五月末日。
外気はすでに初夏の気配だったが、その研究室では、一年中変わらない無機質な冷気が対流していた。
サーバーの駆動音と、ビーカーの中で何かが煮沸される音だけが響く。
ここは、学園都市の闇そのものと言える場所だ。
「
学園都市第一位の超能力者『
そのメインコンソールを前に、冷え性なのか、ラフな服装の上に白衣を羽織った女性、芳川桔梗が座っていた。
「……はぁ。やってられないわね」
彼女は冷めきったコーヒーを揺らしながら、モニターに映る数値の羅列を眺めていた。画面には、シミュレーション上の「実験」データが流れている。
屋外実験の稼働は着々と進んでいる。
一方通行の反射。ベクトル操作。圧倒的な暴力。そのデータは完璧で、美しく、そして吐き気がするほど予定調和だった。
「順調そのもの……つまらないわ」
芳川は、研究者としては優秀だが、人間としてはどこか壊れている。この非道な実験を止めることはしない。かといって、心から賛同しているわけでもない。ただ、組織の歯車として、惰性でここにいる。
彼女の興味を引くのは、もっと根源的な「未知」だけだ。
ふと、彼女の手がキーボードの上で止まった。脳裏に蘇るのは、ふた月ほど前に参加した学会での一幕だ。
あの日、彼女は会場の後方で、暇つぶしにケータイをいじりながら聞き耳を立てていた。そして聞いてしまったのだ。
あの小さな教師──
『AIM拡散力場が、恒常的にゼロを示すケース』
『絶対にブレない脳』
目高池はそれを「脳死」や「物理法則の外側」と切り捨てた。小萌は「シミュレーション上の仮定」だと誤魔化した。
だが、芳川の直感は違った。
(……あれは実在する。あの教師の言い様、ただの仮説を語るトーンじゃなかったわ)
芳川は、手元の端末で「一方通行」の演算パラメータを開いた。
史上最強の能力者。
皮膚に触れるあらゆるベクトルの「向き」を変え、反射する無敵のバリア。核爆弾が落ちても傷つかないと言われる彼の能力。
「でも、もし……本当に『完全なNULL』が存在するとしたら?」
芳川の科学者としての性が、おもむろに思索を開始した。それは、この最強の怪物を殺し得る、たった一つのエラーコードかもしれない。
:
「さて……、と」
芳川は、電子ホワイトボードに向かい、マーカーを走らせ始める。誰もいない深夜の研究室。彼女だけの
「まず、一方通行の能力の定義をおさらいしましょう」
彼女は黒い線で、人の形を描いた。
「彼は、皮膚表面に接触したエネルギーのベクトルを認識し、瞬時に計算して、その『向き』を反転させる」
入力されたベクトルに対して、出力は反転ベクトルとなる。単純に見えるが、この入力には膨大な情報が含まれている。運動量、熱量、電気的エネルギー、紫外線、重力、放射線。彼はそれら全てを「無意識下」でフィルタリングし、有害なものだけを反射している。
「ここで重要なのは、彼が実は……『
芳川は、赤いマーカーで「認識」という文字を囲った。
「彼が触れているのは物理的な物体だけど、彼の脳という演算装置が読み取っているのは、その物体が持つ『ベクトル情報』と、それに付随する『AIM拡散力場』の波長よ」
学園都市の能力者は、無意識にAIM拡散力場を放出している。
それは指紋のようなものだ。
一方通行が能力者の攻撃を反射する際、彼の脳は瞬時に「あ、これは異能の力だな」とタグ付けを行い、適切な計算式を当てはめて反射する。
例えば、無能力者による、パンチや鉄パイプなどの物理攻撃であっても、相手が人間である以上、微弱な生体電気やAIMノイズが含まれている。
彼はそれを「
「つまり、一方通行の反射は『
芳川は、口角を上げて笑みを浮かべた。
「じゃあ、そこに『信号を持たない物体』が接触したらどうなる?」
彼女は、電子ボードの隅に、青いマーカーで小さな点を描いた。月詠小萌が語っていた、「仮想モデル」なる存在。
「AIM拡散力場なし。空白の仮想モデル。世界への干渉を拒絶する、強固すぎる客観的現実の塊」
そんな代物がもし、一方通行を殴ったら?
