とある科学の存在証明   作:かさねtyann

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過去編です。っぱ小萌先生よ。


エラーコード・ナル(前編)

 

 桜吹雪が入り乱れる。

 舞い散る花びらは、これから始まる新生活への祝福のようにも、あるいは散りゆく夢への弔いのようにも見える。

 

 とある高校。

 真新しい制服に袖を通した木寺一桁は、体育館のパイプ椅子に座りながら、緊張で掌に滲む汗を何度も拭っていた。

 

(頼む……あれだけ頑張ったんだ。今度こそ……)

 

 周囲には、まだ顔も名前も知らない同級生たちが座っている。

 その中には、ひときわ目立つツンツン頭の少年や、青髪でピアスをした軽薄そうな男もいたが、今の木寺に彼らを気にする余裕はない。

 彼の頭の中を占めているのは、入学式の前に控えている一大イベント──「身体検査(システムスキャン)」のことだけだった。

 

 木寺一桁は、特別な才能を持って生まれたわけではない。特に家柄が良いわけでも、知能指数が高いわけでもない。

 ただ、小学校時代にテレビで見た学園都市の能力者(魔法使い)たちに憧れ、「自分もあんな風に特別になれるかもしれない」という淡い期待を抱いて、この街へやってきた。

 

『カリキュラムを受ければ、誰でも能力者になれる』その謳い文句を信じていた。

発火能力(パイロキネシス)で炎を操る自分。念動力(テレキネシス)で物を浮かせる自分。そんな妄想を糧に、数年前からこの街で暮らし、今この席に座っている。

 

「──これより、新入生の身体検査(システムスキャン)を実施します。各自、係員の指示に従い、指定の検査室へ移動してください」

 

 アナウンスが響く。木寺はこくんと喉を鳴らし、立ち上がった。数か月ぶりの検査。淡く空しい期待と共に、彼は立ち上がる。

 

 

 :

 

 

 検査室は、病院の手術室と実験室を足して二で割ったような、無機質で薬品臭い空間だった。

 壁一面に埋め込まれたサーバーが低い唸りを上げ、空調の音がやけに大きく響く。

 

「学籍番号〇〇番台、木寺一桁。C-4ブースへ」

 

 白衣の研究員に促され、木寺は薄暗いブースへと入る。そこには、歯医者のようなリクライニングシートと、頭部を覆うための巨大なヘルメット型の測定機が鎮座していた。

 

「リラックスして。まずは基本的な脳波測定からいくわよ」

 

 女性研究員の事務的な声。

 木寺はシートに身を預け、冷たい電極をこめかみや頭頂部に貼り付けられる。微弱な電流が流れ、視界がチカチカと明滅する。

 

(大丈夫だ。俺は予習してきた。自分だけの現実(パーソナルリアリティ)……確率論的観測の歪み……)

 

 教科書で読んだ理論を必死に反芻する。

 能力開発とは、脳に「嘘」を教え込むことだ。

 スプーンを曲げるには、「スプーンは曲がるものだ」という確固たる妄想を、物理法則よりも優先順位の高い「現実」として脳に定義させる。

 そのために、薬物を投与し、催眠暗示をかけ、感覚を遮断する。

 

「次はESPカードによる直感測定。画面に出る図形を予測して」

「はい」

 

 画面にフラッシュバックする幾何学模様。丸、十字、波線、四角、星。木寺は必死に次の図形を念じた。

 

(次は星だ……星が出ろ……!)

 

 ボタンを押す。ブーッ。不正解のブザー音。

 

「次。PK測定。そこのアルミ片に意識を集中して」

 

 目の前のテーブルに置かれた、極小のアルミホイルの切れ端。風も吹いていない密室。

 

(動け……動け……!)

 

 額に血管が浮き出るほど睨みつける。だが、アルミ片は微動だにしない。物理法則の奴隷として、重力に従ってそこに在り続けるだけだ。

 

「……ふむ」

 

 研究員が手元のタブレットに何かを打ち込む。その表情は読み取れない。

 

「最後。AIM拡散力場測定。少し強めの薬が入るから、気分が悪くなったら言ってね」

 

 点滴のチューブから、冷たい液体が血管に流し込まれる。

 世界がぐにゃりと歪む感覚。

 脳の奥が痺れ、自分が水の中に溶けていくような浮遊感。これが、能力者の視ている世界なのか? 

 

(何か……何か出ろ! 炎でも電気でも、なんでもいいから!)

