AION REAGALIA(アイオン・レガリア)   作:ネネカ大神

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第二十章:【存在の証明、虚無に消える仲間たち】

第二十層の「黄金の天秤」が崩壊した衝撃は、王の精神世界だけでなく、エテルナという世界の基盤そのものを根底から揺るがした。 「栓」を抜かれた世界から、色彩が、熱が、そして「因果」が砂のように零れ落ちていく。

 

二十七人の魂が辿り着いた第二十一層――そこは、もはや「層」と呼べるような構造さえ失われていた。

 

「……寒い。……感覚が、消えていく」

 

卯(うさぎ)の翼将、フィオナ・エインズが、震える自分の手を見つめた。 透明だ。ただの半透明ではない。指先から少しずつ、背景の「無」に溶け込み、自分が自分であるという輪郭が曖昧になっていく。 第二十一層『存在の証明』。 この階層の唯一のルールは、「世界を犠牲にした者が、その世界の中で存在することを許されない」という、宇宙の最終的な拒絶反応であった。

 

背後からは、第十九層から追いかけてきた「虚無の渦」が、星韻(せいいん)を吸い込みながら猛烈な勢いで迫っている。

 

「……イシュタル様も、バシュタール様もいない。……俺たちだけで、ここを抜けるしかないんだな」

 

寅(とら)のラージャン・シンが、折れた剣を握りしめる。彼の身体からも、絶え間なく黄金の火花(命の残滓)が散っていた。

 

「――『警告。貴公らは、世界を殺した。……殺された世界は、貴公らを記憶しない。……存在の根拠(エビデンス)を提示せよ。提示不能な者は、虚無へと還るべし』」

 

空間そのものが、裁きを下す裁判官のように問いかけてくる。 それは敵ではない。彼らが犯した「王を救うために世界を滅ぼす」という大罪が生み出した、論理的な帰結であった。

 

「――来るぞ! 虚無の影だ!!」

 

渦の中から這い出してきたのは、かつてエテルナで幸福に暮らしていた民たちの「もしもの未来」の影だった。 彼らは声を上げない。ただ、虚ろな瞳で翼たちを見つめ、自分たちの未来を奪った「大罪人」を引き摺り下ろそうと、数万の手を伸ばしてくる。

 

「……クソが! 幻覚なら斬れるが、こいつらは『俺たちが捨てた未来』そのものかよ……!」

 

ラージャンが雷撃を放つが、影たちは雷さえも吸い込み、膨れ上がっていく。

 

「ラージャン、行って。……ここは、私たちが食い止める」

 

戌(いぬ)のシリウスが冷気を放ちながら前へ出るが、それを制したのはラージャン自身だった。

 

「……いや、シリウス。……俺が行く。……俺の速さは、逃げるためのもんじゃねぇ。……道を切り拓くためのもんだ!」

 

ラージャンが、残されたすべての星韻を心臓の鼓動に集中させた。

 

「シュラ! 俺を……俺の魂を、一発の雷弾(バレット)に変えろ! 座標計算なんていらねぇ。……ただ、一番熱い場所へ飛ばせ!!」

 

「……ラージャン……。……了解しました。……貴方の最期、この魂に刻み込みます」

 

副将シュラ・ベスタが、魔導符を自らの肉体に貼り付け、ラージャンの背中に手を置いた。

 

「神理昇華・合同最終奥義――【迅雷破断・未来への道標】!!」

 

ドォォォォォォォン!!

 

ラージャンとシュラ。二人の魂が重なり合い、一筋の巨大な雷光となって虚無の軍勢を貫いた。 影たちは蒸発し、その先に最深部へ続く「穴」が開く。 だが、光が収まったとき。そこにはもう、ラージャンの笑い声も、シュラの冷静な指示も残っていなかった。 ただ、空中に焦げた星韻の残滓が舞い、二人の存在が世界から完全に消去されたことを示していた。

 

「……ラージャン……! シュラ……ッ!!」

 

フィオナが悲鳴を上げる。 二十七人の星は、今、二十五人になった。

 

穴を抜け、さらに奥へと進む一行。 だが、虚無の侵食は加速し、今度は空間そのものが「凍結」し始めた。 それはシリウスの冷気ではない。「変化すること」を拒絶する、存在の停止。

 

「……身体が、動かない。……時間が、固まっていく……」

 

副将たちの数名が、足元から結晶化し、彫像のように動けなくなっていく。

 

「……シグルド。……やるぞ」

 

戌(いぬ)のシリウス・ヴォルクが、静かに砕け散った魔狼牙を構えた。

 

「……王は、俺に『静寂』を教えた。……ならば、俺がこの虚無さえも凍らせ、静寂の檻に閉じ込めてやる」

 

「……シリウス様。……共に参りましょう。……王の目覚める、あの日の朝まで」

 

副将シグルド・フェンが、主君の肩に手を置く。

 

シリウスは、自らの魂の核を物理的に砕いた。 極点を超える絶対零度。

 

「神理昇華・最終禁忌――【永遠の静寂・コキュートスの墓標】」

 

