AION REAGALIA(アイオン・レガリア)   作:ネネカ大神

5 / 31
寒いですね


第四章:【神代降臨、壊れた黄金】

エテルナ帝国の時間は、常に完璧であった。 黄金の都に降り注ぐ陽光は、聖時計塔『クロノス・マギ』によって、肌を焼かぬ適度な温度へと調整され、そよ吹く風は国民が最も心地よいと感じる旋律を奏でている。それがエテルナにおける「日常」であり、アル・ゼノンが定めた「世界の法」であった。

 

だが、その完璧な調和が、不快な「音」を立てて崩れ始めた。

 

異変は、天頂から訪れた。 雲一つない蒼穹。その一部が、まるで乾いた陶器に熱湯を注いだかのように、無数にひび割れたのである。青い空のテクスチャがパラパラと剥がれ落ち、その隙間から漏れ出したのは、この世界の「星韻(せいいん)」とは似ても似つかぬ、重く、淀んだ、そしてあまりに古臭い「黄金の闇」であった。

 

「……空が、割れている?」

 

大通りを歩いていた市民たちが、誰からともなく立ち止まり、天を見上げた。 恐怖よりも先に訪れたのは、困惑だった。彼らにとって、エテルナの空とは不変の概念であり、それが壊れるなどという事象は、思考の外側にあったからだ。

 

だが、現実は残酷な速度で加速する。 剥落した空の裂け目から、巨大な「何か」が突き出された。 それは、一本の指だけでエテルナの街区を優に覆い尽くすほどの、あまりに巨大な「腕」であった。

 

石像のような硬質感と、生々しい筋肉の隆起。青白い肌の上には、今の時代には存在しない古代の文字が刻まれ、そこから垂れ落ちる黄金の雫は、一滴が小規模な爆発を伴って大地を穿つ。

 

「グ……ォォォォォォォォォォ……ッ!!」

 

裂け目の向こう側から、地脈を直接揺さぶるような咆哮が轟く。 それは言葉ではない。数千年の眠りを経て、現代(いま)という偽りの平穏を食らい尽くさんと欲する、原始の飢餓。

 

神代の版図・ゼノビア。 かつて、アル・ゼノンの祖先たちが時の鎖で縛り上げ、歴史の裏側へと放逐したはずの「神の時代」の覇者たちが、今、自分たちの領土(テリトリー)を奪還すべく現れたのだ。

 

宮殿のテラス。 アル・ゼノンは、手に持ったティーカップを、音もなくソーサーに戻した。 その顔には、驚きも、焦りもない。ただ、愛読書の途中で栞を挟む時のような、わずかな「面倒臭さ」だけが漂っていた。

 

「……やはり、反王同盟の稚拙な策謀が、この裂け目を広げる呼び水となったか。人間というものは、自分たちの扱う力が何であるか、最後まで理解せぬものだな」

 

ゼノンが立ち上がると、彼の周囲の空間が、目に見えるほどの密度で歪み始めた。 背後の影から、四星天将、蒼穹のイシュタルが音もなく現れ、深く頭を垂れる。

 

「王よ。ゼノビアの先遣隊……。かつて『巨神兵(タイタン)』と呼ばれた古の壊し屋の一体と推測されます。その一撃、エテルナの結界を貫通する物理質量を有しております。いかがいたしましょう」

 

「イシュタル。余の言ったことを忘れたか。……美しくないものは、この庭に置く必要はない。……バシュタールを呼べ。あの醜い腕が、余の庭をこれ以上汚す前に」

 

「御意に」

 

イシュタルが指先を弾くと、宮殿の底から、山が動くような重厚な地鳴りが響き渡った。

 

「――おう、おう。ようやく俺の出番かよ。身体が錆びつくかと思ったぜ」

 

空から降り注ぐ巨大な「指」の一撃。 それがエテルナの第4居住区を粉砕しようとしたその瞬間、瓦礫と煙の向こうから、一人の男が歩み出た。

 

