【完結】渋谷の中心でマハムドバリオンを唱えた馬鹿者   作:双子座流星群

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敵に対しても、罪悪感はわきますか?


夢落:空の果てから来たるもの・後編

 宇宙空間に浮かぶ超巨大母船(マザー)

 その内部へと侵入を果たすことには成功した。エイリアン・ファイターの生体認証コンソールと正規パイロットの操作によって、防衛システムに疑われることなく、煌々と青白い光で照らされた広大なドックへと俺たちは吸い込まれたのだ。

 

 さて、ハッキング方法だが……俺たちが乗ってきたエイリアン・ファイターには当然の如く、敵の中枢システムを遠隔操作して機能を停止させるような便利なハッキング機能など搭載されていない。

 SF映画の金字塔なんかであれば、ドッキングしたこの機を逃さず、ノートパソコンのキーボードをカタカタと叩いてハッキング用途に改造した機体を通じて、親玉のメインフレームにコンピュータウイルスをプレゼントするところなのだろう。あるいは専用のケーブルをハッチの奥に突き刺して、カウントダウンと一緒にシステムをシャットダウンさせるとか。

 しかし、俺はエンジニアではないしプログラマーでもない。相田だって、裏社会の工作員まがいの情報収集能力はあっても、未知の地球外生命体が構築したシステムを即興でクラッキングするような神業は流石に不可能だろう。

 

 俺にまともに扱えるITスキルといえば、せいぜいがワードとエクセル、あとはパワーポイントで無難なプレゼン資料を作るくらいのものだ。星間戦争の最前線で「本日は弊社、地球人類の提案をお聞きいただき……」なんてスライドを投影したところで、向こうのシールドが降りるわけではない。

 

 だからこそ、俺たちは俺たちのやり方——つまりは、極めて物理的で野蛮な魔法使いの流儀でこのミッションを遂行する。

 

「相田。息は止めなくていいぞ」

「ええ、まあ、それはもう……」

 

 機体がドックの所定の位置に降着し、プシューッという排気音と共にハッチが開きかけるその直前。

 俺は杖を振るい、相田と自分自身、そして相変わらず恍惚とした表情で俺を崇拝している洗脳済みのエイリアン・パイロットに対して、いくつもの魔術的障壁を付与した。

 

 まずは『目くらまし術』。これで俺と相田の姿は完全に背景と同化し、光学的なカモフラージュが完了する。次いで、環境に対する絶対的な防御をもたらす『インパービアス(防水・防火せよ)』と、頭部を透明な空気の膜で覆う『泡頭呪文』。

 ここは宇宙船のドックだ。地球の重力や大気組成が再現されている保証はどこにもない。だが、この魔法があれば真空に放り出されようが、致死性の有毒ガスが充満していようが、快適な呼吸と温度を維持したまま活動することができる。

 

 エアロックが完全に解放される。

 俺たちは光学迷彩状態のまま、泡頭呪文に守られた頭でハッチから音もなく滑り降り、母船の床に降り立った。

 

 ドックの内部は、生物の体内を思わせるような不気味な流線型の金属壁で覆われており、そこかしこに緑色に発光するパイプが脈打つように這っていた。無機質な機械のはずなのに、どこか生々しい。

 俺たちが降り立つと同時、奥の暗がりから、二つの不気味なシルエットが這い出てきた。

 

 カチャカチャ、というような甲殻類が床を叩く足音。

 現れたのは、俺たちを乗せてきたパイロットと同種族だが、身につけている装具の形状からして整備士らしきエイリアンだった。彼らは手になにやら触手のついたスキャナーのような端末を持ち、俺たちが乗ってきたエイリアン・ファイターの周囲をぐるぐると回りながら見分を始めた。

 

……オカシイナ。帰投信号デハ、機体大破トアッタハズ……

ドコモ破損シテイナイ。ジェネレーターモ、装甲モ、完全ナ状態ダ。一体ドコガ?

 

 通訳魔法を通じて、彼らの怪訝な思念が脳内に直接流れ込んでくる。

 触手で機体の表面を撫で回し、端末をピッピッと鳴らしているが……当たり前だ。そんなもの、残っているはずがない。

 ニューヨークの路地裏でグシャグシャの鉄屑になっていたその機体は、俺が乗る前に『レパロ・マキシマ(最大修復)』で新品同様、いやそれ以上に完璧に直してしまったからだ。地球人の魔法使いによる異常なアフターケアのおかげで、彼らの目には単なる「誤報による無傷での帰還」にしか見えていない。

 

 整備士のエイリアンたちが、操縦席で大人しく座っている洗脳済みのパイロットへと触手を向ける。

 

オイ、何故帰還シタ? システムエラーカ?

…………

 

 パイロットは虚ろな目で宙を見つめたまま、何も答えない。

 訝しげに思念を交わし合う二体の整備士に対し、俺は透明な姿のまま、ゆっくりと背後から近づいていった。そして、泡頭呪文の膜越しにニヤリと笑う。

 マジカル☆ハッキングの、第一段階だ。

 

 俺は両手に握るように真っ直ぐ構えた杖の切っ先を、二体のエイリアンの背中へと向けた。

 

「——マリンカリン(魅了)ッ!!

 

 杖の先端から、ピンク色のハート型の波動が弾け飛ぶ。

 それは無音で空間を滑り、二体の整備士エイリアンの後頭部へと同時に吸い込まれた。

 

 直撃を受けた瞬間、二体の整備士エイリアンはその場に釘付けにされたように、ピタリと触手の動きを止めた。

 彼らの複眼が、本来持っていた機械的で冷徹な光を失い、代わりに熱っぽい——甘く蕩けるような恍惚の光を帯びていく。

 ここまでは地球に落着したパイロットの時と全く同じ反応。

 だが、ここは敵地のど真ん中だ。パイロットの時のように、公衆の前でいきなり服従のポーズを取られて万が一他の個体に見つかれば、一発で異常事態として処理されてしまう。だからこそ、俺は洗脳と同時に素早く彼らの意識野へと踏み込み、強固な思念を送り込んだ。

 

『——私に気づいても、その場から動く必要はない。透明なまま話しかけるから、作業を続けているフリをして、そのまま不自然のないように聞け』

 

 命令は即座に行き渡った。

 二体の整備士は、傍目には相変わらず機体のスキャン作業を続けているように見せかけながら——その実、全ての意識を背後の「見えない主」へと集中させ、歓喜に打ち震えていた。

 

アア……! ドコニ、ドコニイラッシャルノデスカ! 我ガ主、我ラガ神ヨ……!

コノ声ハ、コノ気配ハ……! 我ラノ全テヲ捧ゲルベキ、気高キ魂……!

