2:八月二十日
いきなりだが。
木寺一桁は、脳を直接レンジでチンされてる気分だった。
「……あー、死にますねこれ。マジで……はいはいはい…………どうもありがとうございましたー……」
意味のない言葉を病的に呟く。
学生寮、八階の角部屋。
その一室で、彼は死体のようにベッドに横たわっていた。クーラーの効きが異常に悪い。そして時刻は午後二時。一番気温が高い時間帯だ。
「うう、なんで俺だけぇ……」
本来ならば、今頃は涼しい海風に吹かれているはずだった。
上条当麻と、居候シスターのインデックス。彼らは昨日朝早く、「夏休み後半戦! 宿題なんて燃やしてキャンプファイアーツアーin神奈川」へと旅立っていった。
なにか都合が変わって、ちょっと旅行の予定が早まったそうだ。
木寺もありがたい事に誘われていた。夏休みらしいことぷわーッとやろうぜと。
だが、運命の女神というのは、木寺一桁に対してとことん塩対応らしい。
「……よりによって、一昨日の夜から熱出すとか」
夏風邪である。
それも、楽しみにしていたイベントの直前に発症するという、間の悪さの極み。
彼らには「俺のことは置いて行け、全滅するぞ。後は任せろ」と良識的にカッコつけて見送ったものの、一人残された部屋の静寂は、ボディブローのように精神を削ってくる。
階下の上条の部屋から、いつものドタバタ音が聞こえない。インデックスの「トウマー、オナカスイター!」という魂の叫びもない。
哀愁漂う静けさ。世界から取り残されたような疎外感が凄い。
(……熱は、下がったかー?)
額に手を当てる。昨晩は三八度を超えていたが、今は平熱に戻っている。
水分と睡眠を大量に摂取したおかげだろう。体の節々の痛みも引いている。
ただ、喉が渇いた。
冷蔵庫を開ける。空っぽだ。昨日、家中の清涼飲料水を飲み尽くしてしまったのを忘れていた。水道水はカルキ&温くて飲めたもんでない。
「……買いに行くか」
木寺はよれたTシャツを着替え、財布と鍵を持って部屋を出た。
廊下に出ると、ぐお……とした熱気が襲ってくる。誰もいない静かな寮。
木寺一桁は、病み上がりの重い体を引きずりながら、外の世界へと足を踏み出した。
:
自販機コーナーは、寮から歩いて五分ほどの公園脇にあった。
木寺は小銭入れをちゃらちゃらと言わせながら、目的の自販機の前までたどり着いた。
「えーと、スポーツドリンク……スポーツドリンク……」
売り切れ。無情な赤ランプが点灯している。
「……マジかよ。なんでピンポイントで?」
舌打ちしつつ、財布の中をひっかきまわす。お値段一二〇円。財布の中に入っている硬貨は、五十円玉が二枚に、十円玉も二枚……一枚、二枚、よしちょうどだ。
つるん。
「あ」
その時だった。
汗ばんだ指先から、財布が滑り落ちた。
小さな金属音を立てて、硬貨はすべて、自販機の下の隙間へと吸い込まれていく。
「……嘘、だろ」
木寺は膝から崩れ落ちた。たかが一二〇円、されど一二〇円。
(というか、どこの世界にまるまる全部の硬貨が落ちる奴がいるんだよ……!!)
財布の中身を確認する。
千円札はあるが、この自販機は「釣り銭切れ」のランプがついている。つまり、ピッタリで払わないと買えない。
他の自販機まで歩く気力はない。というか、木寺にとって一二〇円はかなりの大金だ。
「……取るしか、ないか」
木寺は周囲を見渡した。誰もいない。
灼熱の太陽の下、彼は地面に這いつくばった。
自販機の下の暗闇。そこに、微かに光る硬貨たちの側面が見える。
「くそ、あとちょっと……指が、届かねえ……」
地を這う木寺。
ズボンの膝が汚れるのも構わず、木寺は必死に腕を伸ばした。
通りがかりの人が見たら、自販機に押しつぶされた哀れな犠牲者に見えるかもしれない。あるいは、自販機の下に住んでいる妖怪か。
「よいしょ、っ、と……」
あと数センチ。小枝か何かがあれば。
木寺が顔を地面に擦り付けながら奮闘していると、視界の端に、誰かの足が見えた。
ルーズソックス。ローファー。女子中学生っぽい足だ。
(……ぐお)
最悪のタイミングだ。こんな無様な姿を見られたくない。
木寺は息を殺し、相手が通り過ぎるのを待った。
だが、足は止まった。木寺のすぐ目の前で。
「……何してんのよ、あんた」
頭上から降ってきたのは、呆れ果てた、しかしどこか聞き覚えのある声。
木寺は恐る恐る顔を上げた。
逆光で顔が見えにくいが、茶色のショートヘアと、常盤台中学の制服が見える。そして、なにか帯電しているような音が微かに聞こえる。
「……えっと?」
木寺は這いつくばったまま、硬直した。
まさか。いや、そんな偶然があるわけがない。この広い学園都市で、よりによってまたコイツと?
