とある科学の存在証明   作:かさねtyann

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最強の超能力者 VS 真の無能力者(5)

 

 

 空間が、物理法則が、悲鳴を上げる異界と化していく。

 

「……圧縮だ」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)が、両手を天に掲げる。その仕草は、世界に対する指揮であり、同時に宣告でもあった。

 彼の皮膚に触れる大気のベクトルが、瞬時に書き換えられる。半径数百メートル以内の空気が、彼の手のひら一点に向かって、強制的に吸引され始めたのだ。

 

 ヒュオオオオオオォオオオオッ!! 

 風の唸りが、轟音へと変わる。断熱圧縮。気体を急速に圧縮することで、内部エネルギーを熱へと変換する現象。

 

 ディーゼルエンジンの着火原理と同じだが、そのスケールが桁外れだ。何トンもの空気が、ゴルフボールほどのサイズに押し込められる。

 行き場を失った運動エネルギーは、熱と光に姿を変え、物質の相転移を引き起こす。

 

 バチッ、バジチチッ!! 

 紫電が奔る。空気の絶縁が破壊され、電子が剥ぎ取られる。彼の手の上に生まれたのは、摂氏一万度を超える高エネルギーの球体。

 

『プラズマ』。それは、地上の太陽だ。コンクリが熱で白く変色し、鉄のコンテナが飴のように溶け出す。

 

 

「……あ、あ……」

 木寺一桁は、その圧倒的な光を見上げていた。目が焼ける。数十メートル離れているのに、皮膚の水分が一瞬で蒸発するような熱気。

 

 

 これは「戦い」ではない。災害だ。

 あんなものが放たれれば、避けるとか防ぐとか、そんな次元の話ではない。この区画ごと、俺という存在が、原子レベルで分解される。

 

「……終わりだ、虫けら。テメェの安っぽい小細工も、その減らず口も、なにもかもなァ」

 一方通行の白い髪が、逆立つようなエネルギーの余波で揺らめく。彼の赤い瞳は、もう木寺を見ていない。ただ、自身の生み出した破壊の美しさに、陶酔しているようにさえ見えた。

 

「塵も残さず……消え失せな」

 彼が腕を振り下ろそうとした、その時。

 

 

 操車場に、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 轟ッ!!!! 

 

 突風。

 

 いや、そんな生易しいものではない。右から、左から、上から、下から。デタラメな方向から、断続的に叩きつけるような暴風が、一方通行を襲った。

 

 

 

「……あァ?」

 

 一方通行の手元が狂った。彼の手の上で輝いていたプラズマ球が、ブ、ウンと不気味な音を立てて歪んだのだ。

 

 完全な球体を保っていたエネルギーの塊が、アメーバのように形を変え、不安定に明滅する。

 

 

「……なンだ、この風は……!?」

 

 

 彼は空を見上げた。彼の「反射」は自動だ。だが、「プラズマの生成」は能動的な演算だ。

 

 周囲の風のベクトルを読み取り、それを一点に集中させる計算式。その式に代入される「風向き」と「風速」が、コンマ一秒ごとに乱数のように変動している。

 

 Aだと思えばBになり、Bだと思えばCになる。予測不能。カオス理論そのもの。バタフライ・エフェクト。

 この場所の空気の流れが、複雑怪奇なスパゲッティのように絡ませられていく。

 

(……誰だ? 何をしやがった?)

 一方通行の脳内で、執拗に数字の羅列が塗りつぶされる。演算リソースが、風の計算の補正処理に食われていく。

 

 

 プラズマを維持するだけで、脳の容量の半分以上、いや、八割近くを持っていかれる。このままでは暴発する。自分の手の中で、太陽が爆発するようなものだ。

 

 

 

 

 風とは、空気の移動。

 彼は、周囲の気圧差や風向を計算し、膨大な量の空気を一点に留め置くために、毎秒数億回のベクトル補正を行っている。

 つまり、あの太陽の燃料は「風」であり、その制御装置は彼の「脳」。

 もし、その入力データが狂ったら? 「1秒後に東から吹くはずの風」が、突然「西からの暴風」に変わったら? 計算の前提条件(パラメータ)が、カオスによって塗りつぶされたら? 