 

 相変わらず重たすぎる愛情だ。

 脳髄に直接響く粘着質で狂信的な声に、俺は思わず顔をしかめそうになるのをこらえた。

インパービアス(防水・防火せよ)』の膜越しの相田も、インカムを通じて聞こえる思念の余波に顔を引きつらせている。

 

『いいから、質問に答えろ。私はいま、お前たちが他の星……地球に対して行っている不当な侵略を止めに来た』

 

 俺は抑揚を殺し、冷徹で威厳のある「上位者」のトーンを維持したまま、本題を切り出した。

 

『地球に降下している侵略兵器のバリア……エネルギーシールド。あれを全軍一斉に解除する操作を、お前たちが行うことは可能か?』

 

 単刀直入。

 もしこの整備士たちが、母船の中枢システムにアクセスできる権限や、シールド発生装置のメンテナンス・オーバーライド权限を持っていれば、話は簡単だ。こいつらに「システムの電源を落とせ」と命令するだけで、今回のミッションの大半は完了する。ハッキングなどというまだるっこしい手順も不要だ。

 だが、現実はそう甘くはなかった。

 

 俺の問いに対し、整備士のエイリアンたちは端末を操作するフリを続けながらも、その精神の奥底からひどく申し訳なさそうな、そして怯えたような思念を返してきた。

 

モ、申シ訳アリマセン……。我々ノヨウナ末端ノ労働階級ニハ、ソノヨウナ大層ナ権限ハ与エラレテイナイノデス

シールドノ統括制御ハ、最重要機密事項デス。アレヲ操作、モシクハ解除デキルノハ……此度ノ「資源回収作戦」ヲ指揮シテイル、部隊ノ最高指揮官ニシカ行エマセン

 

「……指揮官、か」

 

 泡頭呪文の中で、俺は小さく舌打ちをした。

 一介の整備士やパイロットが全軍のシールドを止められるほど、向こうのセキュリティもザルではないということだ。

 システムに物理的な破壊工作をしかけるにしても、その中枢であるジェネレーターブロックの場所や構造がわからなければ手出しができないし、うかつにいじって母船ごと大爆発してしまっては、中にいる俺たちもただでは済まない。

 

 となれば、狙うべきターゲットは必然的に絞られる。

 

『その指揮官とやらは、今どこにいる?』

 

 俺が問い詰めると、彼らのうちの一体が、母船の上層部……ドックの遥か上方に位置するであろう特定の区画のイメージを脳内に送信してきた。

 

母船ノ中枢、「統轄ブリッジ」デス。部隊指揮官ハソコデ、全軍ノ進行状況ヲ監視シテイマス……!

 

 相田が横で頷く気配がした。

 

「堀田さん。なら、やることは決まりましたね」

 

 ああ、決まりだ。

 プログラミングの知識がないなら、キーボードを叩ける奴に叩かせればいい。

 この作戦の最高責任者である指揮官の首根っこをひっ捕まえて——そいつに直接、シールドを解除させるのだ。

 

※※※

 

「で、そのブリッジとやらはどっちにあるんだ? 案内しろ」

 

 そう命じた俺に対して、二体の整備士エイリアンは触手をモジモジと絡ませながら、気まずそうな思念を返してきた。

 

ソレガ……我々ハ、ソノ場所ヘ実際ニ行ッタコトガナイノデス

 

「は?」

 

 俺は思わず間抜けな声を出してしまった。

 自分たちの親玉がいる場所を知らない? いや、そもそもあのバカでかい円盤型の母船なのだ。マザーと呼ばれている以上、ここが彼らの本拠地であり、生活の基盤でもあるはずだ。

 

我々ノ「群レ」ニオケル労働階級ハ、生マレタ区画ト、割リ当テラレタ作業エリアノ外ヘ出ルコトヲ禁ジラレテイマス。コハ、我ラノ「星」ソノモノ。下位ノ者ガ生涯縁ノナイトコロハ、カゾエキレナイホドアルノデス……

 

 なるほど、そういうことか。

 窓の外から見たあの母船のサイズ感……直径はゆうに数百キロを越えていた。ちょっとした国家、あるいは月にも匹敵するサイズの居住空間だ。考えてみれば、一個人がその全機能や構造を把握していると考える方が無理がある。

 彼らは星を喰らい荒らす「宇宙のイナゴ」だが、その内部社会は完全な階級制で縛られており、アリやハチのように生まれた時から役割が固定されているのだろう。

 

「堀田さん。なら、物理的に歩いて探すのは不可能ですね。地球で言えば、日本からアメリカのホワイトハウスまで徒歩で向かって、大統領の執務室を探し当てるようなものです」

 

 相田の言う通りだ。

 敵のど真ん中で迷子になるリスクを冒してウロウロするのは愚策中の愚策。

 

『それじゃあ、上級の個体はどうやって移動しているんだ? いちいち数百キ歩いているわけじゃないだろう』

 

 俺が少し苛立ちながら問い詰めると、整備士の一体が壁際に設置されている、床から天井まで伸びる緑色に発光するチューブ状の装置を指し示した。

 

艦内ノ長距離移動ニハ、アノ空間転送装置(テレポーター)ヲ使用シマス

 

 テレポーター。

 さすがは恒星間航行種族、艦内の移動もSF仕込みというわけか。

 だが、整備士は申し訳なさそうに続ける。

 

シカシ、アノ装置モ個々ノ「権限」ニヨッテ転送先ガ制限サレテイマス。我々ノヨウナ末端ノ者ハ、上層部ヘ飛ブ権限ヲ……持ッテイナイノデス

指揮官ノモトヘ行クニハ、我々ヨリモ上位ノ権限ヲ持ツ「上官」ヲ探シ……更ニソノ上官ト、順番ニ権限ヲ上書キシテ伝ッテイク必要ガアリマス……

 

「……なるほどな」

 

 俺はため息をつきつつも、状況を受け入れていた。

 つまり、ここから始まるミッションは——敵の最高指揮官の権限を持つ「大ボス」に辿り着くために、下っ端から順に上官の首根っこをひっ捕まえ、洗脳して権限を奪いながら上へと登っていくという、極悪非道な「わらしべ長者」ゲームだ。

 

 だが、悪くない。

 むしろ、魔王の城を攻略するRPGのようで、魔法使いの戦いとしてはこれ以上なく分かりやすいじゃないか。

 

「一つ確認だが、その『上官』を俺たちが操って変な行動を取らせた場合、周りの連中に怪しまれたり邪魔されたりする心配はあるか? いちいち目についた奴を全員洗脳して回るのは、流石に骨が折れるんだが」

 

 ただでさえ『マリンカリン(魅了)』は対象の精神に干渉する強力な魔法だ。無限のMPがあるとはいえ、動くたびに何十体もの雑兵を処理し続けるのは時間と手間の無駄遣いである。

 すると、洗脳された整備士たちは、俺の思惑にとって非常に都合の良い——そして、彼ら自身の社会構造の歪みを示す事実を嬉々として提供してくれた。

 

