AION REAGALIA(アイオン・レガリア) 作:ネネカ大神
北方の軍事大国、ガリア連邦の全兵士たちが目撃した光景。それは、彼らが信じてきた「近代科学」と「物理法則」という名の神が、一瞬にして叩き壊された瞬間だった。
砂漠の夜明けを切り裂き、放たれた数万発の星韻(せいいん)圧縮弾。それらは本来、着弾と同時にエテルナの都を分子レベルで分解し、数千年の歴史を誇る黄金の時計塔を瓦礫の山へと変えるはずの「破壊の権化」だった。だが、その死の雨は、エテルナの国境線――虚空に描かれた見えない境界を越えた瞬間、意志を持ったかのようにその場に凍りついたのだ。
推進力を失ったのではない。弾頭の火薬が湿ったわけでもない。 ただ、そこにある「時間」という名の川が、何者かの手によって物理的に堰き止められた。 爆発の閃光、噴き出す熱気、切り裂かれた大気の震え。それらすべてが、透明な琥珀の中に閉じ込められた羽虫のように、不自然な静止を強いられていた。
「……報告しろ! 何が起きている!?」
ガリア連邦の旗艦『アイアン・デューク』の艦橋では、ゲルハルト司令官が血走った目でモニターを睨みつけていた。
「不発か!? 敵の電磁干渉か!?」
「いえ、違います! 全砲弾、内部の星韻反応は正常……ですが、周囲の空間座標における『因果の進行』が停止しています! 砲弾周辺の時間が、一秒先へ進むことを拒否されているようです!」
副官シュミットの叫びは、もはや悲鳴に近かった。彼らの理解を超える超常現象。科学という物差しでは測りきれない、圧倒的な「個」の意志による世界の改編。
その時、宮殿のテラスで冷めゆく紅茶を眺めていたアル・ゼノンが、わずかに指先を弾いた。
「……返してやれ。余の空を汚した代価だ」
王の呟きは、数万キロの距離を超えて、戦場の理へと直結した。 静止していた数万の砲弾の表面に、微かな「亀裂」が走る。次の瞬間、それらは何かに弾かれるようにして、放たれた時よりも遥かに速い速度で、ガリアの艦隊へと逆流を開始した。
「全艦、回避――ッ!!」
ゲルハルトの叫びは、鋼鉄がひしめき合う轟音にかき消された。 自らが放った破壊が、自らに牙を剥く。逃げ場のない空中で、ガリアの前衛艦隊が次々と自らの砲弾に貫かれ、砂漠の熱砂へと墜落していく。爆炎の華が次々と咲き乱れる中、その紅蓮のカーテンを切り裂き、四つの光が天から舞い降りた。
「……五月蝿いですね。せっかくの朝の静寂が、鉄の擦れる音で台無しだ」
爆発の余波が渦巻く空中。そこには、足場などないはずの虚空に悠然と立つ二人の姿があった。 時辰十二翼(じしんじゅうによく)、午の翼将――アル・ザヒド。 そしてその影に従う、副将フェリス・エル・シド。
アル・ザヒドは銀の甲冑を纏い、その長大な重槍『ロンギヌス』の石突きで、空中の目に見えない「星韻の波」を叩いた。
「フェリス。王の茶が冷めるまで、あと何分ありますか?」
「あと三分と十二秒です、アル・ザヒド様。その間に掃除を終えねば、我らの翼としての格が問われます」
フェリスが静かに報告すると、アル・ザヒドの瞳に冷徹な光が宿った。
「充分だ。……では、彼らに『一瞬の重み』を教えて差し上げましょう」
ガリアの戦艦『グロリアス号』が、必死の面持ちで対空機銃を掃射する。だが、アル・ザヒドはその銃弾の合間を、まるで散歩でもするかのような足取りで通り抜けていく。 彼が歩くたび、周囲の時間が数千分の一秒にまで引き延ばされ、敵の弾丸は止まっているに等しい。
「刻印具(アーティファクト)解放――【一瞬の永遠(スナップショット)】」
