とある科学の存在証明   作:かさねtyann

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舌戦

 

 

 

 

「……はぁ? 私が、生きてて、よかった?」

 

 美琴の声は、蔑んだ笑いを含んでいた。それは感謝でも安堵でもない。状況を読めない愚か者に対する、底冷えするような嘲笑だった。

 

 

「何言ってるのよ、あんた」

 

 

 美琴は一歩、後ずさった。木寺との距離を取るように。汚いものを見るように。

 

「……なんなのいきなり。そりゃ生きてるわよ、当たり前じゃない。ふざけてんの?」

 

 彼女の瞳から、先ほどまでの悲壮な色は消え失せていた。代わって浮かんでいたのは、どす黒い苛立ちと、深い失望。

 

(……ああ、そうか)

 美琴は心の中で吐き捨てた。こいつは、何もわかっていない。

 

 私の絶望も、罪の重さも、これから犯そうとしていることの意味も、何ひとつ理解していない。なのに、いきなり出てきて、訳の分からない事を言いやがって。

 

 

「……帰りなさいよ」

 

 

 美琴は冷たく言い放った。

 

「ここはあんたの来るべき場所じゃない。……私機嫌が悪いの。おままごとがしたいなら、他所でやって」

「……おままごとじゃねえよ」

 

 木寺は膝に手をついたまま、顔を上げた。汗が目に入って痛い。足の震えが止まらない。美琴の拒絶オーラが、物理的な圧力となって押し寄せてくる。

 

 怖い。今すぐ逃げ出したい。「すみませんでした」と土下座して、全力疾走で家に帰りたい。

 

 でも、できない。ここで帰ったら、この子は死ぬ。本当に、死んでしまう。

 

 

 

「……俺は……」

 

 木寺は、震える手でポケットを探った。指先が冷たい。感覚がない。それでも、あの紙の感触だけは鮮明だった。

 

「……これ」

 

 木寺は、くしゃくしゃになった紙束を取り出した。常盤台女子寮の208号室から盗み出した、あのレポート。地獄への招待状。それを、美琴に見せた。

 

「……これを、見たんだ」

「……ッ!」

 

 

 美琴の表情が凍りついた。嘲笑が消える。代わりに、血の気が引いたような蒼白さが広がる。

 

「……あんた、それ……」

 

 美琴の視線が、紙束に釘付けになる。見覚えのある書式。見覚えのあるタイトル。自分が必死に隠し通してきた、誰にも知られたくなかった秘密。

 

 

【量産能力者『妹達(シスターズ)』の運用における……】

 

 

「……お前の部屋から、盗んできた。そんで、キルマークがない施設の近辺を、片っ端から探し回った」

 

 木寺は告白した。吐息が途切れる。犯罪者の告白だ。許されることじゃない。

 

「不法侵入だ。……訴えたければ、後で幾らでも訴えろよ」

「……、」

 

 美琴は言葉を失った。怒り? いや、怒りなんてものではなかった。もっと根本的な、足元が崩れ去るような恐怖と、屈辱。

 

「……見たの?」

 

 美琴の声が、低く、震える。

 

「……中身を、読んだの?」

「ああ。……全部じゃないけどな。でも……十分だ」

 

 木寺は、レポートを握り締めた。

 

「2万人? 殺す? ……()()()()()()

 

 

 

 木寺の声に、怒りが滲む。それは美琴に向けられたものではない。この理不尽なシステム全体への、そして、こんな残酷な運命をたった一人で背負わされている少女への、やり場のない感情だ。

 

 

「……ふざけんな、って言いたいのはこっちよ……!」

 

 だが。

 美琴が叫んだ。バチバジィッ!! と激しいスパークが、彼女の全身から噴き出す。威嚇ではない。制御できない感情の爆発だ。

 

 

 

「なんで……なんであんたが持ってるのよ! なんであんたが知ってるのよ!」

 

 美琴は木寺に詰め寄った。その表情は、怒りで歪んでひどいものだった。

 