ソノ御心配ハ無用デス、我ガ主ヨ。我々ノ「群レ」ハ、絶対的ナ縦型社会。上位ノ者ノ命令ト行動ハ全テニ対シテ優先サレ、絶対デス

タトエ直属ノ上官ガ、多少理解ニ苦シム奇妙ナ振ル舞イヲシタトテ……我々下位ノ者ガ、ソレニ異ヲ唱エタリ、遮ッタリスルコトハ決シテアリマセン。ソレハ「群レ」ノ規律ニ反シ、即座ニ廃棄サレル重罪ダカラデス

 

 なるほど、完璧なトップダウン組織というわけだ。

 個の思考を奪い、システムの歯車として徹底的に最適化された歪な社会構造。だからこそ、パイロットが路地裏で格闘戦に敗れたり、俺に洗脳されたりといったイレギュラーを想定できていなかったのだろう。

 上位者に絶対服従し、下からの突き上げや自浄作用が働かない組織というのは、一度頭を挿げ替えられてしまえば恐ろしいほどに脆い。

 

「……堀田さん。これ、向こうのシステムを悪用すれば、ほぼフリーパスで中枢まで登っていけますよ」

 

 相田が、黒い笑みを浮かべているのが透明状態でも分かった。

 地球をこんな目に遭わせた連中に対して、俺たちもこれっぽっちの容赦もするつもりはない。

 

「ああ、好都合だ。それじゃあ、この『わらしべ長者』の最初のターゲットを決めようか」

 

 俺は二体の整備士を見据え、冷徹な思念で指示を下す。

 

『お前たちが今すぐ接触でき、かつ、このドックで最も地位が高い——テレポーターの上層アクセス権限を持った者の居場所へ、我々を案内しろ』

 

 整備士たちは、待ってましたとばかりに歓喜の思念を震わせた。

 

畏マリマシタ……!

コノ区画ノ整備統括官ノモトヘ、至高ノ主ヲ御案内イタシマス……!

 

 彼らは触手を器用に動かし、スキャナー端末を片付けると、俺たちに見えない尻尾を振るような足取りでドックの奥へと歩き出した。

 その後ろを、透明状態を維持した俺と相田が足音を殺して追従する。ここから先は、エイリアンの支配階層を一皮ずつ剥いでいく、マジカル☆ハッカーの仕事だ。

 

※※※

 

 向こうが問答無用で吹っ掛けてきた侵略戦争とはいえ、仮にも知的生命体としての尊厳をすり潰すような手口には、我ながら吐き気が込み上げてくる思いだった。

 『マリンカリン』による洗脳の連鎖。

 それは、エイリアンたちの鉄の縦列社会を逆手に取った、この上なく醜悪で効果的な侵略行為そのものだった。

 

 まず、整備士たちに案内された上官である「整備統括官」に接近し、俺は背後から魔法を撃ち込んで洗脳した。

 整備士たちはその場に待機させ、今度はその統括官に、さらに上位の権限を持つ「区画管理者」の元へと案内させる。

 連れていかれた先で管理者へ魔法をかけ、統括官をその場に残し、管理者と共にテレポーターを使って一つ上の階層へ……。

 

 まるで寄生虫が宿主を乗り換えながら上位捕食者の脳を目指すように、俺たちはより上位の権限を持つエイリアンへと延々と「乗り換え」を繰り返した。

 

アア……! 次ナル扉ヲ、貴方様ノタメニ開キマショウ!

 

 洗脳された部下によって連鎖的に引き合わされ、洗脳されていく直属の上官たち。

 彼らは、不自然なまでに急に自分たちの本来の作業の手を止め、見えない虚空に向かって恭しく一礼し、恍惚とした表情で何か言葉にならない思念を交わしながら、最上位階層へと続くテレポーターへ向かおうとする。

 当然、そんな上司の奇行を目の当たりにした周囲のエイリアンたちは、触手を震わせて困惑の思念を漏らしていた。

 

統括官閣下……? ドチラヘ向カワレルノデスカ、作戦ハ今佳境ニ

オカシイ。管理者サマハ、先程マデ厳格ニ指示ヲ出シテイタハズナノニ……

 

 だが、誰も止めない。

 彼らの社会における「上位者の絶対性」が、疑問を抱くことや行動を遮ることを許さないのだ。

 彼らは自分たちの属するシステム……この母船が、そして同胞たちが破滅へと向かっているというのに、ただ命令に従って見送ることしかできない。そして洗脳された者たちは、自身の誇りも築き上げた階級の地位も投げ捨てて、狂わしいほどの喜びに浸りながら自らの手で同胞の首を絞める手助けをしていく。

 

「……堀田さん。顔色、悪いですよ」

 

 何度目かのテレポーターでの転送中、相田がインパービアスの膜越しに俺を気遣うように声をかけてきた。

 

「……分かってる。でも止めない」

 

 俺は吐き気を堪えながら、短く答えた。

 彼らは東京を、ニューヨークを、そして世界中の街を焼いた。人も建物も文化も、ただの「資源」として奪らい尽くそうとしている。

 なら、俺がやっていることはその意趣返しだ。相手の社会構造という「ルール」を資源にして、彼らの心という「システム」を食い荒らしている。

 同情する必要はない。俺は人間の魔法使いで、これは人類が生き残るための戦争なのだから。

 

 そんな吐き気を催すやり取りを幾度繰り返しただろうか。

 最初のパイロットや整備士も含め、用済みとなった下位のエイリアンたちは、不審に思われないようそれぞれの階層の持ち場に「待機命令」を出して残してある。

 テレポーターを乗り継ぎ、徐々に洗練されていく艦内の装飾。行き交うエイリアンたちの放つ威圧感も、階層を上がるごとに強烈に、そして濃密になっていく。

 

 そして。

 最後に取り込んだ「戦術司令官」の権限で起動した、一際巨大で荘厳な装飾が施されたテレポーターの先に設定された座標。

 

 緑色の光が弾け、空間転送の浮遊感が収まった時。

 俺と相田、そして案内の司令官の目の前に広がったのは……これまでの階層とは一線を画す、広大で静謐な空間だった。

 

 ——統轄ブリッジ。

 

 壁面の全てが巨大なモニターパネルとなっており、地球上のありとあらゆる都市がリアルタイムで映し出されている。火の海と化したロンドン。煙に包まれるパリ。赤いシールドを展開しながら絶望的な抵抗を続ける人類の足掻き。

 そして、その無数の光景を見下ろすように、空間の中央に一段高く設けられた玉座のような制御コンソール。

 

 そこに座っていた。

 これまでのエイリアンたちよりも一回り以上大きく、外骨格には王の甲冑を思わせるような複雑で刺々しい装甲が施された個体が。

 

 俺と相田は、透明状態のまま息を呑んだ。

 ついに辿り着いた。この星喰いの群れを統べる、今回の地球侵略作戦の最高指揮官の元へと。

 

※※※

 

 ——俺と相田、たった二人の地球のオッサンによる静かなる逆侵略は、あまりにも静かに、そしてあっさりと達成を迎えた。

 

 洗脳して連れてきた「戦術司令官」を盾にブリッジの中枢へ無警戒に接近した俺は、最高指揮官の巨大な背後に音もなく回り込み、至近距離から杖を突きつけた。

 そして、これまで何度も繰り返してきたように……ただ一言、『マリンカリン』と唱えるだけ。

 魔法の光は最高指揮官の硬質な装甲をすり抜け、その脳髄へと直接突き刺さった。

 

ガ……? グ、オ……ォ……?