「……み、
木寺が名前を呼ぶと、少女──御坂美琴は、眉をひそめて屈み込んだ。その顔には、不機嫌そうな、でもどこか面白がるような色が浮かんでいる。
「やっぱり。誰かと思えば、あん時の」
「……え」
木寺は素っ頓狂な声を上げた。覚えていたのか。
木寺一桁という、影の薄いレベル0の顔を。
あのジュース喪失事件は一ヶ月以上前のことだ。
普通なら忘れているはずだ。しかも相手は学園都市に七人しかいないレベル5。俺とは全く、住む世界が違う。
「お、俺の事、覚えてたんですか……?」
木寺が這いつくばったまま尋ねると、美琴は腰に手を当ててフンと鼻を鳴らした。
「なんで敬語? 忘れるわけないでしょ。私の電撃をあんなふざけた方法で逸らした奴なんて、あんたくらいよ」
「いや、あれはまぐれで……」
「まぐれでも何でも、事実でしょ。……で? 今日は何? 自販機の下の蟻の観察? パンツでも見るために盗撮カメラ仕掛けてんなら焦がすけど」
「いやざけんな! 金……金を落としたんだよ!」
木寺の魂の絶叫。
「……は?」
「俺の一二〇円が、その、下に……!」
木寺が指差すと、美琴は大きく溜め息をついた。呆れと言うよりは、脱力に近い。
「あんたってホント……締まらないわねぇ」
「すいません……って、お前に俺の何が分かる!」
「いいわよ、どいて。私が取ってあげる」
「は?」
美琴は木寺の襟首を掴むと、子猫のようにズルズルと引っ張り出した。そして、パンパンと手を払うと、自販機の前に仁王立ちする。
「ちょ、御坂さん? 取るって、どうやって……」
まさか、
いやそれは流石ないだろう、多分……電磁力で颯爽で掻き出すとかか?
木寺が戦々恐々としていると、美琴はふふんと笑った。
「こうすんのよ」
ドギョオンッ!!!!
美琴の回し蹴りが、自販機の側面に炸裂した。
物理攻撃。
あまりに原始的な解決方法に、木寺はあんぐりと口を開けた。
「……え?」
「あら、出てこないわね。もう一発」
ドボォッ!!
「ちょ、ちょっと待て……何やってんだ? 壊れるって! 警報鳴るだろおい!?」
木寺が慌てて止めに入ろうとするが、美琴は止まらない。
むしろ、何か日頃の鬱憤でも溜まっているのか、蹴りの威力が増している気がする。
「大丈夫よ、この程度の衝撃じゃ壊れないようにできてるわ。学園都市の自販機なめないでよね」
「いや、なめてるのはアンタの脚力とモラルだろ!」
「うるさいわね! あと一押し……!」
美琴が三発目の蹴りを放とうとした瞬間。
ズバチチッ!
彼女の前髪から、青白い火花が散った。感情の高ぶりに呼応して、無意識に能力が漏れ出したのだ。
「あ」
美琴の動きが止まる。木寺も固まる。
蹴りの衝撃と同時に、高圧電流が自販機の電子回路に直撃した。
ピピピピピピピリ……ガガッ、ゴ──────!!
と、不穏な電子音が響き渡る。
売り切れランプが激しく点滅し、取り出し口のフラップがガシャングワシャンと開閉を繰り返す。
「……おい、なんかヤバイ音してないか?」
「き、気のせいよ。たぶん、当たりが出たのよ」
「そんな機能ねえよ! 逃げ……」
木寺が言いかけた時だった。
ボシュッ!!
取り出し口から、円筒形の物体が射出された。缶ジュースだ。
それも、一本ではない。
ズボシュベボシュガボシュボシュボシュボシュッ!!!!
