上条さんの記憶喪失前の出来事です。
空白少年の消失(3)
春も徐々に過ぎ去り、皆が皆マンネリとしてくる時期である。
自習時間の教室は、お通夜なような停滞感と、猥雑な私語が混ぜこぜになった、独特の雰囲気が蔓延している。
今日は、入学後二度目となる『
「……はぁ。やっぱりダメかー」
「レベル1止まりだってよ。これじゃ部活のレギュラーも無理だな」
「嘘でしょ……私、下がってる……」
机の上に配られた一枚の通知書。
そこには、生徒たちの価値を決める絶対的な数値──『
歓喜する者は少ない。大半は落胆し、あるいは諦め顔で紙を折り畳んでいる。
教室後方窓際の席。木寺一桁は、自分の身体データを凝視していた。そこには、無機質なフォントでこう印字されていた。
能力名:不明
強度:
備考:AIM拡散力場の反応なし
「いや……わかってたけどさ」
木寺は、乾いた笑いを漏らした。
小学校時代から変わらない結果。何億回やっても同じだ。
努力した。カリキュラムも真面目に受けた。薬も飲んだ。それでも、世界は彼に「ゼロ」という烙印を押し続ける。
「おーい、木寺はん! 今回はどうやった? ボクはもちろんレベル0やでぇ!」
隣の席から、青髪ピアスが明るい声で話しかけてきた。彼は自分の結果用紙を紙飛行機にして飛ばしている。
「……俺もだよ。安定のゼロだ」
「ガハハ! これぞデルタクワトロの鑑やな! カミやんもどうせゼロやろし、また三人で補習決定かあ!」
「それを言うならクワトロフォー……いや混ぜるな」
青髪ピアスは笑い飛ばしている。彼は、レベル0であることを一種のステータス(ネタ)として楽しんでいる節がある。強い。あるいは、狂っている。
「……悪い、青髪。俺、ちょっとトイレ」
木寺は席を立った。笑えない。今は、その仲間意識が痛かった。
前の測定の時も青髪は気さくに話題を振ってきたが、はっきり言ってその手のフォローは、自分には逆効果だ。
自分たちは「ダメな奴ら」として一括りにされている。
でも、本当に同じなのか? あいつらは、明るい。キャラが立っている。
俺は? ただ地味で、暗くて、何もない。レベル0の中の、さらに下の底辺。
廊下に出ると、数人の男子生徒がたむろしていた。その中心に、ツンツン頭の少年──上条当麻がいた。
「だーかーら! 不幸なんだよ! 検査機械が俺の番でエラー起こしてさ、『測定不能』とか出やがった!」
上条が頭を抱えている。周りの生徒が笑っている。
「測定不能って何だよ上条ー」
「お前、機械壊したんじゃねえの?」
「違げーよ! 俺が触ったらプスンって止まったんだよ!」
その光景を見て、木寺の足が止まった。
測定不能。
エラー。
それは「ゼロ」とは違う。
「計測できない何かがある」という意味だ。
(……あいつは、違うのか?)
木寺の胸の奥に、昏い何かが湧いてきた。上条とは、入学してからよくつるんでいた。なんだかんだで同じレベル0。同じ落ちこぼれ。
その親近感が、音を立ててひび割れていく。
それが、木寺が勝手に感じていたものだとしても。
:
その日の放課後。木寺は、上条と同じ掃除当番だった。他に、クラス委員の吹寄制理と、十名ほど生徒たちが残っている。
「ほら男子! サボらないで手を動かす!」
吹寄の怒号が飛ぶ。彼女は完璧主義者だ。机の列が数ミリずれているだけで直させる。
「へいへい。わかってますよーだ」
上条は、モップ掛けをしながら文句を言っている。木寺は、黒板を消しながら、横目で上条を見ていた。
(あいつの右手……)
昼休み、上条が話していた機械のエラー。そして、以前の体育の授業で、上条に「能力の玉」が当たった瞬間、ボールが不自然に弾けたこと。偶然だと思っていた。いや、うすうす何か感じていても、あえて聞かなかった。「不幸な奴だから」で済ませていた。
でも、もしそれが「能力」だとしたら?
「……あ、危ないッ!」
その時だ。
女子生徒の悲鳴が上がった。教室の後ろで、ふざけて発火能力を使った生徒がいた。
レベル1程度の微弱な力だが、なんらかの科学反応があったのか、火は消えずに床に落ちてしまった。
その横の壁には掃除用のコンセントがあり、古い延長コードが蛸足配線になっている。
バチバチバジィッ!!
