なんだかとってもヤバいけん~勇者の剣を棄てにいく~   作:陸一じゅん

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●旅立ち

 港には、漁師たちの威勢のいい声が溢れている。

 

 季節は廻り、冬が過ぎ、初夏となった。

 蹄型をした大湖は、いくつかの大河の源泉でもあり、ひとつの道として整備されている。ときに土の上を歩くよりも早い。

 『秋の賢者』もまた船に乗って、ふたたびこの国の王宮に足を踏み入れることとなった。

 

「秋の賢者さま。ふたたびの御来訪、お待ちかねておりました」

 

「いやいや陛下もお変わりなく壮健なごようすで何より」

 

 国王は、人好きのする笑顔でもって、賢者を出迎えた。

 壮健と言った言葉に嘘はない。年は三十と少し。黒々と豊かな髪と髭を持ち、体格は立派で背も高い。大人の精悍さと、少年のような快活さが混在している。

 

 秋の賢者はこの冬から春までのあいだ、この王の書状を手にひっさげ、周辺諸国をめぐっていた。

 内容は言うまでもなく、これからの旅路への布石である。

 秋の賢者には、これからの旅路が過酷なものであることが分かっていた。封印が解かれた神造の剣を運ぶということは、それだけのことだと判断している。

 

「して、姫の御加減はいかがですかな? 」

「いや、これがずいぶんと動きまわれるようになりました」

 

 明るい声とはうらはらに、国王の顔には憂いがはしった。

 無理もない。本来ならば、旅などさせずに手元でぬくぬくと育てたい大切な娘なのだ。

 それが運命だとされても、名誉では命はあがなえない。

 

 国王のもとを辞し、召使いの導きで庭へと出る。

 緑が豊かな国だ。整えられ、雨露とは無縁の王宮の屋根の下であっても、濃密な大地の匂いに包まれている。

 水と土に愛されたこの国では、庭園も見事なものだった。

 果樹や花々が通年で咲き乱れているが、庭師の手はさほども入っていないという。

 この国の植物は、みずから冬でも実を落とし、花をつけるのだと。庭師の仕事は、おもに植物の選別と庭園の掃除なのだと。

 

 雪深いことで知られる『黒い森』が出身の秋の賢者は、雪をはらいながら渋いベリーを探した幼少期を思いながら、ちょうどよく成っていた黄色い果樹を枝から捥いでその甘い実を味わうと、にっこりとした。

 梢で、声の美しい小鳥が羽ばたく。

 

「アビ、といったかね」

 

 木々の影、秋の賢者に視線を向けていた青年が、ゆっくりと頷いてみせた。

 青年がゆっくりと、賢者のあゆみに歩幅をあわせて庭園を行く。

 あとを追いながら、賢者はこの青年について考えた。

 

 面立ちこそ似ていないが、この奴隷出身の青年は、国王と重なるところがある。

 愛《たましい》のかたちが似ているのだろう。どちらも顔立ちに、ある種の素直さと強靭なやさしさがあった。

 

「よい国だの」

 

 青年は歩きながら、ごくわずかに振り向いて微笑む。異国の血を引く奴隷出身の青年は、深く頷いた。

 

 青年は、庭園のつきあたり、王宮のどこかの壁がそびえる隙間に賢者を導いた。

 おそらく庭師が、作業場のように使っている一角だ。

 

 そこに、まだ作って間もないだろうツタを編んだ椅子が一脚、置いてあった。

 

「これは……」

 

 アビは、そっと椅子を持ち上げた。

 ツタはすっかり軽く乾いている。アビの手が難なくそれをひっくり返し、賢者へ向かって見せつけるように差し出した。

 いくつかの革の帯がくっついている。うち左右に輪になっている二本は、綿を含ませていて肌あたりもいい。

 これはまるで……。

 

「背負子《しょいこ》かな? 」

 

 アビは頷くと、椅子を背負って見せた。『こう使いたい』という、言葉なき言葉。

 

「姫を乗せるつもりで? 」

 

 アビはためらうように瞬きをして、頷いた。

 なるほど、と賢者は思う。

 背負子を借り、背もたれや座面をぐいぐいと押す。骨組みに針金が入っていて、なかなかに丈夫なつくりをしている。

 体に沿うようにと考慮された背もたれと肘置き。

 長く座っていても苦痛が少ないようにと、形もずいぶん考えたのだろう。

 

 

 「ふうむ……」

 

(姫はあれから、どうなっているのか)

 

 

 

 ◇

 

 

 

 日差しはこんなにも温かく、焼き立ての菓子が目の前にあるというのに、姫はあきらかに消沈しているように見えた。

 お付きの老侍女が、心配そうに姫の脇にひかえている。

 

「……賢者さま、申し訳ございません。わたくしの励みが足らなかったのです」

 

「いいえ、殿下。けっして、そんなことはございませんよ」

 

 おっとりと賢者は返した。

 

 そう、当然のことだった。

 何年も床から起きたことが無かった姫が、険しい旅路に足るほど、健脚になれるわけがない。

 医者は、嘘偽りなくそう告げた。

 

 もしも姫がそれに足る体になるには、何年もかかる。それこそ、この王宮に留まってはいけないだろう。

 目的地の霊山は、険しい雪山でもある。

 この国は旅路の訓練には向かない。快適すぎるのだ。

 

 おそらく、姫はそうそうにそのことに気が付いていたのだろう。

 だからせめて、と努力を重ねた。しかし実がならなかったから、こうも消沈しているのだ。

 

 賢者は顎を撫で、こめかみをポリポリと掻いた。

 さてどうするか。

 

「しかし、旅立たねばなりません」

 

「……わたくしは役目に足るのでしょうか」

 

「ええ、姫はじゅうぶんに役割に足るでしょうとも。そこで、ひとつ腹案がございます。いやなに、前々から考えていたことです」

 

 

 うつむいた姫の顔が、期待をこめて持ち上がる。

 

「アビを連れて行きましょう」

 

 扉の外で、ガタンと何かが倒れる音がした。姫の顔が、わずかに少女らしい明るい色を帯びた。

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