毎朝立ち食い蕎麦屋で出会う中年男性二人が意気投合して悪巧みを始めるのでした。

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煙管蕎麦

朝6時50分。

高槻駅の改札内、ホームとホームのあいだに挟まれたようにある立ち食い蕎麦屋は、いつも同じ匂いに包まれていた。出汁とそばを茹でる鍋の蒸気、急ぐ人々が行き交う殺伐とした風景の中、そこだけぼんやりとした温かさを提供していた。

 

その店内に2人の中年男性が並んで蕎麦を啜っている。

一人は河原町から京都線で中津へ向かう男――名は佐々木という。

もう一人は梅田から烏丸まで通勤している男、森下。

 

二人は毎朝、ほぼ同じ時間にその店に現れ、ほぼ同じように食券を買い、ほぼ同じ速さで蕎麦を啜っていた。

最初は視界の端にいる「知らんおっさん」だった。

十回、二十回と顔を合わせるうちに、逆のホームから同じ時間に店にやってきて、蕎麦を食って、再び逆のホーム帰って電車に乗る奇妙な存在に、お互い興味を持ってはいたが、同じ蕎麦屋を利用しているというだけの関係性にどちらも距離を詰めかねていた。

 

転機は突然やってきた。

ある朝、佐々木がふと呟いた。

「…あ、天かすの中に玉ねぎ入ってた。ラッキー」

森下は思わずちょっと羨ましそうに佐々木のどんぶり鉢を覗き込んでしまい、その気恥ずかしさを拭う様に佐々木に話しかける。

「当たりでしたね。ここ、本当に天ぷら揚げた後に残った奴を天かすとして使ってるからたまに具が入ってる事あるんですよね。でも今回はなかなか大物だ。」

そして、お互いいい歳のおっさんが天かす一つで浮かれているのに気がついて、2人で笑った。

 

その日から2人は店で会うと挨拶をする様になり、少し会話をする様になった。

 

それからは、

「おっ!今日は月見ですか。」

「あのパートのおばちゃん、最近見ませんね。」

そんな他愛もない話を交わすようになった。

 

ある日、森下が言った。

「毎朝ここで降りてはるってことは…この辺りにお勤めですか?」

それを聞いて佐々木は、

「いえ。梅田の手前の中津までですわ。ここには途中下車で。元々どうせ十三で各駅停車に乗り換えなきゃダメなので、高槻から鈍行列車に乗ることにしてまして。ここからだと意外と座れたりするので。それでたまたま早起きした日に寄ったこの蕎麦屋が気に入って、今ではここの為に毎日早起きですわ。」

少しドヤ顔で語る。

すると森下も、

「あれ?!佐々木さんもですか!僕も同じ様な理由でここで途中下車してるんですよ。今から鈍行で烏丸ですわ。ここの蕎麦屋はそこまでしてでも食べる価値ありますよね!」

思わぬ偶然に同志ができたと喜んだ。

二人とも、朝の惰眠を犠牲にしてまでうまい蕎麦を食べるという食いしん坊が自分だけでは無かった事に呆れつつも、笑った。

 

月末のある朝。

佐々木は蕎麦を啜りながら、ふと気付いた。

「ここ何日か、ずっとかけ蕎麦ですね?」

森下は恥ずかしそうに頭をポリポリ指で掻きながら、

「いや、お恥ずかしい。小遣いが少なくてね。給料日前は昼飯削ってもかけ蕎麦が精一杯ですわ。」

頷きながら佐々木も、

「分かります。僕も昼は嫁に内緒で握り飯作って節約してますわ。」

中年にもなると、家庭のある男は、住宅ローンやら、子どもの教育費やら…。それに加えて最近は物価高で何でもかんでも値上げ、値上げ。多少は給料も上がったけど、細君から頂く月々の軍資金はずっと据え置き。

男達のオアシスとも言える立ち食い蕎麦屋で、男二人は現実を思い出してしまい、

「ハァー…」

と同時に大きくため息をついた。

「なんか、うまい手ないですかねぁ。」

「そうですよねぇ…」

その時である。森下に一つのアイデアが浮かんだ。

「あのー。佐々木さん、いつもどこの駅で降りてましたっけ?」

佐々木さんは突然話題が変わって少し驚きつつ、

「中津ですね。梅田の一個手前の駅の。」

と戸惑いながら答える。

それを聞いて森下はちょっと緊張した感じで、

「僕は烏丸です。"河原町の手前の"」

と含みのある言い方をする。

そこで、佐々木もピンと来る。

しかし、ものがものだけに不用意に口に出すのは憚られる。

恐らく森下さんも同じ気持ちなのだろう。

どうやって切り出せば良いのか何やら思案している様子。

沈黙。

意を決したかの様に森下が口火を切る。

「定期代、河原町から中津だと月1万6千円かかるんですよね」

やっぱりそれか!と思いながらも平静を装う。

「う、うちも同じ位ですね」

そりゃそうだ。同じ鉄道会社の同じ路線でほとんど同じ距離なんだから。

一駅分の区間を除いては、全て被っている。

一駅分を除いては…。

二人は同時に、箸を止めた。

頭の中で、路線図が重なった。

「…定期って、一駅分の区間でも買えるんですよね」

佐々木が小声で言った。

「買えますね」

佐々木も自分の意図に気が付いた事を察した森下は、さらに踏み込む。

「スマホで見たら、河原町から烏丸だと4,540円ですね」

後半は少し声が震えていた。

「僕の方は。梅田から中津なんで…4,540円。同じですね」

森下も腹を括った様だ。

「僕が河原町から乗って」

と、佐々木。

「僕は梅田から乗る」

と、森下。

蕎麦屋の湯気の向こうで、二人の目が合った。

「ここでいつも通り二人蕎麦食って、定期を交換。」

ついに定期券の交換を明言する森下。

「それを持って僕は中津で降りる」

佐々木も俺も共犯だ!という思いを込めて言う。

「僕もその定期で烏丸駅の改札を通る」

心強い共犯に共鳴する森下。

「これで月々1万2千円の小遣いアップ!」

はしゃぎ気味の佐々木に、

「毎日天ぷらと卵入りが食べられる!」

早くも皮算用をしている森下。

最早、後戻りする気などさらさらない。

ついに二人はキセル乗車という犯罪に手を染める事を約束する。

今使っている定期が月末に切れる為、来月からこの悪巧みを決行する事になった。

「完全にアウトですね。」

「はい、完全に犯罪です」

言葉に出してみて、犯罪行為を意外とあっさり受け入れた自分達に二人は苦笑する。

それでも、その日の蕎麦は、いつもより美味く感じた。


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