シリウスとシグルドを中心に、半径数キロメートルの虚無が、一瞬にして青白い氷の結晶へと変わった。 迫りくる渦も、存在を消去する法典も、すべてが「停止」という名の監獄に封じ込められる。 その氷の橋を渡り、残された翼たちは先へと進む。

 

「……シリウス……シグルド……」

 

アル・ザヒドが、石化の進む身体を引きずりながら、氷となった戦友の横を通り抜ける。 振り返ることは許されない。振り返れば、彼らの犠牲が無に帰すからだ。 星は、二十三人になった。

 

氷の橋の終端。そこには、次元の断裂が広がっていた。 物理的な距離ではない。「存在の階梯(かいてい)」の差。 あちら側へ行くには、自らの存在を「薄く引き延ばし」、橋にするしかなかった。

 

「……私の、出番ね」

 

卯(うさぎ)のフィオナが、弱々しく笑った。 彼女の身体は、既に足首から先が消え、背景の白に溶け込んでいる。

 

「フィオナ、よせ! お前が空間になれば、二度と人間の形には戻れない!」

 

アル・ザヒドが叫ぶが、フィオナは首を振った。

 

「……いいのよ。……王様に拾われるまで、私はずっと『どこにもいない子』だった。……だから、最後にあのお方の道になれるなら……それは、私がこの世界にいた、一番の証明(エビデンス)になるもの」

 

副将ミラベルが、フィオナの背中を抱きしめる。

 

「……フィオナ様。……私も、お供します。……貴方の作る空間の、一番端っこで……貴方を支え続けます」

 

二人の肉体が、まばゆい光を放ち、霧散した。 だがそれは消滅ではない。 彼女たちの魂が、虚無の上に「一筋の道」として再定義されたのだ。 虹色に輝く空間の橋。二十三人の仲間たちは、涙を流しながらその「フィオナだったもの」の上を駆け抜けた。

 

「……ありがとう。……ありがとう、フィオナ……!」

 

叫び声が虚空に消える。 星は、二十一人になった。

 

その時。 崩壊を続ける精神世界の最深部――第二十二層の門の前。

 

石像となったまま、不動の姿勢を保っていたアル・ゼノンの意識が、ついに「外側」の惨状を感知した。

 

『……やめろ。……もう、やめてくれ』

 

王の震える声が、第二十一層の全域に、そして現実世界のエテルナにさえも響き渡った。 それは、絶対者としての命令ではない。 一人の、愛する部下たちを失い続ける男の、悲痛な願い。

 

『……余のために、消えないでくれ。……この世界が滅びても構わない。……だが、貴公らがいない未来など……余には、何の価値もないのだ……!!』

 

石像の右目。 石に覆われていたはずのその場所から、一筋の、熱い「黄金の涙」が零れ落ちた。 涙は地面を穿ち、崩壊しつつある精神世界に、王の「慈愛」という名の星韻を無理やり送り込む。

 

だが、それは翼たちを止めることはできなかった。 むしろ、その王の声こそが、彼らに最後の力を与えてしまったのだ。

 

「……聞こえましたか、皆さん。……王様が、私たちの名前を呼んでいます」

 

午(うま)のアル・ザヒドが、石化した半身を無理やり動かし、前を見据えた。

 

「……あのお方に、あんな泣き言を言わせてはいけない。……私たちは、あのお方を……完璧な、傲慢な、誰よりも美しい王様に戻しに行くんだ」

 

残された二十一人の翼たち。 彼らは、もはや一人の人間としての形を保つことさえ難しくなっていた。 それでも、彼らは歩みを止めない。 一人、また一人と、歩くたびにその存在が虚無へと吸い込まれ、黄金の粒子となって消えていく。

 

「……辰のバラム! 卯のフィオナ! 寅のラージャン! ……みんなの想い、私が預かった!!」

 

アル・ザヒドが、ついに第二十二層の門に辿り着いた。 後ろを振り返れば、そこには誰もいない。 全員が、アル・ザヒドを一歩でも先へ進ませるために、自らの存在を「盾」に、あるいは「燃料」にして消えていったのだ。

 

二十七の星のうち、二十六が消えた。

 

アル・ザヒドは、崩れ落ちる自分の膝を槍で支え、目の前の巨大な門を見上げた。 そこには、何の装飾もない、ただ「拒絶」だけを象徴する無機質な黒い扉があった。

 

「……ゼノン様。……お迎えに、上がりました」

 

アル・ザヒドの手が、扉に触れる。 その瞬間、彼の肉体もまた、限界を迎えて崩壊し始めた。 右腕が石になり、左腕が砂になり、意識が虚無の海へと沈んでいく。

 

だが、扉の向こう側から、眩いばかりの黄金の光が漏れ出してきた。 それは、王が数千年の間、誰にも見せず、一人で守り続けてきた「本当の心」。

 

物語は、ついに最深部へ。 犠牲になった二十六人の魂。たった一人残された、消えかけの翼。 そして、石像の檻の中で、今まさに「王」としての仮面を捨て、一人の「男」として目覚めようとしているアル・ゼノン。

 

「……王様……。……どうか、この手を……掴んで……」

 

アル・ザヒドの指先が、光の中に消える。世界の崩壊と引き換えに、神は再び、その瞳を開こうとしていた。




第二十一章:【虚無の王座、あるいはただの人間】
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