上条さん記憶喪失前の学校生活の謎の多さ
次回新章です
四月二週め。
駅前の繁華街。
極彩色のネオンが瞬くビルの四階にあるカラオケボックスの一室は、青少年特有の爆発的覇気で飽和状態である。
「イェェェェェワァァン! 新入生諸君! 学園都市の夜はこれからやでぇぇぇ!」
マイクを握りしめ、鼓膜をつんざくような大声で絶叫しているのは、青髪にピアスをした少年。
彼はテーブルの上に立ち上がり、タンバリンを叩きながら謎のオリジナルソングを熱唱している。
「こら青髪! 下りなさいバカ! 行儀悪いわよ!」
それを鬼の形相で怒鳴りつけているのは、このクラスの実質的な支配者、吹寄制理。
彼女は手元の伝票と出席リストをチェックしながら、暴走する男子生徒たちを次々と鎮圧していた。
「あーあ、不幸だ。なんで俺のグラスにだけ、青髪の振ったタンバリンから飛び散った汗が入るんだよ……」
「にゃー、カミやん。それがお前の
うなだれ嘆いているのは上条当麻。
その横でグラサン金髪の土御門元春は事もなげに適当なおつまみを口に運んでいる。
クラスの打ち上げ。
表向きはクラスの親睦を深めるためのイベントだが、実態はただのバカ騒ぎだ。
能力開発のプレッシャーや、新しい環境への不安を、大音量の音楽と炭酸飲料で流し込む儀式。
吹寄は、額の汗を拭いながら、ふと手元の出席リストに目を落とした。
数十名のクラスメイト。そのほとんどが参加している。だが、リストの真ん中あたりに、一つだけ「欠席」の斜線が引かれた名前があった。
木寺一桁。
「……はぁ」
吹寄は、無意識にため息をついた。意外に耳ざとい上条は何の気なしに吹寄に話しかける。
「どうした吹寄? 会費の計算が合わねーのか?」
「違うわよ。……木寺のことよ」
吹寄は、リストを指で弾いた。
「あいつ、なんで来なかったのよ。クラスの最初の行事よ? ここで馴染まないと、あとあと苦労するのは自分じゃない」
「ああ、木寺か……」
上条は、少し複雑そうな顔で頭をかいた。
「俺も誘ったんだけどさ。『俺はいいよ』の一点張りでさ。なんか、無理やり連れてくるのも悪い気がして」
「何よそれ。アンタたちとはちょっとだけだけどつるんでるじゃない。説得しなさいよ」
「いや、それがな……」
上条は言葉を濁した。彼にはわかっていた。木寺がこの場に来なかった理由が、単なる「人付き合いが苦手」というレベルのものではないことが。
:
時計の針を、数時間前に戻す。放課後の教室。打ち上げの出欠確認を行っていた時のことだ。
「え? 木寺はん、パスなん?」
青髪ピアスが、木寺の席に身を乗り出して聞いていた。
「今日はドリンクバーのクーポンもあるし、女子の私服も見放題や! こんなチャンス逃す手はないで!」
「……いや、やめとくわ」
木寺は、教科書を鞄にしまいながら、力なく首を振った。
「俺が行っても、盛り下げるだけだし」
「なんやそれ! ボクがおるんやから、盛り上げに関しては任せとき! お前さんはニコニコして座ってればええんやん!」
「それが……しんどいんだよ」
木寺の声は、驚くほど小さかった。
その時、近くで聞き耳を立てていた上条は、木寺の表情を見てハッとした。
それは「面倒くさい」という顔ではない。「申し訳ない」という顔だった。
(……あいつ、本気で思ってるのか?)
