「……なあ、上条」
「ん? ああ、なんだよ木寺?」
「いや……」
ふと気づくと、学生寮前だった。
上条、インデックス、木寺は適当に街をブラつくつもりだったのが、いつの間にか戻ってきていたのだ。
無意識にあの「自称魔法使い」の少女が気になっていたのか。
「ねえ、もう帰っちゃうの? 家に帰ってもゴハンがあるわけじゃないんだよ? 二人とも!」
いや、約1名そうでもない腹ペコシスターもいたが……
「……、」
すると、おあつらえ向きに。そこには招かれざる客が待ち構えていた。
炎のような赤髪を揺らし、長身痩躯の体に漆黒の神父服を纏った男。
ステイル=マグヌス。
イギリス清教『
その周囲だけ、熱気とは異なる種類の、肌を刺すような不穏な気配が立ち上っている。
「……久しぶりだね、上条当麻。それに、そこの……」
ステイルの視線が、上条とインデックスを通り過ぎ、木寺に向いた。
一瞬、彼の目が細められる。
先日のインデックス事件の際、タウンページを投げて
魔術師としてのステイルは、彼のことを「不可解な存在」として記憶していた。魔力を一切持たず、かといって強力な能力者でもない。
だが、妙な違和感……だけがある。
「……木寺一桁、だったか」
「よう。久しぶりだな、ヘビースモーカー……ここは禁煙だぞ?」
木寺は努めて軽く返した。内心は心臓が早鐘を打っているが、上条の手前、そして何より魔術師にナメられないよう、虚勢を張る。
(いや、は? なんでこいつがここに!?)
「単刀直入に言う。……手を貸せ。お前たちの『科学サイド』の領域で、極めて厄介なことが起きている」
ステイルは懐から一枚の写真と、どこかの建物の見取り図を取り出した。
そこには、先ほどのファストフード店で会った巫女服の少女──姫神秋沙が写っていた。
「……ッ!?」
上条が戦慄する。何か言おうとしているのが木寺に見て取れた。
木寺も見間違いかとその目を擦る。
「彼女は『吸血殺し(ディープブラッド)』。世界に一人しかいない、吸血鬼を殺す能力を持つ希少種だ。……彼女が、とある錬金術師によって拉致された」
「拉致……? じゃあやっぱり、さっきのあいつら……!」
上条が拳を握りしめる。悪い予感が的中したのだ。
「はあ……!?」
吸血鬼。さっきの女の子。いきなり何を言い出すんだこいつは。
木寺は事態を飲み込むために少しの時間を有した。
「場所は『三沢塾』。学園都市でも有数の進学塾らしいな。……だが、今は違う。あそこはもう、魔術によって要塞化された『異界』だ」
ステイルは紫煙を吐き出しながら説明を続けた。
犯人は、元ローマ正教の錬金術師、アウレオルス=イザード。
彼の目的は不明だが、「科学サイドの
だから、内密に処理したい。
そのために、学園都市の住人であり、かつ魔術側の事情に通じている上条当麻の「幻想殺し」が必要だというのだ。
「……わかった。行くよ。あの子が泣いてるなら、放っとけねえ」
上条が即答する。彼の行動原理はいつだってシンプルだ。
インデックスも「私も行く!」と、小さな胸を張っているが、上条が全力でそれを止めた。
当たり前だ。明らかに危ない場所に彼女を連れていくわけにはいかない。
そんな二人のやり取りを観つつ、ステイルは深い、深い溜息をついた。
そして、その場にはもう一人。木寺一桁が残されている。
「……で、キミはどうする?」
ステイルの瞳が木寺を射抜いた。
その目は「来るな」とは言っていない。むしろ、冷徹な計算が含まれていた。
三沢塾は完全に外部からの侵入を拒んでいる。だが、この「認識されにくい」少年ならば、あるいは警備システムや結界の穴を突けるかもしれない。
そんな、幽かな好奇心と道具を見るような目。
その視線に、木寺は気づいていない。
「……俺は」
木寺は迷った。
三沢塾。錬金術師。吸血殺し。
どれもこれも、レベル0の自分が関わっていい単語じゃない。
一歩間違えれば死ぬ。痛い目に遭うどころか、存在ごと消滅させられるかもしれない。
でも。
脳裏に、姫神秋沙のあの表情が蘇る。
『そこに、人がいるとは思わなかった』
