婚約破棄が国を亡ぼす ~「最強」の戦乙女を追放した愚かな王太子たちは、それに気づかなかったようで~ 作:みやび(雅媛)
王都へと続く街道の要所、広大な平原に私たちは陣を敷いていた。
東の空を焦がす太陽の下、対峙するのは帝国軍の本隊。
ノッテン領での失態を取り戻そうと必死な皇太子が率いる、およそ3000の軍勢だ。
「敵の布陣は、前方より長槍兵2000、後方に騎兵1000。……教科書通りの『対騎兵』シフトですね」
私の横で、従者服の上に軽装の胸当てをつけたルシアンが淡々と告げる。
彼の言う通りだ。
長い槍を襖(ふすま)のように並べた密集陣形。馬で突っ込めば串刺しになる、騎兵殺しの構え。
数日前に、従兄弟のオスカーが無策で突っ込み、ハエのように叩き落とされたのと同じ陣形である。
「舐められたものね。同じ手で防げると踏んでいるのかしら」
「ええ。彼らにとって『アーベルジュの騎兵』は、先日簡単に蹴散らした雑魚と同じ認識なのでしょう。加えて、指揮官が女性であるお嬢様と知って、完全に油断しています」
ルシアンが渡してくれた愛槍を受け取る。
叔父上から受け継いだ深紅の長柄、「ベルベット」。
その重みが、手に馴染む。
「それに皇太子殿下は、ここで勝たねば後がありません。リリス嬢の一件で本国での求心力はガタ落ち。ここで華々しい勝利を持ち帰らねば、廃嫡はおろか命も危うい。……焦りは目を曇らせます」
ルシアンの言う通り、敵陣からは浮足立った気配が漂っている。
彼らは「勝ちたい」のではない。「早く終わらせて帰りたい」のだ。
「なら、望み通り終わらせてあげましょう。……一瞬でね」
私は愛馬の腹を蹴った。
アーベルジュ騎士団、2000騎。
私の背中に続く彼らの殺気は、十分に研ぎ澄まされている。
◇
風を切る音がする。
敵の長槍兵たちが、迫りくる私たちを見て嘲笑うのが見えた。
「また馬鹿が突っ込んできた」「槍を構えていれば勝手に死ぬぞ」と。
――甘い。
衝突の瞬間、私は手綱をわずかに引き、馬の重心をずらした。
叔父上が得意とした神業。人馬一体となり、針の穴を通すような精密機動。
突き出された無数の槍の穂先、そのわずかな「隙間」を見切り、私はそこへ滑り込むように突入した 。
「え……?」
最前列の兵士が間の抜けた声を上げる。
彼が瞬きをした時には、私は既にその懐に入り込んでいた。
深紅の槍を一閃。
薙刀状の刃が円を描き、周囲の槍の柄をまとめて叩き折る 。
「こじ開けた! 続け!!」
私が叫ぶと同時に、後続の精鋭たちが、私が切り開いた一点の突破口になだれ込んだ。
強固な壁も、一点に亀裂が入れば脆いものだ。
内側に入り込まれた長槍兵は、ただの棒を持った案山子(かかし)でしかない。
「う、嘘だろ!? 槍の間を抜けて……!?」
「あ、赤い槍……まさか、先の大戦の『悪魔』か!?」
帝国兵たちが悲鳴を上げる。
私の戦い方が、かつて彼らを恐怖のどん底に叩き落とした叔父上、前アンドレア卿と重なったのだ 。
さらに、先陣を切って走る私の姿が、同じく彼らが恐れた「聖女アリス」の姿とも重なる。
悪夢の再来。
その恐怖は伝染病のように広がり、帝国軍は一瞬でパニックに陥った 。
「ひ、退け! 勝てるわけがない!」
「化け物だ! 逃げろ!!」
前線が崩壊した。
こうなれば、あとは一方的な蹂躙(じゅうりん)だ。
私たちは止まることなく敵陣を食い破り、本陣にいる皇太子の元へと迫る。
「ま、待て! 逃げるな! 戦え!!」
本陣では、皇太子が裏返った声で叫んでいた。
彼は自ら剣を抜き、逃げようとする味方の兵を斬り捨てて督戦しようとした。
「貴様ら、俺の命令が聞けないのか! 戻れ!!」
だが、恐怖と絶望に支配された兵士たちにとって、目の前のヒステリックな皇太子よりも、迫りくる私の方が遥かに恐ろしい「死」そのものだった。
皇太子が、一人の兵卒の胸倉を掴んだ時だ。
「離せぇっ!!」
極限状態の兵士が、反射的に突き出した短剣が、皇太子の喉元に深々と突き刺さった 。
「が、ぁ……?」
皇太子は信じられないものを見る目で、自分の首から溢れる血を見下ろした。
武術など嗜(たしな)み程度の彼が、実戦で鍛えられた兵士の渾身の一撃に勝てるはずもなかった 。
彼は膝から崩れ落ち、泥の中に倒れ伏した。
――あっけない幕切れだった。
総大将の死を確認した帝国軍は、もはや軍隊の体を成していなかった。
我先にと武器を捨て、蜘蛛の子を散らすように逃走していく。
勝負あった、だ。
「……終わりましたね、お嬢様」
返り血一つ浴びていない涼しい顔で、ルシアンが馬を寄せてくる。
彼は懐から清潔なタオルを取り出し、私の頬についた煤(すす)を優しく拭った。
「ええ。想像以上に脆かったわ」
「お嬢様の『神速』の突撃がお見事すぎたのですよ。……さて、これで邪魔者は全て消えました」
ルシアンは、遥か彼方に見える王都の城壁へと視線を向けた。
かつて私を追放した門が、今は主を失って静まり返っている。
「王都への道は開かれました。行きましょう、お嬢様。……いえ、これからは『陛下』とお呼びすべきでしょうか?」
彼が茶目っ気たっぷりに微笑む。
私は苦笑しながら、愛槍を天に掲げた。
「気が早いわ、ルシアン。でも……悪くない響きね」
風が吹き抜ける。
瓦礫の山となった王国。けれど、ここからなら何でも作れる。
私の、私による、私のための新しい国が。
勝利の凱歌が響く中、私たちはゆっくりと王都への凱旋を開始した。