「関係ないじゃない! あんたは部外者でしょ! ただのあいつの友達で、たまたま昨日ジュースを上げただけの赤の他人じゃない!」

「……、」

「なんで勝手に入り込んでくるのよ! 私の部屋に! 私の心に! ……私の闇に!」

 

 美琴の拳が、木寺の胸を叩いた。ドスッと音がする。

 痛くない。力が入っていない。彼女の心は泣いていた。この手の人間には一番知られたくなかった。一番巻き込みたくなかった。

 この、薄汚くて、血生臭くて、救いようのない現実を。

 よりによって、こんな一般人の……無力な少年に知られてしまうなんて。

 

「……忘れてよ」

 美琴は、懇願するように言った。

 

「見なかったことにしてよ。……お願いだから、そうして、帰ってよ」

「……無理だ」

 

 木寺は首を振った。

 

「見ちまったもんは、消せねえよ」

 

 木寺は、美琴の手を掴んだ。冷たい手。震えている手。

 

「……俺は……俺も、見ちまったんだよ」

「……え?」

「死体を。……お前の妹の、死体を」

「……!」

 

 美琴の動きが止まる。電撃が霧散する。時が止まったような静寂が、鉄橋の上を支配する。

 

 

「一○○三一号……だったな。あいつが、無茶苦茶にされて……殺されてるのを、見た」

 

 木寺は、搾り出すように言った。思い出すだけで、吐き気がする。でも、伝えなければならない。俺がここに来た理由を。俺が、もう「部外者」ではいられない理由を。

 

「……俺は、逃げた。怖くて、見捨てて、最初は逃げた。……でも、逃げきれなかったんだ」

 

 木寺は、自分の胸を叩いた。

「ここに残っちまったんだよ。あいつの……生きた証みたいなもんが!」

 

 助けられなかった後悔。見捨てた罪悪感。そして、あの女の子と公園で確かに契った約束。

 

 

 

 

『『忘れ物』を取りにな。……大事な友達を、一人ぼっちにさせちまったから。謝りに行かなきゃなんないんだ』

 

 

 

 

 その言葉が、今の木寺をここに繋ぎ止めている唯一の、鎖だった。

 

 

「だから、俺は戻ってきた」

 

 木寺は顔を上げた。涙と汗で汚れた顔。情けない顔。

 でも、その瞳だけは、真っ直ぐに美琴を見ていた。

 

「俺はレベル0だ。役立たずだ。……でも、これ以上、あいつらがゴミみたいに捨てられるのを、黙って見てるわけにはいかねえんだよ……」

「……、」

 

 美琴は、唇を噛みしめた。血が滲むほど強く。

 彼は、見てしまったのだ。あの地獄を。そして、逃げずに戻ってきた。私と同じように、傷つきながら。私と同じように、罪悪感に苛まれながら。

 

 でも。

 だからこそ。彼をここにいさせてはいけない。これ以上、踏み込ませてはいけない。この先にあるのは、確実な「死」だけなのだから。

 

 

「……御坂。お前、前から知ってたのか?」

 

 木寺が問う。静かな、でも確信めいた問い。

 

「この実験のこと。……あいつらが、ずっとずっと殺されてるってこと」

「……知ってたわよ」

 

 美琴は、力なく答えた。もう、隠す意味はない。隠し通せる段階は過ぎてしまった。

 

「知ってて……止めようとした。研究施設を壊して、計画を遅らせようとした。……でも、無駄だった」

 

 美琴は、自分の手を見つめた。薄暗闇の中で、弱弱しく浮かび上がる手。何も掴めなかった手。

 

「いくら施設を壊しても……実験は止まらない。場所を変えて、続けられるだけ。……何回も何回も、あの子たちが死んだ」

「……そうか」

 

 木寺は短く呟いた。責めるような響きはなかった。ただ、事実を受け入れるような、重い沈黙。

 

 

 

「……で? どうするつもりだ」

 木寺が聞いた。

「施設を壊してもダメなら、次はどうする?」

 

 

