その国が確かに存在したという証しを残そうと、沈んだ所を覆うように人工的な浮島を作る事にする。
しかし、意外にも国連がその浮島を国土として認めると言ってしまった事で、その国に激震が走る。
海は、静かすぎるほど静かだった。
それが一番、不吉だった。
すでに母なる海は、祖国を奪う脅威として意識されていた。
波が来ては返す、その一波一波が国土を削り取っていく。
その小さな島国の住民はなす術もなくその恐怖の中にあった。
潮位計はとうに意味を失っていた。
毎年数センチずつ上がる海面は、確実に人々の生活の場を奪っていく。わずかに残された国土も海の水に侵されていて、すでに作物の育たない不毛な大地となっていた。
その残された大地すらも、あと数年で完全に海に沈む。
もう10年以上前から島国プレアスは「沈みゆく国」として地図帳の片隅に注釈付きで載るようになった。
国名の横には※がつけられ、
(消滅予定)
と記述される。
それが国の正式な扱いだった。
人口は九千三十二人。一万人にも満たない。
空港はなく、港もせいぜい中型船舶の停泊が限度、資源もなく、軍事力も乏しい。
元々珊瑚礁が積み重なって出来た島だから、土地も枯れていた。
島の周りで獲れる魚などの海産物が唯一の産業だ。
あと財産と言えるのは、祖父母の代から語られてきた「この海と共に我々は生きて来た」という記憶だけだった。
人々は、沈む大地の代わりに浮かぶ大地を作った。
小さな島の水没した部分を覆うようにドーナツ状に作られた浮島。
海外の支援を受け、鋼鉄と樹脂を最新の技術で組み込んだ。
不足しがちな浮力を補う為に古い船体も利用してつなぎ合わせ、祖国の大地を再現した島の形を模した広大な浮島。
深い意味はなかった。
ただの悪あがきだ。
無慈悲な大自然に対して、俺たちの生まれ育った国はここにあったんだぞと言ってやりたかった。
それは祖国の墓標であり、最後の居場所だった。
しかし、奇跡が起こる。
国連が特例としてこの浮島を国土として認めるという裁決を行い、見事に可決したのだ。
祖国の大地を失いはしたが、国そのものは残すことが出来る。
だが、それを最も苦々しく眺めていた者たちがいた。
周辺諸国だ。
特に周辺諸国の一つであるキルニアランド国の落胆は大きかった。
国が隣り合っていて、排他的経済水域はもちろん、領海すらもその小国のお陰で狭められていた。
まさに目の上のたんこぶであった。
国が沈んで無くなれば、自国の領海や排他的経済水域は大きく広がる。
国際法の取り決めでは、領海は約22km、排他的経済水域は370km。
それだけの領地が転がり込むはずだったのだから、落胆するのも当然と言えば当然だ。
「浮島なんて消えればいいのに」
キルニアランド人は皆んなそう考えていた。
「やるなら一気にプレアス人ごと浮島を沈めなきゃね。全員殺せば、国際社会に訴えることも出来ないでしょ」
「元々沈むはずだった島を沈めて何が悪い!」
キルニアランドの世論が徐々に過激化していく。
その傾向に、他の周辺国の誰も止めようとはしなかった。
自分達も少なからず国土が増えるのだ。
キルニアランドの動勢にきな臭いものを感じてはいたが、あえて黙認した。
攻撃は深夜に決行される。
一瞬だった。
宣戦布告も、警告もなかった。
国籍不明の潜水艦から、有りったけの対艦魚雷が撃ち込まれた。
地面が爆発し、一気に海の水が流れ込んできた。
ドーナツ状の浮島はミシッミシッ!っと悲鳴をあげると、あちこちで裂け、燃え、沈んでいった。
浮島の最後を悟った人々はそれでも足掻いた。
沈みゆく祖国すら諦めなかった人達だ。
諦めてなるものかと、島のあちこちに散っていった。
浮島を作る時、浮力を補う為に廃船を使っている場所が何箇所かあった。それが動けばこの窮地から逃げられるのでは?