アル・ザヒドが槍を突き出した。 瞬間、グロリアス号の甲板にいた数百人の兵士たちの視界から、彼らの姿が消えた。 いや、消えたのではない。アル・ザヒドが「移動に要する時間」を自身の周囲だけゼロに書き換えたため、人間の脳の処理能力を完全に超越したのだ。
銀の一閃。 それは、一振りの槍が放ったとは思えぬほど多重の軌跡。 次の瞬間、巨大な戦艦を支えていた四基の主機、そして艦橋の操舵系が、同時に、そして正確に射抜かれていた。
「な……いつの間に……がはっ……」
兵士が自分の胸に穴が開いていることに気づく頃には、アル・ザヒドは既に次の戦艦へと「転移」している。
「あまり苦しまぬように。……それが、王に仕える我らのせめてもの慈悲です」
フェリスが背後で星韻の術式を編み、アル・ザヒドが切り裂いた空間を固定していく。彼らが通り過ぎた後には、爆発すら許されず「静止したまま崩壊する」戦艦の残骸が、空中に奇妙な彫刻のように残されていた。
一方、アル・ザヒドが「静」の蹂躙を行っている裏側で、もう一つの絶望がガリアの右翼を焼き尽くしていた。
「ハッ! アルは相変わらず、せかせかしてていけねぇな。もっと豪快に、王へ『花火』を見せてやれよ!」
豪放な笑い声と共に、空中を黄金と紅の炎が埋め尽くす。 辰の翼将――バラム・アシュタ。 真っ赤な外套を翻し、筋骨隆々の肉体を誇示する男が、巨大な龍槍『サラマンダー』を軽々と振り回していた。 その傍らには、副官ナバール・リンが、複雑な幾何学模様の魔導陣を空中に何層も展開し、戦場全体の熱量を管理している。
「バラム様、あまりやりすぎると砂漠が溶岩の海になります。王は『美しく散らせろ』と仰いました。事後の景観も考慮してください」
「分かってるよ、ナバール。だがよ、こいつらは少しばかり『冷え切って』やがる。鉄の塊に籠もって、星の律動も聞こえてねぇらしい。なら、少しばかり暖めてやるのが礼儀ってもんだろ!」
バラムが槍を大きく振りかぶり、空を叩いた。 その穂先から放たれたのは、通常の燃焼を遥かに超えた、「分子の運動速度(時間)」を極限まで加速させる熱量である。
「刻印具解放――【焦熱の年代記(クロニクル・バーン)】」
バラムの周囲の空間が陽炎のように歪む。 彼が槍を向けた先のガリア第12重装師団は、爆発する暇さえ与えられなかった。 数千トンの特殊鋼で作られた戦車や機甲兵が、一瞬にして赤く発光し、そのまま液体を通り越して「ガス」へと昇華していく。
「ぎゃああああッ! 艦が、艦が溶けていく――!!」
「熱い、熱い熱い! 内部から焼ける! 助けてく――」
通信回線に響く絶叫は、すぐに静寂に取って代わられた。 バラムの放つ熱量は、対象が経てきた数百年分の「酸化」と「劣化」を、わずか一秒の間に強制的に引き起こす。最新鋭の魔導機甲は、一瞬で錆びついた廃鉄へと変わり、砂漠の強風に煽られて砂へと還っていく。
「美しくねぇな、ガリア。……もっと王の目を惹くような、マシな死に様を見せてくれよ」
バラムの瞳に宿る龍の影が、紅く輝く。 彼の一振りごとに、ガリアの軍勢は歴史の教科書から「なかったこと」にされるかのように、その存在を消去されていった。
旗艦『アイアン・デューク』の艦橋は、死臭こそ漂っていないものの、それ以上の絶望に支配されていた。 モニターに映し出されるのは、大陸最強と謳われた自軍が、たった四人の「人間」の前にして、農夫に刈り取られる雑草のように処理されていく光景。
「怪物……。エテルナの王は、あんな化け物を二十四人も従えているというのか……!」
