とある科学の存在証明   作:かさねtyann

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時系列戻して少し前です。


=幕間= 空白の少年についての考察

 

 四月。

 科学的で無機質な街並と対照的に、雑多な夜の光に包まれる繁華街。

 

 補導対象となる学生らが姿を消し、代わって仕事帰りの教職員たちが、安酒とストレス解消を求め街に溢れ出す頃合いである。

 

 大衆居酒屋「おっちゃん」。

 その一角にあるボックス席で、不釣り合いなほど小さな身体をした女性が、ジョッキに唇をつけていた。

 

「ぷはーっ! これです! この一杯のために生きてるのですー!」

 

 ピンク色のフリル付き衣装を着た少女──ではなく、とある高校の教師である月詠小萌は、豪快にビールを飲み干すと、ドンとジョッキをテーブルに叩きつけた。

 

「おいおい、ペース早すぎじゃんよ。まだ乾杯してから十分も経ってないぞ」

 

 向かいの席で呆れたように枝豆をつまんでいるのは、ジャージ姿の女性。体育教師であり、学園都市の治安維持部隊『警備員(アンチスキル)』にも所属する黄泉川愛穂(よみかわあいほ)だ。

 

「仕方ないのですー。最近、私の部屋は密度が高すぎて、心休まる暇がないのですよー」

「あー……新学期始まったから汚部屋化して好き放題ってわけじゃん?」

 

 黄泉川は、小萌の部屋の惨状を想像して苦笑した。

 どうやら今年は問題児が多くててんやわんやしているらしい。今の小萌の状況はキャパシティを超えているように見える。

 

「で? 今日はただのガス抜きか? それとも、あの訳ありな連中の相談か?」

 

 黄泉川の軽薄な問いに、小萌は二杯目のビールを注文しつつ、少しだけ表情を曇らせた。

 

「……相談、と言いますか。少し、科学者として気になっているデータがあるのです」

「データ?」

「ええ。上条ちゃんのこと……ではなく、もう一人の……木寺一桁ちゃんのことです」

 

 小萌は鞄から、クリアファイルに入った数枚の書類を取り出した。

 それは、先日実施の身体検査(システムスキャン)の詳細結果シートだった。

 本来、居酒屋のような公共の場で広げていいものではない極秘の個人情報だ。だが、ここには警備員である黄泉川しかいない。

 

「木寺一桁……私のクラスじゃねえから詳しくは知らんが、確かレベル0だよな? 成績は中の下、運動能力も並。補導歴なし。どこにでもいる普通の生徒じゃんか」

「はい。表向きは、そうです」

 

 小萌は箸で冷奴を突きながら、声を潜めた。

 

「愛穂ちゃん。貴女は『無能力者(レベル0)』の定義を、どう認識していますか?」

「あ? そりゃお前、カリキュラムを受けても能力が発現しなかった、あるいは測定限界以下の出力しか出せない連中のことだろ」

 

 黄泉川の答えは、学園都市における一般的な回答だ。だが、小萌は小さく首を横に振った。

 

「正確には違います。脳開発(カリキュラム)を受けた以上、彼らの脳は確実に変質しています。量子力学的に言えば、彼らは自らの観測によって微視的世界の確率を捻じ曲げる『自分だけの現実』を、不完全ながらも獲得しているのです」

 

 小萌はテーブルの上の水滴をこすり、電波のマークを書いた。

 

「例えるなら、彼らはノイズの多いラジオです。音楽(能力)としては聞こえないけれど、確実に電波(AIM拡散力場)は発している。微弱な念動力で数ミリグラムの砂を動かしたり、触れた水温を〇・一度だけ上げたり……精密検査を行えば、どんなレベル0でも必ず『能力の片鱗』であるAIM拡散力場が観測されるのです」

「……ああ、そういえばそうだったな」

 

 気のない返事をする黄泉川。体育教師に言われても、と言う顔だ。

 

「ですが……」

 

 小萌は、書類の一点を指し示した。そこには、木寺一桁のAIM拡散力場の測定数値が記されていた。

 

【測定結果:NULL(検出なし)

 

