とある科学の存在証明   作:かさねtyann

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木寺過去編です。陰キャです。


空白少年の消失(1)

 

 入学式から数日もすれば、そろそろクラスの空気も固まってくる。

 放課後の教室は、部活見学へ向かう生徒たちと、居残る者とで綺麗に層が二分されていた。

 

「あー、アカン。もうアカンわ。ボクの脳細胞が高校の勉強で32アイスクリームみたいに溶け出して耳から垂れてきとる……」

 

 おもむろに口からエクトプラズマを吐き出しているのは、早くもクラスのムードメーカーとして、似非関西弁を操る青髪ピアスだ。

 

「不幸だ……なんでもうすでに補習なんだよ。この時期になんの補習があるっていうんだよ……」

 その隣で、シャツの襟をパタつかせながら文句を言っているのは、ツンツン頭の少年、上条当麻。

 

「にゃー、文句言うなら学校側に直訴すればいいぜよ。ま、カミやんの場合、直訴状を持っていこうとした途端に階段から落ちて書類をばら撒く未来が見えるがな」

 

 サングラス越しににたにたと笑っているのは、金髪のアロハシャツ、土御門元春。

 

 彼ら三人の馬鹿──通称「デルタフォース」は、今日も今日とて生産性の欠片もない会話を繰り広げていた。

 成績不振、能力レベル0、学園都市の底辺を這いつくばる彼らは、しかしどこかその状況を楽しんでいるような、奇妙な連帯感を持っていた。

 

 だが、その輪のすぐ隣。通路を挟んだ席に、もう一人、この空気に溶け込めない少年がいた。

 

 木寺一桁(きでらひとけた)だ。

 彼は、教科書を広げたまま、ぼんやりと窓の外を見ていた。

 彼もまたレベル0であり、いきなりの補習組の一員だ。しかし、彼が纏う空気は、三バカのような「明るい諦め」ではなく、もっと重く、湿った「停滞」だった。

 

「……はぁー」

 

 木寺の口から、重いため息が漏れる。その音は、ざわめきにかき消されるほど小さいが、敏感な土御門の耳には確かに届いていた。

 

 

 :

 

 

「おーい、木寺はん。そんなシケた面してんと、ボクらと『メイド喫茶のウェイトレスさんのスカート丈と絶対領域の黄金比』について語り合わへんか?」

 

 青髪ピアスが、話題を振る。彼なりの気遣いだ。木寺は視線を窓の外から戻し、力なく首を振った。

 

「……パスだ。来週の物理の小テスト結構むずそうなんだよ。赤点取ったら、多分居残りになる」

「真面目やなぁ! レベル0が座学頑張ったところで、能力開発の評価は変わらへんで?」

 

 青髪ピアスの言葉は、悪気がないゆえに鋭利な刃物だった。木寺の眉がピクリと動く。

 

「……わかってるよ、そんなこと」

 

 木寺は教科書をパタンと閉じた。その拍子に、挟んでいた「身体検査(システムスキャン)結果表」の端が見えた。

 

「おっ、せやせや。昨日の簡易再検査の結果、どやった? ボクはやっぱりなんも変わらんやったわ~! 教員に『君の能力は何がしたいのかさっぱりわからん』て匙投げられたわ! ガハハ!」

「俺もだよ。あーあ、念動力(テレキネシス)くらい目覚めれば、リモコン取るのが楽になるのになぁ」

 

 上条もヘラヘラと笑う。彼らにとって「レベル0」であることは、もはやネタであり、アイデンティティの一部ですらある。

 だが、木寺は笑わなかった。

 

「……俺は、『反応なし』だったよ」

 

 ポツリと、木寺が呟いた。

 

「ん? 反応なし? そりゃボクらも同じやんけ」

「違う」

 

 木寺の声が、少しだけ荒げられた。教室の空気が、一瞬だけピリつく。

 

