AION REAGALIA(アイオン・レガリア) 作:ネネカ大神
エテルナ帝国の平穏は、今度こそ物理的な「亀裂」を伴って引き裂かれた。 だが、それは上空のゼノビアの裂け目からではない。都の周囲を囲む七つの国々、すなわち『反王同盟』の陣営から放たれた、数千の魔導信号による空間干渉であった。
「……何が来る。この星韻の波長、気味が悪いほどに『身に覚え』があるぞ」
国境付近の監視に就いていた戌(いぬ)の翼将、シリウス・ヴォルクが、魔狼牙『ガルム』を抜き放ち、地平線を見据えた。彼の隣には、同じく警戒を強める副将シグルド・フェンが、主君と背中を合わせて立っている。
砂塵の向こうから現れたのは、巨大な軍勢ではなかった。 わずか「十二」の影。 だが、その影たちが一歩踏み出すたびに、シリウスの背筋を氷結以上の寒気が走り抜けた。
「……嘘だろ。あれは……俺か?」
そこに立っていたのは、シリウス・ヴォルクと全く同じ銀髪をなびかせ、全く同じ魔狼牙を携えた、無機質な瞳の「鏡像」であった。 シリウスだけではない。アル・ザヒド、フィオナ、ラージャン、ギガス……。時辰十二翼の将たちの姿を、髪の一本、武具の傷一つに至るまで完全に模倣した人造の兵器――『鏡像の翼(ミラー・ウィングス)』。
「反王同盟め、これまでの戦闘データをすべて使い、我らの『理(ことわり)』を複製したというのか……!」
シリウスの驚愕を嘲笑うかのように、鏡像の戌(いぬ)が、本物と寸分違わぬ動作で剣を構えた。
都の西区画では、午(うま)の翼将、アル・ザヒドが、自らの鏡像と対峙していた。
「……模倣か。これほどまでに悪趣味な試練は、我が人生でも初めてですよ」
アル・ザヒドは優雅に、しかしその瞳に激しい怒りを湛えて重槍『ロンギヌス』を突き出した。 一瞬。移動時間をゼロにする彼の神速の一突き。 本来ならば、敵が反応する前にその心臓を貫いているはずの「結果」が、そこにはあった。
だが。
「……なっ!?」
アル・ザヒドの槍の穂先を、鏡像のアル・ザヒドが、全く同じタイミング、全く同じ軌道で放った槍の穂先で受け止めていた。 「カチリ」と、一分の狂いもない金属音が響き、二人の槍が空間の一点で固定される。
「バカな。……私の『一瞬の永遠(スナップショット)』は、思考の速度を超えているはず……!」
鏡像は答えない。ただ、無機質な瞳で本物を見つめ、全く同時に次の動作へ移行する。 アル・ザヒドが槍を引き、回転させて横薙ぎに払えば、鏡像もまた、同じ円を描いてその一撃を相殺する。
「アル・ザヒド様、下がってください!」
副将フェリス・エル・シドが、星韻の盾を展開して割り込む。 だが、鏡像の背後からも、全く同じ魔導障壁が展開された。
「副将の星韻制御までコピーされている……。これは単なる人形ではありません。我々の『戦術回路』そのものが、あちら側に組み込まれている!」
フェリスの言葉通りだった。 反王同盟の科学者たちは、前回の戦闘でゼロスや十二翼たちが放った星韻の波形を完全に解析し、それを自律型の魔導核(マナ・コア)へと記憶させていた。 すなわち、本物が「こう動く」と考えた瞬間に、敵の核もまた、統計的に最も可能性の高い「正解」を導き出し、先読みで対応してくるのだ。
「私の空間を、私自身に邪魔されるなんて……最悪の気分ね!」
卯(うさぎ)の翼将、フィオナ・エインズは、空中を乱舞していた。 彼女が細剣『デュランダル』で空間を折り畳み、鏡像の死角へ回り込もうとするたびに、鏡像のフィオナが「先回り」して、その座標に空間の断層を設置して待ち構えている。
「ミラベル、座標計算が追いつかないわ! 向こうの方が、わずかに判断が速い……!?」
「機械ゆえの、感情を介さない純粋な演算速度です! フィオナ様、まともにやり合っては、私たちの思考が読み取られるだけです!」
副将ミラベル・ピコが、重力操作でなんとか鏡像を足止めしようとするが、鏡像側の副将(これもまた人造の影)が、重力波を同じ波長でぶつけ、相殺してくる。
エテルナの至る所で、同じ光景が繰り返されていた。 ラージャンの雷撃は、鏡像の雷撃によって中和され、ギガスの重力は、鏡像の重力によって押し戻される。 自分自身の得意とする「理」を、自分自身に対して使われるというパラドックス。 それは、十二翼たちがこれまで一度も経験したことのない、深い無力感であった。
「……ハッ。よくできてやがる。俺の『アグニ・ガンド』の電圧、一ボルトの狂いもなく合わせてきやがった」
寅(とら)の翼将、ラージャン・シンが、肩で息をしながら笑った。 彼の鏡像は、ラージャンの荒々しい剣筋を、機械的な正確さで完璧にパリングし続けている。 だが、ラージャンの瞳からは、まだ光は消えていなかった。
「なぁ、シュラ。……あいつの隣にいる『影』……。ありゃ、お前に似てるけど、お前じゃねぇよな?」
ラージャンの背後で、副官シュラ・ベスタが静かに頷いた。
「……当然です。私の『王と主君に対する忠誠』まで、あの機械の塊が複製できているとは思えません」