 

 彼は──木寺一桁でさえ知る由もない。木寺の行動に、一○○三二号の選択に、呼応した10000体近いクローンたちが、自分の意志で選択した、運命を変える為の行動を。

 

 彼女たちの意識が、電子の海を駆け巡り、風を作る。それも、自然界にはあり得ない、デタラメで、無秩序な風を。

 

 学園都市中の数千、数万の巨大プロペラが、一斉に悲鳴のような駆動音を上げている。あるものは限界を超えて高速回転し、あるものは急ブレーキをかけ、あるものは逆回転を始めている。

 

 プロペラの角度が滅茶苦茶に変更され、風を受け流すのではなく、空気を叩き、かき混ぜていく。

 整然と流れていた夜風が、散り散りに引き裂かれる。

 乱気流。渦。逆風。人工的なカオスが、第十七学区の大気を攪拌(かくはん)する。

 

 

 

 

 

「……チッ、ふざけやがって……!」

 

 一方通行は、苦渋の決断を迫られた。攻撃か、防御か。この不安定な爆弾を投げつければ、この「透明な男」は殺せるかもしれない。だが、力が暴走して自分に跳ね返ってくるリスクもある。

 

 何より、この「わけのわからない現象」への対処が先だ。最強の怪物は、自らの安全マージンを確保するために、リスクを回避した。

 

「……ケッ。シラけたぜ」

 彼は、手を開いた。拘束を解かれた空気が、爆発的に拡散する。プラズマが、霧散していく。

 

 超高熱のエネルギーが、大気中に薄まり、ただの熱風となって周囲を薙ぎ払う。一万度の死が、ぬるいドライヤーの風へと変わった。

 

「……運のいい野郎だ」

 一方通行は、木寺の方を向き直った。プラズマは消えたが、まだ殺意は消えていない。

 

 風の計算に脳のリソースを割きながら、反射の設定を「対・広域破壊」から「対・物理(木寺)」に戻そうとする。ハエ叩きに戻るだけだ。

 

 そう思って、彼は木寺がいた場所を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっきまでそこにへたり込んでいたはずの、木寺一桁の姿が消えていた。瓦礫の山だけが残されている。

 

「……あ?」

 

 一方通行の思考が一瞬、空白になる。どこへ行った? 逃げたのか? この、風が荒れ狂うタイミングで? プラズマの閃光に目が眩んでいる隙に? 

 

(……いや、違う…………)

 

 逃げたのなら、背中が見えるはずだ。足音が聞こえるはずだ。だが、殺気がない。足音がない。AIM拡散力場がどこにも、ない。

 

 視界には何も映っていない。なのに、何かが迫っている気配がする。本能が、第六感が、警鐘を鳴らしている。「無」が、こちらに向かって走ってきていると。

 

 風の音にかき消され。乱気流に紛れ。存在を消した何かが。

 

 

 

「……ッ!!」

 

 一方通行は、視線を下げた。正面。低い姿勢。地面を這うような、動物的なダッシュ。

 

 いた。木寺一桁だ。逃げていなかった。彼は、突っ込んできていたのだ。

 

 

 プラズマが霧散したその瞬間、熱風を正面から受けながら、目を見開いて。叫びもせず、吠えもせず。ただ無言で。

 

 泥だらけの顔。血走った目。手には何も持っていない。ただ、固く握り締めた右の拳だけがある。

 

 カオスの風が、彼の足音と気配を完全に隠蔽していた。

 そして何より、一方通行の脳が「風の計算」と「プラズマの処理」にリソースを奪われていた今、AIM拡散力場を持たない木寺の存在は、彼の認識フィルター、優先順位の最下層に追いやられていたのだ。

 

 

 

 プロペラによる攪乱。木寺の「希薄さ」。そして、一方通行の「最強ゆえの慢心」。

 

 

 全ての要素が奇跡的に噛み合い、最強の盾に、針の穴ほどの一瞬の隙を穿つ。

 

 

 

 

「……懲りねェなァ!!」

 一方通行は笑った。余裕だ。反射の設定を戻す。

 

 一瞬未満の時間で風の計算をバックグラウンドに回し、目の前の敵を迎撃する態勢へ。

 

 間に合う。

 念には念を。

 何か策があるようだが、いくら不意を突かれようと、俺の演算速度なら、拳が届く前に「完全なる反射」を展開できる。指一本触れさせずに、その腕をねじ切ってやる。ベクトルを逆流させて、心臓まで破壊してやる。

 俺の反射は絶対無敵の防御壁だ。希望なんて簡単に打ち砕ける。

 

 

 

「……!?」

 だが。その切り替えに、コンマ数秒のラグが生じた。

 

 

 一○○三二号達が作り出した風のノイズが、皮膚直上の計算式に絶え間なく割り込み処理(インタラプト)をかけてくる。

 

