とある科学の存在証明   作:かさねtyann

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シスターアローンコンプレックス

 

 

 翌日。

 とある高校の教室だった。

 これまた冷房の効きが非常に悪いその空間に、ようやくチャイムの音が鳴り渡った。

 

 

「……はい、そこまでですよー」

 

 教卓で、月詠小萌がにっこり笑った。

 黒板には、複雑怪奇な量子力学の数式と、補習課題の答えがびっしりと書き込まれている。降り積もったチョークの粉の匂いが充満し、教室は一種独特な倦怠感に包まれていた。

 

 

「ふぅ……。お疲れ様でした、木寺ちゃん。これで夏休みの補習カリキュラム、最終段階クリアですねー」

「……あざっす……」

 

 

 木寺一桁は、机に突っ伏したまま、魂の抜けたような返事をした。

 

 右手にはシャーペンが握られたままだが、指先の感覚がない。脳みそが沸騰して耳から蒸気が出そうだ。シュレディンガーの猫だか何だか知らないが、今の俺は箱の中で生死不明の状態に近い。

 

 

「いやー、それにしても一人っていうのはキツイですね……。精神的な逃げ場がないというか、こう、連帯責任で傷を舐め合う相手がいないというのは……」

 

 木寺は屍人のように顔を上げ、誰もいない隣の席を見た。

 いつもなら、そこにツンツン頭の少年がいて、「不幸だー! なんで俺まで!」とか喚いているはずなのだ。

 

 あるいは、青髪ピアスがふざけていたり、土御門が適当なことを言っていたり。そんな騒がしい日常が、今日はごっそりと抜け落ちている。

 海に行けなかった結果、まだ残っている補修が判明し参加する羽目に。なんだこの最高の冗談は。

 

 

「木寺ちゃん?」

「……はい」

「顔色が、干からびたミミズみたいになってますよー。お腹、空いてませんか?」

 

 小萌先生が、心配そうに木寺の顔を覗き込んだ。

 仰る通りだった。発熱騒動と、その後の精神的ダメージと、そもそも金欠で暫くまともな食事をとっていなかった。胃袋が空っぽすぎて、逆に感覚が麻痺していたのだ。

 

 

「……言われてみれば。胃が背骨にくっつきそうです」

「それは大変です! 育ち盛りの高校生が栄養失調なんて、担任として見過ごせませんよー!」

 

 小萌先生は、ポケットから可愛らしいがま口財布を取り出し、ビシッと木寺に向けた。

 

「行きますよ、木寺ちゃん! 今日は先生が食堂で奢ってあげます!」

「え、いいんすか? 先生、給料日前だって言ってませんでしたっけ」

「むっ! 生徒一人の胃袋を満たすくらい、大人の女性の財力があれば造作もないことなのです! ……たぶん!」

「たぶんって言ったあ……」

 

 一抹の不安はあったが、空腹には勝てない。木寺はヨロヨロと立ち上がり、小萌先生の後について教室を出た。

 

 

 

 :

 

 

 

 学生食堂は、部活関連の腹ごしらえをする生徒も去り、閑散としていた。

 そもそもまだ夏休みだ。こんなものか。

 

 そして端っこの方のテーブル席。木寺の目の前には、『スタミナ日替わり定食・ご飯大盛り』が湯気を立てて鎮座していた。豚肉の生姜焼きにコロッケ、さらには小鉢までついた豪華版だ。

 

 対する小萌先生の前には、お子様ランチ……ではなく、可愛らしいサイズのレディースセットが置かれている。

 彼女が前に座ると、テーブルの高さのせいで顔しか出ていないのがシュールだ。

 

 

「さあさあ、遠慮せずに食べるのですー。冷めないうちにどうぞー」

「あじゃす……いただきます」

 

 木寺は箸を割り、生姜焼きを口に運んだ。濃いめの味付けが、疲弊した脳と体に染み渡る。美味い。涙が出るほど美味い。

 

 

「……生き返るぅ……」

「ふふっ、いい表情ですねー。見てて気持ちいいですよー」

 

 

 小萌先生は、ニコニコしながらお冷を飲んでいる。

 

 ふと、木寺は箸を止めた。数ヶ月前までは「透明人間」だった自分が、こうして小萌先生と差し向かいで食事をしている。不思議な感覚だ。

 

