東方白守録 作:殻付きのぴよぴよ
人気のない森の中、金髪の少女が一人彷徨っていた。ビスクドールのように美しく、しかし、シャラシャラと音を鳴らす羽が、鋭い犬歯が、瞳孔の裂けた真っ赤な瞳が、人でないことを証明する。少女の名はフランドール・スカーレット。紅魔館の主の妹であり、普段は訳あって地下に引きこもっている。
きっかけはフランも覚えていない。本当にちょっとしたことがきっかけだった。何が原因かも覚えていない口喧嘩から始まった。お互い引くことも出来ず、ついにはフランは館を飛び出してしまった。フランは飛び出した勢いのまま知り合いの魔理沙の元に押しかけるつもりだった。しかし、何故かある区域に入ると羽に力が入らず霧の深い森に墜落してしまいこうして彷徨っているというわけだ。
外に慣れていないから何処か分からない、羽だけでなく能力すら使えない。フランは理由も分からず迷い、疲れてしまった。しかし、足を止めてはならない。夜が明けてしまえば吸血鬼の天敵である太陽が顔を覗かせてしまうのだから、日陰を探さねばならない。
『きみ、迷子?』
「きゃっ!?」
ふらふらと歩いていたフランの目の前に突然と白い影が現れる。驚いたフランが飛び上がるも、白い影は何かするわけでもなく、ただ立っているだけだった。
「あなた、だれ?ここはどこなの?」
『ここは白霧の森。迷子が迷い込んでくる森。君は、迷子?どこの子?』
かけられる声は輪郭がぼやけているのような、曖昧なものだった。辛うじてやや高めの声だとわかるくらいで、男なのか女なのか、幼いのか老いているのかすら分からない。言葉遣いから若いのではないかと推測しなければならないほどだった。
「人のことを聞く前に自分のことを言うものじゃないの?」
『それは先程の君にも言えることだと思う』
「それも、そうね。いいわ。私はフランドール・スカーレット。紅魔館の主の妹にして、誇り高き吸血鬼の一人よ」
疑問を疑問で返す態度にむっとしたフランが文句を言うと、ふわふわとした印象からは予想外な理知的な返しが来る。それもそうかと思い返したフランは不躾な白い影に見せつけるように、優雅に自己紹介をする。
『丁寧に、ありがとう。けど、オレには何も覚えてないから良い返しができない』
皮肉が感じられない素直な答えと、申し訳なさそうな言葉が続けられた。隠しているような意図は見られず、本当に白い影はその怪しそうな見目に反して誠実そうな印象が見受けられた。
「どういうこと?」
『オレはここにいた記憶しかない。分かるのはここのことと、オレが何かを忘れたこと。だから、何もオレのことを教えてやれない。ごめん』
白い影はフランの誠意に答えられないことを不甲斐なく思っているらしく、しょぼくれているように見えた。ぼんやりしているくせに中々に分かりやすく、悪い気がしなかったフランは大きな度量で許してやることにした。
「わからないなら仕方ないわ、許してあげる」
『ありがとう。それにしても、ふらんどーるはどうしてここに?ここはあまり人が近づかないらしいけど』
改めて聞かれた問いにグッとフランは詰まり、悩む。何も言わないのもおかしい気がして、姉との喧嘩や家出は伏せて、友人の家に行こうとしたらここに墜落して迷っていたことを話した。
『ああ、この辺は空を飛んだり能力を使ったりできないから、知らなかったならしょうがない』
「なんでできないの?」
『それは、ここが忘れられるものがいる場所だからね』
話が長くなるからと、拗ねたフランを笑った白い影は少し歩いて、フランからしたらこじんまりした家に案内した。所々経年劣化は見られるが、丁寧に整備されていて、忌避感はなかった。
『長くなると退屈だろうから簡潔にする。改めて、ここは白霧の森。文字通り年がら年中白い霧に包まれた森であり、忘れられるものが眠る地』
「その、忘れられるものって?」
『簡単に言うと、忘れられなければならないほど、危なかったり悪い影響をもたらすもの。大抵のどうってことないものは別の所に流れ着くけど、ここにあるものは幻想郷の住民に知られてはならない。要するに蓋をされてる臭いもの』
「それは、あなたも?」
『さぁ?オレは何も覚えてないから。ただ、蓋をされてるからか、それともそういう所なのか、ここでは妖怪の性質や術とかの曖昧なものは使えなくなるんだよ。悪影響も受けないけど』
その言葉にあ、とフランは気付いた。自分を蝕んでいる狂気が鳴りを潜めていることを、明瞭になった思考を。
「なんだかスッキリするわ。もうちょっとここにいたいかも」
『こら、あんまり長居は駄目。他から忘れられてしまうから』
「忘れられるの?」
『言ったでしょ、ここは忘れられるものが眠る地だって。ここにいればあちらから忘れられ二度とここから出てこれなくなる』
「……いいかも」
