パリスタン王国の公爵令嬢。<氷の薔薇><鉄拳姫><笑顔がきれいなんだけどなんか怖い>などの名を欲しいままにするスカーレット・エル・ヴァンディミオン。
しかし人の世は複雑怪奇なものなれば、そんな彼女でも友と言える人物が存在する。

無論、それは「あの」スカーレットと友でいられるほどの人物、という意味でもあるが。

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スカーレット・エル・ヴァンディミオンの「おともだち」

 太陽が沈めば夜が来る。

 それは天地万物平等に訪れる摂理であり、暗さと静寂が世界を支配する。

 人は家に帰り、眠りの中で朝日の訪れを待つのが定め。

 

 だからこそ、ベッドの中は余人の踏み入る余地がない秘密の領域となり、今宵ともに眠ろうと約束を交わした二人の少女たちは、ほんのささいな非日常に胸を躍らせ、ひそめた声で語り合う。

 

「それはそれは、素晴らしい感触でした。長年積もりに積もった贅肉は、なんとわたくしの拳の衝撃を受け流して見せたのです。――ですので数発続けて蹴りを叩き込んで脂肪にはどいていただいて、顔を見せた恥ずかしがりやのお肉さんに深く拳をめり込ませてさしあげると、それはもう……」

「あ、あのスカーレットお姉さま。私、違うお話も聞いてみたいです!」

 

 それは、あらゆる乙女の胸を躍らせる一夜の楽しみ、のはずだった。

 聖女ディアナも、彼女を支えることを自らの天命と信じるもう一人の聖女、スカーレット・エル・ヴァンディミオンにとっても同じこと、だと思っていたのだが。

 

 二人でベッドに入り、窓から差し込む月光がスカーレットの銀髪で散る分だけを明かりとして交わされる内緒話。それは他愛ない物であればあるほど愛おしく、公爵家令嬢と聖女としての責務を背負う二人にとって、かけがえのない時間だった。

 

 ……残念ながら、ディアナを喜ばせようとスカーレットが語るのは彼女の極めて偏った嗜好に基づく「これまで殴ってきた素晴らしいお肉遍歴」であったのだが。

 王国を支えるディアナ聖教における聖女の常として、ある日ある時突然力に目覚めて祭り上げられるまでは辺境の農村でお転婆に育ってきたディアナをしてすら頬が引きつる王国救世主伝説はさすがに寝付きにくくなる話であった。

 

 とはいえ、ディアナは頭を巡らせる。

 話を遮られ、きょとんとした顔をしていてなお麗しい理想の淑女。せっかくこうして二人きりで話をする機会を得られたのだから、まだまだ寝てしまうには惜しい。もっといい話題はないか。

 そう必死に頭をひねるディアナ。

 

 生まれ育った村では土にまみれなかった日などないような生活を。

 翻って聖女となってからは聖水に清められない日がないような生活を。

 極端から極端に走ったディアナでは、生まれながらに公爵家令嬢として気品と優雅の中に育ってきたスカーレットとの間に共通の話題を見つけることは難しい。

 いやまあ、スカーレットは令嬢としての立場とかあるべき姿とか全てかなぐり捨ててこぶしを握り締めて狂相を浮かべながら殴りかかりに行くタイプなのだが、それはそれ。

 せめて何か、いい話題はないかとうんうん唸って考えて。

 

 閃いた。聞いてみたいことを。

 

 

「お姉さまの、おともだちについてお聞きしたいです!」

「おともだち、ですか」

「はい。貴族の方たちの学校では、たくさんお友達がいるのですよね」

「――ええ、おりますよ。とても素晴らしい『おともだち』が」

 

 

 これは、ただそれだけの話。

 眠りにつく前のわずかな時間、スカーレット・エル・ヴァンディミオンが語った、「とも」の話である。

 

 

◇◆◇

 

 

 初めて出会ったのは、まさに学園に入学したその日だった。

 

 貴族の娘というものは社交界と切っても切れない関係があるので、同性同年代ともなれば全く知らずにいることの方が難しいもの。

 顔を知らずとも噂は常々耳にする、などというのもよくある話。言うまでもなく、<鮮血姫><撲殺姫><その銀髪が赤く染まらないのが不思議>など様々な異名を賜るスカーレットは尾ひれ背びれのついた噂が人々の口伝いに際限なく成長していくタイプの令嬢でもある。

