なんだかとってもヤバいけん~勇者の剣を棄てにいく~   作:陸一じゅん

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タイトル頭に『●』がついている話は、邪剣以外の視点です。


●沈黙の護衛騎士アビいわく。

 

「今日も姫は、その、変わりないのか? 」

 目を泳がせる侍従にたずねられ、『沈黙のアビ』は、早朝の薄明りでもよくわかるように、しっかりと深く頷いた。

 

 カーテンの隙間から差し込む光はこの国を象徴する大湖の水面を反射して、光線のように強い。

 人頭牛体の武神アブウの蹄が踏み荒らして生まれたという湖だ。用水池としてはもちろんのこと、そこから根のように伸びる河川が、この王国の民を豊かにしてきた。

 しかし今や、武神から賜ったあの湖ですら憎々しい。

 

 それは十二年ものあいだ、王国を包む闇だった。

 

 武神アブウは、戦と高揚の神である。配下には血を啜り悪夢を見せる精霊たちを従え、戦場を蹂躙したあとの屍を喰うという。

 彼らの吐息は、ときに戦場から遠く離れた女子供のもとに届き、心に風を吹き込んでいくのだといわれた。それは、アブウの目がねに叶ったという証で、風に吹かれた心は半分がアブウの膝元にあるのだという。

 

 第一の姫サーラは、齢二つと半年のときから昼も夜も無く泣き叫び、つたない言葉で「声が、声が」と聞こえぬ誰かの存在と恐怖を訴えた。

 そうでないときは虚空をぼんやり見つめるか、眠っているか。そうしてほとんど部屋から出ることも叶わぬまま、十四歳となっていた。

 

 ついた異名が『狂乱姫』。

 王家は姫の他にも子宝に恵まれたが、王と王妃には常に長女へかけられた『呪い』という影があった。

 

 言葉を話せぬアビは、そんな不憫な姫君の護衛として召し上げられて五年となる。

 その間、寝台からこぼれる長い亜麻色の髪と、その髪を梳る老齢の乳母の曲がった背中。夜半の扉越しに聞こえる、少女のか細いすすり泣きだけが、アビの知る姫君のすべてだった。

 

 それが変わったのが、つい二晩前。

 

 

 みなもに星空が映り込む、月もない夜のことだ。

 ランプの灯が揺れ、扉の外に控えていたアビは、聞こえるはずのない音を聞いた。

 長く、長く、体中の空気を絞るような長い吐息と――――そのあとの、少女の切迫した呼び声。

 

「――――ああぁ! だめ! シーダお兄さま! 」

 

 次の瞬間、開くはずのない扉が開いた。

 思わず立ち上がったアビは、開け放たれた扉という支えをうしなって倒れ込もうとする姫の体を受け止めた。

 薄い夜着をまとった体は、ほとんど筋肉もないからか雲をつかむように軽く、ほとんどが長い髪の重さではないかと思われるほどだった。

 ベッドからは、アビならばほんの五歩だ。体当たりするかたちで扉を開けたサーラ姫は、その数歩で、すでに疲れ切って脂汗をかいていた。

 意思は進もうとしているのに、萎えた筋肉が許してくれない。

 

 腕を持ち上げることすらできない体が、こうして扉を開けたことに、アビは驚嘆していた。

 見開かれた瞳は、深い深い、あの夜の湖のような黒だと、アビは城の誰よりも早く知ることができた。

 

 ――――翌朝、城中を、シーダ王子の訃報が駆け巡る。

 

 サーラ姫の弁で、夜間のあいだに王の家族と側近がその遺体を発見し、事は段階を経てあきらかになっていった。

 サーラ姫は立ち合いこそできなかったが、きちんと目を開いたまま事の流れを確認し、そして乳母のすすめでようやく――――といっても、まだじゅうぶん朝といえる時間帯に――――数時間ぶりに目を閉じた。

 彼女は夕暮れに再び目を覚まし、あれは夢かと思っていた両親と乳母を本当の意味で喜ばせることができた。

 

 ああつまり、この王国は、長子を冥界へ送ったと同時に、大切な姫君がアブウ神のもとより戻ってきたのだ……と。

 

 

 

 

 目が覚めてからの姫は、猛然と行動を開始した。

 いや、正確には、『猛然と』動くことは叶わない。体は萎えきり、声も、あの晩のひとことふたことで、喉を枯らしてしまった。

 医者いわく、寝たきりだった姫が言葉を話すどころか、声を発せたはずがないという。あの声は、神が与えた奇跡の一声だったのだ。

 柔らかな寝台に沈むことしかできない雲のように軽い姫君は、しかし意思だけは『猛然と』前に、先へと進みたがっていた。

 

 具体的には、ものを食べたがり、体を動かしたがる。

 乳母が止め、医師が止めても、彼女の目には『諦め』がなかった。

 

 それがアビの目には、怒りのようにも、悲しみのようにも、歓喜に由来するものにも映った。

 なんらかの強い衝動が、彼女の心を動かしているのは間違いない。アビはそう確信していた。

 

 あの黒い瞳が、開いて意思が宿っている。

 ――――素晴らしいことだ。

 

 しかし、乳母とアビ以外の召使いたちはアビの予想に反し、姫の目覚めにあまり喜ばなかった。

 

『今日も姫は、その、変わりないのか?』

 アビは先ほどの無礼な質問を思いだし、嘆く意味も込めて大きくため息を吐いた。できもしない愚痴を話したい気分だった。

 

 彼らは、懐疑的だ。

 