四星天将、金剛のバシュタール。 身長は二メートルを超え、岩を削り出したかのような荒々しい肉体に、黄金の重装甲を纏った武人。彼が歩くたび、足元の石畳は割れるどころか、逆に「ダイヤモンドのような硬度」に固定され、一分の隙もない美しさで定着していく。

 

「巨神だか何だか知らねぇがな、化け物。ここは、我が王の御庭だ。……許可なく一歩でも踏み込む奴は、この俺が『置物』に変えてやるよ」

 

バシュタールは、背負っていた巨大な盾――王権具の一部である『不抜の金剛盾(ヴァジュラ・イージス)』を、軽々と片手で持ち上げた。

 

上空から、巨神兵の拳が振り下ろされる。 それは、一つの山が空から降ってくるに等しい物理的暴力。大気は悲鳴を上げて圧縮され、衝撃波だけで周囲の建物が砂へと還ろうとする。

 

だが、バシュタールは、その場から一歩も動かなかった。

 

「……『不変』を司る俺の前に、質量なんざ意味をなさねぇんだよ」

 

ズォォォォォン!!

 

激突。 巨神兵の拳が、バシュタールの掲げた盾に直撃した。 本来ならば、衝撃波で地殻が砕け、半径数キロがクレーターに変わるはずの衝撃。しかし、現実に起きたのは、「完璧な静止」であった。

 

バシュタールが立つ地点を中心に、半径百メートル以内の全ての事象が、物理法則から切り離された。 飛散する石片も、震える大地も、吹き荒れる突風も。そのすべてが「硬直(ロック)」され、衝撃そのものが対象へと伝わることを拒絶されたのである。

 

「……何だ、そのツラは? 驚いたか? てめぇの一撃は、今この瞬間、『ただの静止画』に書き換えられたんだよ」

 

バシュタールは、盾をグイと押し戻した。 すると、巨神兵の巨大な腕が、まるで紙細工のようにバキバキと音を立てて逆側に折れ曲がった。衝撃を完全に遮断し、そのエネルギーを逃がさずに対象へ「固定」して跳ね返したのだ。

 

「バシュタール様! 遊んでいないで、速やかに処理してください。市民が怯えております」

 

バシュタールの背後、空中から複数の影が降り立つ。 時辰十二翼、十二の刻・亥(い)の翼将――ギガス・ヴァハル。 そして、その副将、パンサ・デュロ。

 

ギガスは、岩のような重装殻『バハムート』を全身に纏い、バシュタールの周囲を固めるように陣取った。

 

「バシュタール様が受け止めた余波、すべて私が引き受けましょう。……エテルナの壁、一枚たりとも傷つけさせはしません」

 

ギガスが地面に両手を突くと、帝国の防衛結界がさらに多層化し、物理的な衝撃をすべて「振動」へと変換して霧散させる。 副将パンサは、重槌を構え、巨神兵が空から垂れ流す黄金の雫――高密度の星韻の塊を、空中で叩き割って無力化していく。

 

「十二翼の面々まで揃って、賑やかになってきたじゃねぇか。……おい、ギガス。少しだけ本気を出してもいいか? 王は『美しく散らせろ』と言ったが、こいつは少しばかり硬すぎて、美しくねぇんだよ」

 

バシュタールが、黄金の盾を地面に突き刺した。 彼が深く息を吸い込むと、大気中の星韻が、バシュタールの肉体へと一気に収束していく。

 

「極装(全身魔装)の、さらに先を見せてやる。……『神理昇華』。ここからは、俺がこの世界の『強度』そのものだ」

 

バシュタールの全身を包む装甲が、一度粉々に砕け散った。 しかし、それは消失ではない。砕けた破片は光の粒子となり、彼の背後に巨大な、幾何学的な「曼荼羅」を描き出す。 バシュタールの瞳からは黄金の光が溢れ、彼が立っているだけで、周囲の空間がクリスタルのように結晶化し始めた。