『自分がいると、みんなが楽しくなくなる』『自分のような不純物が、クラスの輪に入ってはいけない』
「俺は、家で速攻寝るわ。……みんなで楽しんできてくれ」
木寺はそう言って、逃げるように教室を出て行った。
その背中は、拒絶の壁を作っているようで、だけど引き止めて欲しくて。
だが、その「引き」を待つ資格すら自分にはない、と自己完結してしまっている。
(……重いな)
:
現在。カラオケボックス。上条は、グラスの氷をカランと鳴らした。
「あいつさ、変なとこで潔癖っつーか……自分を『異物』扱いする癖があるよな」
「異物、か」
土御門が、マイクのコードをいじりながら会話に入ってきた。
「的確な表現だぜよ、カミやん。……木寺は、自分がこの『学園都市』というシステムにおける不良品だと思い込んでる」
「不良品?」
吹寄が眉をひそめる。
「ああ。入学直後のシステムスキャン。……あいつの結果、知ってるか?」
土御門の声が少し低くなった。三バカと吹寄だけの密談空間が、騒音の中に形成される。
「測定不能……とは違うらしいな。『反応なし』だとか」
「体質だとか、なんとか言ってたけど……つまり、学園都市の能力開発と相性が悪いらしいんだ」
上条がかぶりを振る。
「なにそれ、アレルギー体質みたいな?」
吹寄が首をかしげる。
「まあ、にゃー」
土御門は、サングラスの奥で目を細めた。
彼はどこまで知っているのか、いないのか。
「まあつまり、システムスキャンで反応が出ない。それは学園都市で『存在していない』のと同じなんだぜよ。努力しても、薬を飲んでも、あいつはシステムに無視される。……その絶望感は、俺たちには計り知れねぇよ」
「……だからって、卑屈になって引きこもるわけ?」
吹寄は苛立たしげに言った。
「能力がないなら勉強で挽回するとか、部活頑張るとか、やりようはあるでしょ。ウチのクラス、レベル0ばっかりなんだから、条件は同じじゃない」
「条件は同じでも、メンタルが違うんやなぁ」
青髪ピアスが、
「吹寄ちゃん。人間な、一度『自分は透明人間だ』と思い込むと、なかなかそこから抜け出せへんもんや。……あいつは今、自分が透明であることを確認するために、わざとこういう場を避けてる節がある」
「確認するために?」
「せや。『ほら、俺がいなくても誰も困らない』『誰も俺の話をしていない』……そうやって自分の不在を確認して、安心してるんや。傷つかんためにな」
青髪ピアスの洞察に、上条は唸った。
確かにそうだ。木寺は、傷つくことを極端に恐れている。期待して、裏切られるのが怖いのだ。「仲間に入れるかも」と思って参加して、結局誰とも話せずに終わるくらいなら、最初から「行かない」という選択をして、孤独を正当化する。
「……バカみたい」
吹寄が吐き捨てた。
「そんなの、ただの逃げじゃない。……ムカつくわね、あいつ」
彼女は、手元のリストの「木寺一桁」の名前を、ボールペンでグリグリと塗りつぶすようにチェックを入れた。その筆圧の強さは、嫌悪感というよりは、歯がゆさへの怒りに見えた。
「でもよぉ」
土御門が、ポテチ海苔塩をつまみながら言った。
「不思議なことがあるぜよ」
「何だ、土御門?」
「今、俺たちはこうして木寺の話をしてる。……だが、周りを見てみろ」
土御門が親指で示した先には、他のクラスメイトたちがいた。彼らは歌い、笑い、写真を撮り合っている。「ウチらのクラス最高ー!」なんて叫んでいる女子もいる。
「……誰も、『木寺くんがいないね』なんて言ってねぇ」
土御門の指摘に、上条たちはハッとして周囲を見渡した。
確かに。
数十人のクラスで、一人が欠けている。
通常なら、「あれ? あいつは?」という会話が一つくらいあってもいいはずだ。だが、誰一人として木寺の不在に違和感を抱いていない。まるで、最初からこの人数のクラスだったかのように。
「……存在感が薄い、とは聞いてたけど」
吹寄が寒気を感じたように腕をさすった。
「これ、異常よ。……あいつ、本当にクラスに馴染めてないのね」
「馴染めてない、というよりは……」
土御門は、言葉を選んだ。半分冗談だと前置きしつつ、
「あいつの『自分は無価値だ』という強烈な
「オカルトやな」青髪ピアスが笑う。「レベル0がそんな芸当できたら、立派な能力者やで」
「ま、考えすぎか」
土御門は肩をすくめた。だが、上条当麻だけは、笑えなかった。
(……俺は、気にしてやれてるか?)