「お前らは『ないわけじゃない』だろ? 数値が安定しないか小さいかだ。でも俺は違う。……何も出ないんだよ」

 

 木寺は自分の掌を見つめた。握りしめても、開いても、そこにはただの皮膚と筋肉があるだけ。

 

「クラスの他の奴ら……レベル0の連中でもさ、集中すれば方位磁針が少しブレるとか、ロウソクの火が揺れるとか、そういう『予兆』はあるんだよ。AIM拡散力場が出てる証拠だ。……でも、俺にはそれすらない」

 

 彼は、机の上に置いてあった消しゴムを指差した。

 

「昨日、家で三時間、こいつを睨み続けた。動け、動けって念じ続けた。……でも、一ミリも動かなかった。風も起きない。熱も出ない。静電気すら起きない」

 

 木寺はたるそうに口角を上げた。

 

「俺は、才能がないんじゃない。……この街に来る資格がなかったんだ」

 

 その言葉は、重かった。

 上条当麻は、木寺の横顔を見て、胸の奥が痛むのを感じた。

 自分たちが「不幸だ」と笑い飛ばせるのは、ある意味で「特別」だからだ。

 上条には『幻想殺し』がある。不幸の原因ではあるが、それは確かな「力」であり、アイデンティティだ。

 青髪ピアスや土御門も、表向きはレベル0だが、どこか底知れない余裕がある。

 

 だが、木寺は違う。

 彼は本当に、何もない。

 空っぽの財布を逆さまにして振っているような、無為な絶望。

 それが、彼をこの三バカの輪から疎外している壁の正体だった。

 

 

 :

 

 

 上条当麻は、机の下で自分の右手を意識した。

『幻想殺し』。

 異能の力を打ち消す、神の加護すら遮断する右手。

 彼がレベル0である理由は明白だ。

 能力開発によって脳から発せられるAIM拡散力場を、自分自身の右手が無意識に打ち消してしまっているからだ。

 つまり、上条当麻には「才能」があるかもしれないのだ。それを右手が殺しているだけで。

 

(……俺は、木寺に何て言えばいい?)

 

「頑張ればいつか芽が出る」? 

 無責任な慰めだ。小萌先生なら言えるかもしれないが、上条には言えない。

 自分は、木寺が喉から手が出るほど欲しがっている「特別」を、望まずして持っている。その罪悪感が、喉に小骨のように引っかかっていた。

 

「……なぁ、木寺」

 

 上条は、努めて明るい声を出した。

 

「レベル0だって、悪いことばっかじゃないぜ? 能力者同士の抗争に巻き込まれにくいし、研究者に目をつけられることもねーし」

「上条。お前、昨日不良に追いかけられてただろ」

「うっ」

「この前は誤って女子更衣室に入ってボコボコにされてたし、その前は自販機に金飲まれてたな」

 

 木寺はジト目で上条を見た。

 

「お前はレベル0とか関係なく、トラブルメーカーなんだよ。……でもさ」

 

 木寺は視線を落とした。

 

「……ちょっと、羨ましいよ。お前が」

「はあ? 俺のどこが羨ましいんだよ! 不幸のデパートだぞ!?」

「不幸でも、お前は『主役』っぽいじゃんか。……俺なんて、不良に絡まれても無視されるレベルだぞ」

 

 木寺の言葉は、冗談めかしていたが、その目は笑っていなかった。無視される。認識されない。それは、いじめよりも残酷な「無関心」という暴力。

 

 上条は言葉に詰まった。

 この時、彼はまだ何も知らなかった。

 今の彼に見えているのは、ただ「自分には何もない」と嘆く、等身大の友人の姿だけだった。

 

「…………」

 

 そのやり取りを、土御門元春は冷徹に観察していた。

 グラサンの奥の瞳は、クラスメイトを見る目ではなく、スパイがターゲットを値踏みする目だ。

 

