婚約破棄が国を亡ぼす ~「最強」の戦乙女を追放した愚かな王太子たちは、それに気づかなかったようで~ 作:みやび(雅媛)
「おかえり。早かったね」
父上の待つ執務室の扉を開けると、そこには書類の山に埋もれながらも、のんきに手を振る父、アーベルジュ公爵の姿があった。
開口一番、心配の言葉よりも先にそれが出るあたり、やはりこの父親も肝が据わっている。
「ただいま戻りました、父上。……婚約の件、破綻させてしまい申し訳ありません」
「ああ、いいよいいよ。だってヴィー、あの王太子のこと、最初から好きじゃなかっただろう?」
にこにこと笑いながら、父上は核心を突いてくる。
私は小さくため息をついた。
確かに、王太子ジェラールには政略的な価値以上のものは見出せなかった。それでも、公爵家の娘として義務は果たすつもりだったけれど。
「責めているわけじゃないさ。向こうに誠意も知性もなかった、それだけの話だ。……それに、ヴィーが本気で暴れる前に帰ってきたようで安心したよ」
「ええ。王城を半壊させる前に、ルシアンの顔が浮かんで踏みとどまりました」
「ははは! それはいい。あいつを悲しませると、国が傾くより面倒なことになるからね」
父上は楽しそうに笑うと、真剣な眼差しに切り替えた。
「さて、ヴィクトリア。王家は敵に回った。帝国も手を出してくるだろう。……どうするつもりだ?」
「売られた喧嘩です。買います」
「よろしい。全権をお前に任せる。存分におやりなさい」
父上は私の性格をよくわかっている。
この状況で「守られていろ」と言われることこそが、私にとって一番の苦痛だと知っているのだ。
「ただし、一人で背負い込むなよ? お前には優秀な『参謀』たちがいるのだから」
「わかっています」
父上に一礼し、私は執務室を後にした。
向かう先は、客間として使っているサロンだ。そこには既に、頼もしい援軍が到着しているはずだった。
◇
「あらヴィー、お帰りなさい。随分と派手にやってきたみたいじゃない」
サロンに入ると、優雅に紅茶を飲んでいた美女がカップを置いた。
サンバルド伯爵令嬢、クラウディア。
王城からの脱出を手助けしてくれた私の親友だ。彼女もまた、あの混乱に乗じてすぐに王都を離れ、ここまで来てくれていたのだ。
「クラウディア、助かったわ。あのタイミングで扉を開けてくれていなかったら、もう少し手荒な真似をするところだった」
「それは見なくて済んでよかったわね。……で、これからどうやってあの馬鹿たちを磨り潰すか、相談しましょうか」
彼女は美しい顔に獰猛な笑みを浮かべる。彼女もまた、今の王政に不満を持つ西部貴族の筆頭格だ。
私がソファに座ると、音もなくルシアンが現れ、新しいティーカップを置いた。
「お疲れのところ恐縮ですが、糖分補給を兼ねて作戦会議といきましょう。……お砂糖は3つでよろしいですね?」
「ええ、お願い。頭を使うには甘いものが必要よ」
ルシアンは私の好みを完全に把握している。
彼が用意した極上の紅茶と焼き菓子を口に運び、私はようやく人心地ついた。
さて、現状整理だ。
「まずは敵の確認ね。王家、および北部貴族は確定。帝国軍も敵。あとは東部貴族も、地理的に帝国か王家になびくでしょうね」
「あとは、あの『自称・聖女』のリリスね」
「ええ。あの女も敵よ」
私が頷くと、ルシアンが涼しい顔で地図を広げた。
「敵は多いですが、一枚岩ではありません。王家、帝国、東部……それぞれが仲違いするように仕向けるのが上策かと」
「そうね。正面から全部相手にするほど、私は慈悲深くも馬鹿でもないわ。……で、味方は?」
「西部の貴族たちは、クラウディア様のお声がけで概ねまとまっています。問題は南部ですが……」
ルシアンが言葉を切ると、クラウディアが扇子を開いて口元を隠した。
「南部貴族は、間違いなくこちらに付くわよ。彼ら、今ものすごく『お冠』だから」
「どういうこと?」
「あのリリスとかいう小娘が『聖女』を名乗ったからよ」
ああ、なるほど。私はポンと手を打った。
王国において「聖女」といえば、歴史上ただ一人。かつての大戦で活躍し、非業の死を遂げた南部の英雄「聖女アリス」のことを指す。
南部貴族にとってアリスは信仰の対象に近い。
それを、どこの馬の骨とも知れない、しかも王太子と不貞を働いた小娘が軽々しく名乗ったのだ。
「南部の人たちは、『娼婦風情が聖女の名を汚した』って激怒しているわ。私たちが声をかければ、喜んで王家への反逆に参加するでしょうね」
「それは心強いわね。聖女の名を騙った報い、受けてもらいましょう」
敵は多いが、味方もいる。
そして何より、私にはルシアンがいる。
彼は紅茶のおかわりを注ぎながら、まるで天気の話でもするように恐ろしいことを口にした。
「ではお嬢様。まずは帝国と王家をぶつけて消耗させましょう。幸い、帝国の皇太子には『王都を攻める絶好の口実』を与えておきましたし、王都に潜ませている私の配下たちも、市民の不安を煽る準備は万端です」
……いつの間に?
私が帰ってくるまでの短時間で、彼は一体どれだけの手配を済ませていたのだろう。
「ルシアン、あなた本当に仕事が早いわね」
「お嬢様が快適に覇道を突き進めるよう整地するのが、執事の務めですから」
にっこりと笑う彼に、一片の曇りもない。
本当に頼りになる幼馴染だ。彼がいれば、国の一つや二つ、本当にひっくり返せる気がしてくる。
「わかったわ。じゃあ、まずは高みの見物といきましょうか」
「ええ。愚か者たちが自滅していく様を、特等席でご覧に入れましょう」
甘い紅茶の香りと共に、私たちの反撃作戦は静かに、そして確実に動き出した。