AION REAGALIA(アイオン・レガリア) 作:ネネカ大神
第二十五章:【魔導学園への転入、最弱王】
多次元宇宙の頂点に君臨し、全ての因果律をその手中に収めた時極帝国の絶対王、アル・ゼノン・エテルナ。彼にとって、次元の壁を越えることは、庭の垣根を跨ぐよりも容易な行為であった。しかし、今回彼が足を踏み入れた世界『アステリア』は、これまでの旅路の中でも際立って「脆弱」な理に支配されていた。
「……脆いな。この世界の物理定数は、余が深く呼吸するだけでひび割れてしまいそうだ」
次元の隙間に立つゼノンの足元では、黄金の幾何学模様が明滅し、崩壊しかけた空間の継ぎ目を無理やり繋ぎ止めていた。彼の背後には、絶対的な忠誠を誓う四星天将筆頭、イシュタル・ド・アステリアが、普段の法衣ではなく、この世界の「学生」を模した清楚な制服に身を包んで控えている。
「王よ。この世界の理(ロゴス)は、低密度の『魔力』というエネルギーを基盤に構築されています。私たちの星韻(せいいん)とは比較にもならないほど不安定なものです。……今の貴方の存在強度は、この星にとっては劇薬を通り越して、宇宙規模の消しゴムに等しい。……くれぐれも、お力をお出しにならないよう」
「わかっている。……だからこそ、この『再定義』だ」
ゼノンが指先を鳴らす。
【王権再定義(レガリア・オーバーライト):偽りの法典(フェイク・コード)】。
瞬間、彼を包んでいた神々しい黄金のオーラが、重厚な鎖のように内側へと収束し、封印されていった。全知全能の力に、数億重の論理的制限(リミッター)をかける。漆黒の髪に、底の見えない黒い瞳。姿こそ絶世の美青年だが、その内側から漏れ出る「存在感」は、今や道端の石ころと同程度にまで希薄化されていた。
「……よし。これで余は、この世界において『魔力を持たぬ無能』として記述された。……カイル、状況を」
王の影から、子の翼副、カイル・レムが音もなく現れ、跪く。
「……はっ。潜入先である『ソルスティシア王立魔導学園』への編入手続きは完了いたしました。表向き、王は辺境の没落貴族の庶子……イシュタル様はその義妹という設定です。……なお、この世界の『神』を名乗る高次元存在たちが、学園の地下に設置された『管理水晶』を通じて、学生たちの魂の輝きを監視・選別している形跡があります」
「……管理水晶、か。余の庭に勝手に土足で踏み込み、苗木を選別する庭師がいるというわけか。……面白い。その『神』とやらがどのような顔で絶望するか、特等席で見物してやろうではないか」
ゼノンは薄く笑い、異界の土を踏みしめた。絶対王の「暇潰し」という名の蹂躙が、今、静かに幕を開ける。
大陸の英知が集うとされる、ソルスティシア王立魔導学園。高くそびえ立つ白亜の尖塔と、複雑な魔導回路が刻まれた回廊は、一見すれば神秘的な学舎に見える。しかし、そこを歩く学生たちの瞳に宿るのは、知性ではなく「階級」への執着であった。
「……おい、あれを見ろよ。今日編入してくるっていう『Fランク』のゴミだ」
「……あんなに薄汚れた魔力しか感じない奴が、この神聖な学園に入るなんて。……横にいる美少女が可哀想すぎるな」
囁かれる嘲笑。だが、ゼノンにとってそれは、道端の蟻が鳴いている程度の認識でしかなかった。彼とイシュタルが向かったのは、編入生の実力を測定する『真理の広間』。そこには、巨大な浮遊水晶が鎮座し、その周囲を学園の教官たちが厳しい目で見守っていた。
「……次、アル・ゼノン。前へ」
試験官の声に、ゼノンは無造作に歩を進める。この水晶は、触れた者の魂の質と魔力の総量を読み取り、SからFまでのランクを宣告する。この学園において、ランクは生存権そのものを意味していた。
(……さて、どれくらい抑えるべきか)
ゼノンは掌を水晶にかざす。彼にとっては、全出力の 10-100乗でさえ、この水晶を原子レベルで消滅させるには十分すぎるエネルギーだ。彼はさらに「負の定義」を重ね、自らの力を「魔力ではない何か」へと変換して流し込んだ。
――ピシッ。不快な音が広間に響いた。
水晶は輝くどころか、どす黒い影を纏い、一瞬にして表面に無数の亀裂が入った。輝きは一切なく、ただそこにあるはずの「期待」を全て吸い込んで無効化するような、異様な静寂。
「……な、なんだ? 輝かない……どころか、計測不能(エラー)……!? いや、これはあまりに魔力が低すぎて、水晶が空回りを起こしているのか!?」
試験官が驚愕し、手元の魔導端末を叩く。表示されたのは、学園始まって以来の最低値。
「……魔力値、測定不能なまでのゼロ。……判定、Fランク。……史上最悪の『欠陥品(デフェクト)』だ!」
会場を覆っていた緊張が、一気に爆笑へと変わった。
「ギャハハ! ゼロだってよ! 石ころの方がまだ魔力を持ってるんじゃないか?」
「あんな美形のツラして、中身は空っぽか。……おい、横の妹! 兄を捨てて俺のところに来いよ、Dランクだが飯くらいは食わせてやるぜ!」
イシュタルの眉が、ほんの一分(いちぶ)だけ跳ねた。彼女の手の中にある見えない理杖が、その不敬な学生を概念ごと消去しようと脈打つ。
「……よせ、イシュタル」
ゼノンが短く制した。
「……犬が吠えるたびに首を撥ねていては、散歩も楽しめん。……それよりも、余はこの『学食』というものに興味がある。異界の民が何を食して己の血肉としているのか……それを見極めるのが先だ」