物理的には、
通常の攻撃 → ベクトル情報 + AIM力場 = 反射対象として認識
仮想モデルの攻撃 → ベクトル情報 + NULL = ???
「……いけるかも」
芳川は呟いた。
コンピュータの世界において、数値の「0」と「Null」は全くの別物だ。「0」を足しても結果は変わらないが、「Null」を足せば、計算式そのものが破綻する。
「一方通行の脳は、学園都市のスーパーコンピュータ並みの演算能力を持っている。だからこそ、厄介なのよ。彼は『入力されたデータ』を精密に処理しすぎる」
もし、彼の反射フィルタが「AIM反応やノイズを含まない攻撃」を想定していなかったら? あるいは、彼の脳がこれは攻撃ではない……「ただの空気と同じ」と誤認して、反射対象から除外してしまったら?
「……
芳川は、電子ボードの青い点が、黒い棒人間を貫通する線を引いた。
「もちろん、一方通行も馬鹿じゃない。一度殴られれば、すぐに『物理的な衝撃』として認識し直して、マニュアル操作で反射設定を完全なモノに書き換えるでしょう。……でも、その『最初の一撃』が入るかどうかは、勝負の世界では致命的よ」
最強の帝王が、初撃を無防備に受ける。その動揺。その困惑。そして何より、「自分の計算が通用しない」という精神的なショック。それは、彼の無敵の慢心を粉砕するには十分すぎる。
:
芳川は、ふと嫌な男の顔を思い出した。
一方通行の能力開発を行い、彼を怪物に育て上げた科学者。
彼とは直接の深い面識はないが、噂で聞いたことがある。彼がある時語っていたという、一方通行への対抗策。
「『寸止め』による反射の反転……だったかしら」
ベクトルを反射させる直前に、拳を引き戻すことで、反射ベクトルを自分への攻撃に転用させる技術。あれは、一方通行の「計算」を逆手に取った高度な体術だ。
「木原数多の方法は『計算をハッキングする』やり方ね。でも、このNullのモデルは違う」
芳川は、マグカップに新しいコーヒーを注いだ。
「仮想モデルは計算式そのものを無視する『イグノア』。ハッキングですらない。ただ、一方通行という高度なOSにとって、これは『対応していないファイル形式』なのよ」
木原の方法は、彼のような天才的なセンスと、一方通行の思考パターンを知り尽くした人間にしかできない。だが、この仮想モデルは?
ただ、
「……皮肉ね。数千億円かけた最強の能力者が、一見ただの無能力の弱者に殴り倒されるかもしれないなんて」
芳川は、メインモニターの片隅にある『ツリーダイアグラム』の予測演算ログを開いた。そこには、今後の実験スケジュールと、予測されるトラブルの一覧が表示されている。
「外部組織の介入」「実験動物の逃走」「設備の故障」。あらゆるリスクが計算されている。
だが、そこには「木寺一桁」の名前は当然ない。「Error」も「Null」も、予測には含まれていない。
「そりゃそうよね。このスーパーコンピュータは、学園都市の『能力者』のデータを基にシミュレーションしている。能力を持たない『空白』なんて、計算のリソースを割く価値すらないもの」
芳川は、モニターに映る一方通行の姿を見た。白い髪。赤い瞳。彼は、自分が世界の
「可哀想な怪物くん。貴方は知らないのよ。この世界には、貴方の『ベクトル』という定規では測れない、空っぽの人間がいることを」
芳川は、少しだけ楽しそうに笑った。それは、退屈な実験の日々に見つけた、清涼剤の様な時間だった。
「……ま、報告はしないでおきましょう」
彼女は、電子ボードの書き込みをイレーザーで消した。
もし、この仮想モデルが本当に実在したとしたら、あまりにも後味が悪いことになるだろう。
「それに……」
芳川は、消えゆく数式を見つめながら呟いた。
「『それ』がもし、本当に一方通行の前に立つ日が来たら……その時、このふざけた茶番がどう壊れるのか、見てみたい気もするしね」
