とある科学の存在証明   作:かさねtyann

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鉄と血と魔女狩り

 

 学生寮へと続く道を、木寺一桁は、ぐちぐちと呟きながら牛歩の速度で帰っていた。

 

「……あー、ダルい。マジでダっルい」

 

 肩に食い込む通学鞄の重さは、中に入っている補習テキストの物理的な質量以上に、精神的な重圧となってのしかかる。

 周囲からはすっかり夏休みモードの学生たちの笑い声や、よくわからん店の呼び込みが微かに聞こえる。

 いつもの雰囲気。だが、学生寮の敷地に入った瞬間、木寺は首を傾げた。

 

 

「…………?」

 

 

 音が、ない。

 いつもなら、この時間は馬鹿騒ぎする声や、窓から漏れるエロ動画の音が聞こえる無法地帯のはずだ。それなのに、まるで寮全体が透明な防音壁で覆われたかのように鎮まり返っている。

 それに、なんだこの臭いは。焦げ臭いような、鉄さびのような。

 何気なくあたりを見ると、赤い飛沫のようなものがわずかに壁に付着していて……

 

 

「血……じゃねえよな? 誰かボヤでも出したか……?」

 

 

 嫌な予感が背筋を舐める。エレベーターは点検中。木寺は舌打ちをしながら、非常階段を登り始めた。

 カツ、カン、と鉄の階段を蹴る自分の足音だけが、いやに大きく響く。

 

 自分の部屋がある階層へ向かう途中、上条の部屋がある階の踊り場で、木寺は足を止めた。廊下の奥から、話し声が聞こえたからだ。

 

 

「我々はインデックスを──『保護』するために、回収しに来たんだよ」

 

 

 低い、男の声。聞いたこともない、重苦しい響き。日本語のはずなのに、まるで呪詛のように粘着質な響きを纏っている。

 

(誰だ? 寮監じゃねえな……借金取りか?)

 

 野次馬根性と、得体の知れない不安。木寺は息を殺し、通路扉の隙間からそっと廊下を覗き込んだ。

 

 

「────ッ!!」

 

 喉から出そうになった悲鳴を、両手で強引に押し殺す。そこには、異常な光景が広がっていた。

 

 廊下に倒れている少女。昨日、上条が「布団を干し忘れたせいで引っかかっていた」と言っていた、例の白いシスター服の少女だ。

 インデックス……人の名前とは思えないが、そういう名前らしい。

 だが、その白さは、今は無惨な紅に染まっていた。背中を切り刻まれ、血の海に沈んでいる。

 

 そして、その前に立ち尽くす上条当麻と、彼と対峙する長身の男。

 

 黒い神父服。赤く染めた髪。右目の下のバーコードの刺青。手には、ゆらゆらと紫煙を上げるタバコ。

 

「……な、なんだよ、ありゃ……っ」

 

 木寺の全身から、一気に冷や汗が吹き出した。

 不良の喧嘩じゃない。

 能力者同士の決闘ですらない。

 もっと一方的で、冷酷な「命のやり取り」の気配。

 

 逃げろ。本能がそう警鐘を鳴らす。関われば死ぬ。レベル0の自分が介入していい領域じゃない。

 

 だが、足が動かない。視線の先で、上条当麻が震える声で叫んだ。

 

 

「……ざっけんな。仲間を助けるために、仲間を傷つけたって言うのかよ……!」

「君には関係のない話だ」

 

 

 神父服の男──ステイル=マグヌスが、気だるげにタバコを指で弾いた。瞬間。世界が変わった。

 

 

「『世界を構築する五大元素の一つ、偉大なる始まりの炎よ』」

 

 

 詠唱と共に、ステイルの手から炎が噴き上がる。

 

 それは能力者の発火能力のような単純な現象ではなかった。炎が渦を巻き、形を成し、質量を持って顕現する。摂氏三〇〇〇度の怒れる巨人。

 

「な……!?」

 

 木寺は目を見開いた。科学の街で育った彼にとって、目の前の現象は理解の範疇を超えていた。

 何かが、明らかにおかしい。ただの言葉と身振りだけで、物理法則を蹂躙している。これは──

 

 

「うオ、あああああああッ!!」

 

 

 上条が叫び声を上げ、右手を突き出す。炎の巨人が振るった拳が、上条の右手に触れた瞬間に霧散した。だが、巨人は即座に再生し、再び上条を襲う。

 

(なん、だあれ……上条の右手もおかしいけど、あの炎、消しても消しても湧いてきやがる!)