 美琴は顔を上げた。溜まった涙を拭う。表情を作る。冷徹で、強気な、いつもの『超電磁砲』の仮面を被る。彼を遠ざけるために。彼に、希望なんて抱かせないために。

 

「……決まってるでしょ」

 

 美琴は、不敵に笑って見せた。それは、ひび割れたガラス細工のような、危うい笑顔だった。

 

「元を断つしかないわ」

「元?」

一方通行(アクセラレータ)よ」

 

 

 美琴は、暗闇の奥──今宵の実験場となるであろう方向を指さした。

 

「あいつを私が殺す。……そうすれば、実験は終わる」

「……は?」

 

 木寺は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

 

「……殺す?」

「そうよ。簡単なことじゃない」

 

 美琴は(うそぶ)いた。心臓が痛い。嘘をつくたびに、胸が張り裂けそうだ。でも、言わなければならない。

 

 

「私はレベル5よ。第三位よ。……第一位とはいえ、あいつも人間でしょ? 不意を突いて、最大出力で黒焦げにすれば、ちゃんと死ぬわよ」

「……、」

「あいつがいなくなれば、実験は成立しない。妹達も助かる。……ね、シンプルでしょ?」

 

 美琴は、木寺の目を見据えた。どう? これで納得して、さっさと帰りなさいよ。

「なんだ、お前なら大丈夫か」って、安心して逃げなさいよ。それが、あんたのためなのよ。

 

 

 

 だが。

 

 木寺の反応は、美琴の予想を裏切った。

 

 

 

「……()()()

 木寺は、即答した。迷いも、疑いもなく。ただの事実として、断言した。

 

「……なっ」

「お前は……人を殺せるやつじゃねえよ」

 

 

 

 木寺は言った。その目は、美琴の演技など最初から見透かしているようだった。

 

「お前は……自販機蹴っ飛ばしてジュース出すような乱暴者だけど、根っこは甘ちゃんのお嬢様だ。……人殺しなんて、できるわけがねえ」

「……あ、あんたに何がわかるのよ!」

「それに、倒せるとしたら……真っ先にアクセラレータの所にいくだろ?」

 

 木寺は続けた。冷静に。論理的に。

 

「なんで今まで施設なんて壊して回ってたんだよ。……最初からあいつを倒せば早かったはずだろ?」

「それは……準備とか、色々……」

「違うだろ」

 

 木寺は、美琴の逃げ道を塞ぐように言った。

 

「……()()()()()()()()?」

「ッ……!」

 

 美琴の呼吸が止まる。正鵠だった。的確すぎて、反論の余地がないほどに。

 

「お前は、あいつには勝てない。……一度、負けた……あるいは敗北感を、味わったことがあるんじゃないのか?」

 

 

 木寺の刺すような指摘。それは、これまでの人生で負け続けてきた彼だからこそ、分かる感覚。

 美琴の脳裏に、あの日の絶望が蘇る。

 

 反射。全ての攻撃が通じない。手も足も出なかった。遊ばれて、弄ばれて、絶対的な格差を刻み込まれた敗北。

 

 

 

「……うるさい!!」

 

 

 

 美琴は叫んだ。認めたくなかった。自分の無力さを、こんな奴に指摘されるなんて。

 

「あんたごときに何がわかるのよ! お前じゃ無理だって言いたいの!?」

「ああ、そう言ってんだろ。勝てねえよ。……お前じゃ、どうやっても無理だ」

 

 木寺は、残酷なまでに正直に言った。

「相手は最強だろ? お前が一番よくわかってるはずだ。……勝てるわけがない」

「……ッ!」

 

 

 悔しい。悔しくて、惨めで、どうしようもない。

 なんでこいつは、こんなに冷静なんだ。何もできないくせに。無力なくせに。私の痛いところばかりを、正確に突いてくる。

 

 

「……ああ、そうよ。私じゃ勝てないわよ」

 

 やがて。

 美琴は認めた。肩の力が抜ける。もう、虚勢を張る気力も残っていなかった。

 

 

 

「……勝てないわよ、あんな化け物に」

 