彼女は、自分自身の破滅願望に気づいていた。この非人道的な実験に加担している自分。いつか裁かれるべき自分。その裁きを下すのは、最強の怪物か、あるいは最弱のイレギュラーか。
:
数日後。第十七学区の外縁エリアにある、完全無人化されたカフェの奥席。
そこに、二人の女性研究者が向かい合っていた。一人は、白衣を脱ぎ捨て、ラフな私服に身を包んだ芳川桔梗。もう一人は、白衣を着崩し、目の下に濃い隈を作っている木山春生。
「……久しぶりね、木山。相変わらずすごい隈」
「ああ、芳川……余計なお世話だ」
木山は、ブラックコーヒーを啜りながら、疲れた声で言った。二人はかつて、同じ研究プロジェクトに関わっていた時期もある旧知の仲だ。だが、互いに「闇」を抱えた身。馴れ合いの空気はない。
「急に呼び出して悪かったわね。……貴女も色々と忙しいでしょうに」
「……嫌味か? 私の研究はまだ糸口すら見つかっていない」
木山の言葉は重い。彼女は「
「今日は、ちょっとした思考実験に付き合って欲しくてね。……力場と脳生理学の専門家としての意見を聞きたいの」
芳川は、タブレット端末を取り出した。
「思考実験? ……暇つぶしか?」
「ええ、まあ。……最近、面白い『仮説』を思いついたのよ」
芳川は、端末の画面を木山に見せた。そこには、芳川が個人的にとりまとめた仮想の生体データが表示されていた。学会で聞いた話を基に、芳川が再構成したものだ。
「……『検体』と呼びましょうか。……この人間が、もし第一位と戦ったらどうなると思う?」
「……レベル0?」
木山は、データを一瞥して眉をひそめた。
「ふざけているのか? 見たところ脳波は正常……どこにでもいる無能力者じゃないか。こんなのが、あのベクトル使いに勝てるわけがない」
「ええ。
芳川は、細い指で画面をスクロールした。
「でも、もし彼が……『世界を絶対に書き換えない』人間だとしたら?」
:
「……書き換えない?」
「ええ。……検体は、能力を使えないのには理由がある。彼の脳が、物理法則の歪曲を『エラー』として処理し、拒絶しているのよ。よく見て。だからAIM拡散力場は「反応なし」に設定してるわ」
芳川は、画面上のグラフを指さした。
「彼の認識下では、1+1は絶対に2。火は熱く、重力は下に向かう。……その強固すぎる『現実』への信頼が、能力者たちの『
「…………、」
木山は、今度はちゃんとデータを読み込んだ。彼女の優秀な頭脳が、高速でシミュレーションを開始する。
「反応なし。前提から破綻している気もするが……通常、能力者の現実は、周囲の空間を侵食する。火を出せば空間が熱くなるように。……だが、その『検体』が、その侵食を拒絶する『虚無』だとするなら……」
木山は、指先でテーブルを叩いた。
「……『滑る』な」
「滑る?」
「ああ。……能力者側から見れば、彼に対して能力を行使しようとしても、照準が合わない。あるいは、効果が発揮されない。……なぜなら、彼が存在する座標だけ、物理法則が『元のまま』で固定されているからだ」
木山は、空になったコーヒーカップを見た。
「例えば、このカップを念動力で浮かせようとする。……だが、彼がそれを観測している限り、カップには『重力に従って落ちる』という絶対的な法則が適用され続ける。……能力者の『浮け』という
「……それが、第一位の反射を無効化する鍵?」
「無効化ではない。『適用外』だ」
木山は断言した。
「反射は、ベクトルを変換する演算だ。……だが、彼という存在は、その演算式に入力できない『文字化け』のようなものだ。……計算機は彼を無視するか、エラーを吐くしかない」
芳川は、深く頷いた。やはり、木山の見立ては自分と同じだ。
この検体の特性は「異能を消す力」ではない。「異能が成立する前提条件を崩す力」だ。