「……御意、我が王。……その慈悲、いつまで彼らの命を繋ぎ止められますことか」
イシュタルは冷たく視線を外し、ゼノンの後を追った。その背中には、数千の嘲笑と、それ以上に深い「絶対者の孤独」が漂っていた。
学園のカフェテリアは、階級社会の縮図そのものであった。中央の豪華なテーブルに座るのは、高ランクの貴族子弟たち。隅の硬い椅子に座るのは、平民や低ランクの学生たち。ゼノンとイシュタルが隅の席で、この世界の主食である「魔力パン」を無造作に口に運んでいると、騒がしい足音が近づいてきた。
「……おい。そこは僕の従者が使う予定の席だ。ゴミが座っていい場所じゃない」
現れたのは、黄金の刺繍が入った制服を纏う少年、エリック・フォン・アステリア。この国の第二王子であり、学園で唯一の「Sランク」を冠する、自他共に認める天才魔導師。ゼノンは、口の中のパンをゆっくりと飲み込み、紅茶を一口。
「……イシュタル、この液体は何だ? ……泥水の方がまだマシな味がするが」
「……この世界の最高級茶葉だそうですが、王の舌には毒に等しいでしょう。……後ほど、時極帝国の『万劫の滴(エターナル・ドロップ)』をお淹れします」
「……あぁ、そうしてくれ。……で、王子と言ったか。……何か用か? 余は今、この世界の調理法の稚拙さに絶望している最中なのだが」
ゼノンはエリックの方を見ることさえせず、淡々と答えた。そのあまりに尊大な態度に、カフェテリア中の空気が凍りつく。
「……貴様、自分が誰に口を利いているかわかっているのか!? Fランクのゴミが、僕の視界に入るだけでも不愉快なんだ。……跪け。そしてその女を僕に差し出せば、不敬罪で首を吊るのだけは免じてやる」
エリックが右手をかざす。その指先には、高度に圧縮された火炎魔法の球体――『紅蓮の咆哮』が形成されていた。並の学生なら、その余波だけで重傷を負うほどの魔力。
「……ひざ、まづけ? ……面白い言葉を教わった。……イシュタル、余の記憶が確かならば、余に対してその言葉を口にし、未だ存在を許されている者は宇宙に一人もいなかったはずだが?」
「……左様でございます。……王よ、この空間の『物理定数』を少しだけ操作してもよろしいでしょうか」
「……許可する。……ただし、殺すなよ。……余はまだ、ここの図書館に行かねばならんのだ」
エリックが魔法を放とうとした、その瞬間。
「――静止せよ」
イシュタルが小さく呟いた。瞬間、エリックの周囲の空気が、ダイヤモンド以上の硬度を持って物理的に固定された。放たれるはずだった炎は、指先に灯ったまま「静止画」のように固まり、エリック自身もまた、目蓋一つ動かせない肉体の牢獄に閉じ込められた。
「……な、……が……!? う、動け……な……」
エリックの瞳に、初めて恐怖が宿る。魔力ではない。これは、世界の法則そのものが「彼が動くことを拒絶している」状態。ゼノンはゆっくりと立ち上がり、動けぬ王子の真横を通り過ぎる。
「……王子よ。貴公の魔法は、火を熾すには十分だが、余の退屈を焼くにはあまりに冷たすぎる。……精々、その温室で『最強』を夢見ているがいい」
ゼノンが軽くエリックの肩を叩いた。その瞬間、固定されていた空間が弾け、エリックは衝撃波と共にカフェテリアの反対側の壁まで吹き飛んだ。
「……さて、イシュタル。……図書館へ行こう。……この世界の『神』が隠している真実……それが余の『わさびのり太郎』の在庫よりも価値があることを願うよ」
その日の夜。学園の寄宿舎、その最上階にある豪華な(ゼノンにとっては馬小屋に等しい)一室。イシュタルが淹れた最高級の紅茶を飲みながら、ゼノンは月を見上げていた。部屋の隅、影の中からカイル・レムが姿を現す。
「……王。……ご報告を。……学園の地下、地下三千メートルの地点に、この世界の『神』と呼ばれる五柱の意識体が干渉している大祭壇を確認しました。……彼らは学生たちの魔力を吸い上げ、それを自身の寿命を延ばすための糧としているようです」
「……家畜の世話をする代わりに、その血を啜るというわけか。……ありふれた、そして低俗な支配構造だな」
「……それから、もう一点。……編入生の中に、一人だけ『特異点』と思われる少女がいます。……名はセレナ。……彼女の魂には、この世界の神々さえも恐れる『終焉の法典』の一部が埋め込まれています」
ゼノンは黄金の瞳を僅かに光らせた。
「……終焉の法典、か。……余が書き換えた法典の欠片が、こんな辺境の世界にまで流れてきているというのか。……くくっ、面白い。……学園生活も、案外退屈せずに済みそうだ」
ゼノンは、懐から一枚の『わさびのり太郎』を取り出した。その袋を開ける「パリッ」という音が、静かな夜の部屋に響く。
「……イシュタル。明日からの授業、余は『一番の落ちこぼれ』として振る舞う。……だが、余の邪魔をする不届き者が現れたら……その時は、貴公らが少しだけ『質量』を見せてやれ」
「……御意に。……彼らにとって、それが最期の救いとなるでしょう」
月光がゼノンの横顔を照らす。全知全能の王による、異世界再定義のプロローグ。アステリアの神々が築き上げた偽りの楽園は、一人の「無能」な転入生によって、その土台から崩れ去ろうとしていた。
第二十六章:【魔導実技、あるいは絶望の射程】