まるで機関銃のように、自販機が次々と缶ジュースを吐き出し始めたのだ。
おしるこ、コーンポタージュ、変な色のソーダ、激辛コーヒー。あらゆる種類の缶が、木寺と美琴を目掛けて弾幕となって降り注ぐ。
「うわあああ!? 撃ってきた!」
「きゃあああ!? 何これ、暴走!?」
「お前が電気流すからだろ! バカ! アホしね!」
「私のせいじゃないわよ! この機械がポンコツなのよ!」
「機械のせいにすんな! え、逃げっ逃げ……!」
缶ジュースの雨あられ。中には加熱されたホットドリンクもあり、当たれば鈍器のような痛みと熱さが同時に襲ってくる。
美琴はとっさに木寺の襟首を掴み、走り出した。
「ちょ、なにしやがる!」
「どこでもいいから射程圏外へ! あっ、でも缶ジュースは拾っときましょう急いで!」
「え、ええええ……!?」
速攻で拾い集める。そして二人は猛ダッシュで公園を抜け、路地裏へと駆け込んだ。
背後ではまだ、自販機が断末魔のようにジュースを吐き出し続けている音が聞こえる。
:
「……はぁ、はぁ、はぁ……!」
「……信じらんない……何なのよアレ……」
「俺はお前が信じられないよ……」
路地裏を抜けた先にある、川沿いの遊歩道。
木寺と美琴は、ベンチに並んで座り込んでいた。足元には、必死で拾い集めた十数本の缶ジュースが転がっている。これ犯罪だろ、完全に。
木寺は肩で息をしながら、隣の少女を見た。汗で前髪がぐちゃっとしているが、それでも彼女は不敵な余裕を崩していない。常盤台のレベル5。雲の上の存在。なのに、やってることは不良の自販機荒らしよりタチが悪い。
「……とんだ災難だよ、マジで」
木寺は転がっていた『濃厚イチゴおしるこ』の缶を拾い上げた。まだ温かい。
「何よ、奢ってあげたんだから感謝しなさいよ」
美琴は悪びれもせず、自分も『ヤシの実サイダー』のプルタブを開けた。無駄にいい炭酸音が小気味よく響く。
「奢ったっていうか、略奪だろこれ」
「緊急避難よ。それに、あの自販機前に私の百円飲み込んだままだったし」
「足りてねえよ何もかも……」
木寺は溜め息をついて、おしるこを開けた。甘ったるい匂いが漂う。
喉が渇いていたので一口飲むと、強烈な甘さが脳に突き刺さった。
「……甘っ」
「文句ばっかりね。男なら黙って飲む!」
「へいへい……」
木寺は美琴の横顔を盗み見た。
一ヶ月前、初めて会った時は、もっとピリピリしていた気がする。
今は、なんていうか……普通の女子中学生に見える。いや、電撃使いの超能力者だし、自販機を破壊するような奴が普通なわけがないのだが。
だけど、なにか……
「……ねえ」
ふと、美琴が口を開いた。サイダーの缶を両手で包み込みながら、視線は川面に向けている。
「あんた、名前なんだっけ」
「……木寺。木寺一桁」
「ヒトケタ……変な名前ねしかし」
「よく言われるよ」
「私は御坂美琴」
「知ってるよ。有名人だし」
「ふーん」
美琴はつまらなそうに足をぶらつかせた。有名人扱いされるのは慣れているのだろう。あるいは、飽きているのか。
「ねえ、木寺」
「……何ですか、御坂さん」
「その『さん』付け、やめてくんない? なんかムズムズする」
美琴がじとりと睨んでくる。
「いや、でもレベルも上だし……一応」
「関係ないわよ。あんた、私と対等に話せる度胸あるくせに、変なとこで堅苦しいのね」
「度胸なんてないよ。ビビりまくりだっつの」
「嘘おっしゃい」
美琴は馬鹿を見る目で笑った。その目は、木寺の奥底を見透かしているようだった。
「聞いたわよ。先月の、
「……!」
木寺の体が硬直した。