「にゃー、木寺。お前、そんなに力が欲しいのか?」

 

 土御門は、試すように声をかけた。

 

「……当たり前だろ。何のためにこの街に来たと思ってんだ」

「力が手に入れば、幸せになれると思うか?」

 

 土御門の問いに、木寺は怪訝な顔をした。

 

「少なくとも、今よりはマシだろ。……そうじゃなきゃ、困る」

 

 木寺は立ち上がった。

 

「俺は帰る。……お前らと話してると、なんか眠たくなってくるわ。春だな~ってさ」

 

 そう言い捨てて、木寺は鞄を掴んで教室を出て行った。

 その背中は、拒絶のオーラを纏っていたが、同時に「引き止めてほしい」という弱さも見え隠れしていた。

 

「……あーあ、行ってもうた」

 

 青髪ピアスが頭をかいた。

 

「ちと、無神経やったかなぁ。あいつ、意外と悩んどったんやな」

「ま、入学したばっかで不安定な時期だしな。……カミやん、追いかけなくていいのか?」

 

 土御門が水を向ける。上条は少し迷ったが、首を振った。

 

「……今は、そっとしとくよ。俺が行っても、出来ることなんてねえしな」

 

 上条は自分の右手を見た。

 この手が、彼の背中を押してやれる日は来るのだろうか。

「何もない」ことに苦しむ彼に、「それでいいんだ」と言える根拠が、今の自分にはない。

 

 

 :

 

 

 教室を出た木寺一桁は、校門へは向かわず、誰もいない屋上へと足を運んでいた。

 フェンス越しに広がる学園都市の全景。風力発電のプロペラが回り、飛行船が巨大なスクリーンでニュースを流している。科学の最先端。夢の街。

 

「……くそ」

 

 木寺はフェンスを蹴りつけた。金網がガシャンと揺れる。だが、それだけだ。フェンスは曲がらないし、捻じれたりもしない。ただの物理運動。

 

「上条……」

 

 彼が嫉妬しているのは、上条当麻の「不幸」ではない。

 彼の「存在感」だ。

 あいつは、いつも騒動の中心にいる。

 先生に怒られ、不良に追われ、それでも周りには人が集まる。

 土御門も、青髪ピアスも、なんだかんだ言って上条を中心に回っている。

 

「俺は、何だ?」

 

 俺は、あの輪に入れない。

 デルタフォースの横にいる、ほぼ背景の何か。ザ・キングオブ・モブ。

 もし明日、俺がこの街から消えても、誰も気づかないんじゃないか? 

 システムスキャンのデータから一行消えるだけで、世界は何事もなく回り続けるんじゃないか? 

 

「……嫌だ」

 

 木寺は、眼下に広がる街を睨みつけた。

 

「俺は、ここにいるぞ」

 

 誰に届くわけでもない宣言。AIM拡散力場も魔力も乗っていない、ただの空気の振動。

 

 

 

 :

 

 

 終鈴が鳴り、完全下校時刻を告げる。

 木寺は屋上を後にした。校門を出てしばらく。帰り道、すれ違った女子生徒がいた。

 常盤台の制服。

 茶髪の少女。御坂美琴だ。

 彼女は友人と談笑しており、木寺のことなど視界に入っていないようだった。

 木寺もまた、彼女を知らない。ただのすれ違う他人。

 

 だが数か月後。彼は彼女の雷撃の前に立ちはだかることになる。その時、彼の「空っぽ」が、初めて意味を持つ。

 

 そして、その先にある、魔術の存在との邂逅。

 一〇万三〇〇〇冊の少女との出会い。

 最強の超能力者との対決。

 

 歯車は回り始めている。

 ただし、今はまだ。

 木寺一桁という歯車だけは、噛み合うことなく、空回りを続けている。

 

「……帰っても、することねえよなあ」

 

 

 

 木寺は呟き、ゆっくりと独りで歩きだした。

 

 

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