 

神理昇華:【金剛世界(ダイアモンド・レルム)・不壊の法典】。

 

「巨神よ。お前の時代の力……。ここで『終わった歴史』として固定してやる」

 

バシュタールが右拳を握りしめる。 空に浮く巨神兵は、異変を察知して残されたもう一方の腕で、必死に裂け目から全身を這い出そうとした。だが、その動きはあまりに緩慢だった。

 

バシュタールの周囲に展開された曼荼羅が回転し、巨神兵の肉体――数キロメートルに及ぶ巨躯の全てに、「見えない鎖」が突き刺さる。 それは物理的な鎖ではなく、「存在の固定」という概念の杭であった。

 

「……動くな。死ぬな。朽ちるな。……ただ、永遠にそのまま、我が王の庭を飾る『彫像』でいろ」

 

バシュタールが拳を突き出した。 衝撃波は発生しない。光も放たれない。 ただ、巨神兵の咆哮が止まり、その全身が、指先の一本に至るまで、石を通り越して「純粋な黄金」へと変換されていった。

 

肉体の細胞一つ一つが、時間の経過さえも拒絶する絶対的な「固体」へと昇華される。 巨神兵は、裂け目から身を乗り出したまま、一つの巨大な「黄金の彫刻」と化し、空の穴を塞ぐ栓(せん)のようになった。

 

裂け目の向こう側で、さらなる軍勢の気配が蠢いていたが、この「黄金の栓」によって、物理的な侵入口を完全に断たれたのである。

 

「……ふぅ。これでどうだ、ナバール。少しは美しくなったか?」

 

バシュタールが神理昇華を解き、いつもの不敵な笑みに戻る。 背後で見ていた十二翼の面々も、その圧倒的な「格」の差に、改めて畏怖の念を覚えずにはいられなかった。

 

事態は収束したかに見えた。 だが、アル・ゼノンは、テラスからその「黄金の彫刻」を見つめ、不快そうに目を細めた。

 

「……王よ。巨神兵の停止を確認。裂け目はバシュタールの力で物理的に封鎖されました。……国民への被害、ゼロです」

 

イシュタルが報告するが、ゼノンは無言で空を指差した。

 

「……見てみろ、イシュタル。あの彫像の、胸のあたりを」

 

イシュタルが、その視線の先を魔導の目で拡大する。 バシュタールの「不変」の力によって、永遠に黄金へと固定されたはずの巨神兵。その胸の奥底から、トクン、トクン……という、低く重い「鼓動」が聞こえてきた。

 

黄金の表面に、ピキリ……と小さなひびが入る。 そこから漏れ出したのは、黄金ではなく、ドロりとした、真黒な「影」であった。

 

「……バシュタールの力は、完璧だ。この世界の理において、あれを動かせる存在などいない。……だが、あの『黒い影』は、この世界の理に従っていないということだ」

 

ゼノンが初めて、手に持ったティーカップを落とし、砕いた。 大理石の床に散らばる破片。それは、エテルナの「完璧な日常」に、修復不可能な亀裂が入った象徴であった。

 

「……面白い。バシュタールの『不変』すらも、内側から腐食させるか。……ゼノビアの連中、思っていたよりも、この世界の歴史に『未練』があるらしい」

 

ゼノンが空を見上げる。 黄金の彫像が、黒い影を纏ってゆっくりと動き出す。 それはもはや巨神兵ではなく、バシュタールの力を吸収し、この世界の法を逆利用し始めた、未知の「神の死骸」であった。

 

「全十二翼へ告ぐ。……遊びは終わりだ。……これから起きるのは、掃除ではない。……真なる『神殺し』の儀式だ」

 

王の宣言と共に、エテルナの空が、黄金色から漆黒へと塗りつぶされ始めた。 日常の終わり。そして、世界そのものの存在を懸けた、神話の最終決戦が幕を開ける。




第五章:【守護の翼、腐食する聖域】
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。