 

 最高指揮官の巨体が玉座の上でビクンと跳ね、数本の触手が苦悶するように虚空を彷徨う。

 さすがに最高位の個体だけあって、最初の数秒間は凄まじい精神的抵抗があった。だが、それも束の間のこと。俺の注ぎ込む無限の魔力と絶対的な支配の前に、王の誇りなどという後天的な概念は、抗いがたい究極の「愛」の前で砂上の楼閣のように崩れ去った。

 

アア……。何タルコト、我ハ……コノ命、全テ……貴方様ノ御心ノママニ……!!

 

 重厚な威厳を放っていた外骨格の一部がパシュッと外れ、無防備な軟体質が露わになる。

 侵略軍のトップが、見えない地球人に向かってひれ伏した瞬間だった。

 

全軍! 地上ニアマツカケシ、我ラガ同胞ドモヨ! 今コノ神聖ナル命令ヲ聴ケ!

 

 最高指揮官の巨躯から、ブリッジ全体へと届く、圧倒的な思念の波が放たれる。

 

全権限ヲ以テ命ズル! 全機、並ビニ全歩行兵器ノ「エネルギーシールド」ヲ、即時、完全解除セヨ!!

 

 その信じがたい命令は、広大なブリッジ内にピリッとした静寂をもたらした。

 

 ブリッジを取り囲むように乱立するコンソールには、最高指揮官の脇を固める無数の高位エイリアンたちがいる。彼らとて、ここまで登り詰めた以上は単なるシステムの一部ではなく、それなりの知性を持つエリート階級のはずだ。

 彼らは一斉にコンソールから手を離し、玉座の主を振り向いた。

 

……閣下? 今、何ト……?

シールドヲ解除スレバ、地上ノ抵抗勢力ノ火器ニヨッテ、我ガ軍ハ甚大ナ被害ヲ受ケマス!

作戦ノ破棄デスカ!? アレハ「資源」デス! 我ラノ生殺与奪ノ権利行使ニ制限ナド……!

 

 困惑。驚愕。そして、隠しきれない動揺。

 エイリアンたちの放つ思念が、狭い艦橋内でざわざわと飛び交う。

 当然の反応だ。地球人類を絶滅寸前まで追い込んでいる最大の要因である「絶対防御」を、自ら手放せという命令なのだから。それは事実上の、全軍への自殺命令に等しい。

 いくら最高指揮官の命令とはいえ、誰かが「正気か」と止めに入るか、あるいは反乱を起こしても不思議ではない状況だった。

 

 ——だが。

 彼らの絶対的な縦列社会の掟は、俺たちの想像以上に、彼ら自身を深く呪縛していた。

 

……指揮官閣下ノ、御意志カ

……全権限ヲ持ツ者ノ命ナラバ、我々ニ否ヤハナイ

シールドシステム、全基シャットダウンプロセスニ移行……

 

 誰も、それ以上は踏み込まなかったのだ。

 最高指揮官の乱心に、彼らが何を思ったかは分からない。もしかすると、「何か我々には想像もつかない高遠な戦略的意図があるのだろう」と無理やり自分たちを納得させたのかもしれない。

 あるいは、ただ思考停止して「上位者の命令だから」と受け入れただけかもしれない。

 いずれにせよ、彼らは、自分たちの破滅を意味するコマンドを、恍惚としながら命令を下す最高指揮官の姿を直視しながら、淡々と、自らの手で入力していった。

 

 パスカルの「人間は考える葦である」という言葉がある。

 彼らは明らかに人間よりも高度な科学力を持ちながら……最も重要な「考えること」「疑うこと」を社会システムとして放棄してしまっていたのだ。

 その思考の放棄こそが彼らをここまで繁栄させ、そして今、彼らを滅ぼすことになったのだ。

 

「……終わったな、相田」

「ええ。あまりにも……あっけなく」

 

 俺と相田は、透明なままモニター群を見上げた。

 赤々とした火の海に包まれていた世界地図。そこに展開していた無数の「緑色の光点」……地球の兵器を無効化していたエイリアン軍のシールド反応が、まるでパタパタとオセロの石がひっくり返るように、一斉に、そして静かに消滅していった。

 

 次いで、モニターに映し出された映像に変化が表れる。

 ニューヨークの上空。シールドという絶対の守りを失い、ただの空飛ぶ鉄骨と化した無数のエイリアン・ファイターたち。

 そこへ、これまで無力な抵抗を強いられていた米軍のF−22やF−35が、怒れる鷹の如く猛然と牙を剥いたのだ。

 

 ——ドォォォォォンッ!!

 

 無音のモニター越しにも、その轟音が聞こえてきそうだった。

 ミサイルが直撃し、機関砲が機体を蜂の巣にする。今までなら緑色の光壁に弾かれていたはずの火力が、エイリアン・ファイターの装甲を容易く紙切れのように引き裂き、次々と火球に変えていく。

 地上でも同じだ。無敵を誇っていたトライポッドの装甲に、戦車の徹甲弾が深々と突き刺さり、その長い脚をへし折って巨体をビル街へと沈ませていく。

 

 ロンドンでも、パリでも、上海でも。

 世界中のあらゆる戦場で、反撃の狼煙が上がっていた。

 

ア……アア……

ソンナ……我ガ軍ノ、無敵ノ侵攻部隊ガ……虫ケラノヨウニ……

 

 ブリッジ内に、絶望の思念が木霊する。

 高位のエイリアンたちは、操作端末に触れることもできず、ただ巨大なモニターに映し出される「一方的な虐殺」の映像を呆然と見上げていることしかできなかった。

 彼らの科学技術や兵器のカタログスペックそのものは、依然として地球のそれを上回っているはずだ。だが、シールドという絶対的なアドバンテージを失い、さらに「シールドありき」の戦術で密集して浮かんでいた彼らは、怒り狂った人類の恰好の的でしかなかった。

 

「……シールドを消すことには成功した。これで地球の軍隊もまともに戦える」

 

 俺は杖を構えたまま、隣に立つ相田に声をかけた。

 

「どうする。このまま『姿現し』で一度地上に戻って、アメリカ軍と一緒にあのUFOどもを叩き落として回るべきか?」

 