「……なんか、すいません。先生に気を使わせて」

「気にすることないですよー。木寺ちゃんは最近、色々頑張ってますからねー。これはそのご褒美です」

「頑張ってるっていうか……色々巻き込まれてるだけですけど」

「巻き込まれた結果だとしても、逃げずに向き合ってるなら、それは立派な『頑張り』ですよー」

 

 

 小萌先生の言葉は、いつも温かい。まるで、日なたの匂いがする布団のようだ。

 

 木寺が少し照れくさそうに頭をかいていると、背後からドカドカと豪快な足音が近づいてきた。

 

 

「おーう、小萌じゃん! 奇遇奇遇」

「?」

 

 振り返ると、そこにはジャージを着た勝気の女性が立っていた。長い黒髪に、豊満なスタイル。体育教師であり、警備員(アンチスキル)でもある黄泉川愛穂だ。

 

「あ、愛穂ちゃん。愛穂ちゃんもお仕事終わりですかー?」

「ああ、巡回あがりだよ。腹減って死にそうじゃん」

 

 黄泉川は木寺の定食をじろりと見た。

 

「……って、おい木寺。あんた貧乏なくせに随分美味そうなもん食ってんじゃん。……あれ? まさか小萌の奢りか?」

「ええ、まあ。木寺ちゃんが補習を頑張ったのでー」

「マジか! 太っ腹じゃん小萌!」

 

 黄泉川はにこーっとと笑い、ドゴオッと小萌先生の隣に座り込んだ。

 

「じゃあ、あたしにも奢ってくれよ! 同僚のよしみでさ」

「えぇっ!? あ、愛穂ちゃんは大人の女性なんですから、自分で払ってくださいよー!」

「ケチケチすんなって! あたしも今月ピンチなんだよ、新しいトレーニング器具買っちゃってさあ!」

 

 黄泉川がバンバンと小萌先生の背中を叩く。小萌先生が「あうう、お財布が軽くなっちゃいますー」と涙目になっている。

 激務明けなのか、嫌なテンションになっている黄泉川であった。

 

 

(…………ふむ)

 このままでは、小萌先生の生活費が脅かされてしまう。恩を仇で返すわけにはいかない。木寺は箸を置き、決意の表情で口を開いた。

 

 

「……あの、黄泉川先生」

「ん? なんだ木寺」

「小萌先生にたかるのは良くないと思います。……ここは一つ、勝負で決めませんか?」

「勝負?」

 

 木寺は、食堂の隅にある「ご飯おかわり自由」のジャーを指さした。

 

「この定食、ご飯はおかわり自由なんです。……俺と先生で、ご飯の早食い対決をするってのはどうですか?」

「ほう?」

「俺が勝ったら、小萌先生へのたかりは無し。……逆に俺が負けたら、黄泉川先生の分も、俺の分も、全部俺が払います」

「き、木寺ちゃん!? 何を言ってるんですかー!?」

 

 小萌先生が慌てるが、木寺はふふんと鼻で笑ってみせた。

 勝算はある。黄泉川は仕事上がりで空腹だろうが、俺だって昨日の夜から何も食っていない。空腹の極限状態にある高校男子の食欲をなめるなよ。それに、ご飯だけなら金はかからない。小萌先生の財布を守るための、完璧な作戦だ。

 

「……面白いじゃん。乗った!」

 黄泉川が不敵に笑った。

「ただし、ご飯だけじゃ喉詰まるからな。おかずの追加注文はありだ。……負けた方が全額払いな!」

「……え、あ、はい。ん……? 望むところです!」

 

 こうして、謎のゴングが鳴らされた。

 

 

 

 :

 

 

 

 結論から言えば、惨敗だった。完膚なきまでの敗北だった。

 

「ごっそさん! いやー、食った食ったじゃーん」

 

 黄泉川は、積み上げられた空のどんぶり(十杯分)の前で、満足げに爪楊枝をくわえていた。その横には、追加注文した唐揚げ、餃子、麻婆豆腐の皿が山のように積まれている。

 

 対する木寺は、三杯目で限界を迎え、白目を剥いて撃沈していた。

 

「うぷ……もう、米一粒も入らねえ……」

「だらしないなあ少年! 育ち盛りならもっと食わなきゃじゃん!」

「あうう……」

 

 そして。

 

 レジの前で、小萌先生が真っ白な灰になっていた。

 