『風向き変更』『気圧低下』『乱気流発生』。脳内のポップアップウィンドウが無限に開くような状態。

 システムが「敵」として認識するより早く、物理的な肉体が迫る。

 

 その一瞬が。木寺にとっては、永遠にも等しい「勝機」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……()()

 

 木寺一桁は確信した。風が荒れ狂う中、砂塵が舞うカオスの中心で、彼の感覚は研ぎ澄まされ、彼は目の前の「白」を捉えていた。

 

 あいつの目が、俺を捉えきれていない。

 焦点が合っていない。

 

 

 赤い瞳孔が、一○○三二号が引き起こした乱気流の計算と、突如として懐に飛び込んできた「希薄な異物」との間で、激しく揺らいでいる。

 

 反射の膜が、まだ完全に展開されていない。

 最強の盾に、針の穴ほどの隙間が空いている。「反応なし」が「すり抜けてしまう」程の、確かな隙間が。

 

「………………!」

 心臓が破裂しそうだ。恐怖? いや、これこそが武者震いだ。

 人生で初めて、自分が世界の中心にいるような感覚。

 

 誰の影でもない。誰のモブでもない。今、この瞬間だけは、俺が世界の主役だ。

 

 右手を握り締める。

 ボロボロのゴム手袋の中。ブラックジャックみたいに握り込むのは、汗ばんだ120円分の硬貨。俺の全財産。俺の意地。俺の命。

 

 

 

 ジュース一本買ってお終い程度の、ちっぽけな価値。

 

 能力を持たない俺が、物理法則に抗うために用意した、ちっぽけな質量の加算。

 

 

 

(……歯ァ食いしばれよ、最強(さいきょう)

 

 木寺一桁は、最後の一歩を踏み込んだ。泥と血の足底が、硬い地面を噛む。脚の骨が悲鳴を上げる。筋肉が断裂しそうなほど収縮する。

 

 構わない。砕けろ。千切れろ。

 この一歩のために、俺は今日まで生きてきたのかもしれない。逃げて、隠れて、卑屈に笑って。そうやって守ってきた「何もない自分」を、全部、この拳に乗せる。

 

 お前が計算できない「バグ」を。お前が見下してきた「雑魚」の重みを。その涼しい顔面に、叩き込んでやる。

 

 

 

「……ッ!!」

 

 

 

 一方通行の脳内で、かつてない警報が鳴り渡った。遅い。「完全なる反射」の再構築が間に合わない。風と小細工の計算にリソースを食われすぎたからか? 

 

 そして何より、目の前の少年──木寺一桁という存在が、あまりにも「虚無」。

 

 殺気がない。敵意がない。英雄的な威容もない。ただの、石ころ。ただの、背景。そんなものが、自分に牙を剥くなどという事象を、彼の最高峰の頭脳は想定していなかった。

 

 

 

『こいつは……何だ!?』

 

 

 

 初めて抱く、正体不明の焦燥。

 彼は本能的に首を捻り、回避行動を取ろうとした。だが、体勢が悪い。風に煽られ、重心が浮いている。

 

 

(……俺の最弱(からっぽ)は……)

 

 

 木寺は、拳を振りかぶった。ボクシングのような綺麗なフォームじゃない。喧嘩慣れした不良のパンチでもない。

 

 上条当麻のような「幻想殺し(イマジンブレイカー)」はない。御坂美琴のような「超電磁砲(レールガン)」もない。

 

 

 あるのは、ただの質量と、速度と、そして泥臭い執念だけ。

 今まで飲み込んできた理不尽への怒りを、そのまま突き出すだけの、子供の喧嘩。

 

 

 

 

「……ちょっとばかし、痛ぇぞ!!」

 

 

 

 ()()、ガアアァアアアッ!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 鈍い、しかし重い音が、暴風の音を切り裂いて響いた。木寺の拳が、一方通行の顎を捉えた。反射が完全な強度を取り戻す、ほんの刹那コンマ数秒前。

 

 生身の拳が、反射膜をすり抜け、最強の肉体に深々と突き刺さったのだ。

 

 

「……が、ッ!?」

 一方通行の顔が、くの字に歪んだ。想定外の衝撃。

 硬貨を固め込んだ拳の硬度が、彼の白い肌を食い破る。脳が揺れる。顎が砕ける。視界が明滅し、白い閃光が弾ける。

 

 意識がブラックアウトする寸前、彼が感じたのは「痛み」だった。生まれて初めて感じる、生の「痛み」。

 

 反射を通さず、直接神経を逆撫でする、暴力の味。それが、彼自身の演算をさらに混乱させ、反射の制御を完全に失わせる。

 

 

 バキバキバリイイイッ!! 

