婚約破棄が国を亡ぼす ~「最強」の戦乙女を追放した愚かな王太子たちは、それに気づかなかったようで~ 作:みやび(雅媛)
「ヴィクトリア・フォン・アーベルジュ! 貴様との婚約は破棄する!!!」
国内の有力貴族、あるいはその名代が集う新年の儀。
きらびやかなシャンデリアの下、王国の未来を祝うはずだったその場所で、王太子ジェラール殿下は高らかにそう宣言した。
優雅な演奏が止まり、会場のざわめきすら凍りつく。
だが、糾弾された当人である私――ヴィクトリアは、驚くほど冷静だった。
(……根回しは済んでいるということか。完全に嵌められたわね)
周囲を見渡す。驚愕しているのは中立派や良識ある貴族たちだけ。王太子の取り巻きたちは、さも我が意を得たりといった顔で薄ら笑いを浮かべている。
そして、殿下の腕の中には、目に痛いショッキングピンクのドレスを着た少女がへばりついていた。
男爵家の養女、リリス。
可愛らしい顔立ちはしているが、無駄に派手な装飾品がまるで似合っていない。正直、美的感覚を疑うが、派手好きな殿下にはお似合いの「愛玩動物」なのだろう。
「下劣な女め! 未来の王妃にして、聖女であるリリスをいじめ、傷つけた罪は重い! 国外追放とする! どことへでも行ってしまえ!」
こちらが口を開く隙も与えず、殿下は勝手に話を進めていく。
頭が痛い。
まず、「聖女」とは教会が認定する称号であり、自称するものではない。
次に、婚約は神前での契約であり、教会の許可なく一方的に破棄などできるわけがない。
そして何より、「未来の王妃をいじめた」というが、今の今まで未来の王妃は私だったはずだ。つまりこの男は、「自分が浮気をしています」と公衆の面前で自白した上で、浮気相手への不敬を理由に私を断罪しているのだ。
(……論理が破綻している。馬鹿だとは思っていたけれど、ここまでとは)
周りを見れば、法を司る大審院の法服貴族たちが顔を真っ赤にして震えている。彼らにとって、この手続き無視の暴挙は許しがたい侮辱だろう。
だが、彼らは声を上げない。上げられないのだ。
彼らの視線が、会場の四隅に配置された近衛騎士たちに向けられている。
彼らの手は剣の柄にかかっている。異議を唱えれば即座に拘束する構えだ。
(逃げ場はなし、か)
私は小さく息を吐き、ドレスの下で重心を整えた。
王城のダンスホール、一番奥まった場所。
入り口の門はすでに閉じられているだろう。ここで私が暴れれば、数人は道連れにできるが、生きて帰ることは難しい。
見渡す限り、こちらに味方しそうな貴族たちのほとんどは「代官」や「代理」だ。当主本人が来ている家は少ない。
つまり、ここにいる人間は「死んでも構わない」捨て駒ということか。
主戦派の叔父たちが考えそうなことだ。私たちをここで皆殺しにし、その報復を大義名分にして戦争を起こすつもりなのだろう。
(ふざけるな。私は生き延びる)
叔父上の形見である槍があれば、この程度の包囲網、紙切れのように突き破ってやるものを。
丸腰のドレス姿では分が悪い。この詰み盤面(状況)をひっくり返す「一手」が欲しい。
私が冷徹に思考を巡らせていると、期待していた方向から、いや、期待していなかった方向から手が差し伸べられた。
「この国が彼女を要らないというなら、私が貰い受けよう」
朗々とした声とともに、衆人環視の中を進み出てきた男がいる。
隣国、帝国の皇太子だ。
現在、我が国とは休戦中とはいえ、帝国は仮想敵国そのものだ。そんな国の皇太子が、敵地同然の王城のパーティーに乗り込んでくる度胸だけは褒めてやりたいが――気は許せない。
何せ、あの王太子の腕にへばりついているリリスという女、あれが帝国から送り込まれたハニートラップだということは、とっくに掴んでいるのだから。
美貌の孤児を使ったスパイ工作。そんな見え透いた罠に、我が国の王太子は鼻の下を伸ばして引っかかった。
