AION REAGALIA(アイオン・レガリア) 作:ネネカ大神
黄金の石像と化したアル・ゼノン・エテルナ。 その足元に芽吹いた一筋の若葉を、蒼穹のイシュタルは震える指先で撫でた。あの日、石像から零れ落ちた黄金の涙。それは王がまだ「内側」で生きているという、唯一にして絶大な希望の証拠であった。
「……皆、聞きなさい。王を、私たちの日常へ連れ戻す唯一の方法が見つかりました」
宮殿の深奥、星韻(せいいん)が最も濃密に渦巻く『起源の間』。 そこには、怪我も癒えぬまま集結した四星天将、そして二十四名の時辰十二翼が顔を揃えていた。彼らの瞳には、絶望の影を振り払うような、狂気にも似た光が宿っている。
「王は今、自らを楔(くさび)として神々の怨念を封じ込めています。……その精神世界、すなわち『万劫の聖域(アイオン・サンクチュアリ)』へ潜り、彼を縛り付けている因果の鎖を一本ずつ断ち切るのです」
イシュタルの言葉に、戌(いぬ)のシリウスが問いかける。
「……潜る、と言っても相手は王の心象世界だ。物理的な距離など存在しないはず。どうやって辿り着く?」
「王権具『万劫の針』の残滓を使います。……ですが、これは片道切符ではありません。二十八名全員の魂を同期させ、巨大な『星の楔』となって王の深層意識へ打ち込むのです。……もし失敗すれば、私たちの魂は永遠に虚無を彷徨い、エテルナを二度と救うことはできません」
「――上等だ」
バラム(辰)が、包帯の巻かれた腕で槍を担ぎ直した。
「石ころを拝んで一生を終えるより、王様の横っ面をひっぱたきに行く方が、俺たちらしいぜ」
儀式は、月が天頂に達した時刻に開始された。 都の中心、聖時計塔『クロノス・マギ』の周囲に、二十八名の精鋭たちが円陣を組む。 中心には、王の石像。 彼らは互いの手を握り、あるいは肩を寄せ合い、これまで自分たちを生かしてきた「王から授かった星韻」を、逆流させるようにして解放した。
「神理昇華・極致合技――【万劫の潜行(アイオン・ダイブ)】!!」
二十八色の光が、一筋の巨大な光柱となって天を突き抜けた。 それは物理的な空を越え、概念の壁を破り、存在しないはずの「第十三時」の領域へと突入する。 彼らの意識は肉体を離れ、情報の海を越え、やがて視界は真っ白な、音のない世界へと飲み込まれていった。
気がつくと、彼らは見たこともない場所に立っていた。 そこは、エテルナの街並みに似ているが、すべてが色を失い、時間が「一秒」ごとに切り取られて張り合わされたような、歪な空間であった。
「……ここは、王様の記憶?」
虚無のゼロスが、透明な手で空中に浮かぶ「止まった噴水」に触れる。 水は動かず、触れた指先をガラスのように跳ね返した。
「……そうです。王の精神世界は、二十二の層に分かれています。……私たちが今いるのはその第一層、王がこの国を創設した際の『決意』が凝り固まった領域です」
イシュタルが先頭に立ち、見えない「道」を指し示す。
「……進みましょう。ここから王が眠る最深部……第二十二層までは、絶え間ない精神の試練が続きます。……誰一人、欠けることは許されません」
彼らが歩き出すと、街の影から不気味な「像」が次々と這い出してきた。 それは、かつて王が屠った敵の残滓であり、同時に王が守りきれなかった「過去の犠牲」たちの具現。 王自身が抱える罪悪感が、防衛本能となって翼たちに襲いかかる。
「……ハッ! 王様の悩み事ってのは、えらく陰気臭ぇな!」
ラージャン(寅)が、雷を噴き上げ、敵の像を粉砕する。
「シュラ、道を作れ! 王様の頭の中に、俺たちの騒がしさを叩き込んでやるんだ!」