「……面白いな」
木山は、初めて興味深そうな顔をした。
「もしそんな人間が実在するなら……その人間は、学園都市の全能力者にとっての『
「そうね。……だからこそ、シミュレーションしたいのよ」
芳川は、ページをめくった。そこには、学園都市に君臨する七人の『
「彼が、
「……いいだろう。煮詰まっていたところだ、頭の体操にはなる」
:
=想定1= 第二位『
「まずは第二位。垣根帝督」
芳川が提示する。
「彼の能力は『未元物質』。この世に存在しない素粒子を生み出し、物理法則を塗り替える力よ」
「……ふむ。相性は最悪に近いな」
木山は即答した。
「第一位のベクトル操作は『既存の法則』をいじるものだが、第二位は『新しい法則』を作る。……『検体』がいくら物理法則を固定しようとしても、垣根は『物理法則の外側』から攻撃してくる」
「つまり、防げない?」
「ああ。……検体が『1+1=2』と信じていても、垣根は『1+1=Ω』という答えを物理的に具現化して叩きつけてくる。……認識阻害が働いたとしても、広範囲を未元物質で埋め尽くされれば、彼は死ぬ」
「……そうね。物理的な質量と、未知の毒性。……『ないもの』を作る相手には、彼の『あるがまま』は無力か」
芳川はメモを取る。検体にとって、垣根帝督は最も危険な相手の一つだ。
=想定2= 第三位『
「次は第三位。御坂美琴。電撃使い」
「……これは興味深い」
木山は顎に手を当てた。
「彼女の能力は、電子の操作だ。……だが、電気抵抗や伝導率は、物理法則そのものだ」
「どういうこと?」
「もし彼が、『人体は電気を通しにくい』あるいは『空気は絶縁体である』という常識を強固に持っていた場合……彼女の電撃は、彼を避けて地面に流れる可能性がある」
木山は、空中に指で線を描いた。
「雷が避雷針に落ちるように、あるいは水が油を避けるように。……彼女がどれだけ高出力の雷撃を放っても、検体に直撃させるには、彼を『導体』として認識し直す必要がある。……だが、検体のNull特性がそれを妨害する」
「……つまり、当たらない?」
「直撃はな。……だが、周囲の瓦礫を飛ばしたり、鉄砂の剣で物理的に斬りつけたりすれば話は別だ。……彼女が『能力の応用』に頭を使えば勝てる。力押しなら、検体が生き残る可能性はある」
芳川は、以前聞いた噂を思い出した。御坂美琴の電撃を打ち消したレベル0がいるという噂。木山の推測は正しいかもしれない。
=想定3= 第四位『
「第四位。麦野沈利。電子を粒子か波形か曖昧なままにして放つ能力」
「……これも、第三位に近いな」
木山は首を振った。
「彼女の能力は、無理やりな『固定』だ。……不安定なものを、力技で攻撃力に変えている。……もし『検体』がそのビームに触れたら?」
「……『そんな状態はありえない』という彼の観測によって、ビームが霧散する?」
「その可能性が高い。……粒子か波か、どちらかに確定してしまい、破壊力を失うかもしれない。……だが、彼女の出力は桁違いだ。観測する前に蒸発させられれば終わりだ」
結論。超高火力の相手には、検体の「観測」が追いつかないリスクがある。
=想定4= 第五位『
「第五位。食蜂操祈。精神操作」
「……これは、完封だろうな」
木山は、珍しく断言した。
「完封? どっちが?」
「『検体』の勝ちだ。……いや、勝負にすらならない」
木山は説明した。
「精神操作とは、脳内の水分や分泌液を操作して、意識というソフトウェアを書き換える技術だ。……だが、そのためには『相手の脳』というハードウェアにアクセスしなければならない」
「……検体には、アクセス権がない?」
「アクセス以前に、ポートが開いていない。……検体は、外部からの干渉を拒絶する『スタンドアローン』の機械だ。……ハッキングしようにも、ケーブルを繋ぐ穴がない」