泳がせて背後関係を洗うつもりだったが、まさか泳ぐどころか溺れて国を売るとは。
皇太子が私を見ている。その瞳は雄弁に語っていた。
『これしか逃げる手はないだろう?』と。
(……なるほど。あちらは私を「悲劇の姫君」として利用するつもりか)
皇太子の目は雄弁だ。ここで私を保護すれば、私が正統な継承権を持つ公国を無傷で手に入れられる。実に帝国らしい合理的な判断だ。
だが、ただ彼の手を取って連れ去られるだけでは、帝国の傀儡になるだけだ。それは癪に障る。
なにより――そんなことをすれば、あの心配性の「彼」になんと言われるか。
ふと、領地で留守を預かる乳兄弟の顔が浮かんだ。
ルシアン。私の執事であり、誰よりも優秀な私の守り刀。
幼い頃から私に付き従い、私がどんな無理難題を言っても、涼しい顔で完璧に整えてくれる頼れる幼馴染だ。
私が大人しく敵国に攫われたなんて知ったら、彼はきっと悲しむだろう。いや、過保護な彼のことだ、胃に穴をあけてしまうかもしれない。
(そんなの駄目ね。ルシアンに心配はかけられないわ)
私は冷めた頭で盤面を見渡した。
目の前には、私を欲しがる腹黒い帝国の皇太子。
奥には、私を捨てたくせに、他国に奪われるのは面白くないであろう愚かな王太子ジェラール。
(……使えるわね)
ふと、計算が頭をよぎる。
この帝国の皇太子を、あの馬鹿王子に「ぶつけて」やればどうなるか。
ジェラールは独占欲が強い。私が帝国に行くこと自体も気に入らないだろうが、さらに「自分の新しい女」まで狙われていると思わせれば?
ジェラールは間違いなく激昂し、暴発する。
そうなれば場は乱闘騒ぎだ。近衛も貴族もそちらに釘付けになる。
その隙になら、容易に脱出できる。
(毒を食らわば皿まで。利用できるものは、敵国の皇太子でも使い潰す)
私は今まで沈黙を守っていた口を開いた。
淑女の仮面を貼り付け、極上の爆弾を投げ込むために。
「あら、皇太子様。私だけを連れて行くおつもりですか?」
私は扇子で口元を隠し、あえて艶然と微笑んでみせた。そして、ジェラールの腕に張り付くリリスへと視線を流す。
「あちらのリリスさんは助けなくてよろしいのですか? 彼女こそ、あなた方にとって大切な……『お仲間』でしょう?」
一瞬、皇太子の表情が凍りついた。
私の発言の意味を――「ハニートラップだとバラされたくなければ私を連れて逃げろ」という脅しと受け取ったのか、あるいは図星を突かれたか。
だが、それよりも早く反応したのは、予想通りあの単細胞だった。
「なんだと……!?」
ジェラールの顔がみるみる朱に染まる。
私の言葉を、「帝国皇太子が、リリスまで奪おうとしている」と解釈したのだ。あるいは「リリスが帝国と通じている」という疑念よりも、自分の女に手を出されたという嫉妬が勝ったのかもしれない。
「貴様! 俺の元婚約者だけでなく、リリスまで奪おうというのか!!」
計算通りだ。
ジェラールが抜剣し、怒鳴り散らしながら壇上を駆け下りてくる。
近衛騎士たちが慌てて止めに入り、貴族たちが悲鳴を上げて左右に割れた。
完璧な混乱(カオス)。
帝国の皇太子が「待て、誤解だ!」と叫ぶのと、私がヒールを脱ぎ捨てるのは同時だった。
私は混乱の渦中心から、するりと身を引く。
入り口の扉がわずかに開くのが見えた。あそこで待機しているのは親友だ。
私は振り返らない。二人の男が私の掌の上で踊る様を背中で感じながら、軽やかに駆け出した。
帰りましょう、私の領地へ。
そこには、私を待つ最高の味方がいるのだから。
ルシアンにこのことを話したら、彼はきっと呆れながらも、美味しい紅茶と共に全てを片付ける手配をしてくれるに違いない。
見ていなさい。
次に戻ってくる時は、あなたたち全てを私の足元にひざまずかせてやるわ。