「……ん? エラーか?」

「いいえ。再検査を三回行いました。機材も変えました。でも、結果は同じです」

 

 小萌の瞳から、酔いが消えていた。そこにあるのは、未知の現象に対する科学者の畏怖だ。

 

 

「木寺ちゃんからは、AIM拡散力場が一切、一ミリも、一ミクロンも検出されないのです」

 

 

 店内の喧騒が、遠のいた気がした。

 

 黄泉川は眉をひそめ、そのデータを見つめる。

 

「検出されない……? 微弱すぎて拾えないってことじゃなくてか?」

「今の学園都市のセンサーは、思考に伴う微細な熱量変化すら捉えます。それが『ゼロ』だなんてありえないのです。人間が生きている限り、脳は活動し、生体電気流が生まれ、何らかの(フィールド)を形成する。ましてや、彼は能力開発プログラムを受けているのですよ?」

 

 小萌は息を呑む。

 

「……例外は、一人だけいます」

「上条当麻、か」

 

「はい。上条ちゃんの『イマジンブレイカー』は、異能の力を打ち消します。だから、自分自身から発せられるAIM拡散力場も、発生した瞬間に自分で打ち消してしまっている。結果として測定不能になる。これは理屈が通ります」

 

 上条当麻の「ゼロ」は、プラスとマイナスが激しく衝突し合った結果の「相殺によるゼロ」だ。そこには凄まじいエネルギーの拮抗がある。

 

「ですが、木寺ちゃんは違います。彼には『幻想殺し』のような特殊な力はありません」

「じゃあ、なんでAIM反応がないんじゃん?」

「……わかりません。ただ、言えることは一つ」

 

 小萌は、冷え切った枝豆を見つめながら呟いた。

 

「彼は、学園都市のカリキュラムを数年間受け続け、脳に薬物を投与し、催眠暗示をかけられ、感覚遮断実験を行ってきたにも関わらず……脳が一切、能力者(エスパー)として変質していないということです」

 

「な……ッ!?」

 

 黄泉川は絶句した。

 それは、ある意味で「能力がある」ことよりも恐ろしい事実だ。

 学園都市のカリキュラムは、人間の脳を人工的に進化させるプログラムだ。副作用はあるにせよ、確実に脳構造を変える強制力がある。それを「受け付けない」? いや、「変化しない」? 

 

「まるで……油に水を混ぜようとしても分離するように。あるいは、鏡が光を反射するように。木寺ちゃんという子は、学園都市が提供する『非日常』を、生理レベルで拒絶しているように見えます」

 

 小萌は言葉を選びながら、思考の深海に沈んでいく。

 

「……先日、学会でとある学者先生に聞いた話です。量子論における『シュレディンガーの猫』の話は知っていますよね? 箱の中の猫は、観測されるまで『生きている状態』と『死んでいる状態』が重なり合っている。能力者は、この『重なり合い』を脳内で意図的に作り出し、現実という確定した事象に、別の可能性(ミクロの世界の法則)を上書きする者たちです」

 

「ああ、聞いたことはある」

 

「でも、木寺ちゃんは違う。彼の観測する世界は、あまりにも強固に『確定』しているのです。猫は生きているか死んでいるかのどちらかであり、曖昧さは存在しない。彼の認識する現実は、あまりにも『普通』すぎて……能力という不確定な要素が入り込む隙間(スロット)が存在しないのかもしれません」

 

 

 完全なる凡人。真正のレベル0。()()()()()()

 

 

 それは、学園都市二三〇万人の中で、彼一人だけが「外の世界の人間(ノーマル)」と同じ精神構造を保ち続けていることを意味する。

 この異常な実験都市のど真ん中にいながら、彼は汚染されず、進化もせず、退化もしない。ただひたすらに、不変の「1」であり続けている。

 

「……小萌。それ、【上】は知ってんのか?」

 

 黄泉川の声が低くなった。

 警備員としての警戒色が強まる。

 

 学園都市の上層部は、イレギュラーを好まない。

 あるいは、イレギュラーを徹底的に利用しようとする。

 もし木寺のこの体質が「意図しないエラー」だとしたら? あるいは、「何かの実験の対照実験(コントロール)」だとしたら? 