 

 木寺は心の中で絶叫した。

「普通」でありたくない。

「その他大勢」で終わりたくない。

 俺は変わるんだ。ここで、何者かになるんだ。

 

 ルォォォォォ……と、頭上の巨大なセンサーが回転し、木寺の脳から発せられる不可視の力場をスキャンしていく。時間は永遠のように感じられた。

 

 

 やがて。機械の回転が止まり、照明が明るくなった。現実が戻ってくる。

 

「はい、お疲れ様。結果は後ほど学校から伝えられるわ」

 

 研究員の声は、先ほどと変わらず事務的だった。だが、木寺は見てしまった。彼女が去り際に、同僚の研究員と交わした小声の会話を。

 

「……またエラー? 今日、この古い型のセンサー、調子悪いんじゃない?」

「いや、キャリブレーションは正常よ。……ただの『反応なし』ね」

 

 反応なし。その言葉が、木寺の胸に返しのついた針のように突き刺さった。

 

 

 :

 

 

 職員室。そこは、乱雑な紙束の匂いとコーヒーの香りが混じり合う、教師たちの戦場だ。

 新入生の担任を受け持つことになった月詠小萌は、自分のデスクで山積みになったデータシートと格闘していた。

 

「ふぅ……。今年もまた、個性的な子たちが揃いましたねー」

 

 小萌は、身長一三五センチの小さな体を椅子の上で伸ばした。

 手には、愛用の少女趣味なマグカップが握られている。

 

 彼女の目の前には、クラス名簿と、先ほどの身体検査(システムスキャン)の結果が並べられていた。

 

「上条当麻ちゃん……レベル0。測定不能」

「土御門元春ちゃん……レベル0。自己再生能力の痕跡あり?」

「青髪ピアスちゃん……レベル0」

 

 今年の彼女の受け持ちクラスはレッテルとして、落ちこぼれの吹き溜まりの様相を呈していた。

 学園都市において、レベル0は全生徒の六割を占める。

 珍しいことではない。

 だが、小萌は「発火能力」と「心理学」を専門とする教師だ。彼女は知っている。「レベル0」というラベルの下に隠された、微細な差異を。

 

 通常、レベル0と呼ばれる生徒でも、厳密には能力を持っている。

 スプーンを曲げることはできなくても、スプーン周囲の空気を〇・〇〇一秒だけ揺らすことはできる。

 発火はできなくても、蝋燭の火の温度を一度だけ上げることはできる。

 実用レベルではないというだけで、彼らの脳は確実に「開発」されており、そこからは電磁波のようなAIM拡散力場が垂れ流されているのだ。

 

「……ん?」

 

 小萌の手が、一枚のシートで止まった。

 

 氏名:木寺一桁(キデラヒトケタ)

 能力:なし(レベル0)

 詳細評価:AIM拡散力場、検出なし

 

「……検出なし?」

 

 小萌は眉をひそめ、データを二度見した。誤植かと思った。あるいは、測定器の故障か。

 

「あのー、すいません。津村先生」

 

 隣の席でスポーツ新聞を読んでいた同僚の津村に声をかける。

 彼は今年のシステムスキャンの運営を担当していたはずだ。

 

「ん? どうしました月詠先生。新入生に麒麟児でもいました?」

「いえ、逆です。……反応がなさすぎるのです」

 

 小萌は、モニターに木寺の脳波データとAIM測定グラフを表示させた。

 そこにあるのは、一直線のライン。心電図で言えば、心停止状態を示すフラットラインだ。

 

「見てください。脳波は正常。生体反応も健康的。でも、AIM拡散力場を示す波形が、完全に『ゼロ』なんです」

「ん? レベル0なんですから、ゼロでも問題ないのでは?」

「違いますよー! いいですか、人間が脳を使っている以上、思考の電気信号が漏れ出て、微弱な場を形成するんです。ましてや、カリキュラムを受けた脳なら、開発の痕跡(傷跡)として、独特の揺らぎが出るはずなんです!」

 

 小萌は熱弁した。

 上条当麻の「測定不能」は、彼自身の右手が異能の力を打ち消しているため、測定器がエラーを吐いている状態だ。

 グラフで言えば、激しく乱高下して計測限界を振り切っているイメージに近い。

 だが、木寺一桁のそれは違う。

 波がない。静止した水面のように。あるいは、光を吸い込むブラックホールのように。

 

「……カリキュラムへの適合失敗?」

「いいえ。薬物の投与記録も、催眠暗示の深度も、すべて適正値です。なのに、彼の脳は『変化すること』を拒絶しているように見えます」

 