 同時に、木寺の右腕から、嫌な音が響いた。

 インパクトの瞬間、遅れて発動した反射の一部が、制御を失ったまま暴走し、木寺の拳へのベクトルをランダムに逆流させたのだ。

 

 自分のパンチの威力が、数倍になって、あるいはデタラメな方向から返ってくる。指の骨が粉々に砕ける。手首が折れる。衝撃が腕を伝い、肘の関節を外し、肩の筋肉を引きちぎって──

 

「……ぐ、あああああああッ!!」

 

 木寺もまた、吹き飛ばされた。右腕が、ありえない方向に曲がっている。激痛。神経系を焼き切るような、経験したことのない激痛。

 

 だが、その痛みさえも、今は……彼には、他人事の、ようだった。

 

 

 届いた。触れた。殴った。あの怪物に、俺の拳が、確かに届いたんだ。

 

 

 二人の体が、地面に転がる。ズザザザザ……と、砂利を巻き上げ、泥にまみれ、数メートル転がって、ようやく静止する。

 

 

 風が、止んだ。一方通行の意識が途切れたことで、彼と干渉していた大気の制御が解けたのだ。

 あれほど荒れ狂っていた暴風が、すべて、嘘のように静まる。舞い上がっていた砂煙が、ゆっくりと、雪のように降り注いでいく。

 

 

 

 

 

 静寂が、世界に戻ってくる。

 

 木寺は、仰向けに倒れたまま、空を見上げた。曇り空の隙間から、月が見えた。本当に綺麗な、満月だった。

 

 こんなに綺麗な月を、今まで見たことがあっただろうか。

 

「ぁ、………………」

 木寺の意識が、遠のいていく。痛みで麻痺しているのか、それとも出血のせいか。体が冷たい。指先の感覚がない。

 

 全身の感覚が、ない。

 

 

 

 

 

(ちゃんと……倒、した、よな……?)

 

 

 首を動かそうとしたが、動かない。視界の端だけで、周囲を探る。数メートル先に、白い塊が倒れているのが、見える。

 

 一方通行。手足が投げ出され、泥に汚れ、ピクリとも動いていない。気絶している。

 あの最強が。核兵器すら通用しないはずの怪物が、ただのパンチ一発で、地面に這いつくばっている。

 

 

(……く、っ…………)

 

 

 木寺の口元が、わずかに緩んだ。引きつった、血まみれの笑み。

 

 勝った。いや、相打ちか。俺ももう動けない。でも、あいつは倒れた。実験は、止まるはずだ。

 レベル0が、レベル5を、殴り倒したんだ、なあ。

 

 ざまあみろ。見ただろ、御坂。見ただろ、一○○三二号。俺は逃げなかったぞ。最後まで、立っていたぞ。

 

 

 じわりと、目頭が熱くなる。零れるように、涙が出た。でも、それはいつもの悔し涙ではなかった。

 

 安堵と、達成感と、そして自分が生きてここにいる事の実感。自分の中に、空っぽだった場所に、何かが満ちていく感覚。

 

 

 

(……御坂……)

 あいつは、大丈夫だろうか。まだ、あそこで眠ってるのかな。俺が、あいつの絶望を殴り飛ばしたことを知ったら、どう、思うだろうか。

 

(……一○○三二号……)

 あいつは、無事だろうか。この後、ちゃんとここから逃げてくれるだろうか。いや……、あいつなら大丈夫だ。最後に流れを変えてくれたのは、きっとあいつだ。俺たちは、二人で勝ったんだ。

 

 

 

 

(一○○三、一号……)

 助けられなくて、ごめん。あの時、逃げて……本当に、ごめん。

 

 でも……俺は、やったぞ。お前の仇を、とったんだ。

 多分、お前はそんなこと、望んじゃいないだろうけど……それでも、あのクソ野郎を……俺が、ぶん殴ったから。

 

 

 

 みんな……俺は、約束を守れたか? 

 ダサくて弱い臆病者は、ダサいなりに、少しでも……ほんのちょっとでも、足掻けたか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界が暗くなる。音も遠くなる。木寺一桁の意識は、深い闇へと落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、死の闇だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の心臓は、反射によって引き裂かれて、鼓動を停止していた。

 

 

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