「……お会計、五千八百円になりますー」

「……は、はいー……」

 

 震える手で、がま口財布から偉人達が旅立っていく。木寺の「負けたら俺が払う」という宣言は、高校生の財布事情を完全に超えた金額の前に、あえなく霧散した。結局、保護者である小萌先生が尻拭いをすることになったのだ。

 

「す、すいません……先生……」

「いいんですよー……木寺ちゃんも、先生のために頑張ってくれたんですからー……」

 

 小萌先生は笑っていたが、その目は死んでいた。黄泉川は「いやー、小萌ご馳走さん! 次はあたしが奢るからさ!」と上機嫌で去っていったが、その「次」がいつになるかは不明だ。

 

「……一生、頭が上がりません」

「気にしないでくださいー。……明日からは、もやし炒め生活ですけどー」

 

 小萌先生の小さな背中が、いつもよりさらに小さく見えた。木寺は心の中で土下座を繰り返しながら、食堂を後にした。

 

 

 

 

 靴を履き替え、外に出る。胃袋は破裂しそうなほど満たされているが、心は罪悪感でいっぱいだった。でも、不思議と嫌な気分ではなかった。

 

 こんな風に、馬鹿やって、失敗して、先生に迷惑かけて。そんな「普通の高校生」みたいなことができたのが、少しだけ嬉しかった。

 

 

 

「……行こ」

 

 

 

 

 

 :

 

 

 

 

 そして、一人の帰り道。

 

 第七学区の鉄橋の上を、木寺はとぼとぼと歩いていた。

 水面を渡る風が、少しだけ熱気を和らげてくれる。欄干にもたれかかり、夕日を眺めるカップルや、部活帰りらしき学生たちとすれ違う。みんな、それぞれの夏を楽しんでいるように見える。

 

「……だが、実際金がねえぞもう」

 

 昨日の夜、最後のサバ缶を食べてしまった。今日の夕飯はどうしようか。いや、さっきのドカ食いで当分何も入らないが、食いだめなんて当てにならない。

(銀行から下ろすか……つってももう数千円もないと思うが)

 

 とにかく更にDHAを摂取して頭が良くなれば、少しはマシな人生になるかもしれない。少なくとも、無謀な大食い対決を挑むような馬鹿な真似はしなくなるだろう。

 そんな非科学的な希望を抱きつつ、木寺が橋の中央付近に差し掛かった時だった。

 

 

 

「……はぁ」

 

 深い溜め息が聞こえた。木寺の前方。欄干に腹を預け、だるそうに川を見下ろしている人影があった。

 

 常盤台中学の制服。茶色の短髪少女。日を浴びて、その髪が金色に輝いている。

 

 御坂美琴だった。

 

 

(……おおい、またかよ)

 

 昨日の今日だ。遭遇率が高すぎる。

 木寺は一瞬、回れ右をして逃げようかと思った。だが、昨日の別れ際に「ジュースありがとう」と言えなかったことが、少しだけ心残りだった。

 

 それに、昨日の彼女は意外と話が通じる相手だったし、逃げるのも失礼か。

 木寺は意を決して、彼女に近づいた。

 

 

「……よぉ。奇遇だな」

 

 声をかけると、美琴はびくりと肩を震わせ、勢いよく振り返った。

 

「うわっ!? ……って、なんだ、また木寺か」

「なんだとはなんだよ。人がせっかく挨拶してやったのに」

「いや、びっくりしただけよ。……気配消して近づかないでよ」

「消してねえよ別に」

 

 美琴は胸を撫で下ろした。その表情は、昨日よりも少しだけ曇っているように見えた。不機嫌というよりは、何か考え事をしているような、憂鬱そうな顔だ。

 

「……また自販機いじめの企みか?」

 木寺が軽口を叩くと、美琴はジロ……と睨んできた。

 

「失礼ね。今日はただの黄昏タイムよ。……あんたこそ、何してんのよ」

「補習の帰りだよ。一人寂しくな」

「ふーん。あのツンツン頭は?」

「海に行っちまったよ。俺を置いて」

「へぇ、薄情な友達ね」

 

 美琴は鼻で笑ったが、その目には少しだけ同情の色があった。彼女もまた、この広い学園都市で孤独を感じることがあるのだろうか。レベル5という頂点に立つがゆえの、誰にも理解されない孤独とか。

