なんだかとってもヤバいけん~勇者の剣を棄てにいく~ 作:陸一じゅん
『秋の賢者』とはどんな人物だろう。
晩餐会にあらわれたその実態が、宮中の誰もが予想した姿とかけ離れていたことは間違いなかった。
扉が開いたとき、最初にアビの抱いた印象は、(全身が明るい赤茶色で覆われている)だった。
おどろくほど大きなつばの、円錐型の長い帽子の先が、頭の上から天井を指している。外套は重そうな革でできていて、この国では暑いだろうと思った。
歩くたびに帽子のつばの飾りが『わさわさ』と揺れ、肩をこえた大きな影も連動して『わさわさ』と形を変える。近くで見てはじめて、帽子のつばの下に垂れ下がるその『わさわさ』が、本物の紅葉した無数の葉のように見えるので、まさか、と王妃ですら目を丸くしていた。
つばには、赤いビーズのような飾りもついていたが、それだって木の実のような形をしている。
賢者は国王の前で立ち止まると、その帽子に手をかけた。
「やや陛下! お招きと歓迎に感謝いたします! 」
――――頭から木が生えている!
腕をうんと伸ばして、長い帽子を取ったその下にあったのは、髪の毛のように垂れさがる本物の枝葉と、いたずらが成功したような茶目っ気たっぷりの茶色い瞳だった。
「ここがわたしの席になりますかな? 」
大食堂をどよめきが広がるようすに、まんぞくげに大きな鼻の先を赤くさせた賢者は、抑えきれないとばかりに「うふうふ」と上機嫌で、侍従に案内されるまでもなく席に座る。賢者どのの座高は、この場の誰より高く、しかし爪先の尖った靴の底は、床にまで届いていなかった。
奇人――――アビは、短くもたどたどしい人生経験から、そんなふさわしい言葉を導き出した。
春、夏、秋、冬、と存在するという賢者たちは、それぞれ神々の御加護があるという。実りを司る秋の賢者は、なんともはや身体に樹木を宿すことができるというのか!
見た目は滑稽だが、およそ人の範疇からは外れていることは確かである。
あらゆる魔術師の最上位、あらゆる王と同等の地位にあるというのも、この姿を持つのならば、説得力があるといえる。
料理は、湖の魚に、森でとれた果実や収穫したばかりの麦をふんだんに使ったものが、所狭しと並べられた。
貴き奇人は、この場では本題に入るつもりはないようだった。
王妃と姫たちの美貌を褒め、王と王子のたたずまいを褒め、料理を褒め、侍従たちの心遣いを褒め、冗談を言い、ついにはその場にいくつもの笑い声が上がった。
(……ああ、よかった)
弟妹たちは、とつぜん目覚めた姉に遠慮していたところがあった。
兄を喪い、姉が戻ってきたといわれても、幼い王子たちには無理からぬことであった。
当事者であるサーラ姫もまた、弟妹への扱いをどうすればいいか、困り果てているところがあり、王と王妃も塞ぎがちで、臣下たちもそんなようすに心を痛めるばかりで――――この城の誰もが途方に暮れていた。
雲が晴れたように。あるいは、弱った植物がようやく蕾をつけたように。
まわりを見渡せば、涙ぐむ者さえいる。
「――――おや、もうこんなに夜が更けてしまった! 」
王が苦笑交じりに、閉会を宣言する。とはいっても、外はようやく星が輝きはじめたころだ。「子供たちは、もう寝る支度をしないと」
王子たちから不満の声が上がる。紅い鼻の下で髭を揺らしながら、秋の賢者が「また明日といたしましょう」と笑った。
「賢者様のおかげで、とても素敵な晩餐会でしたわ」
サーラ姫が頬を明るくして言う。
子供たちが乳母に連れられていなくなると、場は火が落とされたかのように、ゆっくりと熱が遠ざかっていった。
「さて……秋の賢者どの、我が国に参られた用向きを宣じていただきたく」