 俺の魔法で地上からファイターをデコピンのように弾き落としていけば、さらに効率的に地球の空を掃除できるだろう。

 そう考えての提案だったのだが、相田は少し呆れたようなため息をつき、インパービアス越しでも分かるほどにはっきりと首を横に振った。

 

「堀田さん。それも悪くないですけど……どうせシステムを握ってるなら、もっと手っ取り早い方法があるじゃないですか」

「手っ取り早い?」

「ええ。『バリアシステムに重大な異常が発生したため、全軍撤退せよ』とでも命じさせればいいんです。わざわざ自分たちで一機ずつ撃ち落とす手間が省けるでしょう?」

 

 その言葉に、俺は目から鱗が落ちたような気分になった。

 

「……なるほど。確かにその通りだ。相田、お前やっぱり頭が柔らかいな」

 

 魔法という規格外の力を持っていても、俺の発想はどこか物理的で局所的な「ドンパチ」の域を出ていなかったらしい。

 俺は感心しながら、玉座でへたり込んでいる最高指揮官へと再び杖を向け、新たな思念を叩き込んだ。

 

『追加の命令だ。全軍に「バリアシステム異常による即時撤退」を命じろ。地上にある歩行兵器、ファイター、そしてあの巨大な円盤艦……全てを回収して、地球から引き揚げさせろ』

 

 洗脳された最高指揮官は、抵抗の素振りさえ見せずに深く、深く首を垂れた。

 

オオッ……! 全権限ヲ以テ命ズル! 全戦力ハ直チニ作戦ヲ放棄! 母艦ニ帰投セヨ!

 

 その思念の波が再び艦内、そして地球全土へと放たれる。

 

 すると、モニターに映る世界各地の戦場で、劇的な変化が起きた。

 人類からの猛反撃にさらされ、次々と撃墜されていたエイリアン・ファイターたちが、突如として反転。まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、それぞれの拠点上空に浮かぶ巨大な円盤艦を目指して一斉に飛び去っていく。

 地上で破壊の限りを尽くしていたトライポッドたちも、残った脚を不格好に動かしながら、円盤艦から照射された牽引ビームによって次々と上空へと回収されていった。

 

全艦、撤退シーケンス開始。空間転移、チャージ

 

 ブリッジ内の高位エイリアンたちが、やはり困惑した様子ながらも、最高指揮官の命令に忠実に撤退プログラムを作動させていく。

 モニター越しに見える巨大な円盤型UFOの周囲に、黒雲と稲妻が渦を巻き始めた。彼らが地球に現れた時と同じ、ワームホールによる空間転移の前兆だ。

 

 バチバチッという激しいノイズと共に空間が歪み、ロンドンを、パリを、そしてニューヨークを覆っていた巨大な影たちが、一つ、また一つと虚空へ吸い込まれるようにして消滅していく。

 

 地球全土を絶望の淵に追いやった宇宙からの侵略軍は、たった二人の地球人のマジカル☆ハッキングによって尻尾を巻いて逃げ出し始めたのだ。

 

※※※

 

 モニター越しに見える地球の青空が、徐々に本来の美しさを取り戻していく。

 地上からの脅威はこれで去った。撤退支援の牽引ビームによってトライポッドやファイターが全て回収され、あの禍々しい円盤艦が虚空の彼方へ跳躍してしまえば、地球は再び人類の手に戻るだろう。

 

 だが、残る問題がある。

 元凶たるこの巨大母船——月にも匹敵するサイズの居住空間と、そこに巣食い、今も俺たちの周囲で慌ただしく撤退・回収作業に奔走している無数のエイリアンどもそのものだ。

 

「よし、相田。お前の提案に倣って、きっちりと元から断つ方法を考えようか」

 

 俺は周囲のモニターから玉座の主へと視線を戻し、杖を軽く手のひらに打ち付けた。

 

「ええ。地球をこんな目に遭わせておいて、自分たちだけ安全圏に逃げ帰るなんて虫の良い話は許せませんからね。このままどこか別の星を標的にされても寝覚めが悪いですし」

 

 インパービアス越しでも分かるほど極悪非道な笑みを浮かべて相田が同意する。

 地球へ送り込んだ手下どもを回収させたなら、次はこの母船そのものを明後日の方向……例えばブラックホールの中心や、恒星の真っただ中にでも放り込むような航路を設定させれば、完全勝利だ。全ての脅威は宇宙の藻屑と消え去り、地球の平和は未来永劫守られる。

 

『おい、指揮官。お前にこの母船そのものの進路……空間転移の座標を決定するシステム権限はあるか?』

 

 俺が玉座で項垂れたままの最高指揮官へと思念を飛ばすと、彼は巨大な身体の装甲をビクッとすくませ、ひどく恐縮しきったような、それでいて絶望的な思念を返してきた。

 

モ、申シ訳アリマセン、至高ノ主ヨ……。我ハアクマデ、コノ「第七資源回収部隊」ヲ預カル一介ノ指揮官ニ過ギマセン。艦隊ノ運用ハ出来テモ、コノ母船ソノモノノ全般的ナ航路制御ヤ、根幹システムヘノアクセス権限ハ有シテオラズ……

「……なに?」

 

 俺は思わず相田と顔を見合わせた。

 あれだけ偉そうに玉座にふんぞり返り、王者のような装甲まで纏っていたくせに、こいつもただの中間管理職に過ぎなかったというのか。

 

加エテ、此度ノシールド即時解除及ビ全軍撤退ノ命令ハ、規定ノ作戦行動カラ著シク逸脱シテイマス。先程カラ、上層部——マザー中枢ヲ統括スル「元老院」カラノ通信要求ガ絶エマセン……。異常事態トシテ感知サレレバ、スグニデモ武装シタ直属ノ警備部隊ガ、我々ヲ鎮圧・廃棄シニ来ルデショウ……

「……マジかよ。こんだけデカい図体して、まだ上がいるのか」

 

 俺は毒づきながら、ブリッジの鋼鉄の扉を睨みつけた。

 つまり、このバカでかいエイリアンでさえ、巨大な縦列社会の歯車の一つに過ぎないということだ。先ほどの全軍撤退命令も、彼本来の権限をギリギリまで拡大解釈した末の強行軍であり、母船そのものを意のままに操るほどの権限はない。

 しかも、この命令が上層部に不信感を持たれている以上、のんびりとここで指揮を執り続けるわけにもいかないらしい。このまま時間が経てば、本当に別の武装勢力がブリッジに雪崩れ込んでくる。

 

「……堀田さん。やっぱり、どんな巨大組織でも一番上の頭を押さえないと、根本的な解決にはならないってことですね」

「ああ、そうだな。面倒だが、一番上をおさえるしかあるまい」

 

 俺はため息をつきつつ、杖を強く握り直した。そうと決まれば、やることは先ほどまでと全く同じだ。

 俺たちは「最高指揮官」——もとい、単なる第七資源回収部隊の現地指揮官を新たな宿主として利用し、さらに上位の階層への扉を開かせることにした。

 