 その拳が浴びた返り血の数は数え切れない。

 鉄拳一撃、岩を砕き鉄を貫き空気の壁をも突き破る。

 その気になれば指一本突き刺すだけで人を爆発四散させられる、などなど。

 そのテの噂が耳に入る度、まだ人前で披露する機会がなかった技なのになぜ知っているのだろう、とスカーレットは思う。

 

 だから、その日。

 ただ学園の廊下で目が合い、すれ違っただけのその少女のことを、スカーレットはおおよそ把握できていた。

 どこの家のなんという名前の令嬢か、まではわからない。

 だが、社交界で遠巻きにされがちなスカーレットの耳にも青みがかった長髪の美少女がいるという話は入ってきていた。

 

 きっと、彼女がそうなのだろう。

 あちらも、スカーレットが何者かはおおよそ予想がついているだろう。

 

 

 だって、こんなにも確信がある。

 あの娘と自分は、本質的に「同じ」なのだと。

 

 

 

 しかしその日、スカーレットと彼女は言葉を交わすことがなかった。

 すれ違いざまに会釈を交わす、それだけの関係。

 

 学園入学当時のスカーレットは、まだ第二王子カイルの婚約者だったこともあり、自由とは程遠い学園生活を余儀なくされていたせいもある。

 公爵令嬢として、学業に魔法に淑女たる振る舞いにと為すべきこともまた多い。

  スカーレットはそれらを己の誇りとして自身に課していたので苦ではなかったが、それでも同じ学園に所属する生徒である彼女は折に触れて視界に入り、気になっていた。

 

 だが焦りはなかった。むしろ楽しみが増す思いすらあった。

 なぜなら二人はきっと、運命で結ばれているから。

 その確信はスカーレットの心の中で不思議なほどに強くあり、彼女の中にも同じようにあるだろうとも、少しも疑うことなく信じられていたからだ。

 

 

「――あら」

「――まあ」

 

 その必然は、間もなく証明の機会に恵まれる。

 その日その場を訪れた理由は何だったのか、もはや覚えていない。

 またぞろカイル王子にロクでもない用事を言いつけられたのだったか、それがイヤになって人気のない所を散歩でもしていたのだったか。

 

 学園の片隅、人目を遮る程度の木々に囲まれた中にぽっかりと開いた空間。

 足元は土で、ほぼ平ら。

 多少のお転婆は受け入れてくれるだろう広さがある。

 そんなある種の隠れ家のような場所で木の根元に腰かけ本を読むあの少女を見かけたとき。

 

 スカーレットは己に加護を与えた偉大なる時の神クロノワに感謝を捧げた。

 

 

「……」

「…………」

 

 言葉はない。思い返せば学園入学に伴い互いの顔を知り、今日に至るまでお互い気にしあっていたのに、声すら聞いたことがなく、どこの家の者なのか、何を好み何を嫌うのか、一つも知らないことを改めて思い知る。

 

 本を脇に置き、立ち上がった。

 初めて出会ったあの日のような、無風の中を上る細い煙のような立ち姿。

 歪みもなければ力みもなく、次にどう動くのか、予想のつかない総身はスカーレットから見て左肩を向けた半身で、ひたりと向けられた目はやわらかく垂れさがった優しそうなそれ。

 

 スカーレットと少女は近づく。

 まっすぐに、ではなく互いに動線をずらし、うっすらと弧を描くように間合いを詰める歩みが、示し合わせたように同時に止まる。

 

 視線が絡む。風が吹く。

 なびく髪はその日の空の色に似て、彼方まで透き通るように青い。

 

 スカーレットは、幸せだった。

 この日のことは生涯忘れないだろうと、そんな確信を持てる出会いを、果たせたのだから。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 目を見るだけで、あまりにも多くのことが伝わってくる。

 先手は譲る、と。

 その奥ゆかしさに抱いた敬服の念を伝えるにはこれしかないだろうと、スカーレットは踏み込んだ。

 

 剛打。

 握る拳は右。これまで数多の悪人暴漢の肉を穿ち骨を砕き血を浴びてきた相棒がうなりを上げる。

 背負う家など知れば知るだけ重荷になるからと、名乗りもせずに立ち会うことを望んだスカーレットのわがままを言葉として聞くことなく察して受け入れてくれた善き人に対し、手加減など無礼千万。