そのままショートし、お手本みたいな流れで火花が散った。さらに、近くにあったカーテンに火花が飛び火し、ボッと炎が上がる。
「きゃあああっ! 火事っ!?」
「水! 水持ってきて!」
パニックになる教室。吹寄が消火器に走ろうとする。
その時。一番近くにいた上条当麻が、動いた。
「くそっ、何やってんだ!」
上条は、燃え上がろうとするカーテンに向かって、無造作に右手を突き出した。消火器も、水もない。ただの素手だ。
「やめろ上条! 火傷するぞ!」
木寺が叫んだ。だが、次の瞬間。
ジュッ。
上条の右手が触れた瞬間、炎が「消えた」。
水をかけたわけでも、叩き消したわけでもない。
まるで、映像のスイッチを切ったように、炎という現象そのものが消失したのだ。
残ったのは、少し焦げたカーテンと、驚いた顔のクラスメイトたちだけ。
「……え?」
「……消えた?」
静まり返る教室。上条は、自分の右手を見て、ポリポリと頬をかいた。
「あー、焦った。……不幸中の幸いってやつか? 燃え広がらなくてよかったな」
彼は、何事もなかったかのように笑った。周りの生徒たちは「すげーな上条」「手品かよ」とざわめいている。
「…………、」
だが、木寺一桁だけは違った。
彼は、黒板消しを握りしめたまま、愕然としていた。
(……な、んだよ、それ)
能力じゃない。発火能力でも、消火能力でもない。もっと異質な、世界の理を無視するような力。
(お前……持ってるじゃねえか!)
木寺の中で、何かが決壊した。俺と同じだと言った。何もできない落ちこぼれだと。なのに、お前は涼しい顔で、奇跡を起こした。
:
「……おい、上条」
木寺の声は、低く震えていた。掃除が終わり、生徒たちが帰り支度を始めている中、木寺は上条の席に歩み寄った。
「ん? どうした木寺。帰りにどっか適当に……」
「今の、何だ?」
木寺は、上条の右手を指差した。
「火、消したよな。一瞬で。……あれ、能力だろ?」
「え? いや、違うって。ただの偶然だろ。俺の右手、なんか変なんだよなー、昔から」
上条は、いつものようにヘラヘラと笑って誤魔化そうとした。
悪気はない。
彼にとって「イマジンブレイカー」は、不幸を呼ぶ疫病神であり、誇るべき力ではないからだ。
だが、今の木寺には、その謙遜が「欺瞞」に見えた。「持てる者」の余裕に見えた。
「……ふざけんなよ」
ダンッと木寺は、上条の机を蹴り上げた。教室中の視線が集まる。
「お、おい、どうしたんだよ急に!」
「嘘つくなよ! てめえ、隠してたんだろ! 『自分はレベル0です』って顔して、本当は特別な力があるって!」
「ちょ、待てって! 隠してねえよ! これはレベルとかじゃなくて……」
「同じじゃねえか!」
木寺が叫ぶ。その目には、うっすら涙が溜まっていた。
「俺たちは仲間だと思ってた! 何も持ってない、底辺同士だって! ……でも、お前は違った! お前には『特別』があるじゃねえか!」
木寺は、自分の胸を叩いた。
「俺を見ろよ! 俺には何もないんだぞ! AIM反応ゼロ! 完全なNull! ……努力しても、願っても、スプーン一本曲がらねえ!」
彼の叫びは、悲痛だった。
それは、上条への怒りというよりは、自分自身の無力さへの絶望だった。
隣にいたはずの友人が、突然遠い場所へ行ってしまった孤独感。
「お前はいいよな! 不幸だとか喚きながら、いざとなったらその右手で何とかできるんだから! ……俺の惨めさがわかるかよ! 本当に何もない奴の気持ちが!」
「……木寺」
上条は、困惑と、そして少しの悲しみを含んだ目で木寺を見た。
彼は反論しなかった。木寺の言っていることが、ある意味で真実だと知っているからだ。
自分は、不幸だが「力」を持っている。その時点で、木寺とは対等ではない。
「……なんか言えよ! 笑えよ! 『お前とは違うんだよ』って!」
木寺が上条の胸ぐらを掴もうとした時。
「……やめなさいよ、見苦しい」
冷ややかな声が、水を差した。吹寄制理だった。彼女は腕を組み、氷のような視線で木寺を見つめていた。
「ふ、吹寄……」
「何よその言いがかり。八つ当たりもいい加減にしなさい」
吹寄は、一歩前に出た。
「上条が能力を持ってようがいまいが、関係ないでしょ。……彼が火を消してくれたおかげで、ボヤ騒ぎにならずに済んだ。感謝こそすれ、妬むなんて筋違いよ」