直チニ、マザー中枢ノ「元老院」ヘト通ジル転移座標ヲ展開セヨ……。行クゾ、我ガ主ヨ

 

 洗脳された部隊指揮官は、巨大な操作コンソールに幾本もの触手を這わせ、今まで俺たちが使っていたものとは明らかに次元の違う、重厚なセキュリティプロトコルを次々と突破していく。

 ブリッジの最奥に設置された、ひときわ巨大なテレポーター。そこに、血のように赤く禍々しい光が灯った。

 

 俺と相田は、部隊指揮官の巨体の影に隠れるようにして、その赤い光の渦へと足を踏み入れた。

 

 転移の浮遊感は、これまでよりも長く、そして重苦しかった。

 空間が歪み、視界が開けた先に広がっていたのは——もはや艦船の内部とは到底思えない、異様な空間だった。

 

 有機的な粘膜で覆われた壁面。底知れない奥行きを持つ巨大なドーム状の広間の中空には、無数の玉座のごとき生命維持装置が浮かび、そこには老成した——というよりは、干からびたミイラのような、脳髄だけが異常に肥大化した高位エイリアンたちが収まっていた。

 彼らが、この巨大な母船の意思決定機関である「元老院」なのだろう。

 部隊指揮官の突然の来訪に、元老院のミイラどもは訝しげな、そして不快感を露わにした強力な思念を放ってくる。

 

第七回収部隊ノ指揮官ヨ。貴様ノ独断ニヨル撤退命令ハ、資源回収ノ効率ヲ著シク……

 

 だが、その思念が最後まで紡がれることはなかった。

 

「——マリンカリン(魅了)ッ!!

 

 俺は部隊指揮官の背後から透明状態を維持したまま、宙に浮かぶ元老院のミイラどもに向かって、持てる魔力の限りを尽くしてピンク色の波動を乱れ撃ちにしたのだ。

 相手がどれほど高度な知性を持っていようと、脳髄が肥大化していようと関係ない。物理的な防壁がない精神体に近い連中など、『マリンカリン』にとっては最も御しやすい鴨でしかなかった。

 

オ……オオォ……! コノ深キ慈愛、究極ノ論理……!

我々ノ計算ヲ凌駕スル、絶対的ナ……愛……ッ!

 

 干からびたミイラどもが、生命維持装置の中で次々とぶるぶると身悶えし、恍惚の表情を浮かべていく。

 あっという間に、母船の最高意思決定機関である「元老院」は、俺の熱烈な信者たちへと成り下がった。

 これで、いよいよ障害はない。

 

『さあ、案内してもらおうか。お前たちの、本当の「一番上」のところへ』

 

 俺が冷酷な意思を伝播させると、元老院のミイラたちは痙攣するように身体を揺らしながら、狂気じみた歓喜の思念を束ねて返してきた。

 

アア……! 偉大ナル主ヲ、我ラガ「女王」ノ御前ヘト……!

 

 ドームの最奥。これまで壁だと思っていた巨大な肉塊の一部が、ジュルリと濁った音を立てて左右に割れる。

 そこから漏れ出してきたのは、息が詰まるほどの濃密な生命の気配と、この母船そのものを動かしているであろう途方もないエネルギーの波動だった。

 エイリアンどもの、クイーン。

 アリやハチの社会構造に似ていると推測した時点で、その存在には思い至るべきだった。この星喰いの群れを産み出し、統率し、そして消費と略奪をやめられない巨大なシステムの、本当の中心。

 

 俺たちは洗脳した元老院の案内で、その開かれた肉の門へと、静かに、そして用心深く足を踏み入れた。

 肉の門を抜けた先に鎮座していたのは、圧倒的な「恐怖」と「醜悪」の具現だった。

 

 エイリアンの女王は、俺たちの想像を絶するほどに巨大な存在だった。

 どれほどのサイズがあるのか、薄暗い空間では全貌を把握することすら難しい。明確なのは、彼女がこの巨大な母船の中枢部そのものと半ば一体化しているという事実だった。彼女の膨大かつ醜悪な体組織からは、ひときわ太い無数の神経索や管のような触手が四方八方へと伸び、艦の壁面や無機質なシステムと完全に同化しているのである。

 

 自発的に動くことすらままならないであろうその肥大化した腹部は、まるで一つの巨大な山脈のようにうねり、一定のリズムでドクン、ドクンと不気味に脈打っていた。脈打つたびに、濃密な魔力にも似た悪辣な生体エネルギーが広間全体を満たし、防護魔法であるインパービアスの膜越しでさえも、ねっとりとした異様な圧迫感として肌に絡みついてくる。

 

「……こいつを肥え太らせるために、今までどれだけの星が滅ぼされてきたんだ」

 

 俺の口から、無意識のうちに乾いた呟きが漏れていた。

 東京の街を破壊し尽くした光線。ニューヨークを火の海に変えた巨大なトライポッド。それらの破壊活動の全ては、行き着くところ、この一体の醜悪な怪物を養護し、さらなる飢えを満たすためだけのプロセスに過ぎなかったのだ。

 そう考えると、足元から冷たい怒りが這い上がってくると同時に、言葉にできないほどのおぞましさに強烈な吐き気がこみ上げてくる。

 

 そんな俺たちの気配に気づいているのかいないのか、培養槽のような粘膜の海に沈む女王は、微動だにしなかった。

 ただ、その頭部にある複数の巨大な複眼だけが、半開きになったまま、夢想するような濁った光を虚空へと向けている。眠たげなのか、それとも下等生物である俺たちの存在など認知すらしていないのか、その真意は定かではない。

 

 だが、そんなことはもはや些末な問題だ。

 相手が星を喰らう怪物の女王であろうが、母船のシステムと一体化した存在であろうが。

 ここまで来た以上、俺のやることはたった一つしか決まっていない。

 

 俺は透明状態のまま床を蹴り、女王の醜悪な顔面……その半開きの巨大な複眼の真正面へと向かって、ふわりと高く跳躍した。

 そして、空中で姿勢を保ちながら、躊躇うことなく杖の切っ先を突きつける。

 

「——マリンカリン(魅了)ッ!!

 

 巨大な複眼の網膜を焼き切るかのように、必殺のピンク色の波動が吸い込まれていく。

 直後、母船全体が大きく揺さぶられるような錯覚を覚えた。いや、錯覚ではない。女王の放つ濃密な生体エネルギーそのものが、狂おしいほどの熱乱を帯びて爆発的に膨張したのだ。

 幾千の星々を貪ってきた絶対的な存在は、その醜悪な巨体を不恰好によじらせながら、全身全霊をもって地球人の魔法使いへの服従と、究極の愛を受け入れた。

 

アア……! 全テハ、貴方様ノタメニ……!