 

 二人は並んで欄干に寄りかかった。

 眼下を流れる川が、明るい色の光を乱反射している。

 

 

 

「……ねえ」

 しばらくの沈黙の後、美琴が口を開いた。

 

「あんた、また会ったんでしょ? あの後」

「え? 誰に?」

「……私の、いとこ」

 

 美琴の声が、少し低くなった。いとこ。昨日家までついてきた、御坂妹のことだ。

 

 

「ああ、あの子か。……まあ、会ったけど」

 

 木寺は昨日のラッキースケベ事件を思い出して、顔をしかめた。あの子のせいで、俺は社会的な死を迎えかけたんだぞ。

 

「……何話したの?」

 

 美琴が探るように聞いてくる。その視線は考えが読めない。

 

「別に大したことは……。ただ、なんか寮まで荷物運んでもらったり……」

「荷物ぅ!?」

 

 美琴が素っ頓狂な声を上げた。

 

「あんた、あの子に何させてんのよ! あれでも一応、か弱い女の子なのよ!?」

「いや、向こうが勝手にやるって言ったんだよ! 俺は断ったのに!」

「信じらんない……あの子、人の言うこと聞かないからなぁ……」

 

 美琴は頭を抱えた。

 

「あの子」に対する悩みは深いらしい。厨二病のいとこ? を持つ苦労は、他人には計り知れないものがあるのだろう。

 

 

「……で? どうだったのよ」

 美琴が顔を上げ、じっと木寺を見つめた。

 

「どうって?」

「だから……あの子のことよ」

 

 美琴は言葉を選んでいるようだった。何かを確認したいような、でも聞くのが怖いような、そんな複雑な表情。

 

 

「……妹の方が、やっぱ可愛いと思うわけ?」

「はあ?」

 

 

 木寺は間の抜けた声を上げた。なんだその質問は。

 可愛いとか可愛くないとか、どういう意味だいきなり。

 てか、そもそもそういう次元の話か? 顔は同じだし、声も同じだ。違うのは表情と雰囲気、あと服装のセンスくらいだろ。

 

「いや、顔一緒だろ。どっちも美人だよ、そりゃ」

 

 木寺が(馬鹿だから何も考えず素で)正直に答えると、美琴は少しだけ顔を赤らめ、すぐにフンと顔を背けた。

 

「あ、あんたね……お世辞はいいわよ」

「お世辞じゃねえよ。事実だろ」

「うっさい! そうじゃなく……そういうこと聞いてるんじゃないのよ!」

 

 美琴は欄干をぐ……と、握り締めた。妙に力が入っている。

 

 

「……あんたさ」

 美琴の声が、急に真剣なトーンを帯びた。

 

()()()()()()()()()()()()()()

「……ッ!」

 

 

 木寺の心臓が、ド……と大きく揺れた。完全な不意打ちだった。まさか、ここでその話題が出るとは思っていなかった。認識外からのストレート。

 

 木寺の体が強張るのを、美琴は見逃さなかった。

 

 

「……ああごめん、やっぱ聞かれたくないわよね」

「……何の話ですか」

 

 木寺は視線を逸らした。妹の話はしたくない。特に、こんな優秀な超能力者の前では。

 比較されるのが面倒だ。「あんな凄い妹がいるのに、兄貴はこれかよ」と言われるのが嫌だ。特にこの女の子には。

 

 

「隠さなくていいわよ。あんたの苗字とかで大体予想はついてたし」

 

 美琴は淡々と言った。

 

「木寺二葉。一年生のエース候補。……有名人よ、あの子」

「……そうみたいだな」

「テレビで見たわよ。……随分と、お兄さん想いの良い子じゃない」

 

 美琴の声には、微かな棘が含まれていた。それは称賛ではなく、どこか冷ややかな、探るような響き。

 

「……ああ。自慢の妹だよ」

 木寺はいつものように、定型文を返した。感情を殺して。それが、自分を守るための鎧だから。

 

「……ふーん」

 美琴は木寺の横顔をじっと見つめていたが、やがてふっと視線を外した。

 

「ねえ、木寺」

「……何」

「妹って、あんたにとってなんなわけ?」

「……は?」

「家族? 守るべきもの? それとも……」

 