 

 狭い廊下が灼熱地獄と化す。スプリンクラーも作動しない。壁の塗装が熱で溶け出し、異臭を放つ。上条は防戦一方だ。右手が防げるのは「異能の力」だけ。巨人が振るう熱風や、爆風による衝撃までは殺しきれない。

 上条の体が吹き飛ばされ、壁に激突する。額から血が流れ、意識が飛びかけているのが遠目にもわかった。

 

「終わりだ」

 

 ステイルが冷徹に告げる。巨人が、動けなくなった上条に向けて、巨大な炎の腕を振り上げた。

 

(死……、上条が、死ぬ)

 

 木寺は扉の裏でがたがたと震えていた。

 怖い。熱い。逃げてえ。

 あいつは赤の他人だ。ただのクラスメイトだろ。助ける義理なんて一切ない。俺が行ったところで何ができる? ジュースで電気を逸らすのとはわけが違う。あの炎に触れたら、一瞬で灰だ。

 

 

『不幸だ……ッ!』

 

 

 昼間、補習室で聞いた上条の間抜けな声を思い出す。あいつは、ただのバカで、お人好しで、不幸なだけの高校生だ。ここで黒焦げになっていいはずがない。

 

「……くそがッ!!」

 

 木寺の理性が「止まれ」と叫ぶのを無視し、体が勝手に動いていた。いや、飛び出したわけではない。彼の視線が、廊下の天井を這う配管と、壁にある赤いボタンを捉えたからだ。

 

(火災報知器……スプリンクラー!)

 

 炎なら水に弱い。単純な理屈だ。だが、今の熱量でスプリンクラーが作動していないのは異常だ。恐らく、あの男が何らかの手段で感知を無効化しているか、熱気が上に行く前に空気が焼き尽くされているか。なら、手動で動かすしかない。

 

 だが、ボタンは上条たちのすぐ近くだ。木寺の位置からは遠すぎる。

 

 

「上条ォッ!!」

 

 

 木寺は叫んだ。自分でも驚くほど弱弱しい、覇気のない声だった。ステイルと、意識が朦朧としていた上条が、同時に声の方を向く。

 

「なに……!?」

 

 ステイルが一瞬、虚を突かれたように目を見開く。部外者。完全に気配を消して……いや単に存在感が薄かった一般人の乱入。そのわずか一秒の隙。

 木寺は手に持っていた分厚い英語の辞書を、全力でステイルの顔面めがけて投げつけた。

 

「うわァぁぁぁ喰らえぇぇぇ!!」

 

 フォームもへったくれもない、ただのヤケクソ投擲。だが、辞書は唸りを上げて空を切り──ステイルの顔の横、数十センチの空間を虚しく通過し、壁に当たってどさりと落ちた。

 

「……は?」

 

 

 ステイルが侮蔑の眼差しを木寺に向ける。外した。

 やはりレベル0。運動神経も普通。奇跡なんて起きない。

 

 だが。その一瞬の「呆れ」が、上条当麻に酸素を与えた。

 

「……木寺……?」

 

 上条の瞳に光が戻る。木寺の情けない投擲と、その視線が向いていた先──壁の赤いボタン。上条の回転が速くなった脳が、瞬時にその意図を読み取った。

 

「おおおおおッ!!」

 

 上条が最後の力を振り絞り、地を蹴る。ステイルに向かってではない。壁に向かってだ。

 

「何っ!?」

 

 ステイルが反応するより早く、上条の拳が火災報知器のボタンを、カバーごと粉砕した。

 

 

 ぎゃりりりりりりりりりり!!! 