 

 ドーム内に響き渡ったのは、明確な個の意思を感じさせない怪物が初めて発した、甘く蕩けるような降伏の思念だった。

 これで、条件は完全に満たされた。

 

※※※

 

 女王を落とし、システムの中枢を握ってからの行動は早かった。

 

 俺の意図を汲んだ元老院が具体的な航行座標を決定し、それを女王が最高意思決定者として承認する。

 すでに地球上の全資源回収部隊を帰還させ終えていた巨大な母船は、重苦しい唸り声を上げながら、世界の空を覆っていた威容をゆっくりと翻し、地球から遠ざかるようにその向きを変え始めた。

 

 眼下のモニターには、見慣れた青い海と緑の大地が徐々に小さくなっていく光景が映し出されている。

 やがて母船全体を覆い尽くすほどの禍々しい黒雲と、次元の歪みを伴う雷光が発生し始めた。地球に襲来した時と同じ、空間を跳躍するためのワームホール形成の予兆だ。

 だが、今の彼らが向かおうとしている座標は、次なる豊かな資源星などではない。

 光すらも脱出できない、絶対の虚無と死の象徴——超大質量ブラックホールの中心部。

 

 元老院がその狂った座標を決定し、女王がそれを承認した。

 強固なトップダウンシステムで構成されたこの種族には、最高意思決定機関が下した「種族の自殺」という破滅的な命令に対して、異を唱えられる者など一人として存在しないのだ。指令を受理した操舵を司る個体も、エネルギー管理を行う個体も、ただプログラムされた機械のように、淡々と自らの死出の旅へのプロセスを完了させていく。

 

「……堀田さん。これで、本当に終わりですね」

 

 相田が、小さくなっていく地球のホログラムを見つめながらポツリとこぼした。

 

「……ああ」

 

 俺はただ、短く答えることしかできなかった。

 結果だけを見れば、地球と人類は大逆転の末に救われた。二度とこいつらが襲ってくることはないし、宇宙のどこかでまた別の星が喰い荒らされる心配もない。俺たちの完全勝利だ。

 だが、俺の胸の奥底には、決して無視できないねっとりとした後味の悪さがこびりついていた。

 

 思考を放棄し、群れの歯車になることだけを強要された種族。

 上からの命令というだけで、狂喜しながら自ら破滅の道へと躊躇いなく進んでいく彼らの姿は、不気味であると同時に、どこかひどく滑稽で、哀れですらあったからだ。

 俺が使った魔法が、数え切れないほどの知的生命体を、尊厳すら奪い取ったまま虚無へと葬り去ろうとしている。この事実は、俺の背負うべき「業」として一生の記憶に付いて回るだろう。

 

 ——だが、それでも。

 俺は地球の、人間たちの魔法使いなのだ。

 

「……帰ろう。俺たちの星へ」

 

 俺は深くため息をつき、その重い感情を無理やり心の奥底へと押し込んだ。

 ブラックホールへの空間跳躍が始まるまで、もう時間は残されていない。

 杖を優しく振るい、俺と相田は互いの手を取り合う。行き先は、地球で最も早く反撃の体制を整えていた場所——今回の事態を報告するのにも都合がいい、アメリカ軍の拠点だ。

 

 バチバチという特大の空間ノイズが母船を包み込んだ、その瞬間。

 パシッという空間が弾けるような鋭い破裂音と共に、俺と相田は死の特急便と化した星喰いたちの巨大母船から完全に姿を消した。

 

※※※

 

 『姿現し』の猛烈な回転と圧縮の感覚を抜け、俺たちの足が硬いアスファルトの感触を捉えた。

 無音の世界から一転、鼓膜を打ったのは、歓声のようなざわめきと、焦げたコンクリートの匂い——見慣れた、いや、つい先ほど出発したばかりのニューヨーク、マンハッタンの瓦礫散乱する大通りだった。

 

 上空を覆っていたあの絶望的な巨大円盤の姿はもうない。

 俺は周囲を警戒しながら、杖を振って頭部を覆っていた『泡頭呪文』を解除した。相田の分も同時に解く。

 途端に、噎せ返るような硝煙と土埃の匂いが鼻に飛び込んできたが、それすらも今は最高に新鮮で、紛れもない「地球の空気」として肺の奥まで染み渡っていく心地がした。

 

「……やり遂げましたね、堀田さん」

「ああ。戻ってきたぞ」

 

 俺は深く息を吐き出し、自身にかけていた『目くらまし術』を解いた。

 空気が揺らぎ、風景に溶け込んでいた黒いローブ姿がニューヨークの街角にふっと顕現する。

 その直後だった。

 

WIZAAARD!!(魔法使ぁぁぁぁいっ!!)

 

 鼓膜が破れんばかりの雄叫びと共に、巨大な影が猛然と突進してくるのが見えた。

「ギャーッ!?」

 回避する間も無く、俺の身体は強烈な衝撃と共に巨体に包み込まれる。肋骨が軋むほどのハグをかましてきたのは、つい数十分前、この大通りでエイリアンをタコ殴りにしていたあの屈強な黒人パイロットだった。

 

You did it!(やりやがった!) You actually did it!(本当にやりやがったな!)

 

 彼は顔を煤だらけにして、子供のように泣き笑いしながら俺の背中をバンバンと叩く。痛い。痛いが、その手から伝わる熱と興奮が、間違いなく俺たちが世界を救ったのだという実感を連れてきてくれた。

 

 パイロットの背後には、彼からの報告を受けて集まってきたのだろう、過武装の兵士たちと、明らかに軍の重鎮と思しき制服姿の初老の高官が立っていた。彼らもまた、畏敬の念といくばくかの恐怖が入り混じった眼差しで俺——世界を救った魔法使い——を見つめている。

 

「……こういう時、あのエイリアンどものテレパシーがいかに便利だったか、よく分かるな」

 

 俺が日本語でボヤくと、隣からクスクスとくぐもった笑い声が聞こえた。

 相田だ。彼は用心深く『目くらまし術』を解かず、透明状態を維持している。

 今回もまた、彼が俺の「声」となってくれる手はずだ。

 

「ええ。では、いつも通りに」

 

 透明な相田が囁き、流暢な英語で俺を代弁し始める。

 

We're just glad to be back in one piece(五体満足で帰ってこられて何よりだ). The mother ship is(母船は) heading straight for a black hole(ブラックホールに向かっている) as we speak(今この瞬間もな).」

 

 俺の——正確には透明な相田の口から紡がれる声に、パイロットは「Hah!(ハッ!)」と笑い、高官は深く頷いた。

 初老の高官が一歩前に出て、俺に向かって右手を差し出しながら重々しく口を開く。

 

I represent the United States military(アメリカ軍), and the people of Earth(そして地球を代表して言わせてほしい). Words cannot express our gratitude(この感謝は言葉では尽くせない). You saved our world today(今日、あなたは我々の世界を救ったのだ).」

 

