AION REAGALIA(アイオン・レガリア) 作:ネネカ大神
ソルスティシア王立魔導学園の朝は、選民意識に満ちた喧騒と共に幕を開ける。アル・ゼノンが編入して二日目。彼が足を踏み入れたのは、学園内でも特に「高貴な魔導理論」を説くとされる特級教室であった。
「……さて、本日は魔力の三層構造と、属性付与の円環効率について講義する。……心して聞くように。特に、昨日編入してきた『Fランク』の君。君には少々難解すぎるかもしれないがね」
教壇に立つのは、宮廷魔導師も務めるバルワール教授。肥大化した自尊心を隠そうともしない老魔導師は、黒板に複雑な幾何学模様を書き連ねながら、ゼノンへ向けて侮蔑に満ちた視線を送った。ゼノンは、教室の最後列で窓の外を眺めながら、退屈そうに頬杖をついていた。
「……イシュタル。この世界の『魔導理論』とやらは、いつまで経ってもこの水準なのか? ……まるで赤子が砂場で描いた落書きを見せられている気分だ」
隣に座るイシュタルは、教科書すら開かず、王の湯飲み(中身は王専用のアッサムティーだ)を静かに整えながら答える。
「……左様でございます。彼らが『至高の心理』と呼んでいるものは、星韻(せいいん)の循環法則の百分の一さえ理解できておりません。……不純物(ノイズ)だらけの魔力回路を後生大事に守り、効率を語る姿は、ある種の喜劇と言えるでしょう」
二人の静かな会話は、バルワール教授の癇に触れたらしい。
「――アル・ゼノン君! 何か意見があるのかね? 君のような無能に、この『三層循環理論』の美しさが理解できるとは思わんが、授業の邪魔だけは慎んでもらいたいものだ」
教室内が、嘲笑に包まれる。エリック王子を筆頭とした貴族たちは、ゼノンがどのような「馬鹿げた言い訳」をするのかと、ニヤニヤしながら見守っていた。ゼノンはゆっくりと立ち上がった。黄金の瞳が、僅かに細められる。
「……美しい、か。……教授。貴公が今書き連ねたその数式……第十七項の因果結節点に致命的な欠陥がある。……魔力を属性に変える際の変換効率が、その計算では三割近くも虚数空間へと漏れ出している。……そんな穴だらけの法典を美しさと呼ぶとは、この世界の審美眼は死んでいるのか?」
教室内が、静まり返った。バルワール教授は、驚きよりも怒りで顔を真っ赤に染める。
「……な、何だと!? この理論は、我が国の建国以来、五柱の神々が授けたとされる絶対不変の真理だぞ! 魔法も使えぬFランクの小僧が、何を根拠に……!」
「……根拠など不要だ。……事実がそう告げている。……イシュタル、黒板を貸せ」
「はい、我が王」
イシュタルが指を鳴らす。瞬間、黒板に書かれていた「神の理論」は、見えない力によって一瞬で消去(デリート)された。ゼノンは、教壇へと歩を進める。彼の歩み一つごとに、床に刻まれた防御結界がパキパキと音を立てて軋み、無力化されていく。ゼノンはチョークを手に取ると、流れるような動作で「真実」を書き込み始めた。それは、この世界の魔導文字ではない。時極帝国の基幹言語である「神理数式」。
「……魔力とは、本来、世界の『記述』そのものだ。……火を出すために火の円環を作るのではない。……『そこが燃えている』という結果を、世界の法典に書き込めばよい。……変換効率などという概念自体、貴公らが本質を見失っている証拠だ」
黒板を埋め尽くしたのは、見る者の脳を直接揺さぶるような、極彩色の光を放つ数式群。それを見たバルワール教授の瞳が、次第に恐怖へと染まっていく。
「……こ、これは……何だ……。読める。……いや、読めるのではない。……情報が、直接魂に流れ込んでくる……! なんだ、この……圧倒的な、正解の連鎖は……!!」
教授は、その場に崩れ落ちた。ゼノンが書いたのは、魔法の術式ではない。この世界の物理法則を根底から書き換える【再定義のプログラム】だ。
「……王よ。……少々、教えすぎでは? この世界の『神』が管理しているバックドアを、いくつか壊してしまったようですわ」
「……構わん。……偽りの理で縛るよりも、真実に触れて絶望する方が、多少は有意義な教育になるだろう」