 美琴は言葉を切った。その瞳には、夕日の赤とは違う、暗く深い色が宿っていた。まるで、自分自身に問いかけているような目。

 

「……重荷?」

「……!」

 

 木寺は息を呑んだ。核心を突かれた気がした。

 重荷。

 そうだ。二葉の存在は、俺にとっての重荷だ。逃れられない鎖だ。でも、それを口にすることは許されない。「優しい兄」でいなければならないから。

 

 ……勝手にこっちが重圧を感じてると言われれば、それは、そうだが──

 

 

 

 

「……よくわからんけど」

 木寺は声を絞り出した。

「家族だとは、思ってるよ。……腐れ縁みたいなもんだ」

 

 濁した。本音を隠して、当たり障りのない言葉でコーティングした。それが精一杯の抵抗だった。

 

 

 美琴はそれを聞いて、寂しそうに笑った。

 

「……そう。家族、か」

 

 彼女は空を見上げた。そこには、巨大な飛行船がゆっくりと浮かんでいた。学園都市の空を監視するように、悠然と泳ぐ銀色の鯨。側面のスクリーンには、華やかなニュース映像が流れている。

 

 

 

「……私、あの飛行船、嫌いなのよね」

 

 

 

 美琴が唐突に言った。

 

「え? 飛行船?」

「うん。なんかさ……上から見下ろしてきてる感じがして」

 

 

 美琴は目を細めた。

 

「あいつらは何も言わない。ただそこにいて、情報を垂れ流して、私たちを誘導してる」

「……まあ、天気予報とかニュースとか便利だけどな」

「便利よ。便利だけど……機械が決めたことに、人間が従ってるみたいでさ」

 

 美琴の声に、熱がこもる。

 

 

「私の……()()()()()()()()()()()()()()。私が良かれと思って提供した情報が、どう使われてるかなんて、私には分からない。私は、誘導されただけなのに……」

「……?」

 

 

 DNAマップ?

 木寺は首を傾げた。いきなり何の話だ? 

 

「自分の知らないところで、自分の知らない何かが勝手に動き回って……誰かを傷つけてたり、()()()()()()()()()()()()()……」

 

 美琴は自分の体を抱きしめるように腕を組んだ。その体は、微かに震えているように見えた。

 

 

「……それって、すごく怖いことだと、思わない?」

 

 

 美琴が木寺の方を向いた。その瞳は、助けを求めているようにも、罪を告白しているようにも見えた。

 

 木寺には、その言葉の真意がわからなかった。ただ、彼女が今、とてつもなく巨大な不安に押しつぶされそうになっていることだけは……伝わってきた。

 

 

「……御坂?」

「あ、ごめんごめん! 何変なこと言ってんだろ私!」

 

 

 美琴はハッとしたように表情を崩し、パンと両手で自分の頬を叩いた。

 

「忘れて! 今のナシ! 暑さで脳みそ溶けてたみたい!」

「え、いや……」

「あーあ、冷たいもんでも食べよっかなー! じゃあね木寺! また明日―!」

 

 

 美琴は無理やりにテンションを上げると、逃げるように走り出した。その背中は、何かから必死に目を逸らしているように見えた。

 

 

 

 

 

「……何だったんだ、あいつ」

 

 木寺は呆然と見送った。情緒不安定すぎるだろ。でも、最後のあの目。あれは、ただの夏バテじゃない。もっと深い、暗い闇を覗き込んだような目だった。

 

(……DNAマップ? 利用される?)

 

 木寺の脳裏に、昨日の御坂妹の言葉が蘇る。

 

『ミサカは妹です、とミサカは簡潔に自己紹介を完了します』

『お姉様とは異なる個体です』

 

 もし、あの妹が、美琴の言う「勝手に動き回っている自分の知らない何か」だとしたら? 

 あれは、いとこなんかじゃなく、妹ですらなく……

 

 

 

「なんて……まさかな」

 

 木寺は頭を振った。SF映画じゃあるまいし。クローンなんて、この学園都市でも倫理的にアウトなはずだ。考えすぎだ。俺は疲れてるんだ。補習のせいで。

 

 

「……帰ろう。さあ帰ろう。寝よう」

 

 木寺は再び歩き出した。日は少し傾き、空は紫色に変わりつつあった。

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 

 

 

 

 と。その時だった。木寺の視線の先に、()()()()()()()()()()()()──

 

 

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