浮力の補強として、浮けば良いという目的で使われた廃船だったから、動力がまだ生きているものは少ない。
さらに持ち出せた燃料もそれほどある訳ではない。
ほとんど博打だった。それも勝ち目のほとんど無い博打。
それでも可能性が少しでもあるならば、1人でも多く生存者を逃がそうと緊急で動力が積まれている廃船のエンジンをかけて回った。
偶然、動力が生きている廃船を一隻見つける。
深夜の闇に紛れ、こっそりと静かに祖国の島から離れていく小さな浮島。
その形はまるで瓢箪のような形をしていた。
乗っていたのは、100人程度。
老人、子供、妊婦、元教師、元漁師、名前もない役人。
魚雷による爆発の影響で全員が少なからず怪我していた。
運良く、医師と看護婦がいたのが幸いし、何とか皆が生きながらえることには成功する。
しかし、一様に虚ろな目をしていた。
こればかりは医者には何ともする事は出来なかった。
半日ほど海を行き、エンジンは止まり、燃料も尽きる。
小さな浮島は、ただ潮に押されて流れるだけの存在になった。
そんな時、どこかの国の電波を拾い、テレビがニュースを映し出す。
そこにはプレアスで火事が延焼して、浮島を構成している樹脂に引火、最終的に全焼して浮島は全て海に沈んだと言う。住人の生存者はゼロだったと。
国連も浮島が海に沈み、国民すら居なくなった事で特例を撤回し、プレアス国の消失を正式に発表する。
プレアス国は、正式に滅亡したのだ。
世界はその原因を「不幸な事故」として処理した。
小国の消失は、ニュースでの扱いも異様なほど小さかった。
確かに世界中の多くの人が聞いたこともない小国の事などニュースとして関心を惹きにくい。そういう理由もあっただろう。
でもそれだけでは無かった。
その陰には、浮島を国土と認めた特例を速やかに無かったことにしたいという国連側の事情もあったのだ。
特例を悪用し、某大国が他国の排他的経済水域に浮島を作り国土を主張する。そういう動きがあった。
そんなことを認めては世界秩序が維持出来なくなる。
国連にとっても、プレアスの滅亡は従来の秩序を取り戻す為に好都合だったのだ。
漂流七日目。
嵐の夜だった。
浮島に設けられた仮設の病院で、赤ん坊の産声が上がった。
亡国後、島で産まれた最初の命。
立ち会った助産婦は、泣きながら言った。
「私たちの祖国は滅びた。この島はもうどこの国でもない。
私達は死ぬまでプレアスの国民だけど、この子は違う!この子はそんなしがらみなんか一切ないこのどこの国でもない島でどこの国にも染まらない唯一無二の存在として生きるのさ!自由に!」
その場には島の住人が全て集まって、この島で生まれた初めてのプレアス人ではない赤ん坊の誕生を喜んだ。
名前をどうするのか、老婆のこの言葉で決まった。
ーガバチョ
それがこの子の名前だ。
かつてスペイン領だった頃の言葉で"よそ者"という意味だ。
姓は、もう意味がない。
国名も、地名も、消えてしまった。
この名前に、滅亡した祖国への郷愁に縛られる我々とは違う、何者にも縛られない人物という意味が込められている。
嵐が明けた朝、
誰かがぽつりと呟いた。
「この島、ひょうたんみたいな形だな」
「ならこの島の名前は今日からひょうたん島だな」
別の誰かが笑いながら言う。
「そういや、国もない、土地もない、俺たちのリーダーを何で呼ぼうか?王様?大統領?」
さらに冗談の延長で話した。
「ならスペイン語で"頭領"って意味の"ドン"ってのはどうだい?」
と誰かが返す。
「おっ!良いねぇ!やっぱスペイン語は響きが良い!」
昔、スペイン領だった名残りとして残っているスペイン語も今では話せる人も少なく、「なんか格好いい言葉」と言う感覚で意味まだ知っている者は稀であった。
「それじゃあ、この赤ちゃんが大きくなって、リーダーになったとしたら…」
周りの人達が声を合わせてノリノリで答える。
「「ドン・ガバチョ!」」
そう言うと皆んな楽しそうに笑い出す。
「格好いいじゃないか!」
「早く見てみたいね、ドンガバチョって呼ばれるこの子を」
「ひょうたん島のドンガバチョ!未来は明るいな!」
辛い現実の中から産まれた明るい未来への希望。
人々は今の苦境や少しでも忘れようと陽気に笑った。
苦しい事、悲しい事が沢山あった。
でも挫けてなんかやるものか!
泣くのなんて真っ平だ!
笑ってやる!
どんな時でも希望を見つけて笑ってやる!
そういう強い意志がその笑顔にはあった。
そんな大人たちの喧騒に、つられて赤ん坊は、そのとき、初めて声をあげて笑
浮島は今日も流れている。
地図からも飛び出し。
国際法なんか気にもしない。
ぷかぷか浮かんで、
アチラヘコチラヘふーらふら。
だが、この小さな瓢箪の上で、
物語だけは、確かに始まった。