ゲルハルト司令官は、自身の震える拳を反対の手で抑え込んだ。彼の中にあった「近代兵器の優越」というプライドは、今や粉々に砕け散っている。 だが、彼はまだ諦めてはいなかった。いや、諦めることを許さない「軍人としての狂気」が、彼を最後の博打へと駆り立てた。
「シュミット……あれを出すぞ」
副官シュミットが息を呑む。
「し、司令! あれはまだ実験段階です! もし失敗すれば、エテルナの結界を破るどころか、この空域の星韻そのものが汚染され――」
「構わん! このまま全滅するのを待つよりはマシだ! 全エネルギーを主砲へ回せ! 禁忌兵器『星韻破壊砲(アストラル・バスター)』、起動!!」
ガリアの旗艦の底部が開き、巨大な砲身が姿を現した。それは周囲の自然界から星韻を無理やり吸い出し、反物質的な衝撃波へと変換して放つ、文字通り「理を破壊する」ための大砲だった。
砲身に黒い雷光が走り、周囲の空間が耐えきれずに悲鳴を上げる。
「喰らえ! 神気取りの王よ! これこそが、我ら人間が神を殺すために作り上げた知恵の結晶だ!」
黒い光が放たれた。それは光速に近い速度でエテルナの都を目指し、途中にいた自軍の残骸さえも飲み込みながら直進する。
だが。
「……五月蝿いと言ったはずだ、人間」
戦場に、どこからともなくその声は響いた。 叫びではない。静かな、しかし有無を言わさぬ「法」のような声。
瞬間、黒い破壊の光の前に、一人の男が「立って」いた。 それはアル・ザヒドでもバラムでもない。 エテルナの玉座に座っているはずの、絶対王アル・ゼノンその人の、星韻による「幻影」。
ゼノン(の幻影)は、迫りくる黒い光に対し、ただ右手をかざした。
「理を破壊すると言ったか。……笑わせるな。この世界の理、そのものの定義(システム)は、余の手の中にある」
ゼノンが指をパチンと鳴らす。 その瞬間、国一つを滅ぼすはずの黒い光は、ゼノンの手元で「ただの青い蝶」へと姿を変え、ひらひらと砂漠の空へ舞い上がった。
「……な…………」
ゲルハルトは、もはや叫ぶことさえできなかった。 破壊が、生命へと書き換えられた。エネルギーのベクトルも、質量の法則も、すべてが「王の気分」一つで無視された。
「……茶が淹れ終わったようだ。イシュタル、後片付けを任せるぞ」
王の幻影が、陽炎のように消える。 同時に、戦場の全域にいたアル・ザヒドとバラムが、それぞれの刻印具を最終解放した。
「「――消えろ」」
銀の閃光と紅蓮の爆炎が、ガリア連邦の全艦隊を飲み込み、空を黄金の色へと塗りつぶした。
エテルナ王宮、空の庭園。 アル・ゼノンは、再びティーカップを口に運んだ。
「……ちょうど良い温度だ。さすがだな、イシュタル」
「恐悦至極に存じます。……ガリア連邦、残存戦力を含め消滅を確認。現在、バラムたちが残骸の処理を行っております。砂漠の生態系に影響が出ぬよう、すべて砂へと還させる予定です」
イシュタルは、主人の斜め後ろで静かに報告を続ける。 彼女の瞳には、既にガリアのことは映っていない。彼女が見つめるのは、さらにその先――ガリアの滅亡を知り、恐怖と野心に震え始めるであろう、大陸中の国々の動揺だった。
「これで、しばらくは静かになるか?」
「いえ……おそらく逆でしょう。これほどの圧倒的な力を誇示すれば、他国は恐怖のあまり団結し、『反王同盟』を組むに違いありません」
ゼノンは楽しげに目を細めた。
「……団結、か。良い響きだ。退屈な日々に、少しはマシな余興が増えるというものだ」
彼は立ち上がり、テラスの端から自らの統治する黄金の都を見下ろした。 聖時計塔『クロノス・マギ』が、新たな一秒を刻む。
最強の王、アル・ゼノン。 彼の物語は、まだ一杯の茶を飲み干したばかりの、朝のひとときに過ぎなかった。
第二章:【震える王座、産声の同盟】