 スカーレットが一番好きな殴りポイントは肥え太った悪徳貴族の腹。その次に好きな顔面へ向けて、風を貫く拳を放つ。

 小さな顔だ。美しい顔だ。拳の重さ、速さ、硬さがそこに突き刺されば見る影もなく破壊してしまうだろう。

 

 確かに捕らえた。そう見えた。

 が、その感触が切ないほどに儚く消えていく。

 なぜそうなったのか、スカーレットの目には見えている。

 

 やわらかそうな頬に拳が触れるのと、なんと同時。

 吹き飛ばされるのとは違う。彼女自身の意志によって拳と同じ向き同じ速度に横に振られる首が、衝撃を産むことなく回避して見せているのだと。

 

 しかし、首振り一つですり抜けられるほどスカーレットの拳の威力は大人しくない。

 嵐に巻き込まれた木の葉のように、しかし同時にワルツのように。

 全身に散らした威力を回転とし、拳を振りぬいた直後のスカーレットの背後にぴたりと張り付く感触。

 コルセットでもそうはなるまいという圧迫感が腹部に生じたのは、抱擁というには強すぎる力でクラッチされたから。

 

 天地、逆転。

 自分を残して地面が落ちて空だけが視界に入るそれを、ジャーマンスープレックスと呼ぶ語彙はスカーレットの中にはなかったが、このままでいれば敗北だという直感だけが鋭く走る。

 

「っ……!」

 

 咄嗟に両手を上げたのは完全に無意識。しかし地面を捕らえ、バック転の要領で振り切れたのは、相手もこの技が破られるとは思っていなかったからだろう。

 

 至近距離は死の間合い。それが分かっただけでも僥倖と思っておくべきだろうと、スカーレットはこの場の評価を改める。

 

 これは、十分すぎるほどに「死闘」なのだと。

 

 

◇◆◇

 

 

「――そう、彼女の技は組技、極め技を中心としたグラップリングだったのです。打撃を中心とするわたくしとはまた違った流儀で、大変興味深いものでした」

「そ、そうですか……」

 

 聞くんじゃなかった。

 ディアナはちょっと後悔し始めていた。

 血なまぐさい話から話題を逸らそうと聞いた「友人」の話。あるいは、敬愛するスカーレットが自分の知らないところで誰かと親しくしている様を聞いて嫉妬に駆られてしまうやもと思ったのだが、杞憂だった。

 いやまあ、間違いなく一番の親友と言っていいくらいの間柄の令嬢のことを話してくれているのはわかるのだが、言葉はわかっても話が通じないというか、出会ったその日からいずれ殴り合う宿命にあることを運命の赤い糸で結ばれていたかのように評するという、ディアナには理解できない領域の話だった。

 まだしも、故郷の村でイキっていた田舎の男どもの方がこの話を理解できそうだとすら思う。

 

「わたくしの頭に両手をついて、その両手を軸に高速で回転するグローバルブレーンスピンなる技、本当にお見事でした。彼女が修めているという五十二の関節技、いつか全てを味わい、うち破ってみたいものです」

 

 いややっぱり無理かも、とディアナは思い直す。

 スカーレットの言葉を素直に信じようと務めるディアナの脳裏に浮かび上がるのは、スカーレットの頭上でブレイクダンスよろしくぐおんぐおん回る令嬢、という謎の光景。

 さすがにそんなことはありえないだろう、と切って捨てるよりほかない。

 実際は、現実に起きた事象に極めて近い正解ド真ん中なのだが。

 

 当初の目論見からはものすごい勢いで離れているが、それはそれとして話としては胸躍る楽しいものだからもっと聞きたい。痛しかゆしである。

 

 

◇◆◇

 

 

 二人の鼻先がこすれ合うほどの距離。長いまつ毛の数すら数えられるだろう。

 首から下は互いに全く視界に入らず、しかし糸でつながれたように絡み合う視線だけで相手の考えも動きも手に取るようにわかった。

 

 スカーレットの右ショートフック。狙いは肝臓(レバー)。当たれば血反吐を吐いて悶絶することになるだろう。肉があれば肉を。石があれば石ごと砕いて突き刺さるだろう一撃。

 しかしそれは万の言葉を弄するよりも的確に彼女に理解されていた。

 向き合う彼女の右手が体の前で交差して掌で受け止める。それで全ての威力を止められるわけではないが、スカーレットはこれでも決着のつもりで繰り出したのだ。それが決定打にならなかったというだけで、嬉しくなってしまう。