 小萌は背筋が寒くなるのを感じた。

 学園都市の科学は、数十年かけて人間の脳をハックする技術を確立した。その洗脳に近いプログラムを受けてなお、一ミリも変質しない精神構造。

 これが検査のエラーでないとしたら……

 

「……この子、もしかしたら」

「なんです?」

「……いえ、なんでもありません」

 

 小萌は言葉を飲み込んだ。まだ仮説の域を出ない。

 それに、こんなことを口にして、もし彼が「貴重なサンプル」として研究機関に目をつけられたら大変だ。

 

「とりあえず、面談してみます。彼のメンタルケアも兼ねて」

 

 小萌はそう言って、木寺一桁のデータシートを、他の生徒の書類の下にそっと隠した。

 

 

 :

 

 

 二日後。

 生徒指導室──という名の、小萌が個人的に使っている相談スペースに、木寺一桁は呼び出された。

 

「失礼します……」

 

 ドアを開けて入ってきた少年の姿を見て、小萌は内心で少し驚いた。

 データ上の特異性とは裏腹に、見た目はあまりにも「普通」だったからだ。

 少し背が高めの、黒髪の男子生徒。

 制服の着こなしも普通。

 顔立ちも、十人並みより少し整っているかいないか……特に印象に残る特徴がない。

 あえて言うなら、その肩がこれ以上ないほど落ち込んでおり、全身から「負け犬」のオーラが漂っていることくらいか。

 

「はい、いらっしゃいー。そこに座ってくださいね」

 

 小萌は努めて明るく振る舞い、パイプ椅子を勧めた。机の上には、気休めのお菓子とジュースを置く。

 

「先生、俺……何かしましたか? 入学前日から呼び出しなんて」

「いえいえ! 怒られるようなことはしてませんよー。ただ、担任として、新入生のみなさんとお話ししておこうと思いまして」

 

 小萌はニコニコと笑いかけた。まずは警戒心を解く。教師の基本テクニックだ。

 

「木寺ちゃん。学園都市での生活はどうですか? 寮の部屋とか、不便はないですか?」

「……まあ、普通です。同じクラスになった上条って奴が下の階で、あいつがうるさい以外は」

「あはは、上条ちゃんは元気ですねー。で、学校の方は? システムスキャンとか」

 

 その問いに、木寺の表情が曇った。彼は視線を落とし、膝の上で拳を握りしめた。

 

「……先生。俺の検査結果、見ましたよね」

 

 単刀直入な言葉。小萌は頷いた。

 

「はい。見ましたよ」

「レベル0。……しかも、ただの0じゃない。研究員の人が言ってました。『反応なし』だって」

 

 木寺は、吐き捨てるように言った。

 

「俺、頑張ったんです。田舎の小学校にいた頃から、ここの街に憧れて……。自分を変えたくて。でも、結果はこれだ」

 

 彼は顔を上げ、小萌を見た。その瞳には、深い劣等感と、やり場のない怒りが渦巻いていた。

 

「クラスの連中は、レベル0でも『ぶら下げた紐が少し揺れた』とか『衝撃波が起きた』とかで盛り上がってました。

 でも俺は、アルミ片ひとつ動かせない。ESPカードの正答率も、ただの確率論通りの数値しか出ない」

 

「木寺ちゃん……」

 

「先生、俺は……欠陥品なんですかね」

 

 その言葉は重かった。

 学園都市において、能力開発に適合しない人間は、ある意味で社会不適合者の烙印を押されるに等しい。

 特に、彼のように「真面目に努力したのに成果が出ない」タイプは、精神的に追い詰められやすい。

 

「さっき言った、上条って奴もレベル0ですけど、あいつにはなんか……変な迫力があるっていうか。不幸だ不幸だ言いながら、なんか余裕があるみたいだった。……俺には、それすらない。ただの、空っぽです」

 

 木寺一桁の告白。

 それは、一五歳の少年が抱えるにはあまりにも惨めな、等身大の絶望だった。

 

 小萌は、黙って聞いていた。

 教師として、「そんなことないですよ」「勉強やスポーツで頑張ればいいんです」と言うのは簡単だ。

 だが、彼女は科学者としての視点で、彼を見ていた。

 

 

(空っぽ……? いいえ、違います)

 

 

 小萌の脳裏に、あのフラットな波形が浮かぶ。

 彼は自分を「何もない」と思っている。だが、それは逆だ。

 彼の精神は、学園都市の狂気的なシステムをもってしても、傷一つつけられないほど「満たされている」のだ。

 