「……了解です。……ですが、ラージャン。……この空間、私たちの星韻が補充されません。……戦えば戦うほど、私たちは『存在の重み』を失っていきます」
副将シュラの警告通り、この世界では一度使った力は二度と戻らない。 二十二の階層を突破するまで、彼らは自らの魂を切り売りしながら進むしかないのだ。
第一層を抜けるための門――『子(ね)の門』の前に、一体の巨大な騎士が立ちはだかった。 それは、かつてアル・ゼノンが王位を継承する際に倒した、旧時代の「守旧の王」の影であった。
「……これしきの試練、私たちが束になれば容易い!」 アル・ザヒド(午)が槍を構えるが、イシュタルがそれを止めた。
「……いえ。精神世界では、一度に全員で戦うことはできません。層の波長に合う者だけが戦い、他の者は星韻を温存しなければ、最後(二十二層)まで辿り着けない」
「……ならば、ここはボクがやるよ」
虚無のゼロスが一歩前に出た。
「……ボクは元々、王様の『寂しさ』から生まれた四天王だから。……王様の古い悲しみは、ボクが一番美味しいと感じる味なんだ」
ゼロスが短刀を抜き、影を踊らせる。 騎士の影と、少年の虚無。 それは、王がかつて飲み込んだ「孤独」と、それを今も背負う「忠誠」の激突であった。
激闘の末、ゼロスが騎士の核を「消去」し、門が開かれる。 だが、ゼロスの体はわずかに透け始め、彼がこの遠征で払わねばならない犠牲の大きさを物語っていた。
「……まだ、最初の一つです。……先は、気が遠くなるほど長い」 フィオナ(卯)が、震える手を握りしめる。
彼らの前には、暗く、果てしない螺旋の階段が続いていた。 一層ごとに、王の過去、王の苦悩、そして王が封じた神々の呪いが、より色濃く、より凶悪になって待ち受けている。
一方、魂が抜けた彼らの肉体が眠る現実のエテルナでは、さらなる危機が迫っていた。
都の各所で、王の結界が「薄く」なっている。 王の精神が内側の戦いに集中し、外側の『修復(リストア)』に回す余力が消えつつあるのだ。
「……いけない。このままでは、王たちの魂が戻る前に、都がゼノビアの影に飲み込まれてしまう」
留守を任された数名の副官予備隊と、意識を保てないはずの国民たちが、必死に街を守ろうと立ち上がる。 だが、彼らには十二翼のような力はない。 ただ、王の無事を祈り、祈りを星韻に変えて都を支え続ける。
それは、精神世界での二十八人の戦いと同じくらい、過酷で、尊い「沈黙の守護」であった。
精神世界、第二層への入り口。 イシュタルは、後ろに続く二十七名の顔を見渡した。
「……これから、私たちは王の『最も見たくない記憶』を何度も目にすることになるでしょう。……王がなぜあの日、自ら石となる道を選んだのか。その本当の絶望を知ったとき、貴方たちはなお、彼を王と呼べますか?」
「……当たり前だ」
シリウス(戌)が、冷たく、しかし熱い意志を込めて答える。
「……俺たちは、あの人の『完璧さ』に惚れたんじゃない。……あの人の『覚悟』に、命を預けたんだ」
「……なら、行きましょう。……この長い、長い遠征の果てに。……第二十二層で、彼を眠りから引き摺り下ろすために」
二十八の星が、深淵へと降りていく。 復活の刻限は、まだ遥か先。 だが、彼らの歩みは、一歩ごとにこの世界の「未来」を力強く刻んでいた。
石像となったゼノンの右目から、また一つ、黄金の雫が零れ落ちた。 それは、内側まで届いた部下たちの声に対する、王の無意識の、けれど愛に満ちた返答であった。
第十五章:【深層の迷宮、暴かれる少年の王】