ゼノンはチョークを置き、唖然とする学生たちを無視して席に戻った。エリック王子だけは、震える手で黒板の数式を書き写そうとしていたが、その複雑さと情報量に耐えきれず、ペンが手の中で砕け散った。
「……さて。次は『実技』の時間だったな。……余の火遊びが、この世界の『射程』を越えてしまわぬよう、注意せねばならんな」
午後。学園の広大な魔導演習場には、戦々恐々とした雰囲気が漂っていた。座学でバルワール教授を精神崩壊(知的な意味で)させたゼノンに対し、実技教官たちは「力」でその鼻を明かしてやろうと、最高難度の標的を用意していた。
「……本日の演習は、一キロ先にある『対魔結界石』を破壊すること。……エリック殿下、お手本をお願いします」
教官に促され、エリック王子が前へ出る。彼の背負ったプライドと、先ほどの座学での屈辱が、魔力を限界まで昂ぶらせていた。
「……見ていろ、アル・ゼノン。……理屈がどうあれ、最後にモノを言うのは出力だッ!!」
エリックが叫び、最高位の攻撃魔法『紅蓮の槍(イグニス・ハスタ)』を放つ。空気を引き裂く轟音と共に、巨大な火の槍が標的に激突。結界石を粉々に砕いた。
「……おおおッ! さすがはSランク、素晴らしい威力だ!」
学生たちが歓声を上げる。エリックは肩で息をしながら、勝ち誇ったようにゼノンを指差した。
「……どうだ、Fランク! 貴様にこれほどの破壊が出せるか!?」
ゼノンは、あくびを噛み殺しながら、指定された射線に立った。
「……一キロ、か。……射程という概念がまだ存在するのだな、この世界には。……教官。……この標的の背後にある『山』は、壊しても構わんのか?」
教官が鼻で笑う。
「……ハハハ! 面白い冗談だ。一キロ先の小石も壊せん無能が、十キロ先の霊峰をどうこうしようなどと。……いいだろう、壊せるものなら壊してみるがいい!」
「……許可は得た。……イシュタル、この世界の『空気抵抗』と『重力減衰』の定数を一時的に無視する。……でないと、計算が面倒だ」
「……御意に。……対象領域の物理演算、一時停止。……王、どうぞ」
ゼノンは、指を一閃させた。杖も、複雑な詠唱も不要。ただ、指先で空間を「弾く」ような仕草。
「――点火(イグニッション)」
ゼノンが放ったのは、初級中の初級、『火球(ファイアボール)』。だが、それはバルワール教授を震え上がらせた「真実の数式」に基づいた、【存在の燃焼】であった。
その瞬間。
ドォォォォォォォォォォン!!
爆音すら遅れてやってきた。放たれた小さな火球は、発射された瞬間に「命中」という結果へ至るための最短経路を物理的に穿った。一キロ先の結界石? そんなものは通過した瞬間の「風圧」だけで蒸発した。火球は、不可視の神理を纏い、そのまま演習場の外、十キロ先にそびえる霊峰アステリアへと突き進んだ。
――無音。
そして、山頂付近が、太陽が地上に降りたかのような白銀の光に包まれた。次の瞬間、霊峰の頂部は物理法則を無視して「消滅」した。崩落したのではない。火球が触れた瞬間、岩石の分子結合が王の意志によって「解散」を命じられ、ただの光の粒子へと還元されたのだ。演習場に、死のような静寂が訪れる。エリックは、口を開けたまま腰を抜かした。教官は、持っていたストップウォッチを落とし、壊れた人形のようにカタカタと震えている。
「……あ。……しまった。……威力を 10-150乗まで抑えたはずなのだが、この世界の空気は可燃性が高すぎるようだ」
ゼノンは、煤一つ付いていない指先を見つめ、困ったように眉をひそめた。
「……王よ。……『山は壊していい』という許可は得ておりますので、法的には問題ありません。……ただ、天界の監視局がパニックに陥っているようですが」
「……放置しろ。……さて。……いい加減、喉が渇いた。……イシュタル、例の『わさびのり太郎』に合う茶を頼む」
「……了解いたしました。……皆様、実技演習はこれで終了のようですね? ……兄の『火遊び』にお付き合いいただき、感謝いたしますわ」
イシュタルが優雅に一礼し、唖然とする学生たちの中を、ゼノンと共に歩み去っていった。