 美琴は、緩んだ含み笑いを漏らした。そうだ。勝てるわけがない。わかっていたことだ。最初から、勝負になんてなっていなかったのだ。

 

「でも……」

 

 美琴は顔を上げた。その瞳に、再び光が宿る。先ほどまでの「戦う意志」の光ではない。もっと暗く、深く、静かな……「終わらせる」ための光。

 

 

「レールガンを128回殺せばレベル6になれるそうだけど……私に、()()()()()()()()()()()()()?」

「……え?」

 

 

 木寺が眉をひそめる。意味がわからない、という顔だ。

 

「ツリーダイアグラムの計算は絶対よ。でも、その前提条件が崩れたら?」

 美琴は、淡々と語り始めた。まるで、他人事のように。

 

「『最強のレールガンを128回倒して進化する』。……でも、オリジナルの私が、あんな奴にあっさり殺されたら? しかも、もう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 美琴は、自分の胸に手を当てた。心臓の鼓動を感じる。この鼓動を、止めるのだ。

 

「敗北し、情けなく殺されて、そしたら実験は凍結しない? 『計算通りにいかない』ってことは、『妹達』を使っても進化できる保証がなくなるってことじゃない?」

「……、」

「それに、再計算は出来ないのよ」

 

 

 美琴は、夜空を見上げた。そこには、何も見えない。かつてそこにあったはずの、スーパーコンピュータ『ツリーダイアグラム』は、もうないのだから。

 

「一ヶ月前に、原因は分からないけどツリーダイアグラムは壊れちゃったから。……つまり、私が死ねば、新しいシナリオを作ることは、二度とできない」

 

 美琴は、木寺の方を向いた。そして、微笑んだ。それは、全てを諦め、全てを受け入れた聖女のような、美しくも残酷な微笑みだった。

 

 

「つまり……()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 沈黙。

 

 風の音だけが、耳鳴りのように響く。木寺は、呆然と立ち尽くしていた。

 口を開けて、何かを言おうとして、言葉が出てこない。

 

 

 あまりにも、飛躍した論理。あまりにも、狂った自己犠牲。

 

 

 

 

 

 

「……お前」

 

 ようやく、木寺の声が出た。掠れて、震えている。

 

「お前は……死のうとしてるのか」

「……そうよ」

 

 美琴は肯定した。はっきりと。

 

「私にはもう、これしかないの。……あの子たちを救うには、私が犠牲になるしかないのよ!」

 

 悲痛な叫び。

 それは、彼女の心の底からの本音だった。

 死にたくない。怖い。まだ14歳だ。やりたいことも、行きたい場所も、食べたいものも、たくさんある。恋だってしてみたいし、友達と馬鹿騒ぎもしたい。

 

 でも。私の命一つで、一万人の妹たちが助かるなら。私の罪が、少しでも償えるなら。

 

 

 

「……だから」

 

 美琴は、木寺を、また睨みつけた。流す涙に気付かず、鬼のような形相で。

 

「邪魔しないでよ……! 私の勝手でしょ! あんたには関係ないでしょ!」

「……、」

「帰ってよ! お願いだから、私を……一人にしてよ……!」

 

 

 

 

 木寺は、動けなかった。

 かける言葉が見つからなかった。

「死ぬな」と言うのは簡単だ。でも、代案がなければ、それはただの無責任な綺麗事だ。彼女は、死ぬしか方法がないと思っている。

 そこまで追い詰められている。

 

 

 

「……くそが……」

 

 木寺は拳を握り締めた。

 自分の無力が、呪わしい。

 上条なら。あいつなら、きっと何かすごいことを言って、彼女を救うんだろう。

 でも、俺は上条じゃない。俺は木寺一桁だ。何もない、空っぽの木寺一桁だ。

 

 

 

「……だから、あんたは失せなさい」

 

 彼女は言葉を続ける。

 もう……美琴の声は、凍てつくように冷たかった。それは、感情を殺し、目的のためだけに機能しようとする機械のような冷徹さ。

 