不意に思い浮かぶのは最後に見た姉の姿だった。反りが合わず、顔を合わせるたびいつも喧嘩ばかり。言い争うなんて序の口で、最終的には殴り合って派手に物を壊して傷つけ合う。そんなくらいなら互いに忘れここで穏やかに過ごした方がマシじゃないかとフランは思う。
『駄目だ、帰りなさい』
「っやだ!ここにいる!」
初めて、白い影が怒った雰囲気になった。初めて見た姿にフランは驚いて、余計にムキになってここにいると駄々を捏ねる。言い合っているうちに、ぽろっと姉との喧嘩と家出について言ってしまう。少し言えば口が滑り、姉と折り合いが悪いことや自分の中にある狂気のことも喋ってしまった。
『なるほど、ちょっと待ってて』
元の雰囲気に戻った白い影は暫く奥に引っ込んだかと思えば、すぐ戻ってきた。何をしてきたのかと見上げるフランに何かを差し出した。それは鈴だった。赤い組紐に着いていて、何故か音は鳴らなかった。
「何これ」
『これがあればここみたいに常時狂気が鎮められるってことはないけど、ある程度大人しくさせられると思う。持っていきなさい』
「持っていっていいの!?」
先程忘れられなければならない云々の話はなんだったのか。胡乱な目で見つめてくるフランに白い影は笑った。
『忘れられているのはその鈴の製作者。それ自体は出しても別に問題ないよ。書物は駄目だけど。これなら帰っても悩みは少なくなるよ』
白い影はフランの結ばれた髪に飾るように着ける。音が鳴らないので、そこまで気にするようなものじゃなかった。けれど、フランにとって気にする所はそこではなかった。
「だから、帰らないの」
『こんなにも、呼んでるのに?』
「え?」
白い影はフランの手を握った。曖昧なそれは握られたという感触しか分からなかったが、不意に声が聞こえた。
《フラン!どこへ行ったの!?》
《おーいフランー!》
《妹様ー!何処ですか!?》
「お姉様と、みんなの声がする…」
じんわりと胸の内側から温かいものが湧き上がってくる。何故か心細さが出てきて涙が出そうだった。
『帰る?』
「………うん、帰る」
声と、白い影の先導に従ってフランは進み続ける。右も左も分からないが、声が大きくなっていることで前に進んでいることだけは分かった。もうそろそろかと、そんな折に白い影は足を止めた。
『ここからは君だけで行くんだ』
「あなたは?」
『オレはほら、ここから出れないから』
言われて、初めて気付いた。少しずつ分かるようになってきた白い影の足の部分に金属の枷があり、何処から出ているかも分からない繋がれている鎖が張っていた。それ見て、何故か白い影に自分を重ねてしまった。好んで引きこもっているところは違うが、白い影は外を知らないのだ。それが、フランにとって思っていたよりもショックだった。
「嫌よ」
気付いたらそんなことを口にしていた。ギュッと離れようとしていた手を強く握る。白い影は困ったようにしていた。
『フラン』
「あなたも来なきゃ嫌」
『何もないオレはここでしか存在できないし、この鎖は断ち切れない』
「絶対嫌よ!ここから出たらあなたのこと忘れてしまうんでしょう!?」
忘れられてしまう。それは白い影も例外ではないのだろうとフランは察していたし、影は否定しなかった。フランは初めてここまで仲良くなれた白い影ことを、その優しい気遣いを忘れたくなかった。
「あなただって外の世界を見ていいじゃない!鎖なんて私が壊してあげる!一緒にこの幻想郷を見て回りましょう!」
白い影は迷うようにゆらゆらとして、一つ息を吐いた。駄々っ子にしょうが無いと諦めるように。
『フラン、本当に壊せる?』
「ええ、勿論よ」
『それなら、この鎖を壊して、オレに名前をつけて呼んで。それから一緒に外へ走り抜こう。そうすればたぶん、一緒に行けるから。間隔を空けちゃ駄目だよ、すぐに消えちゃうからな』
「わかったわ!」
そうと決まれば早速行動である。外に近いからか、能力はやや使いにくいが発動できる。狙いは勿論、影を縛り付ける忌々しい縛りだ。
「きゅっとして…」
目が手元にくる。ちゃんとしっかり壊せるように力を込めて。
「ドカーン!」
気付けばフランは自室で寝ていた。看病に来てくれた美鈴曰く、霧の湖から少し離れた所から飛び出してきて倒れてしまい、今の今まで寝ていたようだ。多大な心配をかけたが、当のフランはケロリとしており、周囲が過保護になる中いつもと変わらず、寧ろ以前よりも落ち着いた様で振る舞い出した。その傍らには、誰も、いやフランにしか感知できない影が一つ。
『おはよう、フラン』
「おはよう、スノー」
いたずらっ子のように2人は笑い合った。
これはちょっとした序章《プロローグ》。誰も知らない忘れられた存在と、引きこもりな吸血鬼が、とある異変の主軸になるまで、あと……。