「次があると思っているのか」

 

『あるやろ。あんたのことやから』

 

返す言葉がない。俺のことだから、か。あいつは昔からそうだ。俺の行動パターンを誰よりも正確に読む。

 

『救護班に身体を預ける。絶対やで。逃げたら追跡するからな』

 

「わかってる」

 

通信が切れた。

 

救護班の車両が近づいてきた。白衣のスタッフが駆け寄ってくる。担架を用意している。

 

「自分で歩く」と言ったが、あと数歩で視界が再び揺れた。今度は大きい。足が止まる。膝が曲がりかける。

 

ゼータの腕が右から。デルタの腕が左から。同時に伸びた。

 

二人に支えられて、俺は救護車両へ辿り着いた。担架に座らされる。救護班のスタッフが血圧を測り、脈を確認し、瞳孔を検査する。俺はされるがままにした。抵抗する力が残っていない。いや、残っている。だが今は抵抗しない。

 

ゼータが近くの箱に腰を下ろした。救護班が手当をしようとしたが、あいつは「いらない」と短く断った。デルタは救護班のスタッフに「あたしは大丈夫!」と声を上げたが、スタッフに「一応検査させてください」と押し切られていた。

 

俺は担架に座ったまま、夜の空地を見た。巨大個体の残骸が月光の下で横たわっている。後続部隊が周囲を囲んで監視している。もう俺が見る必要はない。

 

「ツカサ」

 

ゼータが俺の横に来た。箱から降りて。あいつは淡々とした顔で俺を見ている。

 

「なんだ」

 

「次はもっと早く終わらせる」

 

「…そうしろ」

 

俺は短く返した。あいつの提案に同意したわけじゃない。あいつの判断を認めたのだ。次があるなら、次はもっと早く。それは間違いじゃない。

 

デルタが検査を終えて走ってきた。

 

「ツカサ、異常ないって! 元気だって!」

 

「お前は元気すぎるんだよ」

 

「それ褒めてくれてる?」

 

「褒めてない」

 

「褒めてるじゃん!」

 

褒めていない。だがあいつの元気さは、今は悪くない。この夜の後で、誰かが元気であることは悪くない。

 

俺は救護車両の担架に身を預け、目を閉じた。

 

夜風が吹いている。冷たい。だが悪くない風だ。戦いの後の風は、いつも少しだけ冷たい。それが終わった証拠だ。

 

六名、全員生還。巨大個体、活動停止。地下個体、反応消失。市街地への被害、軽微。

 

今夜はこれでいい。

 

俺は目を閉じたまま、深く息を吐いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

悪魔と呼ばれ慣れて(作者:ボルメテウスさん)(原作:陰の実力者になりたくて!)

『悪魔』と、『世界の破壊者』と呼ばれ、旅を続けたディケイド。▼彼が行き着いた先には『悪魔憑き』と呼ばれる存在がいる世界。▼その世界でディケイドは、何を見るのか。▼その先で、何を行うのか。


総合評価:591/評価:7.31/完結:209話/更新日時:2025年06月05日(木) 00:00 小説情報

悪魔と呼ばれ慣れて 2nd(作者:ボルメテウスさん)(原作:僕のヒーローアカデミア)

『世界の破壊者・ディケイド』の力を偶然手に入れた青年・ツカサ。▼彼は、その身に数多くのライダー達の力を受け継ぎながらも、様々な世界を超えながら、ハンドレッドと戦いをくり広げていた。▼そんな戦いの最中、彼らはある世界へと来ていた。▼『個性』と呼ばれ、『ヒーロー』が職業となった世界。▼その世界において、彼の瞳は、何を映す。▼「俺はヒーローじゃない。通りすがりの仮…


総合評価:463/評価:7.46/完結:193話/更新日時:2025年12月15日(月) 00:45 小説情報

海女取島への漂流者(作者:粗茶Returnees)(原作:魔法少女リリカルなのは)

 ひょんなことから海女取島に流れ着いた主人公は、そこで出会った久瀬姉妹に厄介になることに。侵略種と呼ばれる脅威を払いながらの共同生活が始まった。▼


総合評価:658/評価:8.82/連載:17話/更新日時:2026年09月10日(木) 17:00 小説情報

Edge of Heart(作者:星空エクレア)(原作:名探偵プリキュア!)

 空から落ちてきた流れ星の少年は、プリキュアでありながら怪盗をしている不思議な少女と出会い、闇に覆われた真実へと立ち向かっていく───▼ イメージテーマ:『ワールドビヨンド』のグリーングリーンズ▼ 【注意】▼ ・本作には擬カビ要素が含まれますが、カービィ本人ではございません。▼ ・度々出てくる考察要素。▼ ・オリジナル回も入ります。▼ 【ギャラリー】▼ 本作…


総合評価:448/評価:8.65/連載:18話/更新日時:2026年09月06日(日) 00:01 小説情報

ONE PIECE 〜船大工レイン〜(作者:ペンギンって可愛いですよね)(原作:ONE PIECE)

表紙イラスト↓▼【挿絵表示】▼幼少期のレイン(プロフィール)↓▼【挿絵表示】▼ONE PIECEを愛し、世界中の誰よりも考察してきた男は、不運な事故によって命を落とした。▼だが死後、神に気に入られた彼は、望んでいたONE PIECE世界への転生を果たす。▼選んだ時代は、原作開始の40年前。▼「本編までに全部揃えておきたい」▼そう語る男は、悪魔の実すら拒否し、…


総合評価:899/評価:6.59/連載:208話/更新日時:2026年09月14日(月) 08:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>