芳川は頷いた。「Null」とは、つながりを持たないこと。精神感応系の能力者にとって、検体は「存在しない人間」も同然だ。
「彼女が検体を倒すには、能力を使わず、物理的に鞄で殴るしかないだろうな」
「でも……」
芳川はふと思う。非現実を否定する特性。それは……例えば、非現実の強度と正比例したりしないだろうか。
……面白い仮説だが、答えは実証実験でもしない限り分からなそうだ。
:
=想定6= 第七位『
「最後。第七位。削板軍覇。……原理不明の原石」
「……論外だ」
木山は溜め息をついた。
「奴の能力は、理屈じゃない。……『すごいパンチ』とか『すごい爆発』とか、そういう次元だ」
「……科学的な解析不能?」
「ああ。……だが、『検体』との相性は……おそらく『噛み合わない』だろうな」
木山は、二つの拳をぶつけ合わせた。
「削板の『わけのわからない理屈』と、検体の『確固たる現実』。……矛盾する二つがぶつかった時、何が起きるか。……おそらく、お互いに『
「……泥仕合ってことね」
:
シミュレーションを終え、二人の間に沈黙が降りた。
「……結論として」
芳川がまとめる。
「検体は、無敵ではない。……物理的な質量攻撃や、広範囲の破壊には無力。ただの人間として死ぬ」
「ああ。……だが」
木山が継ぐ。
「能力の『原理』や『干渉』に依存する相手には、無類の強さを発揮する。……そして何より、相手が『能力者であること』に依存していればいるほど、検体の『普通さ』が牙を剥く」
木山は、モニターのデータを見つめた。
「……もし、この検体が学園都市に存在するとしたら」
「……進化の袋小路に対する、自浄作用かもしれないわね」
芳川は、タブレットの電源を落とした。
「能力開発が進みすぎて、世界が歪みすぎた。……だから、世界自身が『歪まない基準点』を生み出した。……彼を中心に、世界を元の形に戻すために」
「……オカルトだな」
「科学の最先端は、いつだってオカルトと紙一重よ」
芳川は立ち上がった。二人分のコーヒー代をテーブルに置く。
「ありがとう、木山。……貴女のおかげで、少し頭が整理できたわ」
「……礼には及ばん。……面白い話だった」
木山も立ち上がった。彼女の目は、来た時よりも少しだけ怜悧になっていた。
「……芳川。一つ忠告しておく」
「何?」
「そのモデルケース……『検体』が、
木山の声には、奇妙な重みがあった。
「『何もない』ということは、裏を返せば『何が入るかわからない』ということだ。……それがもし、その空白に『悪意』や『絶望』を詰め込んだら……」
「……一方通行以上の怪物になる、と?」
「……あるいは、この学園都市そのものを『無かったこと』にしてしまうかもしれんぞ」
:
カフェを出ると、雨が近いのか、強い風が吹いていた。
「……それじゃ、行くわね」
「ああ」
二人は、左右に分かれた。
芳川は、研究室へ。まだ終わりの見えない「絶対能力進化計画」の続きを行うために。
木山は、自身のラボへ。昏睡状態の子供たちを救うための、孤独な戦いを続けるために。
「……検体、か」
木山は、歩きながら反芻した。自分の目的にとっても、その存在は……無視できない発想の転換点だ。
木山は、白衣の裾を翻した。科学者としての好奇心と、能力者としての警戒心。二つの感情を抱えながら、彼女は闇の中へと消えていった。
芳川桔梗もまた、空を見上げていた。シミュレーションの結果は、希望でもあり、絶望でもあった。
仮想モデルは、全く最強ではない。だが、最悪の状況をひっくり返す「可能性」だ。
「……死なないでね」
彼女は一人、祈るように呟いた。
なぜなら……そんな存在が本当に生きている限り、一方通行もまた、人間としてやり直せる気がしたからだ。
雨が一滴、ぽつりと彼女の頬を叩いた。