夕暮れ時。学園の喧騒から逃れるように、ゼノンは地下深くにある「禁書庫」へと足を運んでいた。そこは、この世界の歴史から消された、あるいは隠された不都合な真実が眠る場所。薄暗い棚の間を歩いていると、一人の少女が古い羊皮紙を熱心に読み耽っていた。カイルの報告にあった、特異点――セレナだ。彼女は、ゼノンの気配に気づくと、驚いたように顔を上げた。その瞳には、この世界の住人にはない、深い「絶望」と「諦念」の色が宿っている。
「……君は……さっきの……」
「……アル・ゼノンだ。……君が、この世界の『終わり』をその身に宿している少女か」
セレナの肩が、びくりと震えた。
「……なぜ……それを……。……私は、ただのDランクの特待生よ」
「……嘘が下手だな。……君の魂の奥底で、余がかつて書き換えた『法典の残滓』が鳴いている。……それは、この世界の神々が最も恐れる毒であり、同時に唯一の救いでもある」
ゼノンは、彼女の隣に腰を下ろした。セレナは逃げようとしたが、ゼノンの瞳を見た瞬間、その圧倒的な「安らぎ」に射すくめられ、動けなくなった。
「……怯える必要はない。……余は、その法典を回収しに来たわけではない。……ただ、あまりに懐かしい響きだったのでな。……少し、この世界の『管理者』が何を目論んでいるのか、聞かせてもらいたいだけだ」
「……管理者は……私たちを『電池』だと思っている。……魔力を集め、一定の純度に達した魂を、上の世界へ引き上げる……。……引き上げられた人は、二度と帰ってこない」
セレナは、小さな声で語り始めた。この世界の神々が、学生たちの成長を促すのは、彼らを強くするためではない。より「美味しく、高密度のエネルギー」を収穫するため。
「……収穫祭、か。……古臭い趣味だな」
ゼノンは、懐から一枚の『わさびのり太郎』を取り出し、半分に割ってセレナに差し出した。
「……食べろ。……これを食べれば、少しは世界の理不尽に耐える勇気が湧く」
「……なに……これ。……お菓子?」
恐る恐る口に運ぶセレナ。
「……ツーン! ……っ!? な、何これ、辛い! でも……不思議と、頭がはっきりする……」
「……そうだろう。……刺激こそが、停滞した運命を動かす。……セレナ。君の中に眠る法典は、いずれ芽吹く。……その時、君がこの世界を壊したいと願うか、救いたいと願うか……。……余はその『選択』を楽しみにしている」
ゼノンは立ち上がり、暗闇へと消えていった。セレナの手の中には、半分になった駄菓子の袋だけが残されていた。
その夜、天界の神殿は未曾有の混乱に陥っていた。
「……報告せよ! 地上の霊峰が消滅した理由は何だ!? 隕石か? それとも禁忌魔法か!?」
五柱の神々の一人、炎の神・アグニオス(※時極帝国のアグニオースとは別物の、脆弱な偽神)が叫ぶ。
「……わかりません! 管理画面には、ただ一言『物理定数の再定義』というエラーメッセージが出ているのみです!」
「……馬鹿な! そんなことができるのは、我ら神々、あるいはその上の管理者のみ……! まさか……『あの方』が、この下界に降りてこられたというのか!?」
神々の視線が、学園の寄食舎に向けられる。そこには、鼻歌を歌いながら、豪華な寝椅子に横たわる一人の青年の姿があった。
「……王よ。……神々が、私たちの居場所を特定しようと必死にスキャンを行っております。……いかがいたしますか?」
カイルが、暗闇の中から尋ねる。
「……放置しろ。……余の居場所を知ったところで、彼らにできることは『命乞い』の練習くらいだろう」
ゼノンは、窓から見える満天の星空を眺め、静かに目を閉じた。
「……さて。……明日は『召喚術』の授業か。……余を喚び出そうとする不届き者がいないことを祈るよ。……もし余がこの姿で喚び出されれば、召喚陣ごと世界が裏返ってしまうからな」
時極帝国の絶対王による、最弱を装った隠居生活。それは、本人の意思とは裏腹に、世界を終わらせるための秒読みへと変貌しつつあった。
第二十七章:【不本意な最高峰、あるいは神々の隠蔽工作】