上条は自問した。もし、土御門たちが話題に出さなかったら。
俺は、今ここで木寺がいない話をしていただろうか?
「不幸だ」と自分のことばかり気にして、あいつの透明なSOSを見落としていたんじゃないか?
「……次は、絶対連れてくる」
上条は、ウーロン茶のコップをドンと置いた。
「え?」
「強制連行してでも連れてくるぞ。……あいつが『自分は透明だ』って思ってんなら、とっととその幻想をぶち壊してやらなきゃな」
上条の言葉に、場が少しだけ静まった。お節介で、偽善的で、でも真っ直ぐな言葉。それが上条当麻という男の真骨頂だ。
「……ふん。勝手にしなさいよ」
吹寄は、顔を背けた。
「でも、賛成よ。クラスの出席率は100%じゃなきゃ気が済まないの。……次の行事では、首に縄をつけてでも引っ張ってくるわ」
「ひえぇ、鬼の学級委員や!」
「やかましい! 次はアンタが歌う番でしょ青髪!」
再び、カラオケの喧騒が戻ってくる。マイクのハウリング。タンバリンの音。その騒音の中で、彼らは「不在の級友」への考えを語った。
:
一方、その頃。木寺一桁は、カラオケボックスから数キロ離れた、人気のない公園のベンチに座っていた。手には、コンビニで買った冷めたおにぎりと、ぬるくなった缶コーヒー。
「……はぁ」
遠くから、電車の音が聞こえる。学園都市の夜景は綺麗だ。でも、その光の一つ一つが、自分を拒絶しているように見える。
(今頃、盛り上がってるんだろうな)
木寺は、スマホの画面を見た。クラスのグループSNSには、楽しそうな写真が次々とアップされている。上条が変な顔で歌っている写真。吹寄が怒っている写真。みんな、笑っている。
「……いいな」
本音が漏れた。行きたかった。「ウェーイ!」ってやりたかった。
でも、怖かった。
あの中に入って、誰とも話せずにスマホをいじり続ける自分を想像すると、足がすくんだ。『あいつ、何しに来たんだろ』って思われるのが怖かった。
「……俺は、これでいいんだ」
木寺は、自分に言い聞かせた。これが分相応だ。レベル0の、反応なしの、空っぽの人間には、このコンビニおにぎりの味が一番似合っている。
「……いただきます」
彼は、独り言を呟いておにぎりを齧った。パサパサした米の味が、口の中に広がる。飲み込もうとすると、喉の奥が詰まったように痛んだ。
「……ッ」
ふと、思う。いつか俺にも、あの中に入って、心の底から笑える日が来るんだろうか。「俺はここにいるぞ」と、胸を張って言える日が。
彼は知らなかった。今、まさにあの喧騒の中で、上条たちが自分の話をしてくれていたことを。吹寄が、自分の名前をリストに強く刻み込んだことを。
世界は、彼が思っているほど、彼を無視してはいなかった。ただ、その声が彼に、今日届くことはなかった。
木寺は最後の一口を飲み込み、咽せて、カッコ悪くえずいた。
:
翌日。
学校に来た木寺は、いつもより少しだけ居心地の悪さを感じていた。教室に入ると、上条たちがニヤニヤしながら近づいてきたからだ。
「よぉ、木寺! 昨日は残念だったな!」
「次こそは逃さへんでぇ! 地獄のオールナイトカラオケに招待したる!」
「……は?」
木寺が戸惑っていると、吹寄がツカツカと歩み寄ってきた。そして、無言でプリントの束を木寺の机に叩きつけた。
「これ、昨日の打ち上げの費用明細と、次回のクラス行事の予定表よ。……熟読しときなさい」
「え、いや、俺行ってないし……」
「関係ないわ! クラスの一員なんだから、情報の共有は義務よ!」
吹寄はそれだけ言うと、髪を払って去っていった。木寺は、叩きつけられたプリントを見た。その余白に、小さく、しかし力強い文字でこう書かれていた。
『次は絶対参加。欠席は認めない』
「……なんだよ、これ」
木寺は、呆れたように呟いた。
「……強引すぎんだろ、あの女」
教室の窓から、四月の春風が吹き込んでくる。木寺一桁は、自分の感情の答えを見つけかねていた。