 

「……今のところ、ただの『才能なし』として処理されています。システム上は、測定限界以下のレベル0と同じ扱いですから。わざわざ個別のデータを精査する研究者なんて、担任の私くらいなものです」

 

 小萌は少しだけ安堵したように息を吐いた。

 

「でも、心配なのです。上条ちゃんのような『異能を消す力』は、敵を作りやすいですが、身を守る盾にもなります。ですが、木寺ちゃんの『異能が存在しない空虚』は……何の防壁にもなりません。ただ、周囲の異常さを浮き彫りにするだけです」

 

「……確かにな。真っ白な画用紙の上にポツンとある黒い点は目立つ。逆に、真っ黒な画用紙の中にある白い点も目立つ。ここの連中はみんな『能力』って色に染まってる。その中で『透明』な奴がいたら……」

 

 黄泉川はジョッキに残ったビールを飲み干し、忌々しげに吐き捨てた。

 

 

「気味が悪い、と排除されるか。あるいは希少なサンプルとして解剖台に乗せられるか」

 

「愛穂ちゃん!」

「悪い。職業病だ。つい最悪のケースを想定しちまうじゃん?」

 

 黄泉川は頭をガシガシとかいた。

 

「で? どうするんだ小萌。その木寺って生徒に、忠告でもするか? 『お前は異常なほど普通だから気をつけろ』って?」

「言えませんよ、そんなこと。彼はただでさえ、能力がないことにコンプレックスを抱いていますし」

 

 小萌は、つい先日木寺がこぼした言葉を思い出す。

 

『俺には何もない』『才能がないんです』

 

 彼は自分のことを「弱者」だと思っている。

 能力がないから、戦えないと思っている。

 だが、小萌の科学者としての直感は告げていた。

 

 彼のその異常なまでの普通さ……ノーマリティは、あるいはこの科学が拡大する狂った世界において、唯一無二の「基準点」になり得るのではないか、と。

 

 例えば魔術師たちは、星の並びや地脈を利用して奇跡を起こす。

 能力者たちは、量子の確率を捻じ曲げて法則を書き換える。

 どちらも「世界を歪める」行為だ。

 

 もし、そのどちらの影響も受けず、どちらにも染まらない「絶対的な座標」が存在するとしたら? 歪み続ける世界の中で、決してブレない「ゼロ」という原点。

 

 

「……私は、教師です」

 

 

 小萌は、空になったジョッキを置き、真っ直ぐな瞳で黄泉川を見据えた。

 

「上条ちゃんも、そして木寺ちゃんも。私の手の届く範囲にいる子供たちは、誰が何と言おうと守ります。それが科学的にありえない特異点だろうと、なんだろうと、関係ありません」

「……は、流石小萌じゃんかよ」

 

 黄泉川はにやりと笑い、店員に向かって手を挙げた。

 

「すいませーん! こっち生二つ追加! あとタコの唐揚げ!」

「ちょ、愛穂ちゃん!? 明日も授業があるんですよー!」

「いいだろ、たまには。その木寺って奴の話を聞いてたら、なんか背筋が寒くなってアルコール消毒したくなったんだよ」

 

 黄泉川は豪快に笑ったが、その目は笑っていなかった。

 彼女もまた、気づいているのだ。

「何もない」ということの異質さに。

 そして、その異質さがこの科学の街においては、予期せぬ化学反応(エラー)を引き起こす可能性に。

 

 まだ新学期は始まったばかり。

 

 時刻は深夜だが、木寺一桁は学生寮の自室で、まだ起きているかもしれない。

 

 自分の脳が、学園都市の科学をもってしても解析不能な「虚無」を抱えていることを、想像すらせずに。

 

 

 

 ただ一つ確かなことは。一〇万三〇〇〇冊の魔道書を抱える少女と、全ての異能を打ち消す右手の少年。

 その二人にいずれ出会う彼もまた、決してただの一般人ではいられないだろうという事。

 

 

 

 グラスの氷がからりと音を立てて溶けた。

 

 

 夜はまだ、深い。

 

 

 

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