 彼女はもう、木寺一桁を見ていなかった。視界の端に映る障害物。排除すべき邪魔者。それ以上の価値を、目の前の少年に見出そうとはしていなかった。

 

「ここはあんたの居場所じゃない。……関係ない人間は、さっさと消えて」

 

 拒絶。完全なる拒絶。

 彼女は、もはや木寺を守るために突き放しているのではない。自分の覚悟を鈍らせないために、他者を切り捨てているのだ。

 

 これ以上、誰かの「生」に関わってしまったら、死ぬことが怖くなってしまうから。

 

 

 

「……嫌だ」

 

 だが。木寺は動かなかった。

 

 震える足で、硬い地面を踏みしめ、その場に縫い付けられたように立ち尽くしていた。

 

 

 

「……どかない」

「……はぁ?」

 

 

 

 美琴の髪に、ぱちりと紫電が走った。苛立ちが、沸き立つ。

 なんなのよ、こいつ。さっきまでビビって震えていたくせに。なんでこんな時だけ、頑固に立ちはだかるのよ。

 

(……あの馬鹿なら)

 美琴の脳裏に、またあの少年の顔がよぎる。

 もし、ここに立っているのが彼だったら。彼はきっと、私の胸ぐらを掴んででも止めるだろう。「ふざけんな!」と叫んで、私の頬を張ってでも、死ぬことを許さないだろう。

 

 彼になら、止められたかった。彼になら、縋りたかった。「助けて」と泣きついて、その背中に隠れたかった。

 

 

 でも、ここにいるのは彼じゃない。

 木寺一桁だ。

 レベル0の、ただの臆病者だ。何の力も持たず、何の覚悟もなく、ただ状況に流されてここに来ただけの、中途半端な野次馬だ。

 

 

 

「……イラつくのよ、あんた」

 美琴は、憎悪に近い視線を木寺に向けた。

「レベル0の雑魚が……何、急にわかったような口利いてんのよ」

「……、」

「野菜ジュースで電撃防いだくらいで、対等になったつもり? あれはただのまぐれよ。あんたの実力なんかじゃない」

 

 美琴は一歩、踏み出した。バチジッ、と激しい火花が散る。空気中の成分が焼き付き、鼻をつく刺激臭が漂う。

 

 

「言うこと聞かないなら手加減しないわ……()()()()()()()()()?」

 

 

 脅しではない。本気の殺気さえ感じる。

 行動不能にさせる。目の前の男を吹き飛ばしてでも排除するという強い意志。

 彼女はもう、とっくに限界だったのだ。孤独と、恐怖と、罪悪感で、精神が張り詰めて、今にも弾け飛びそうだった。

 

 そこに、わけのわからない正論を吐く「部外者」が現れたことで、感情の防波堤が決壊しかけていた。

 

 

「……やって、みろよ」

 が、木寺は言った。声が裏返っている。顔面は蒼白で、脂汗が滝のように流れている。膝が笑っているのが、遠目にもわかる。

 

 それでも、彼は目を逸らさなかった。

 

「……チッ」

 

 美琴は舌打ちした。なんで逃げない。なんで怯えながら、そこに立っている。その無意味な頑固さが、美琴をさらに苛立たせた。

 

 期待外れだ。来たのが上条当麻じゃないことに。そして、こんな弱っちい奴に足を止めさせられている自分自身に。

 

 

「……消えろって言ってんでしょ!!」

 

 ドォオ!!!

 美琴が右手を振るった。雷撃の槍が、木寺の足元の地面を貫く。爆音。砕け散るコンクリ片。爆風が木寺の頬を打ち、砂埃が舞い上がる。

 

「うわっ……!?」

 木寺は悲鳴を上げ、無様に尻もちをついた。レジ袋が手から離れ、中のスプレー缶がカランカランと転がる。

 

 情けない。あまりにも、情けない姿。

 

 

 

「……ほら、見なさいよ」

 

 美琴は冷ややかに見下ろした。電撃の残滓が、彼女の髪を逆立てている。その姿は、雷神のように禍々しく、そして恐ろしかった。

 