「だよな。……アル・ザヒド! フィオナ! 全員聞け! あいつらは俺たちの『データ』は持ってるが、俺たちの『魂』までは持ってねぇぞ!」
ラージャンの咆哮が、戦場の全域に響き渡った。
「データの上書き合戦なんて、王のすることだ。俺たちは、もっと泥臭く、もっとメチャクチャに、あいつらの計算(ロジック)をぶち壊してやるんだよ!」
その言葉が、動揺していた十二翼たちの心に火をつけた。 機械は、過去のデータから「最善」を導き出す。 ならば、その最善を、「意志による不合理」で超えればいい。
「……フェリス。私の槍を、捨てます」
アル・ザヒドが突然、その手にあったロンギヌスを、鏡像ではなく「地面」へと投げ捨てた。 鏡像のアル・ザヒドは、一瞬、静止した。 彼のアルゴリズムに、「武器を捨てる」という選択肢は存在しなかったからだ。
「フェリス、私を『加速』させるな。……逆に、『減速』させてください。限界まで」
「……了解しました。アル・ザヒド様。――重力子固定(グラビティ・アンカー)、発動!」
フェリスが放ったのは、味方を守る盾ではなく、アル・ザヒドの全身を縛り付ける「足枷」であった。 超高速を身上とするアル・ザヒドが、亀のような鈍亀の速度になる。 鏡像のアル・ザヒドは、その変化に反応し、自身も減速しようとする。だが、データ上のアル・ザヒドは「速い」存在であるため、鏡像の演算は、この矛盾した行動を処理しきれず、わずかに火花を散らして硬直した。
「……計算は、昨日までの私を殺せても、『今この瞬間に絶望した私』は殺せません」
アル・ザヒドは、素手で鏡像の槍を掴み、そのまま無理やり引き寄せた。 金属が軋む音。 彼は槍を捨てたのではなく、鏡像という「自分」の一部を、自らの肉体(意志)で直接ねじ伏せたのだ。
一方、フィオナもまた、ミラベルとの「不合理な連携」を開始していた。
「ミラベル、私の空間を、私と一緒に『砕いて』!」
「はい、フィオナ様! ――座標崩壊、多重展開!」
フィオナが跳躍する空間そのものを、ミラベルが重力で粉砕する。 本来ならば自滅行為。だが、フィオナはその「壊れた空間の破片」を逆に利用し、鏡像が予測できないデタラメな軌道で、鏡像の内部へと直接手を突っ込んだ。
「……私の空間は、美しく整っているだけじゃない。……愛する人を守るためなら、喜んで泥を啜るわ!」
「……バカな。なぜ、なぜだ!? 鏡像の出力は本物と同じ、演算速度は本物以上のはずだぞ!」
同盟の秘密基地にて、モニターを見守っていた技術者たちが悲鳴を上げた。 彼らには理解できなかった。 なぜ、数値上は圧倒的に有利な鏡像たちが、本物たちの「支離滅裂な攻撃」によって次々と各個撃破されているのかを。
「……彼らは、データになっていない。……いや、一瞬ごとに、彼らは自分自身の定義を書き換えているんだ」
一人の指揮官が、絶望に震えながら呟いた。 彼らがコピーしたのは「これまでの十二翼」であって、「今、王のために進化しようとする十二翼」ではなかったのだ。
数時間に及ぶ、自分自身との戦い。 都の各所で、人造の影たちが光の粒子となって崩壊していった。 最後に残った鏡像の戌(いぬ)を、シリウスとシグルドが、全く新しい連携技で氷の彫像へと変え、その戦いは終結した。
「……はぁ。自分を殴るのが、これほど疲れるとはな」
シリウスが剣を収め、その場に膝を突いた。 都の街並みは、またしても激しく損壊したが、王宮のテラスに座るアル・ゼノンは、満足げにその様子を見守っていた。
「……イシュタル。彼らは、自分の偽物さえも、成長の糧にしたようだな」
「はい。王よ。反王同盟の策謀は、皮肉にも我ら十二翼の絆を、より強固なものへと変えてしまいました」
ゼノンは立ち上がり、静かに指を鳴らした。
「『修復(リストア)』。……さて、彼らが戻ってくる前に、また美しい街並みを用意しておかねばな」
再び、時間の逆転が都を包む。 崩れた壁が戻り、火災が消え、平和なエテルナの夕暮れが戻ってくる。
戦いから戻った十二翼たちは、満身創痍でありながらも、互いの顔を見て笑い合った。
「おいラージャン、お前の鏡像、俺より格好良かったぜ?」
「うっせぇ! ギガス、お前の鏡像は俺の雷で丸焼けだったじゃねぇか!」
彼らは、自分たちという「歯車」が、昨日よりも一回り大きく、そして強固になったことを、その確かな痛みと共に実感していた。
だが、夕闇に染まる都の影で、虚無のゼロスだけが、不気味に空を見上げていた。
「……偽物が消えて……。本物が強くなって……。……でも、鏡の中には、まだ『何か』が残ってるよ」
鏡像の翼が消滅した際、それらが吸い込んでいたはずの「星韻」は、同盟の基地には戻っていなかった。 それらは、目に見えない糸となって、空に浮かぶ黄金の巨神兵――その胸元の裂け目へと、一筋に吸い込まれていた。
最強の軍団の成長さえも、ゼノビアという真の驚威を育てるための「供物」に過ぎないのか。 日常の裏側で、真の絶望が、より色濃く、より鮮烈にその輪郭を現そうとしていた。
第十章:【王の饗宴、崩れる法典の果てに】