 耳をつんざく警報音。直後、天井のスプリンクラーが一斉に開放され、大量の水が廊下に降り注いだ。

 

 バジュウウウウウウウウ!! 凄まじい水蒸気が視界を奪う。インクで描かれたルーンカードが濡れ、ステイルの「魔女狩りの王」が、泥人形のように崩れ落ちていく。

 

「な、僕のルーンが……!?」

「今だ上条ォ!! 殴れぇ!!」

 

 木寺が階段の陰から叫ぶ。言われなくとも、上条は踏み込んでいた。水浸しの廊下を疾走し、呆然とする魔術師の懐へ飛び込む。そして、その拳を、ステイルの顔面に叩き込んだ。

 

 ゴ、ガァッ!! 

 

 鈍い音が響き、長身の魔術師が吹き飛んで白目を剥く。炎が完全に消え去り、あとには水浸しの廊下と、荒い息を吐く二人だけが残された。

 

 

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 上条が膝をつく。木寺もまた、腰が抜けてその場にふらりと座った。

 

「……お前、なんで……」

 

 上条が腫れ上がった顔で木寺を見る。

 

「……知らねーよ。通りかかったら、お前が死にそうだったから……体が勝手に……」

「……はは、そっか。ありがとな、木寺。あの辞書は全然当たってなかったけどさ」

「っせえ! 牽制だよ牽制……!」

 

 軽口を叩き合う。だが、状況は解決していない。上条はすぐに表情を引き締めた。

 

「俺は……こいつを連れて小萌先生のとこに行く。病院だと、事情が複雑になりそうでヤバイしな」

「は? 先生のアパート? ……わかった、俺は見なかったことにする。というか、これ以上巻き込まれるのは御免だ」

 

 木寺は震える足で立ち上がり、道を譲る。

 

 スプリンクラーの人工降雨が止まない廊下で、上条当麻はぐったりとしたインデックスを背負い直した。

 彼の頬はダメージの痕で腫れ上がり、制服は水と煤で汚れている。

 

 

「はは……」

 

 

 上条の決意に満ちた言葉。木寺一桁は、へたり込んだままその背中を見つめた。

 安全地帯に留まるなら、ここで頷いて見送るのが正解だ。

 自分の部屋に入り、鍵をかけて布団を被れば、明日の朝には全てが夢だったと思えるかもしれない。

 

 

 上条は「恩に着る」と短く言い残し、非常階段の方に向かった。

 

 残された木寺一桁は、深い深いため息をついた。

 

「……なんだよ、これ。冗談抜きで、どうなってんだよ……」

 

 足元には、投げつけた英語辞書が水に濡れてふやけている。木寺はそれを拾い上げ、汚れを払った。ただの辞書。特別な力なんてない。けれど今日、この辞書と自分の「無駄なあがき」がなければ、確実にクラスメイトが一人死んでいた。

 

 

「…………?」

 

 その時、ふと。

 木寺の視線が、床に転がっている気絶した長身の男──ステイル=マグヌスに向けられた瞬間、背筋に悪寒が走った。

 

 

(いやこいつ、気絶してるだけだよな? もし目が覚めたら? ここに残ってる俺を見たら……?)

 

 

 あの炎の巨人。あの必ず殺す、と言わんばかりの殺意。一人でここに残る恐怖が、関わりたくないという逃避本能を上回った。

 

 それに──

 

「……ああもうッ!」

 

 木寺は水たまりを蹴って立ち上がった。上条の足元がふらついているのが見えたからだ。インデックスは小柄とはいえ、ボロボロの上条が一人で背負っていくのは相当厳しい。

 

「おい上条、待て!」

「え? 木寺?」

「俺も行く! こんな化け物が転がってる廊下に一人でいられるかよ! それに……お前一人じゃ途中で野垂れ死にそうだ」

 

 木寺は悪態をつきながら、インデックスの体を支えるように上条の脇に入った。上条は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにふっ、と──腫れた頬を引きつらせながら笑った。

 

「……助かる。正直、足ガクガクだったんだよ」

「勘違いすんなよ? 俺は俺の身を守るために動くだけだ」

 

 二人のレベル0は、血まみれのシスターを支え合いながら、街の闇へと歩き出した。

 

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