AION REAGALIA(アイオン・レガリア)   作:ネネカ大神

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第六章:【覚醒する歯車、連鎖する奇跡】

黄金の都エテルナを包む空気は、もはや甘美な旋律を奏でてはいなかった。 空を塞ぐ「黄金の巨神兵」の胸元から漏れ出す黒泥(こくでい)は、物理法則そのものを腐食させる「概念の毒」となって地上へ降り注いでいる。

 

「……はぁ、はぁ……。なんて、しつこい泥なの……」

 

卯(うさぎ)の翼将、フィオナ・エインズは、肩で息をしながら、自らの細剣『デュランダル』を構え直した。彼女の周囲には、空間を切り裂いた「断層」が無数に浮遊しているが、その断面からは本来あるはずの輝きが失われ、黒い煤のような影が纏わりついている。

 

「フィオナ様、無理をしないでください。星韻(せいいん)の消耗が限界を超えています」

 

副将ミラベル・ピコが、重力を操作して影獣(えいじゅう)の接近を阻みながら叫ぶ。

 

十二翼たちが苦戦している最大の理由は、敵の「質」にあった。 ゼノビアの影獣は、この世界の法則を「食べて」自己増殖する。十二翼が強力な刻印具(アーティファクト)で理を書き換えれば書き換えるほど、その高度な法則自体が影獣にとっての極上の栄養源となり、さらに凶悪な個体を生み出してしまうのだ。

 

それは、完璧な数学者が、数式そのものを汚染されるような絶望だった。

 

「……逃げ場はないわ。私たちが退けば、この後ろにある『聖時計塔』が汚される。そんなことになったら……王に、合わせる顔がないじゃない!」

 

フィオナが再び空間を跳躍する。だが、その動きは精彩を欠き、影の触手が彼女の足首を捉えようとした。

 

「――『そこ』ではありませんよ、フィオナ」

 

鋭い銀光が走り、フィオナを襲おうとした影の触手が、一瞬にして数千の断片へと細断された。 午(うま)の翼将、アル・ザヒドである。

 

「アル! 無事だったの?」

 

「無事、とは言い難いですね。槍の感覚が、泥に吸われて鈍くなっている。……だが、王から『証明せよ』と言われた以上、我ら翼が泥に塗れて止まるわけにはいかない」

 

アル・ザヒドの隣には、副将フェリスが静かに立ち、既に次の術式を編んでいた。

 

「アル・ザヒド様。フィオナ様との星韻波長、同期可能です。……二つの法を重ね、影が喰らうよりも速く『結果』を確定させましょう」

 

「……なるほど。空間と時間の同時上書きか。無茶を言うが、それしかないか!」

 

アル・ザヒドとフィオナ。 「時間」の刹那を操る者と、「空間」の断層を操る者。 二組の主従が、互いの刻印具を交差させるように構えた。

 

「刻印具、二重共鳴(デュアル・レゾナンス)――」

 

「「【極光の回廊・千秋楽(アイオン・フェイズ)】!!」」

 

アル・ザヒドが「移動時間をゼロ」にし、フィオナが「座標の距離をゼロ」にする。 二つの理が重なった瞬間、戦場に数万の「アル・ザヒド」が同時に出現したかのような錯覚が起きた。影獣が反応する暇さえ与えず、全方位から同時に、座標そのものを消去する一突きが叩き込まれる。

 

影は喰らう対象を見失い、ただ「消滅した」という結果だけを世界に刻まれて霧散していった。

 

この二人の共闘が、膠着していた戦場に火をつけた。 各地で戦う十二翼たちが、自らの限界を悟ることで逆に、隣り合う翼との「歯車」を噛み合わせ始めたのである。

 

「――北西区画、シリウス! 冷気で『因果』を固定しろ!」

 

「……言われずとも。ガルダ、その後に焼き尽くせ!」

 

戌(いぬ)のシリウスが極寒の絶対零度を放ち、影獣の運動エネルギーを「停止」という法で縛り付ける。その直後、酉(とり)のガルダが、停止した分子を無理やり摩擦加熱させ、因果律の矛盾による爆発を引き起こす。

 

【氷炎の二重律(バイナリ・ディザスター)】。

 

「南東区画、ラージャン! 雷を流せ! 俺が地中に逃がさねぇ!」

 

「おうよ、ギガス! 逃げ場のない檻の中で、塵も残さず消してやるぜ!」

 

寅(とら)のラージャンが放つ八雷神の雷撃を、亥(い)のギガスが重力壁でドーム状に閉じ込める。逃げ場を失った電位は影の泥を内側から沸騰させ、漆黒の煙へと変えていった。

 

【轟雷の重力獄(トール・グラビティ)】。

 

一人一人の力では、ゼノビアの腐食に追いつけなかった。 だが、十二の刻(とき)を司る者たちが、王の時計のように正確に、かつ情熱的にその力を連鎖させた時、戦場にはエテルナ本来の「完璧な律動」が取り戻されていった。

 

それは、単なる戦術の枠を超えた、魂の同期。 王、アル・ゼノンが授けた「翼」の真の価値が、死地において初めて開花した瞬間であった。

 

十二翼たちの猛攻を受け、空に浮かぶ巨神兵の黄金の彫像が、初めて苦悶の表情を浮かべたように見えた。

 

「……ア……ル……ゼ……ノン……ッ!」

 

巨神兵の口から漏れ出したのは、音波ですらない、負のエネルギーの塊。 それは都の一部を物理的に消滅させようとしたが、その直前、バシュタールの黄金の盾が、すべての衝撃を「不変」へと変換して受け止めた。

 

「――これ以上は、やらせねぇよ」

 