『でも私。魔法使い』
彼女もまた、自分の存在のあり方に苦しんでいるように、見えた。
血の匂いに縛られ、誰も自分を見てくれない孤独の中にいる少女。
それは、「何もない」ことに苦しみ、誰かに見つけてほしいと願う自分と、どこか似ている。
根底で繋がっている気がした。
そして何より。
彼女はあの時、店先で……
「……くそ」
「木寺?」
上条が木寺を振り向く。その表情は恐ろしいほどに、覚悟がすでに決まっていた、いつものあの男の顔だった。
木寺は苦笑いする。
ここで逃げれば、自分はまた「背景」に逆戻りだ。
物語の主人公にはなれなくても、せめて、あの子の物語のエキストラくらいにはなりたい。
「……俺も行く」
木寺は顔を上げた。その目に宿る光は、弱々しいが、決して消えない類のものだった。
「戦力にはならないかもしれないけど。……まあ、俺もあの子に用事があるからな」
用事なんてない。話しかける言葉もまだ持たない。
それはただの言い訳だ。
本当は、証明したいのだ。
自分が、ここにいることを。
そして、あの少女に「ここに人がいる」と、今度こそはっきりと認識させたいのだ。
「……ふん。分かった。ただし、足手まといになったら焼き払うぞ。灰になっても文句を言うな」
ステイルが悪態をつき、吸殻を携帯灰皿に押し込んだ。
上条がにっと笑って、木寺の背中をバシンと叩いた。
「よし、行くか! デルタフォース? の課外授業だ!」
「だから俺はデルタフォースじゃねえって! ただの一般生徒だ! 一緒にするな!」
上条には記憶がない。
だから彼は、木寺と言う人間がこういう時、こういう事に首を突っ込める人間だと。
木寺は。
その勘違いを、もう少しだけ維持したくなった。
軽口を叩きながら、一行は歩き出した。
目指すは第七学区、三沢塾。
科学と魔術が複雑怪奇に混ざり合う、黄金の牢獄へ向かう。
:
第七学区、進学予備校『三沢塾』。
強烈な西日がビルのガラス壁面を焼き、蜃気楼が辺りの街並みを揺らす中、三つの影がその境界線を踏み越えた。
上条当麻、ステイル=マグヌス、そして木寺一桁。
今回はインデックスは不在だ。
彼女は「お腹が空いた」という生物学的な理由と、猫がどうだとかいう理由と、そもそも彼女を連れてくるには危険すぎるという理由で安全圏に置いてこられた。
自動ドアを潜り抜けた瞬間、木寺の肌を刺したのは、冷房による冷気ではなく、墓地のような静謐さだった。
「……おい、これ」
木寺が息を呑む。
ロビーには、人がいた。いや、いすぎた。
制服姿の生徒たちが数十人、ロビーを行き交っている。あるいはベンチに座り、あるいは壁に寄りかかり、参考書を開いている。
一見すれば、夏期講習。
だが、何かがおかしい。
話し声も、衣擦れの音も、ページをめくる音も、不自然だ。
彼らはマネキンのように無表情で、虚空を見つめ、あるいは機械的に視線を動かしているだけだった。
「……なんだよ、これ。無視か? 俺たちが見えてねえのか?」
上条が目の前の男子生徒の前で手を振る。だが、生徒は瞬き一つせず、上条の存在など最初からそこになかったかのように、すり抜けて歩いていく。
「気にするな。彼らはもう『人間』としての機能を停止している」
ステイルが吐き捨てるように言った。
「彼らはもう『結界』の一部だ。今の彼らにとって、外部からの刺激はただの無味無臭な情報。……道端の石くれに挨拶をする人間がいないのと同じだよ」
「あ? なんだよそれ」
「つまり……」
その時、ステイルが鼻をひくつかせた。
「……」
彼が視線を向けたのは、エレベーターホールの隅だった。
そこには、異質な「鉄塊」が転がっていた。
全身を重厚なプレートアーマーで覆った西洋の騎士。その巨体が、ゴミのように打ち捨てられている。
「な……!」
「んだ、これ……!?」
上条が駆け寄る。木寺が一歩引く。
騎士は微かに動いていた。ガントレットに包まれた指が、床を掻いている。
「待て! 触れるな!」
ステイルの鋭い制止。だが、上条の手は既に伸びていた。
その指先が、騎士の肩に触れようとした瞬間。
ズバヂィッッッ!!