「まあ、そう焦りなさるな。そのように身構えなくとも、きっと良い向きの託宣となりましょう」
秋の賢者は、励ますように明るく言った。
「蜜蜂の女神、伝令神マアヤからの託宣でございましてな。かの女神は、その恵みのように、働きに対して癒しと甘美なるねぎらいを与えてくださります。どうか、この試練を悪しきものと捉えないでいただきたい。この国の人々は優しく、御子達は健やか。民は純朴で働き者ばかり。悪いようにはなりませぬ。この儂がやってきたのが、そのあかし」
果実水の入った器を手に取り、髭を濡らしながらにっこりと、世間話をするかのように。
「女神マアヤからのお告げはこうです。
『緋の森に封じられた邪剣とかした神剣クノー。かの剣がもたらす禍いの輪を断ち切らなければならぬ』
どうすればよいのか、とお尋ねしました。
『緋の森、その近く、かの剣を抜くものがありけり。そのものこそ、まさしく勇者。剣を持ち、『灰の山脈』にある霊山『隠されし炉』へ、クノーをくべれば、その禍いは祓われる』と」
「……勇者。この国に勇者が」
王妃が震える声で言った。嘆く目が姫を見つめている。姫は静かに王妃の視線を受け止め、わずかの間頷くようにうつむくと、次に賢者の視線を受けた。
「それはきっと、わたくしです」
「おや」
賢者は瞠目した。
「声が聞こえるのがそのあかし。秋の賢者さま……あなたさまの声も聞こえていました。わたくしは勇者。その名に伝令神マアヤ=サーラの御加護を頂いたもの。女神にいただいたこの試練、踏破してごらんにいれましょう」
◇
王宮の奥にあつらえられた宝物殿は、墓場のように静かだった。
じっさい、堅牢な石造りの館は作られた時代も古く、王家の先祖の霊が宿っていてもおかしくはない。
サーラ姫の車を引きながらアビは、どこか上の空で、車輪の回る音に耳を澄ませていた。
王と賢者とサーラ姫。それだけの人数で宝物殿の扉が明けられる。
想像していたような、金銀財宝が絨毯の上に山となっているわけではない。頑丈そうな棚と、古めかしい金庫が整然と並んでいる。
部屋に火種はなく、外から持ち込むしかないその場所は、暗闇に満ちていた。
しかし姫はまっすぐと『そこ』を示す。アビは彼女の足となり、闇の中に車輪を押し出した。
「……アビ、下がっていて」
アビはわざと衣擦れの音を立てる。
(なぜ? )
「危険があるからです。この剣は、障りがある。わたくしは、わたくしだけは大丈夫」
姫が振り向く。扉からの光を受け、姫の黒い瞳が懇願するように水色に濡れて揺れた。
「今だけは、わたくしではなくお父様たちの前に」
今の今まで見えなかったものが、腰を上げて手を伸ばす姫の前に見えるようになる。
暗闇に浮かび上がるように、古めいた革を巻かれた古びた鋼の剣。
姫の細腕には分不相応なまでに大きな剣だ。
黒々とした柄に、手垢に塗れた黒い布かざり。
柄の先端についた禍々しく重い光を放つ赫(あか)い宝石だけが、きらきらと輝いている。
――――見られている。
そのとき、姫の背中が遠ざかるように闇の中に沈み込んだ。踏み出そうとした足が出ない。
姫の黒髪が闇に融け、白い肩がヴェールの奥に入り込んだように見失う。
おそらく姫が蹴り上げた移動椅子が、アビの膝を打った。
それを押し退けて前に出たそのときには、姫の手には―――――。
「……抜けた」
「抜けたのか」
「抜きました」
姫の静かな宣言にかぶせるように、かがり火を持って立ち尽くす王の呆然とした声が、背後から聞こえた。
賢者がアビを押し退けて姫の前に立つ。抜き身の剣を持つ姫の膝元に賢者はひざまずき、こうべを垂れた。
「わたくしが勇者なのです」
姫は、アビを見て言った。