正論だ。ぐうの音も出ない正論。
だが、その正論が、今の木寺には凶器のように突き刺さる。
「……アンタにはわかんねえよ! 優等生には!」
「わかるわよ。……貴様が『自分には何もない』って嘆いてるだけで、何も努力してないってことくらいはね」
吹寄の言葉は、容赦がなかった。
「能力がないなら、他で頑張ればいいじゃない。選択肢なんて幾らでもある……なのにアンタは、腐ってるだけ。上条の足を引っ張って、自分と同じ高さまで引きずり下ろして安心したいだけでしょ?」
「……ッ」
図星だった。木寺は、上条が、特別であることが許せなかった。自分と同じ「底辺」でいてほしかった。
その醜い嫉妬心を、吹寄に見透かされた。
「……軽蔑するわ。
吹寄は、吐き捨てるように言った。
クラスメイトたちも、遠巻きに見ている。
「うわ、引くわー」「木寺ってあんな奴だったんだ」というヒソヒソ声が聞こえる。
木寺は、立ち尽くした。
顔が熱い。羞恥心で死にそうだ。
誰も味方がいない。上条ですら、気まずそうに目を逸らしている。
(……ああ、そうか)
木寺は悟った。ここは、俺の居場所じゃない。俺だけが「異物」なんだ。上条は不幸な人気者。俺は、ただの卑屈な落ちこぼれ。
最初から、仲間なんかじゃなかったんだ。
「……悪かったな」
木寺は、絞り出すように言った。
「俺みたいなのが、馴れ馴れしくして。……もう、関わらねえから」
彼は、鞄を掴んで教室を飛び出した。背後で、上条が木寺の名を呼ぶ声がしたが、振り返らなかった。
:
木寺は、河川敷の土手に座り込んでいた。夕日が川面を染めている。美しい景色だが、今の彼にはただの光の刺激でしかなかった。
「……ああ、アアアアッ!」
彼は、石を川に向かって投げた。水切りにはならず、ぽちゃりと沈んだ。何をやっても上手くいかない。
「……俺は、最低だ」
上条に八つ当たりした。吹寄に軽蔑された。クラスメイトに呆れられた。
全部、自分が悪い。わかっている。
でも、どうすればよかったんだ?
「すごいね、上条」と笑えばよかったのか? 心の中で「ふざけるな」と叫びながら、道化師みたいに笑えばよかったのか?
「……無理だよ。俺は、そんなに強くない」
木寺は膝を抱えた。
孤独。
本当の意味での孤独。
能力がないことよりも、側に心が通じ合える相手がいないことの方が、何倍も辛い。
「……誰も、俺とは違う……」
反応なし。その診断結果が、ずっと呪いのように付きまとう。
俺は透明人間だ。ここにいてもいなくても変わらない。なら、いっそ消えてしまえばいいのか?
……いや。
木寺は、ポケットの中の小銭を握りしめた。腹が減った。喉が渇いた。こんなに惨めでも、腹は減るし、死ぬのは怖い。
「……ッ!」
彼は立ち上がった。消える勇気もない。ただ、明日からも、あいつらの顔色を伺いながら、いないモノとして生きていくしかない。
「……サバ缶、買って帰ろう」
それが、今の彼にできる精一杯の、日常への反抗だった。
:
翌日からの教室。木寺と上条の距離は、目に見えておかしくなった。
会話があってもぎこちない。
青髪ピアスや土御門が間に入ろうとするが、木寺が頑なに壁を作っていた。
吹寄は、木寺を無視していた。「更生する気がないなら勝手にすれば」という態度だ。
クラスメイトたちは、遠巻きに見ている。
「触らぬ神に祟りなし」ならぬ「触らぬ虚無に祟りなし」。
木寺は、教室の隅で、参考書を読みふけるようになった。
勉強熱心になったわけではない。本を読んでいるフリをして、周囲の視線と無関心から逃げているだけだ。
だが。その孤独な時間は、彼にある能力を伸ばしつつあった。
『観察眼』。
会話に入れない分、彼は周囲をよく見るようになった。
上条の行動パターン。吹寄の癖。クラスの空気の流れ。それらを冷静に、客観的に分析する視点。
「……、」
彼は、本越しに上条たちを見る。羨ましい。でも、もう戻れない。この距離が、今の自分にはお似合いだ。
そうやって自分を納得させていた。
だが、心の奥底にある小さな火種は、まだ消えていなかった。
いつか、見返してやる……いつか、俺も何者かになってやる。
その歪んだ、しかし純粋な渇望が、彼をクラスの中で更に空回りさせていく。
その日木寺一桁は、孤独を知った。いや、多分もっと前から、知っていた。