雨煙る炭鉱跡。温泉建設に来た青山は、坑道の木組みに執着する老人・北村と出会う。冷淡に老人をあしらい坑道へ入る青山。残された北村が、赤い塗料の乾かないベンチから立ち上がった時、静かな狂気が動き出す。

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第1話

雨が降っている。

腰の曲がった婆は直に止むと云うが、まだざあざあと降っている。

杉ばかりが生えた田舎で、雨ばかりが騒いでいる。

 

皆が禿山と呼ぶ割には鬱蒼と生い茂った森は、幾分か重苦しかった。

男はその森に毎月数回、籠を手に通う。

男は都会の者である。寂れた鉱山に通う、猫背の者である。

 

男は山道を道なりに登っている。ハイエースが石を踏むたび、積み荷がガタコトと音を立てる。周りは杉ばかりで景色は変わらず、立て看板が見えるまでアクセルを踏み、時折ハンドルを傾ける。石炭によって、かつての街を栄えさせた炭鉱へ向かう。

 

ウォークマンから流れる曲に飽きたころ、拓けた、砂利の敷かれた駐車場に出る。そこにはみすぼらしい男がいた。その男は炭鉱の入り口にある木組みを強く、じっと見つめていた。靴は黒く、服の上下は青く。ただそのどちらもずっしりと黄色かった。

 

「青山さんだね」その男は話しかける。「炭鉱はどうだい。いいかんじかい」男は用意した積み荷を全て降ろしていたが、その男からはまだ離れていた。「たまに来ているのだろう。ああ、どうだ、元気にはしているのか」やはり、じっと木組みを見つめている。木枠の深い傷が見える。「数十年前は、お前が乗ってきたような車を、そこのベンチで待っていた」ちらと、こちらを見る。「ただ、一つしかないだろう。だからいつも座るのは3人の爺でな、俺らは砂利に座っていた」「それを、役場が壊すそうだ。山奥のベンチをだぞ」その男はまた木組みを見る。「ここに温泉を建てるらしい。鉱山にだ。」「馬鹿らしいだろ、まあ銭湯になるだろうが」その男は同じ場所を見つめたまま、濡れた砂利に腰を下ろす。「炭鉱を銭湯に作り替えるのだそうだ。まったく馬鹿らしい」「町内の回覧にゴルフ大会のことがあっただろう。あそこで野田が温泉街の話を腐るほど聞いたそうだ」「癪に障ったのだろう。山奥に銭湯を作るほどに」その男は木組みに掌を当て、強く擦る。

雨音が聞こえている。

 

「また、炭鉱を箱物に変えても安全上の問題はないらしい。そうだろう」その男は、男をじっと見る。「ベンチにバツを振ったのはお前だろう。まだ赤いぞ」その男はこちらを見る。「だからな、考えたんだ。諦める為に。この木組みを譲ってくれないかと」男はじっと見る。「無理だそうだ。手続きが分からないからと」「冗談じゃない、鉱山に温泉が作れて、なぜ木の一本も渡せない。」

雨音が鳴っている

 

男はやっと口を開く。「ああ北村さんか、覚えているよ。集会所での気迫は若さすらあった」「そのとおりだ、ああそのとおりだ、掛け合おう。北村さんのことを掛け合おう」男はまなじりを下げ、伸ばした手を意味ありげに振って見せた。「私も仕事でね、北村さんもこういうことがあったでしょう。分かってくれますでしょう」男の下へ近づいて行く。「いやあバカなもんですよ。こんな秘境に銭湯だなんて。でもまあ市長も必死なんでしょう。そこもまあ、分かってあげないと」男の手はまだ動いている。言葉のように、重く動いている。「ほら、私は鉱山の方に入るので、車で休んでてください。タオルも十分ありますんで」

まだざあざあと降っている。

 

男は炭鉱の中へ向かって行く。白く反射する長靴に、白いパーカーと青いジーンズで入っていった。砂利で拓けた駐車場では雨の音がよく聞こえる。周りが杉だろうが、ブナだろうが、雨は響く。赤く汚れたベンチに座り、あの男を見つめる。やや早足の男は踵もつけずに少しよろけて砂利を鳴らす。少しして、男は炭鉱の木組みのそばまで来た。

 

立ち上がる。

 

炭鉱の方へ向かう。

 

雨ばかりが騒いでいる。

 

集会所に籠を持った男が帰ってきた。雨だというのに出かけ、ずぶ濡れで帰ってきた男だ。「婆さんもう会議はやってるかい、着替える時間はあるか」地響きがした。重くぶつかる音が繰り返す。「ちょっとあんた何してんの、またこんな格好で、山さんも怒鳴ってるじゃないの、もう本当ものぐさが立ったらいっつもこうで」慌てて飛び出した婆は、籠を持った男を見るなり、口早に言葉が出る。「婆さんあれだよあの山だよ、炭鉱の方じゃないか。西の村の方だ」「まあもう温泉の話がせっかく進むって聞いたのに、そういやあ青山さんじゃないの。あの人最後に炭鉱見てきてから説明に来るんじゃないどうしたのよ」婆は目線を四方八方に変えながら質問で返す。「知らないよ。学者さんだし営業さんだし、賢いんだから先に逃げているだろう」

 

長々と話し込んでいると、またずぶ濡れの男が来る。「炭鉱が崩れた。温泉はもうできんだろう」ずぶ濡れの男は落ち着いてそう言った。「あのひょうきんな男も死んだだろう」その男の片手には船のように削り取った木の棒があった。「あの馬鹿に野田は騙されていた。ただ、あの地鳴りを聞けばきっと思い直すだろう」籠を持った男と婆はその男をじっと見た。背には赤い染みが移っていた。


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