 姫は、言葉を理解している。二歳のときから、心を半分アブウ神に取られていたわりには……いや、あきらかに、十四歳相当の知恵をその体に有している。

 それが不自然だ、というのだ。

 

 少女は、恥じらいも慎みもマナーも知っていた。

 アビがいる前で身の世話をすることを嫌がり、医師の言葉には理解を示している。

 日を浴びずに育った体は幼児のようだったが、心は幼児のままではなかった。

 乳母は、アブウ神のもとで学んだのだろうと素直に快癒を喜んでいる。

 しかし城のものたちの多くは、『ほんとうに姫自身が戻ってきたのだろうか? 』と考えがやまないらしいのだ。

 

 つまり『中身は違うのではないか』という。

 

 ばからしい。アビは吐き捨てる。

 

 

 疑惑の真実が分かったのは、姫が『猛然と』体に力をたくわえ、ようやく発声ができるようになったころだった。

 

「……ずっと声がきこえていたのです。むろん、今も」

 その日は、締め切っていてもムッとするほどの激しい雨だった。室内では、昼間であっても灯りをつけるしかない。

 姫はようやく座った首で、横殴りに鎧戸を叩く雨粒や波打つみなもを幻視するように、窓の方向を見つめた。

 

「剣が叫ぶあの声が、生まれたときからずっと……あの激しい嵐のように、この心に降り注いでいたのです」

「……剣が? ですか」

 

 乳母もさすがに、不可解そうに眉をひそめた。これが二歳の姫だったら、「姫様、剣はものです。ものは生き物ではないから、お喋りなんてしませんよ」とでも諭すのだろうが、目の前にいる姫は、そんな乳母の反応を予想していたのか、柔らかな微笑みを浮かべている。

 

「あの剣は、喋るのです」

「あの剣、とは……」

「むろん、神剣クノーですわ。あれには魂が宿っています。生き物と同じ……いいえ、あれは、精霊のようなものなのでしょうね。剣のかたちをした精霊」

「なるほど。ならば口をきくのも、人を操るのも、道理でございますわね」

 乳母は、ようやく得心した顔になった。

 

「いいえ、あれは人を操るのではないのでしょう。ただ喋っている。わめいている、というほうが正しいのかしら……。言ったでしょう? まるで降り注ぐようだと。音……そう、音なのです。雷鳴のように、肌が痺れ、頭が揺れ、はらわたの奥まで響く……そういうもの」

「まあ……それがシーダ殿下を死に至らしめ、姫様が囚われていたものの正体なのですね」

 

 乳母の皺に縁どられた目が、悲しげに垂れた。思わずというふうに姫の膝に手を伸ばし、両手をさするように握る。

 それらを、三歩は慣れた壁際で聴いていたアビはといえば、姫によるそれらの説明の巧みさに、ただただ驚嘆するばかりだった。

 

 乳母から王へ、王から臣下へ。そして従者たちから民へ。

 真実が明かされれば、扱いが変わる。

 もっと早く明かすこともできたでしょうにと乳母は嘆いたが、姫は微笑むだけだった。

 

(この方の心は、お強い)

 

 五年間――――いや、目覚めてから五月が経とうとしているので、もはや六年。

 

 六年、アビは、自身の主人がこのように聡明であることを知らなかった。

 およそ肉のなかった体は、そのあいだにいくらか肥(ふと)り、顔も丸みを帯びてきている。

 王妃の面差しを受け継いだ美貌も、うかがえるまでになっていた。

 

 いまだ部屋を出ることはほとんどできないものの、乳母以外の侍女や侍従、アビ以外の兵にも、ようやくおっかなびっくりの対応をされないくらいにはなった。

 それだけにとどまらず、シーダ王子が亡くなり、王子がいなくなったぶんの期待が、サーラ姫に向かうまでにもなっていた。

 

 サーラ姫の下にはさらに三人の弟妹がいるが、まだ幼い。この賢さまでもが露見すれば、きっと国王陛下も妃殿下も、後継者として彼女を見るようになるまで時間の問題だろう。

 そんな姫の輝かしい未来を考えるたび、アビの胸の奥には冷たい風が吹くようだった。

 

 アビは、奴隷階級の出身だ。くわえて、赤ん坊のころに愚かな大人に舌を切られてしまって話せない。

 幸い、引き取ってくれた奴隷商がよいところで『おまえは不憫な身の上だから、これを使ってうまく生きろ』と言って、教養の多くをさずけてくれた。剣だけではなく、文字の読み書きや計算もできる。

 そのおかげで王宮に召し上げられ、そのおかげで、誰もが嫌がる狂乱の姫の護衛を任された。

 

 

 状況は変わった。

 

 王宮に上がった時点で、奴隷から平民階級に格上げされているが、奴隷だったという過去も変わらなければ、アビがとつぜん話せるようになるわけでもない。

 きっとこれからすぐにでも、サーラ姫のもとにはもっと立派な護衛が何人もつくようになるだろうし、たくさんの侍女や侍従もやってきて、姫のお世話をすることになる。腰の曲がった乳母は、それでも姫の話し相手として傍に留め置かれるだろうが、自分のような薄汚い生まれの男は、姫の扉の前に立つことすら許されなくなる。

 

 姫は、アビには話しかけない。アビのほうは話せないので、困ってしまうから。アビの気持ちを汲んで話しかけない。けれどこうして部屋に入れ、護衛の仕事に関係のない交流をさせてくれる。

 

 姫が健やかになっていくたび、アビは嬉しい。

 そして同時に、寂しくて悲しい。

 

 そんな気持ちを誰かに伝えることすら、『沈黙のアビ』には許されていないのだ。

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