「これが現実よ。あんたごときが、私の前に立ったって、何もできやしないのよ」

 美琴は、転がったスプレー缶を蹴り飛ばした。

「こんなガラクタで何するつもりだったの? 一方通行(アクセラレータ)を相手に? ……笑わせないでよ」

「……、」

「相手は最強よ! 軍隊でも勝てない怪物なのよ! 私だって……レベル5の私だって、手も足も出なかったのよ!」

 

 美琴は絶叫した。自分の無力さを認める屈辱。そして、それを木寺にぶつけることでしか解消できない惨めさ。

 

「勝てるわけがないじゃない! 私だろうと、何処の誰様だろうと秒殺されるだけよ! ただの肉塊になって終わりよ!」

「……わかってるよ」

 

 木寺は、掠れた声で言った。地面にへたり込んだまま、言葉を返す。

「わかってない! わかってたら、こんなところに来ないわよ!」

「わかってるって……!」

 

 木寺は顔を上げた。その目には、涙が溜まっていた。恐怖の涙だ。でも、その奥に、消えない火種のような光があった。

「普通は勝てねえ。……そんなこと、俺が、一番よくわかってる」

 

 木寺は、自分の体を見つめた。

「それに、俺は弱い。才能もない。……お前の言う通り、ただの雑魚野郎だ」

「だったら……!」

「でも、違うだろ!」

 

 木寺が叫び返した。その声量に、美琴が一瞬たじろぐ。

 

「お前が死んで解決するなんて……そんなの、間違ってるだろ!」

「……ッ」

妹達(シスターズ)を助けるためには、私が死ねばいい? ……ふざけんなよ。それじゃ、あいつらはどうなるんだよ!」

 

 木寺は立ち上がろうとして、足がもつれてまた転んだ。それでも、這うようにして美琴に近づく。

 

「お前が死んだら……あいつらは、一生『オリジナルの犠牲の上に生き残った失敗作』として生きなきゃいけないんだぞ! そんなの、救いじゃねえだろ!」

「……うるさい……!」

「あいつらに必要なのは、代わりの死体じゃない! ……『生きてていいんだ』って言ってくれる、本当の家族だろうが!」

「うるさいッ!!」

 

 

 美琴は両手で耳を塞いだ。聞きたくない。そんな正論、聞きたくない。

 わかってる。そんなことは、痛いほどわかってる。でも、他に方法がないんだ。私には、もう命しか賭けるものがないんだ。

 

「……じゃあ、どうすればいいのよ!」

 美琴は泣き叫んだ。欄干によりかかり、子供のようにそこを叩いた。

 

「私にはもう、方法がないのよ! 戦っても勝てない、施設を壊しても止まらない……! どうすればいいか教えてよ! あんたに代案があるなら言ってみなさいよ!」

 

 無理難題だ。レベル5の頭脳と力を持ってしても解けなかった難問を、レベル0の落ちこぼれに突きつけた。答えられるはずがない。黙って俯くだけだろう。そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 だが。

 

 

 

 

 

 

 

「……()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 木寺は言った。震えながらも、はっきりと。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美琴は顔を上げた。涙で滲んだ視界の先に、泥だらけの少年が立っていた。

 彼は、転がったスプレー缶を拾い上げ、レジ袋に戻していた。その手つきは、妙に落ち着いていた。あるいは、極限状態を超えて、何かが麻痺してしまったのか。

 

 

「別の選択肢が、ある」

「……は?」

「お前が死ぬんじゃなくて……もっと、確実に、絶対に実験を止められる方法が」

 

「な、なによそれ……」

 

 

 あるわけがない。そんな魔法みたいな方法が。言えるものなら、言ってみろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木寺は、唐突に言った。

 

 

 

「……はい?」

 

 美琴は、耳を疑った。何を言っているんだ、こいつは。

 

 

「最強の超能力者が、底辺の無能力者に負ける。……そんなことが起きたら、実験の前提どころか、根底から覆ると思わないか?」

 

 

 木寺は自分自身を親指で指した。

 