「が、はっ……!?」
上条の体が、見えない巨大なハンマーで殴られたように弾き飛ばされた。
木寺の隣を抜け、思いっきり滑って床を転がる。
「上条!?」
木寺が叫ぶ。
「学習しない奴だな。なんでもかんでも、その右手で何とかなると思わない方がいい」
ステイルは倒れた上条に手を貸そうともせず、冷ややかに騎士を見下ろした。
騎士の兜の隙間からは、ドロリとした暗赤色の液体が溢れ出していた。
中身が潰れている。まるで、巨大なプレスマシンで鎧ごと圧縮されたかのように、中身の人間がミンチになっているのだ。
「…………」
騎士から、空気が抜けるような音が漏れた。それが最期の呼吸だった。
鉄の塊は、二度と動かなくなった。
「『ローマ正教十三騎士団』だな。アウレオルスを始末しに来て、逆に始末されたか。……無様だ」
ステイルは表情一つ変えずに言った。
目の前で人が死んだ。それなのに、彼は壊れた道具を見るような目しか向けない。
「行くぞ。死体と遊んでいる暇はない」
「……お前、なんとも思わねえのかよ! 助けられたかもしれないだろ!」
上条が食ってかかる。だが、ステイルは相手にせず、胸元で十字を切った。
「僕たちの目的は『吸血殺し』の確保と錬金術師の無力化だ。死体の回収業者じゃない」
「……っ」
その冷徹さに、木寺は背筋が凍る思いがした。
こいつもまた、こちらの常識では測れない「魔術師」なのだと、痛感させられる。
:
「んだよ、ここ……」
そして。入って早々、木寺がまたつぶやいた。
いや、早々ではない。入って十数分は経過していたか。一階で「嫌なモノ」……無造作に打ち捨てられた死体を見た彼の精神は揺れていた。
帰りたい。
来なければ良かった。
入って三十回以上はそう思っている。
なんで死体が普通にある。他の生徒たちはそいつをスルーして普通そのものなんだ。
それらは魔術的な理屈だそうだが、科学の街で育った木寺の頭では、まず事態を飲み込むのに時間が必要だった。
「……」
そして。前を歩く友人。
それらを前にした後で、恐るべきことに上条はすでに冷静さを取り戻している。
俺の方がおかしいのか?
そんな思考がぐるぐる回る。
三沢塾内部、中層階。
内部が思った以上に広すぎる。
姫神が監禁されているという隠し部屋を見つけるのがまずの目的だが、左右の壁は鏡合わせのように無限に続いているようで、内部の圧迫感か、想像以上に疲労が早かった。
「……うっぷ。なんか、本格的に酔いそうだ」
木寺一桁は口元を両手で強く押さえた。
三半規管が悲鳴を上げている。平衡感覚が狂い、自分が今、床を歩いているのか天井に張り付いているのかさえ曖昧になる感覚。
エアコンは効いているはずなのに、背中を流れる冷や汗が止まらない
これは暑さのせいではない。生物としての本能が、この異常空間を「生存に適さない」と拒絶しているのだ。
「大丈夫か木寺。無理すんなよ」
隣を走る上条当麻が、声をかけてくる。彼もまた呼吸を荒げているが、その瞳には諦めの色はなく、常に周囲の脅威を油断なく探っている。
やはり、この少年は場数が違う。
記憶を失っても、体が覚えているのだろうか。
「平気だ……と言いたいけど、正直今すぐおうちに帰りたい!」
「俺だって帰りたいよ! あとで奢るから頑張れ!」
「そのセリフ、死亡フラグに聞こえるからやめろ!」
木寺は本音を喚き散らしつつも、足は止めなかった。
ここで一人で引き返しても、もう戻れる保証はない。このビルは巨大な胃袋のようなものだ。消化されるのを待つか、食い破って外に出るか、二つに一つしかない。
その時だった。
異変が起きたのは、五階のフロアに差し掛かった時だ。
学生食堂だ。
「……通れるか?」
上条が慎重に足を運ぶ。
だが、その一歩がトリガーだった。
そこには。
沢山の生徒たちがいた。
「………………!?」
そして。
八十人に迫るだろう生徒たちが、一斉に首をギギギと回し、木寺たちを見た。
その口元が、何かをブツブツと呟き始める。
「……純白は、浄化の証…………」
「………………「結果は」未来、「未来は時間「一人が二人、二人三人「456789「「「「「「「「
」「」「」」」」」」」」」「「「「「「「「」「
その合唱は共鳴し、趣味の悪いオーケストラの様な様相を呈していく。
鼓膜が震えるほどの爆音。
「……なっ」
「まずい、チェックポイントだ」
彼らの眉間付近から、ボゥッ、と青白い光が灯った。
それは炎ではない。圧縮された魔力の球体。
『偽・グレゴリオの聖歌隊』によって増幅された詠唱が、物理的な破壊力を持つ「塊」として具現化したものだ。
「魔術か!?」
上条が身構える。
「迎撃システムが作動したようだな。しかし……アウレオルスを少々見くびっていたか」
ステイルは舌打ちをしたが、焦る様子はない。彼は、信じられない言葉を口にした。
「上条。君が前に出ろ」
「は?」
「その右手が使えるんだろう? 君が盾になれ。奴らの攻撃を吸い寄せろ」
「ふざけんな! こんな数、防ぎきれるかよ!」
「やるしかないんだよ。……それとも、そこで震えている無能力者を盾にするか?」
ステイルの視線が、木寺に向けられる。
木寺はヒッ、と息を呑んだ。
冗談ではない。ステイルの目は本気だ。彼は、この場を切り抜けるための「駒」として、上条と木寺を値踏みしている。
「構えろ! 来るぞ!」
生徒たちが、大量の青白い球体を一斉に放った。
それは空間を埋め尽くすように。
風切り音と共に、バスケットボール大の光弾が殺到する。
「うおおおおっ!」
上条が右手を振るう。
パァン! バリン!