ロボットの事件。彼が六月の頭に、暴走した警備ロボットに特攻した一件だ。
大事にはならなかったはずだった。クラスメイトにはバレてしまったが、まさか他校の、しかも赤の他人の、彼女が知っているとは。
「……なんで、それを」
「
美琴はサイダーを一口飲んで、続けた。
「レベル0の無能力者が、生身で2トンの鉄の塊に突っ込んで、子供を無傷で守りきった。……やるじゃない」
「…………、」
称賛。
純粋な、混じりっ気のない評価。
妹の二葉からはなんか雑に処理されたあの出来事を、この少女は……真っ直ぐに見てくれているらしかった。
「……買いかぶりだ。正直自分が何やったのかも覚えてねえ。ノリと勢いだよ」
「ほんと卑屈ねえ、あんた」
美琴が呆れたように言った。
「あんたはレベル0かもしれないけど、やったことは事実でしょ。私の電撃を防いだ時もそう。……もっと自信持ちなさいよ」
「……自信、ねえ」
「あんたには何かあるのよ。私が保証してあげる」
美琴は木寺の方を向き、ビシッと指を差した。
「学園都市第三位の超電磁砲が認めたんだから、胸張りなさい!」
「……、おお」
その笑顔は、真夏の太陽よりも眩しかった。
根拠はない。無責任な言葉かもしれない。でも、不思議と嫌な気はしなかった。
「お前は立てる」と言われている気がした。
「……あざっす」
木寺は照れ隠しに、おしるこを一気に煽った。めちゃくちゃ不味いが、それが効く。
「でもまあ、常盤台のお嬢様ってのは、みんなこんな……破天荒なのか?」
木寺は話題を変えようとして、軽口を叩いた。
「自販機蹴っ飛ばして、電撃で破壊して……上品さの欠片もないな」
「うっさいわね! あれは機械が悪いの! それに、私はこれでもお嬢様学校のエースなんだからね!」
「おーすげー」
「こいつ……! って……あ、そうだ。これ処理しなきゃ!」
ふと、思い出したような美琴は足元の大量の缶ジュースを見た。十数本ある。二人では飲みきれない。
「どうすんだよこれ。持って帰るのも重いし」
「あんたが持っていきなさいよ。男でしょ」
「えー……」
こいつにとって「男」という言葉は関西人の「なんやて」みたいな汎用性を持つらしい。
木寺がそう思った時だった。
「お、姉、さ、ま、あ、あ、あ、あ、あ、ッ!!!」
空気を切り裂くような、金切り声。何かが接近してくる気配。
「ぐげッ!?」
美琴が露骨に嫌そうな顔をした瞬間、ぱしゅりと音がして、何もない空間からツインテールの少女が出現した。白井黒子だ。常盤台の制服に、風紀委員の腕章。そして、鬼のような形相。
「黒子!? なんでここが……」
「GPSですのよおおおおお!!」
黒子は美琴に抱きつこうと突進するが、美琴は手でその顔面を押さえて止める。
「離れなさい! 暑苦しい!」
「酷いですわお姉様! わたくしというパートナーがいながら、こんな路地裏で殿方と密会だなんて!」
黒子は美琴の拘束をすり抜け、じろり……と木寺を睨みつけた。
「で……あなた、どこの馬の骨の野郎ですの?」
「いや、俺はただの通りすがりでして……」
「通りすがりで大量のジュースを分け合う仲になりますの!? これは事案ですわ! 風紀委員として、そしてお姉様の純潔を守る騎士として、あなたを排除し……」
「待ちなさい黒子! 早とちりすんな!」
美琴が黒子の首根っこを掴む。
「こいつは……ほら、あの時の。ほら」
「……む?」
小声でささやく美琴。
黒子は動きを止め、木寺をじろじろと観察した。そして、ハッとしたように目を見開く。
(……この顔。報告書にあった、ロボット事件の……木寺一桁?)