バシュタールの声と共に、十二翼たちの放った連鎖的な星韻が、聖時計塔『クロノス・マギ』へと吸い込まれ、一筋の巨大な光の柱となって空へと放たれた。 それは王が意図したものではなく、部下たちの忠誠心が自然発生的に生み出した、エテルナ全土の星韻による「理の再固定」であった。

 

空を覆っていた影が、光の奔流によって押し戻されていく。 巨神兵の裂け目は、再びバシュタールの黄金の力によって硬く封印され、影獣たちは依り代を失って一斉に砂へと還っていった。

 

裂け目が閉じ、不気味な黄金の闇が空から消え、そこには再び、アル・ゼノンが愛する「エテルナの青空」が戻ってきた。

 

静寂。 戦場を支配していた轟音は止み、聞こえるのは十二翼たちの荒い呼吸と、再び動き始めた時計塔の規則正しい鐘の音だけだった。

 

「……終わった、のか……?」

 

ラージャンが双剣を鞘に収め、その場にへたり込む。

 

「……ええ。少なくとも、第一陣は。……王の御庭は、辛うじて守られました」

 

シリウスが剣の血を払い、空を見上げた。

 

一時間後。 エテルナの街は、信じられないほどの早さで「日常」へと回帰していた。

 

普通の国であれば、あの大規模な戦闘と建物の崩壊を修復するには、数ヶ月、あるいは数年の歳月を要するだろう。 だが、ここはエテルナ。時間の法が支配する都である。

 

「……『修復(リストア)』を開始せよ」

 

王宮のテラスに座るアル・ゼノンの、一言。 その瞬間、街の至る所で「時間の逆転」が始まった。 崩れ落ちた石壁は、重力に逆らって元の場所へと舞い戻り、焼けた市場のテントは火がつく前の姿へと織り直される。ひび割れた石畳は、まるで生き物のようにその傷を塞いでいった。

 

避難していた国民たちが、何事もなかったかのように街路へ戻ってくる。 パン屋は窯を温め直し、花売りは再び花を並べる。彼らにとって、先ほどの神話的な戦闘は「王が少しだけ大きな掃除をした」程度の出来事でしかなかった。

 

これが、エテルナの日常。 王が望めば、昨日と同じ今日が、明日も同じように繰り返される。 死も、破壊も、この国の「時間」という名の法典の前では、一時的なバグに過ぎないのだ。

 

王宮の中庭。 戦いを終えた十二翼たちが、それぞれの部下とともに、束の間の休息を取っていた。

 

「はぁ〜! やっぱ戦った後の酒は最高だな!」

 

バラム(辰)が、巨大な樽から酒を煽っている。彼は今回の戦闘では後詰めに回っていたが、仲間たちの活躍に上機嫌だった。

 

「バラム様、はしたないですよ。……それに、バシュタール様はまだ、空の監視を続けていらっしゃるというのに」 ナバールが呆れたように、バラムの背中を叩く。

 

一方、アル・ザヒド(午)とフィオナ(卯)は、静かにハーブティーを飲みながら、自分たちの連鎖した瞬間の感覚を反芻していた。

 

「……アル、あの時、一瞬だけ『王と同じ視界』が見えた気がしたわ」

 

フィオナが、少しだけ震える指でカップを握る。

 

「ええ。私もです。……自分たちの理が、世界の理と完全に噛み合ったような、あの感覚。……あれこそが、王が我らに求めた『証明』だったのかもしれません」

 

十二翼たちの間には、これまでにない奇妙な連帯感が生まれていた。 これまでは「王の下に跪く個々の翼」であった彼らが、一つの大きな「機構」として動き始めたのである。

 

「……イシュタル。外は、随分と騒がしいな」

 

アル・ゼノンは、静まり返った謁見の間で、再び本を開いていた。 傍らには、イシュタルが淹れ直したばかりの、湯気の立つ紅茶がある。

 

「はい。十二翼たちは、自分たちの成長を祝うかのように談笑しております。……バシュタールも、上空で黄金の彫像を睨みつけながらも、どこか満足げな様子です」

 

「そうか。……余にとっては、ただの歯車の修正に過ぎんが。……彼らにとっては、大きな一歩だったというわけだ」

 

ゼノンはカップを手に取り、その琥珀色の液体を見つめた。 街は元通りになり、部下たちは成長し、空の穴は塞がった。 すべては彼の計算通り。完璧な平穏が、再びこの国を包んでいる。

 

だが、ゼノンの瞳には、微かな「陰り」があった。

 

「……イシュタル。あの巨神兵の鼓動、止まってはいないな?」

 

「……はい。バシュタールの固定により沈黙してはいますが、内側にある黒い影は、今も脈打っております。……おそらく、更なる星韻の歪みを待っているのでしょう」

 

「反王同盟が動き、ゼノビアが呼応した。……時計の針は、もはや逆戻りはできん。……いずれ、この『偽りの青空』が完全に剥がれ落ちる時が来る」

 

ゼノンは茶を飲み干し、窓の外を見た。 そこには、夕闇に染まり始めた美しいエテルナの街並みが広がっている。 彼が守り続けてきた、美しくも残酷な、静止した箱庭。

 

「……その時、彼らの翼が、本当の意味で空を飛べるようになっていることを願うよ。……そうでなければ、余の退屈を埋める者など、この世界にはいなくなるからな」

 

王の呟きは、夕風に溶けて消えた。 エテルナに、再び「いつも通りの夜」が訪れる。 だが、その夜の暗闇は、昨日までよりもわずかに深く、底知れぬ影を孕んでいた。




第七章:【黄金の安息、翼たちが集う刻】
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