 普通の人間は、環境に影響される。

 薬を使えばハイになり、暗示をかければ幻覚を見る。

 周りが「超能力はある」と信じていれば、集団心理でスプーンが曲がったように錯覚する。

 それが「人間」という生き物の柔軟性であり、弱さだ。

 

 だが、木寺一桁は違う。

 彼は、アルミ片が動かないことを「絶望」と捉えたが、それは彼が物理法則という世界のルールを、誰よりも深く、無意識レベルで信頼している証拠だ。

『動くわけがない』その強固な常識(リアリティ)が、学園都市の植え付けようとした『動くかもしれない』という妄想(パーソナルリアリティ)を、完璧にシャットアウトしたのだ。

 

 

(貴方は欠陥品なんかじゃありません。貴方は、この歪んだ街で唯一、「正常」なまま固定されているのかもしれません)

 

 

 それは、ある意味で恐ろしい才能だ。

 能力者が物理法則を自由自在に書き換えるこの世界で、彼だけが「変わらない」。

 どんなに世界が歪んでも、彼だけが真っ直ぐであり続ける。それは、あらゆる異能に対する最強の「拒絶(アンチ)」になり得るかもしれない。

 

 だが、それを今、彼に伝えることはできない。

「貴方は異常なほど一般人です」なんて言われても、慰めにはならないどころか、新たな精神的劣等感を植え付けるだけだ。

 

 小萌は、研究者としての分析を胸の奥にしまい込み、教師としての顔で微笑んだ。

 

「木寺ちゃん。……科学の世界ではね、『ゼロ』は『何もない』という意味ではありません」

 

「え……?」

 

「『ゼロ』という基準があるからこそ、プラスもマイナスも定義できるんです。目盛りのない定規では、何も測れませんよね?」

 

 小萌は、木寺の手元にあるジュースの缶を指差した。

 

「貴方が自分を空っぽだと思うなら、それは『何でも入れられる』ということです。能力という色がつかなかったのなら、貴方はまだ、何色にでもなれるんですよ」

 

「……何色にでも……」

 

「ええ。それにね、先生は思います。自分の弱さを知って、悔しいと思える子は、強くなれます。アルミ片を動かせなくても、その悔しさをバネにして、もっと凄いものを動かせるようになるかもしれませんよ?」

 

「……凄いものって?」

「さあ? それは木寺ちゃんが見つけるものです。人の心かもしれないし、世界の運命かもしれません」

 

 小萌はおどけてウインクしてみせた。木寺は呆気にとられた顔をしていたが、やがて小さく、吹き出した。

 

「はは……先生、大袈裟ですよ。世界の運命なんて」

「ふふん、教師の予言は当たるのですー」

 

 木寺の肩から、少しだけ力が抜けたように見えた。彼は立ち上がり、深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございました。なんか、ちょっとスッキリしました。まあ、レベル0なのは変わらないんですけど」

「焦らなくていいんです。補習なら、先生がたっぷり付き合ってあげますからねー!」

「うっ、それは勘弁してください……」

 

 苦笑しながら、木寺は部屋を出て行った。その背中は、来た時よりもほんの少しだけ、真っ直ぐになっていた。

 と、小萌は思いたかった。

 

 

 :

 

 

 木寺が去った後の生徒指導室。小萌は一人、窓の外の校庭を見つめていた。

 

「……ひどいですね、私も」

 

 彼女は呟いた。

「何色にでもなれる」なんて、優しい嘘だ。

 彼の脳のデータを見る限り、彼は何色にも染まらない。

 学園都市の絵の具(能力)を弾き続ける、撥水加工されたキャンバスのような存在。

 

 だが、だからこそ。

 彼がもし、自分自身の意志で「動きたい」と思った時。その行動は、誰の干渉も受けない、純粋で強固な何か……になるかもしれない。

 

「……木寺一桁ちゃん。貴方が自分の『空白』の本当の意味に気づく日が、来るのでしょうか」

 

 小萌は、冷めてしまったカフェオレを飲み干した。

 苦味の中に、微かな甘さが残った。

 

 まだ物語は始まっていない。インデックスがベランダに引っかかるまで、あと三ヶ月。上条当麻が記憶を失うまで、あと三ヶ月。そして、木寺一桁が「虚無」のまま世界に介入し始めるまで、あと三ヶ月。

 

 春は閉じ、新緑の季節がやって来る。

 季節がうつろい、学園都市の街が熱を帯びる頃。彼らの日常は崩壊し、そして再構築される。

 

 その時、この観測されない空白は、果たして変数をどう書き換えるのか。

 小さな教師は、祈るように目を閉じた。

 

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