 凄絶に弧を描く唇。まるで鏡写しのように相手も同じく笑っているのを見ると、歓喜がうふふと声になってこぼれる。抑えておける道理がどこにあろう。

 

 だから、そう。二人の距離は動かない。

 至近距離、すでに互いの両手は両手と押し合い圧し合い、全力で踏ん張る足は地面をえぐる。均衡はあと少しで終わってしまう。

 もしこの瞬間を目撃する者がいれば、キスでもするように見えただろうか。

 

 そんなことを考えながらスカーレットの繰り出した頭突きは、同じく頭突きに迎え撃たれ、弾かれる二人の眉間を血の糸がつなぐ。

 

 

「くっ……あぁ!」

「ぅう……、はぁ」

 

 相手を掴んでいた指から力が抜ける。

 受けた頭突きの威力と自分の分の反動は思った以上に強く、これまで蓄積されたダメージが足に来た。

 ロクに受け身も取れないまま、頭だけは打ち付けないようにだけ気合で首を丸め、ばたりと仰向けに倒れる音二つ。

 

 ダブルノックアウト。

 最後に立っていたものが勝者とはよく言うが、こうして二人そろって青い空を見上げる結末も、勝利に負けず劣らず心地よいものだとスカーレットは思う。

 そんな気持ちがあるのだと、教えてくれた彼女への感謝とともに。

 

 

「……空、きれいですわね」

「ええ、とても。すがすがしいです」

 

 その後。

 二人は他愛のない会話を交わした。

 立ち上がれないくらい足腰全身に来ているのをごまかすための時間稼ぎであり、お互い様の事。言わぬが華というヤツだ。

 

 あなたの技はどこで、だとか。拳がかすめるたびに冷や汗が出ました、などなど。

 時間にしてみれば数分に過ぎなかった戦いの中に、無数の感想が埋もれていたのを掘り返していった。

 

「打撃系など花拳繍腿(かけんしゅうたい)関節技(サブミッション)こそ王者の技。……そう思っていた時期が、私にもありました。……ついさっきまで、ですけど」

「まあ。そう思っていただけたのなら、光栄ですわ」

 

 しばらくして身を起こし、血やら傷やらでちょっと家族には見せられないような有様になっていたお互いの体を回復魔法で治しあう。

 証拠隠滅は完璧。

 共犯、という関係性は時に友情より愛情よりも深く人を結びつけるものなのだ。

 

 だからこそ、訪れる別れはしばしのものだ。

 さよならとも、またいつかとも言う必要はない。

 

 スカーレットにとって、一番の友との初めての別れは、はじめあえて省いていた挨拶をもって為された。

 

「――初めまして。ヴァンディミオン公爵家の、スカーレット・エル・ヴァンディミオンと申します」

「――これはご丁寧に。私はロートミディアス伯爵家の、エレプニア・ロートミディアスでございます」

 

 互いに、ドレスならざる学園の制服で、先ほどまで飛んで殴って転げまわってを繰り広げていたので埃だらけのカーテシー。

 しかしそこに宿る気品は気高く、まさしく令嬢同士の邂逅そのものだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「――これが、わたくしとエレプニアさんとの出会いです。その後も何度か、偶然出くわしたときはお手合わせしていただいています。すばらしい時間ですわ」

「アッハイ」

 

 ディアナからすれば想像するだに恐ろしい死闘。

 それが、たまにお茶会するんですくらいの頻度で開催されていると言わなかったか。

 

 ……なので深く考えず、既に眠りに落ちつつある自分の錯覚だろうと、そう思うことにした。

 実際、目蓋が重くなってきているのは間違いない。

 細めた目でもなお輝くようなスカーレットの銀髪と、透き通るように響く声。

 

 寝物語として聞くには少々物騒に過ぎたが、それでも誘われる眠りは心地いい。

 スカーレットの普段の様子、人との関わりを知ることができたのも良い経験だった。

 夢見がいい……かどうかは微妙なところだが、少なくとも悪夢は見るまい。

 悪夢になったとしても、夢の中にまでスカーレットが出てきて全部殴り飛ばしてくれる。そのことだけは、疑いの余地がない。

 

 

「お気に召していただけましたか? これが私の、『お強敵(とも)だち』の話です」

 

 

 なお、その日の夜ディアナが見た夢は「スカーレットが同じ年ごろの女生徒と殴り合い、最終的にアルゼンチンバックブリーカーを食らいながらもクロスカウンターに持ち込んで引き分ける夢」だったという。


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