 翻訳されたその言葉に、俺は無言のまま、ただ少しだけ肩をすくめてみせた。そして相田が意図を汲んで言葉を繋ぐ。

 

No need for thanks.(礼には及ばない) This affected our own lives, after all(自身の生活にもかかわる話だからな).」

 

 高官は差し出した手を下ろし、どこか穏やかな、そして深く見透かすような視線を俺に向けた。

 

「...The "Atoning Wizard"(『贖罪の魔法使い』).」

「……!」

 

 その言葉の響きに、俺の心臓が冷たく跳ねた。

 ……渋谷のスクランブル交差点。数百人の命を、身勝手な苛立ちと気まぐれな魔法で理不尽に奪い去ってしまった、あの忌まわしい事件。

 法では決して裁かれない、裁くことのできない大罪。

 あの事件で負った業を雪ぐためだけに、俺はこの魔法の力を使ってきたのだ。

 

Regarding the incident that originated that name(その由来となる事件については)... It didn't happen in our country(我が国のことでは無いので), so we won't pry too deeply(深くは問いません).」

 

 高官は静かに言葉を紡ぐ。それは世界の警察たるアメリカ軍のトップクラスの人間として、俺の「過去」を知っているという暗黙のメッセージでもあった。

 

However(しかし)... after what you’ve done today(これだけの事を成し遂げたなら), don't you think it’s time you(そろそろいいんじゃないか) allowed yourself a little forgiveness?(自分を許しても)

 

 その言葉は、俺の心の奥底の一番柔らかい場所を、確かに突いた。

 許されるのだろうか。星の危機を救ったからといって、あの交差点で奪ってしまった名もなき人々の命と、それに連なるであろう無数の悲しみが、帳消しになるわけではない。

 それでも、もし、ほんの少しだけ——。

 

 ツン、と。

 横から、透明な相田の指が俺の脇腹を無言でつついた。

 『どうします?』と言いたげな、悪戯っぽい合図。俺の感情の揺さぶりを、誰よりも近くで感じ取っている彼なりの不器用な慰めだった。

 

 俺は高官の言葉に、何も答えなかった。

 肯定も、否定もしない。ただ、フードの奥から一度だけ深く頷きを返す。

 

「……帰るぞ、相田」

 

 俺は隣の透明な虚空——相田の気配のする場所を手で掴んだ。

 そして、まだ何か言葉をかけようとしていた高官と、満面の笑みを浮かべているパイロットの前で、踵を返し。

 

 パシッ! という鋭い破裂音がニューヨークの路地裏に鳴り響く。世界を救い、そして再び自らの業と向き合う魔法使いは——地球の喧騒の中へと、あっさりとその姿を眩ませたのだった。

 

 

——————————————————————

——————————————

——————

 

 

 トントントン、という小気味の良い包丁の音。

 そして、鼻腔をくすぐる芳しい出汁と味噌の香り。

 

 ……ん?

 

 俺はハッと目を開けた。

 視界に飛び込んできたのは、見慣れたアパートの天井と、カーテンの隙間から差し込む眩しい朝日だった。日はもうすっかり上り始めているらしい。

 

 身体を強張らせていたことに気づき、小さく身じろぎをする。

 すると、腹の上に乗っていた二つのプラスチック製パッケージが、ズルリと滑り落ちて床に音を立てた。

 

 視線を落とすと、そこには見覚えのあるタイトルのDVDケースが二枚、転がっていた。

 一枚は『宇宙戦争』。

 もう一枚は『インディペンデンス・デイ』。

 

「……マジかよ」

 

 俺は呻くように呟き、顔を両手で覆った。

 あんな、全身の毛穴から冷や汗が噴き出すような大スペクタクルと、胃の下が重たくなるような「種族の自殺」という後味の悪い結末。あれが全部、SF映画の二本立てに影響された単なる「夢」だったというのか。

 いや、夢にしたってやけに詳細すぎやしないか? エイリアンの粘液の質感から、ニューヨークの焼け焦げたコンクリートの匂い、パイロットのハグの強烈な痛みまで、全てがリアルすぎた。

 

 俺はソファから上半身を起こし、キッチンの方へと視線を向けた。

 そこには、俺の身長を遥かに超える白い巨神——魔虚羅が、エプロンを器用に着こなし、フライパンと菜箸を持って俺の朝食の用意をしている姿があった。

 背中の法陣がカラカラとゆっくり回転するたびに、極上の出汁の香りが漂ってくる。

 昨夜から出しっぱなしにしていたせいか、戦闘や護衛の枠を飛び越え、もはや「家事」どころか「お母さん」という概念に適応し始めているまである。アイツ、そのうち俺のパンツまで洗い出しかねないな。

 

 そして、俺の向かいにあるもう一つのソファでは。

 

「すぴぃ……むにゃ……ほりたさん、もう見れないですよぉ……」

 

 昨日我が家に押しかけてきて、「たまには映画三昧でもして、なにか災害でもない限り一日だらだらしましょう!」と満面の笑みで言い放った張本人、相田がだらしなく口を開けて眠りこけている。

 あの悪夢の元凶は間違いなくコイツの映画チョイスだ。俺の深層心理で二つの名作SFが変に混ざり合い、あんなえらい世界観と絶望的な戦況が生み出されてしまったのだ。

 

「……夢でよかった」

 

 俺は深く、本当に深く安堵のため息をつき、腹の底からこみ上げてくる笑いを噛み殺した。

 本当に、何事もない、平和でだらしない日常の朝だ。

 そして同時に、夢の終盤で高官からかけられた言葉を思い出し、苦笑する。

 

——少しは自分を許してもいいのでは。

 

 どうやら俺の無意識は、「地球侵略の阻止」というハリウッド映画級の偉業でも成し遂げない限り、自分の犯した罪を許すラインに到達できないと設定しているらしい。

 どれだけ魔法で力を得ようとも、俺の本質はあの日の交差点から一歩も進んでいない、ただの臆病な小市民のままだということだ。

 

「まあ、いいさ」

 

 俺は一つ伸びをして、平和な日常の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 

「おい相田、起きろ。最強の式神謹製の朝飯だぞ」

 

 俺は呆け顔で眠る元ストーカーの肩を揺すりながら、キッチンで「オカン」として完成しつつある巨神の背中へと声をかけたのだった。




ちょっと他の二次創作に気を取られてこちらが疎かになっていましたが、なんとか番外編完結です。

章タイトルやサブタイの『夢落』からわかる通り、最初から夢オチである事は決まっていたので自重なしの大暴れに近い感じができた感じですね。
いま集中してる他の二次創作がおわったら、ゴジラ vs 魔虚羅の方もやっていいかもしれません。

両方やるかもしれないし、どっちも完成せずお蔵入りになるかもしれないという前提で……

  • 深海から来る背ビレを持った圧倒的な“個”
  • 空の果てから来る巨大円盤や三脚の何か
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