黒子の脳内で情報がリンクする。レベル0でありながら、あの大事故で少女を救った少年。そして、あの木寺二葉の実の兄。
(……なるほど。お姉様が気に掛けるのも分かりますわね)
だが、それを口には出さなかった。彼自身が公表を避けている以上、ここで部外者がペラペラと喋るのはマナー違反だ。
それに、何より。
「ふん。まあ、無害そうな顔はしていますわね」
黒子は興味なさそうに鼻を鳴らした。
「で? お姉様。まさかとは思いますが……」
黒子はジト目で美琴と木寺を交互に見た。
「彼氏、ですの?」
「「ブッ!!」」
木寺と美琴は同時にジュースを吹き出した。
「な、ななな何言ってんのよアンタは!! 目玉腐ってんじゃないの!?」
美琴が顔を真っ赤にして、さらに般若のような形相で叫んだ。それは単なる否定ではない。侮蔑と拒絶を込めた、
「よく見なさいよ黒子! この……覇気のなさ! 存在感の薄さ! 道端の石ころと区別つかないようなのと、私が!? ありえないでしょ!!」
「い、石ころ……」
「百歩譲って人類だとしても、恋愛対象としてのカテゴリーには入らないわよ! ミジンコと社交ダンスする方がまだ現実味があるわ! 生理的にとか以前に、生物としての格が違いすぎて視界に入らないレベルよ!」
美琴は木寺を指さし、早口でまくし立てた。
木寺は言葉を失い、硬化していた。
否定してくれるのはありがたいが、ここまで言われるとさすがに心が折れる。ミジンコ。石ころ。視界に入らない。レベル5からの
「……あ、あの、……そこまで、言わなくても……」
「うるさいわね! 事実でしょ! あんたみたいなのと噂になるだけで、私の経歴に泥がつくのよ! 感謝しなさいよ、私がこうして同じ空気を吸ってあげてることに!」
美琴ははんと鼻を鳴らし、蔑むような目で見下ろした。
その目には、「微塵も異性として見ていない」という残酷なまでの純粋さが宿っていた。
演技だとしたら、上手すぎる。
「……うぅ」
木寺は泣きそうになりながら、それでも必死に黒子に向かって手を振った。
「そ、そういうことだ! 俺みたいなのが御坂さんと釣り合うわけねえわ! あははー! 月とスッポンどころじゃねえやい、ワインと糞水くらいの差があるんです!」
「そ、そうよ!」
勢いで美琴が同意する。
「ぐはっ……と、とにかく! 俺はただの被害者で、通りすがりの背景です! 色恋沙汰とか、そんな恐れ多いこと考えてもいません!」
木寺は黒子に向かって土下座せんばかりの勢いで弁明した。
プライドなどない。あるのは、「これ以上美琴に罵倒されたくない」という悲痛な叫びだけだ。
「………………、」
黒子はそれを見て、ふっ……と毒気を抜かれたように笑った。
「……まあ、よろしいでしょう。その身の程をわきまえた態度は評価して差し上げますわ」
黒子は矛を収めた。切り替えが早くて大変ありがたい。
「ですが……それはそれとして。お姉様、門限が迫っておりますのよ。こんなところで道草を食っている場合ではありませんわ」
「え、もうそんな時間?」
「寮監が見回りに来ますわよ」
「げっ、それはマズイ!」
美琴は慌てて立ち上がった。寮監の恐ろしさは、レベル5の能力をも凌駕する。
「じゃあね、木寺! そのジュース、あんたにあげるから!」
「ええーこれ全部!?」
「感謝しなさいよね! ほら、行くわよ黒子!」
「はいはい、お姉様。……あなたも、くれぐれも夜道にはお気をつけあそばせ」
黒子は意味深な視線を木寺に残し、美琴の後を追って走り出した。嵐のように現れて、嵐のように去っていく。常盤台の高位能力者たち。
:
「……なんだったんだ、一体」
残されたのは、木寺一人と、大量の缶ジュース。あとリカバリが困難な精神ダメージ。
風が、ぬるくなった空気を運び去っていく。
「……重いぞ、これ」
木寺は近くのごみ箱からビニール袋を拝借し、ジュースを詰め込みながら、苦笑した。
厄介ごとは御免だ。あまり目立ちたくない。でも、なんやかんやで今日のジュースは、いつもより少しだけ美味しかった気がした。
「いや、でも、マジで重い……」
そうして木寺が立ち上がろうとした、その時だった。
「あの、すみません。猫を見かけませんでしたか、とミサカは影の薄い貴方に尋ねます」
背後から、無機質な声が掛かった。木寺が振り返ると、そこには。
「……え?」
…………いや、違う? でも、髪型は同じ。顔も同じ。
「………………、」
だが、その目には生気がなく。頭には軍用の暗視ゴーグルのようなものを被るように装着している。そして何より、その雰囲気は、先ほどの美琴とは似ても似つかない、人形のような静けさを纏っていた。
「……御坂、か?」
「はい、ミサカはミサカです。ですが、先ほど貴方が接触した「お姉様」とは異なります、とミサカは補足説明します」
「……は?」
どこかから、ひぐらしの鳴き声が聞こえてくる。