光弾に触れた瞬間、それはガラスが割れるような音を立てて霧散する。
だが、数が多い。打ち漏らした弾が、上条の肩を、頬を掠める。
「痛っ……!」
「木寺! ボサッとするな、お前は右だ! 囮になれ!」
「お、囮ぃ!?」
ステイルが木寺の背中を蹴り飛ばした。
木寺は無様に転がり、階段の右側へ飛び出す。
生徒たちの虚ろな視線の一部が、木寺に向く。
「」」「」」「」」「」「」「」「」「」「」「」」「」「」「」「」「」「」「」」」」」」
「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
木寺が叫ぶ。吠えるのではなく悲鳴だ。
二つの光弾が、木寺に向かって放たれる。
「うわああああ!」
木寺は這いつくばって避ける。頭上スレスレを光弾が通過し、壁を抉り取った。ガラスや鉄骨がマーガリンのように溶ける。当たればまずい。
「よし、なかなかいい位置取りだ」
ステイルがニヤリと笑った。
彼は、上条と木寺が注意を引いている隙に、悠々とルーンカードを取り出した。
「塵に還れ。『
業火の巨人が顕現する。
だが、ステイルはそれを生徒たちに向けなかった。
彼が狙ったのは、生徒たちの足元の「床」と「天井」だった。
轟!!
爆炎が階段を破壊する。
「なっ、ステイルお前!?」
上条が叫ぶ。
「道を作るんだよ。……強引にな」
崩落が発生する。
生徒たちがバランスを崩し、瓦礫と共に下層へ落ちていく。
同時に、上条と木寺の足場も崩れ去った。
「ぐ、あああああああああああああああああああアアアアアアア!?」
「運が良ければ上で会おう!」
ステイルは、自分だけ炎の反動を利用して上層の足場へと跳躍した。
上条は何とか手すりに掴まり、宙吊りになる。
だが、木寺は──
「ちょ、ま、助け……!」
掴む場所がなかった。
彼の体は、崩れ落ちる瓦礫と共に、暗闇の底へと吸い込まれていった。
:
落下。
浮遊感。
そして、激しい衝撃。
「ぐ、うぅ……ッ!」
木寺一桁は、階下の廊下に転がっていく。
背中が痛い。全身が軋む。だが、奇跡的に骨は折れていないようだ。瓦礫の山が高さを減らしてくれたのか、それともここが現実の物理法則が及ばない場所だからか。
「……ってぇ。……あの野郎、絶対許さねえ……」
木寺はステイルへの呪詛を吐きながら、何とか体を起こした。
周囲を見渡す。
ただの、何の変哲もない廊下だ。そして、辺りには人の気配はない。まるで、彼が一人になったことで、魔術の法則がどこかに避けてしまったかのように。
「……どこだ、ここ」
上条の声は聞こえない。ステイルの気配もない。
完全にはぐれた。
木寺は恐怖に震えながらも、歩き出した。じっとしていても、さっきの生徒たちが落ちてくるかもしれない。
「……誰か、いませんかー……なんてな」
自分の声が虚しく反響する。
影が薄い。認識されない。
いつもなら恨めしいその特性が、今は頼みの綱だった。もしここに敵がいても、俺なら見つからずに逃げられるかもしれない。
なんて、そんなわけはないのだが。と自嘲する。
「……おい、誰かいないのかよ」
自分の声が、高性能な吸音材に吸い込まれるように、あまりにも早く減衰する。
木寺は、恐怖を振り払うように歩き出した。
自分の足音だけが、すた、すたと乾いた音を立てて響く。
数分か、数十分か。時間の感覚すら曖昧になりかけた頃、広間の中央に、異質な存在を見つけた。
椅子もテーブルもない、ただ広いだけの無機質な空間に、一人の少女がぽつんと佇んでいた。
長く艶やかな黒髪。
現代的なビルにはあまりに不似合いな、古風な紅白の巫女服。
「……あ」
ファストフード店で見かけたあの少女──姫神秋沙だった。
次回、常盤台のシイタケ目が登場、能力考察回です。