「ツリーダイアグラムの計算は、『最強がレールガンか、そのクローンを倒せば進化する』ってものだろ? それはつまり、『強い奴を倒せば強くなる』っていう、単純なレベル上げの理屈だ」

「……そうよ。だから……」

「でも、その『最強』だと思われてた一方通行が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 木寺は、口元を歪めて笑った。それは、恐怖で引きつった、しかしどこか不敵な、詐欺師のような笑みだった。

 

「『最強』の定義が崩れる。計算式の入力値がバグる。あの野郎の『レベル6になれる素質』そのものが疑われる」

 

 

 木寺は一歩、踏み出した。

 

「お前が死ぬよりも……こっちの方が、より確実に実験が止まると思わないか?」

「……、」

 

 

 美琴は、呆然と口を開けたまま、木寺を見つめた。

 狂っている。論理としては通っているかもしれない。最強が最弱に負ければ、確かに実験の前提は崩壊するだろう。

「レベル制」という学園都市の根幹すら揺らぎかねない大事件だ。

 

 だが。実現可能性がゼロだ。100%どころか、100000%ありえない。レベル0が、一方通行に勝つ? 細菌が火星人を倒すよりもありえない話だ。

 

 

 

「……あんた、頭おかしいんじゃないの?」

 

 

 

 美琴は、呻くように言った。

 

「言ってる意味はわかるわよ。……でも、それが一番難しいんじゃない。不可能なのよ」

「……それはどうかな」

「勝てるわけがないでしょ! あんた、自分のスペックわかってるの!? 能力なしのレベル0! この街の一番下! そんなあんたが、どうやって……!」

「……だからこそだ」

 

 木寺は、美琴の言葉を遮った。

 

「俺には何もない。……だから、あいつも油断する」

「はぁ?」

「あいつは、最強だ。……今まで、負けたことがないんだろうな。傷ついたことすらないかもしれない」

 

 木寺は、空っぽの手のひらを見つめた。

 

「だから……『自分が負ける可能性』なんて、これっぽっちも考えてないはずだ。……特に、俺みたいなゴミ相手にはな」

「……、」

「そこが、唯一の勝機だ」

 

 木寺は、レジ袋を強く握り締めた。

「俺は、石っころだ。……あいつの足元に転がってる、取るに足らない石ころ……」

 

 彼の瞳に、昏い光が宿る。それは、諦めでも絶望でもない。「持たざる者」だけが持つ、執念の光。

 

「石ころだって……踏みどころが悪けりゃ、人間を転ばせることくらいはできる」

「……あんた」

 

 美琴は、背筋が寒くなるのを感じた。こいつは、本気だ。

 本気で、一方通行を「転ばせる」つもりだ。勝つ、のではない。「負けさせる」ために。実験を破綻させるという結果のためだけに、自分の命を投げやりにして、大博打を打とうとしている。

 

 

 

「……無理よ」

 

 美琴は首を横に振った。

 

「いくら油断しても、反射は自動なのよ。……あんたの攻撃なんて、触れることさえできないわ」

「……やってみなきゃわからねえだろ」

「わかるわよ! 死ぬだけよ!」

「死なねえよ」

 

 木寺は言った。生き死にの覚悟なんて、全然ないのに。

 

 

「策がある。それに、よしんばお前が死ぬくらいなら……俺が死ぬ方が効果的なんじゃないか? あの最強にトラウマ植え付けてやるよ。『レベル0の一般人を殺しちゃった』ってな」

「……ッ!」

 

 ただでは死なない。

 

 なんて、卑屈で、歪んだ自己犠牲。

 でも、それは美琴がやろうとしていたことと、同じだった。自分の命を使って、相手の計算を狂わせる。

 

 同族嫌悪。そして、同族だからこそ感じる、痛いほどの共感。

 

 

「……あんた」

 

 

 

 

 同時に、彼女は彼のみすぼらしさに、冷静になりつつあった。呼吸を整え、ゆっくりと溜めてから……彼の全身を見つめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけんじゃ、ないわよ」

 

 

 

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